ある日、俺は一円玉を拾った、そして死んだ。

ノベルバユーザー307621

ある日、俺は一円玉を拾った、そして死んだ。

ある日、俺は一円玉を拾った

木枯らしが俺に冬の到来を告げるような肌寒いその日
うつむき気味にぼんやりと歩いていた俺の視界に薄灰色の物体がたまたま入り込んできた
なんの気もなしに指先でつまみ、手のひらの上でその物体を遊ばせた
「一円玉を拾う労力は一円以上である」
そんな昔聞いたトリビアが頭をかすめたが、もう拾ってしまったのだからしょうがないだろう
俺は一円玉をポケットの中に滑らし、コンビニに向かった


遅い
コンビニのレジ待ちの列でそんな悪態をついた
ここのコンビニはレジが二つあるのだが今日は一つしか使われていない
それもその一つも女子小学生の客で埋まっていた
さっきからマゴマゴしていて全然終わる気配がない
ふと耳をすませるとその子が何か呟いている
「一円、足りない…」
蚊が鳴くようにか細く、小さいが、とても綺麗な声でそう言っていた


タイミングのいいこともあるもんだ
俺はポケットを探って先ほどの一円玉を取り出し、放るようにしてレジに置く
少女が私の方を見る
その目はガラス細工のようにキラキラしていた
レジのお兄ちゃんもホッとしたようにレジを打ち、少女に商品を渡した
俺も精算を済まし、コンビニの外に出たところでいきなり体が重くなった
もちろん急に万有引力が強くなったわけではないない、ただ先ほどの少女が俺の服の裾を握っていただけだ
そして小さな声であったが、俺に「ありがとう」と伝えてきた
照れているようだが、話すのは嫌いでないらしい
俺はその子としばし談笑していた
「あの〜ちょっとお話し聞かせていただいていいでしょうか」
突然聞こえてきた声の出所を探ろうと振り返る
紺の制服、黒い帽子、そして胸には警官バッチ
交番の警察官だ
「話を聞く」などと言ってはいるが確実に俺を変質者だと疑っているのだろう
悲しいことにその自覚はある

よれよれの部屋着を身にまとい、ヒゲも伸び放題伸ばして、平日の昼間に女子小学生と話している、そして手に持っているレジ袋にはエロ本が入っている
これが不審者でなくてなんなのだろう
仕方ない
俺は警察官から逃走することにした



捕まった
パチンコ屋の横を抜け、追いかけっこしている小学生をよけ、スーパーを抜けて、薬局も抜けようとしたところで押さえつけられた
砂利が食い込む感覚を頬で感じながら、当然のことだと思った
こちらは四ヶ月たいして外出もしていないニート、それに対してあちらは現役の警官である
その戦力差なんて考えなくてもわかることだ
押さえつけられながら幅広な道路を挟んだ向かい側をなんの気もなしに見ていた
歩道にはお婆さんが歩いている
足が悪いのだろうか、小さな荷車を頼りにするかのように歩いている
そしてなぜか荷車の上に小さな鞄を載せている
落としそうで危ないな
自分の状況なんて棚に上げてこんなことを考えていた
そんな俺の視界を一人の男が凄い勢いで切り裂いた
お婆さんの横を通り過ぎたそいつの手には先程まで俺が見ていた小さな鞄があった
「引ったくりよー!誰か捕まえてぇ!」
小柄な背中とは対照的に大きな声だった
俺を拘束していた手を外し、警官はその男を捕まえようと走っていく
かなり慣れた手つきで盗っていたことから察するに、あいつはかなり手練れだ
今まで何度もあんな事をしてきたのだろう
しかし奴も災難だな
故意ではないにしても、俺が警官を連れてきてしまっていたのだから
そうでなかったらきっと逃げきれていただろう
こうなってしまったらもう時間の問題だ
恐らく逮捕されて余罪も明らかになるだろうと俺は考えていた
しかし、奴は捕まらなかった
追いかけてくる警官を視認した途端に近くを歩いていた若い女の人を人質に取ったのだ
女性の手の先には幼稚園児らしき幼女もいた
奴はどこからともなくナイフを取り出してその切っ先を女性の首に沈ませた
「止まれ、妙な動きをするようならこいつが死ぬぞ」
こんな状況なのに落ち着いた声だった
仕方なく警官は立ち止まった
そして奴の脅しの意味をなくすために拳銃を突きつけようと、拳銃に手をかける
その瞬間、女性の首から血が噴き出した
女性の顔は驚いたように目を見開いたまま固まっている
俺の脳内をむせ返るように暑かったあの日の記憶が駆け巡った
ズキズキと頭が痛い
遺体となった女性は素直に重力に従い、その場に倒れた


殺人者が今度は女性と手を繋いでいた幼女にナイフを突きつけながら、
「妙な動きをするな、と言ったよな」
静かにそう言った
現場には悲鳴がこだました
新たな人質を確保した男は近くに停めていた車の運転手も脅して降ろし、逃亡の足を確保した
男は車に乗り込む瞬間にその幼女をも切り殺した
警察が人命救助をしなくてはならない人数を増やし、逃亡する時間を稼ぐためなのだろう
自分勝手な奴だ
いや、殺人が自分勝手な事だなんて俺が一番理解していただろう
自分勝手で、傲慢で、最低だ

奴が盗んだ車で走り去るのをしばし眺めた後、警官は近くにいた通行人に救急車を呼ばせ、交番から駆けつけたパトカーに颯爽と乗り込んだ
もちろん俺を交番に連れて行く時間なんてない、俺も乗車させられた
そうして、殺人犯のカーチェイスが始まった



運転席で警官たちが愚痴っている、何でこんな日に、とか言っている
そう言えば今日の夜、都心で大統領を呼んだ会談があるとネットニュースに書いてあった
こんな警察組織の末端にまで影響があるのか

手練れの盗っ人でも車の運転は不慣れらしい
一キロくらい爆走したところで奴の車は不幸にも黒塗りの高級車に追突してしまう
高級車の中からヨレヨレになったおじさんが何人か出てきた
顔を青くした警官が彼らに近づいて肩を貸している
その隙を伺って殺人者は車から降りて逃走し始めた
俺もぼんやりしている時間はない
車のドアを蹴飛ばすように開けて外に転がり出ると、殺人者の男の後を追って駆け出した
奴についていけば警官どもを撒けるだろう



奴を追いかけて走っていたはずが、いつの間にか見失ってしまった
ぜいぜい息を切らせ立ち止まり、膝に手を当て、肩を揺らしながら奴の姿を探す、しかしどこにもいない
その時首に違和感があった
犬の首輪ってこんな感じなのだろうか
冷たい空気の中、俺の首に触れたその物体は生暖かかった
視線だけ下に向ける
俺の首には黒く光るナイフが当てられていた
母子の命を喰らったナイフが今度は俺に突き立てられそうになっている
必死に酸素を取り入れようと上下している喉元がチクリチクリと刃先に触れる
ナイフを持つ手の位置から考えると、奴は私の真後ろにいるらしい
奴が顔を俺の顔に近づいけてきた
鋭い目が俺を捉え、少し驚いたように膨らんだ
「お前、あの場にいたよな
あれを見ておいて俺を追いかけてくるとか普通じゃない」
普通じゃない
普通じゃない
ふつうじゃない
当然だ
俺が普通なわけ
ない
いくら怪しかったとしても何もしていないのに警察から逃げる必要なんてない
何もしていなかったら逃げる必要はない…

「まあいい、人に見られる心配をしないで新しい人質も見つかった」
彼はあくまで冷静だった
確実に逃げるため夜になるまで待つらしい
彼は俺からナイフを離し、路肩に腰を下ろした
まあ、俺が全力で逃げても彼だったら確実に殺せる
刃物をずっと当てておく必要もない
俺はぼんやりとした目で彼の後ろにある苔の生えた薄灰色の柱を見ていた
ああ、あそこもこんな場所だった
薄暗くて、荒れていて、軽くタバコの匂いがしていた
なぜか勝手に俺の口が動いた

「俺は、お前と同類だ」

彼の視線が俺に向いたのを感じたが、もう口は止まらない


四ヶ月前、むせ返るように暑かった日、俺は上司と二人出張に出ていた
その人は別に悪い人ではなかった
でも、無神経なところがあって、こちらが触れられたくないところに限って触れてくるような人だった
さらに出張ははっきり言って失敗だったのだ
長年のお得意先だったのに契約を破棄されてしまった
あの日は陽が落ちてもまだ暑かった
二人でしこたま酒を飲み、ビジネスホテルに向かう道すがら
出張の失敗、じっとりと肌に絡んでくるワイシャツ、酔って余計に無神経になった上司が俺の神経を思いっきり逆撫でした
ほぼ無意識にあの人の首を掴み、うつむけに地面に倒れさせその上に馬乗りした
上司の驚いて青くなった顔が俺のかける力に比例して徐々に赤くなっていく
俺は何をしているんだ
そう気づいて手を離した時、もうあの人の意識はなかった
しかし、呼吸をしていて、心臓も動いている
今すぐ救急車を呼べばほぼ間違いなく助かるだろう
でも、俺は怖かった
俺のしたことを認めたくなかった
そして今度は意識的に、さっきよりも数段強い力で彼の首を押さえつけた
少しすると血の流れが強くなり、首回りが熱くなった
しかしその温度はすぐに下がり始めた
上司の顔は驚いた表情で固まり、気づいたら心臓が止まっていた
俺は周囲を見渡した
誰もいないし、誰も通りかからなさそうだ
無意識に襲ったと思ったが、実は機会さえあれば俺はこの人を殺そうとしていたのではないかと思った
モノとなった上司のポケットを探り、ライターを取り出した
近くにあったドラム缶に土をいっぱい入れて、その上に上司を乗せた
そして、火をつけた
きっと今見に行っても土に分解されて跡形もなくなっているだろう
彼が燃え尽きるのを見届けて俺はビジネスホテルに向かった
その時は何も思ってなかった
感覚が麻痺していたのだろう
しかしそれからその上司が無断欠勤をしている会社に行くたびにあの夜のことが思い出させられた
結局二週間もたなかった
俺は病み、会社を辞めた


殺人者は俺の話を聞いて
「お前、最低だな」
ぼそっとそう言った
その時俺はようやく反響している救急車のけたたましいサイレンの音に気がついた



彼は俺を解放した
なぜ解放したのかはわからない
あれほどの冷静さを持つ男が俺に同情でもしたのだろうか
いきばを失った俺はとりあえずサイレンの発生源に向かう
そこは先ほど交通事故が起こったところだった
何台もの救急車が駆けつけている
ただの交通事故でこんなに必要なのだろうか
そんなとき、担架で運ばれる人の顔がチラリと見えた
さすがに俺でも見覚えのある顔だった
米国大統領である
彼はとんでもない人にぶつかってしまったものだ
警察もてんやわんやしている
俺はその隙を見てこっそりと家に帰った
そしてなんの気も無しにテレビをつける
しばらくどうでもいいようなバラエティーが映し出されていたが突然速報が入ってきた
『会談のために来日していた米国大統領、交通事故で死亡』


その報道は世界中に発信された
そして、彼らの目では日本のテロリストの仕業と捉えられた
米国市民の中に確実な怒りが生まれ、その犯人を三ヶ月経っても捕まえられない日本の警察に対し、「テロリストを擁護している」「日本は国ぐるみで我等が大統領を殺した」と言って爆発した
そして唯一の被爆国である日本をまたもやその災禍が襲ってきた
今度は大統領が殺された地、カナガワである
その被害はヒロシマ、ナガサキの比ではなかった



そして今、俺はアメリカ南部に兵士として派遣されている
こんな大国に戦争をして勝てるわけがない
日本は他の発展した国々に声をかけて戦力を増やそうとしている
もしかしたら第三次世界大戦となってしまうかもしれない
さて、どうしてこうなってしまったのだろうか
思い返してみれば、あの日俺が一円玉を拾わなければ、その一円玉を少女に渡さなければ、警官から逃げなければ…
この不安定な世界はたった1グラムのアルミニウムがトリガーとなって戦争を引き起こしてしまった

「あの日一円玉を拾わなければよかった」
そう呟いた瞬間、俺の足元の地面が膨らみ出し、俺の片足を巻き込んで爆発した

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コメント

  • Sちゃん

    一円玉が転がるように話が進んでいきます。個人的にかなり好きです。
    終わり方も潔くてよかったです!

    0
  • ノベルバユーザー603477

    タイトルにぎょっとしましたが読んでよかったです
    黙々と読んでしまいました
    最初から最後までおもしろかったです

    0
  • ★

    これはやばい!面白かったです。
    するする読めました。読後感もいい!
    起承転結が曖昧じゃないのがいい!

    0
  • 双子っち

    「一円玉を拾う労力は一円以上である」
    確かになぁ…と思って読み進めたら、どんどん展開が進んで夢中になっていたらあっという間に読了!
    文句なしに面白かった。好きです。

    0
  • 初門(*^^*)SHInSe

    とても、面白かったです‼️
    一円玉という、小さなものからここまで発展した想像力がすごいと思います❗
    最初はタイトルを見て、「どいう意味だろ?」と思い読んでみたら、タイトルの『そして死んだ』の意味が分かるまでの話しの発展のしかたが、とても面白くて最後まで読み切りました‼️
    とッっても、面白かったので、次回作もとても楽しみにしてます‼️

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