Anti Villain

せうたろ

第一話 「鬼の目覚め」

俺はヒーローが嫌いだ。
奴等の掲げる正義なんて正義じゃない。何が怪物の排除だ。何が世界平和だ。
俺は怪物だ。でも見た目や能力が人と違うだけで何故悪なんだ。俺だって人と同じように生活したいんだ。世界征服なんて考えてないただの「人」なんだ。
だから俺はヒーローが嫌いだ。憎い。それでも俺は悪にはならない。なれない。例え奴等にプライドを踏みにじられようとも。俺の心は真っ直ぐでありたいんだ。



「そ、その子を離せ!」
勇気を振り絞って出した声が辺りに反響する。
「う、うるせぇ化け物!お前みたいな化け物に言われたかねえ!」
「嫌だ!離してよ!誰か助けて!」
マスクにサングラスの不審者に羽交い締めにされている女性が叫ぶ。ナイフを突き立てられた女性のその顔は恐怖と絶望で青ざめ、到底見過ごすわけにはいかなかった。
「そっちこそ黙れ変態!こちとら化け物でも中身は普通の人間だ!お前みたいな性根が化け物の人間に何が言える!」
女性を人質にとられている以上、下手には動けない。周囲の人間は警察も呼ばずに動画だ写真だを撮っていてどうしようもない。
もし、俺がここで変態してしまえばいつものように奴等は俺を悪の化け物とみなしてSNSでばか騒ぎをするのだろう。ヒーローの連中は事実を曲げてまで俺の事を襲おうとするはずだ。…でも、目の前の人を救えるのは自分だけ。
…やるしかない。決意と共に、俺は左胸を大きく叩いた。
全身に強烈な振動。俺の体が徐々に俺で無くなっていく。元から生えていた角は更に大きく、両手両足は筋骨隆々として奴の目の前に立つ。やはり男は腰を抜かして女性を離した。女性も腰を抜かしているのも想定内だ。はっきりいってこの時の俺の見た目はグロい。それは許容範囲だ。ここまでくればもう脅しもしなくていいだろう。野次馬のボルテージも上がっている。
「た、助けてくれ…お俺が悪かった…」
「…もう二度とやらないと誓え。」
「やらない!やらないから助けてくれぇ!」
「そこまでだ!」
突然の怒声。そして首筋に強烈な激痛。不審者を巻き込む形で倒れ混みそうになるのをこらえ、立て膝をつく。この絶妙タイミング、蹴り。間違いない。
「よくも善良な市民を襲ったな!この化け物め!覚悟しろ!」
野次馬の喧騒がさらに高まる。盛大な勘違いはこうも人を狂わせるのか。あぁ、また奴か。
「仮面ヒーロー!ファイアマン!」
野次馬のボルテージは最高潮へ。ファイアマンコールが響き、カメラのフラッシュがこちらの目を眩ませる。
ファイアマンはひとしきりポーズ等を決めてから俺の方に近づいてくる。
「また正義のヒーローごっこか。鬼の化け物。残念だがここの平和は俺が守るんだ。邪魔しないでもらえるか。」
周囲に聞こえないように俺に呟く。
ファイアマン。悪を正義の炎で打ち負かすヒーロー。だが、その裏の顔は正義とはかけ離れた男だ。俺以外の悪意のない怪人、怪物を理由をつけて倒しては評価をあげているクズ中のクズ。俺がこういった騒動を止めようとしたときは十中八九来る。慣れっこだ。
ドンッ
奴のバーニングパンチが俺の腹部に突き刺さる。俺はあっという間に吹っ飛ばされて近くの壁に衝突していた。
いくらでも対策はできた。でもやり返せばそれ即ち悪。今まで何度も受けてきた炎の右ストレートに耐える術ならもう身につけた。
壁にもたれかかった俺はいつものように奴に罵声を浴びせる。
「…お前みたいな正義があってたまるか。」
蚊がなくような小さな声で。その罵声は奴に向けたものではなく自分を鼓舞するためのもの。
ファイアマンがゆっくりと近づいてくる。その両手には燃え盛る炎。…今までにみたことない動きだ。俺を仕留める気だろうか。ファイアマンは小声で喋り始めた。
「なぁ、鬼の化け物。お前はよく頑張ったよ。お前のヒーローごっこは素晴らしい。」
「…」
「でもな、怪物のお前ごときに正義なんざは似合わねえ。こっちもお前みたいな奴の対応に面倒なんだ。」
炎の勢いが増す。
「まぁ、とりあえず…正義のために死んでくれや!」
ファイアマンコールの最高潮。必殺技の「バーニングストライク」が炸裂しようとしているからだ。あれを真っ正面から食らえば間違いなく死ねる。が、受け止めればそれは正義への反逆行為。更に格上のヒーローに殺されるだろう。今までの俺の運がよかったんだ。今の状況から俺には死しか残されていない。
ああ、なんてバカな人生なんだ。俺みたいな化け物に正義は務まるわけないのに。
俺は目を瞑った。 


その時、
「すみません、ちょっとお時間よろしいですか?」
今から死ぬには場違いな声が聞こえた。なんだ?と思い目を開けるとスーツの男が目の前に立っていた。いや違う。この男はファイアマンに立ち塞がっているのか?
「あぁ?なにぃ?あんた何なのさちょっと。退いてくれないと化け…ヴィラン倒せないでしょうが。」
ファイアマンもイラついているのか素の性格が出ている。スーツの男はすいませんすいませんと頭を下げている。
「いや、私弁護士をやっている者でして…」
男の身振りからするにどうやら名刺を渡しているらしい。すると男がもう一度深いお辞儀をしたとき名刺の数枚がひらひらと舞い落ちた。
『あなたの正義、保証します。セイギ法律事務所       清木  誠』
「あなたがここで必殺技を撃ってしまいますと…まぁ、かいつまんで言えば懲役18年です。」 
男の一言で今の今まで盛り上がっていた場がまた違うどよめきを発し始めた。どうやら俺は助かるかもしれない。思わず目を閉じて安堵する。
民衆の喧騒の中で繰り出される弁護士の詳しい説明はファイアマンの覆面の下を間違いなく青ざめさせている。時たま虚勢を張った力ない反論が飛ぶが、ヒーローも法律の前ではむなしく散っていくだけだった。
ヒーローにも裁かれるべき様々な法律があるのは知っていたが、それは大抵ないがしろにされるのが世の常だったために効果が発揮するはずなどないだろうと思っていた。まぁ弁護士先生が言うから今の状況が通用しているのだろう。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。協会に連絡させてくれ。…こんなの認められてたまるかよ!」
「ええ、どうぞじっくりとお話下さい。彼にも事情を聞く必要があるので…」

ファイアマンがその場を離れたあと、弁護士がゆっくりと俺の方に近づき、俺の顔が見えるようにしゃがみこんだ。
「お前、なんでアレ避けようとしなかったんだ?」
弁護士が人が変わったように俺に問いかける。先程の腰の低い態度からは考えられない粗暴なしゃべり方だ。正直少し驚いた。
「…歯向かえばその時こそ終わりだ。ここで奴を撃退しても第二第三のヒーローが俺を殺しに来る。…あんたもその筋の弁護士ならわかるだろ。」
「なら、なんであの女性を助けた?」
「それは…」
思わず黙りこんでしまった。そうだ。俺のやっている事は支離滅裂だ。化け物である俺の発言は綺麗事にもならない。
「やっぱいいわ。理由はどうせ綺麗事だろ?…それじゃあ、だ。」
弁護士が腰の抜けた不審者のいる方を指差す。先程までファイアマンコールをしていた一人だ。
「あの男がまた違う誰かに襲われたら、お前はそれを無視するか?あいつは悪人だぞ?」
「…しない。その時、あの人は悪人である以前に守られるべき人間だ。あの人を襲う人間を俺は止める。」
「うーん。そう。じゃあ正義のヒーローが悪意のある行動をしていたら?」
「止める。いや、…止められるならな。今やヒーローのほとんどは汚職にまみれた馬鹿野郎ばっかりだ。」
「わかった!お前さ、もう俺の所来い!」
弁護士が立ち上がる。そして俺に手を差しのべた。
「俺の事務所来い。俺はお前みたいな真っ直ぐで正しいやつが大好きだ!歓迎するぞ!」
突然のことで思考が追い付かない。何言ってんだこの人。
「いや、でも俺法律のこと知らないし、付いていくっていったって…」
「ガハハ!そりゃわからんだろうな!まぁやるべきことは俺に従ってたらわかるさ…こんな風にな!」
突然弁護士がノールックで後ろの空間にキックを放つ。何事かとは思ったがすぐにわかった。ヒーロー協会の戦闘員。物凄い勢いで吹っ飛ばされていく。やっと落ち着いてきていたオーディエンスも再び喧騒を取り戻した。
「戦うんだよ。正義を勘違いした奴等を正すんだ。」
…この人、思ったよりやベー奴かもしれない。
「協会の戦闘員…あの炎上野郎揉み消す気か。…うわ痛ってぇ!足の付け根のあたりが痛てぇ!」
蹴りを放った左足を笑いながら庇う弁護士。なんなんだこの人は。いや、それは今どうでもいい。考えるべきは協会の戦闘員だ。
世界ヒーロー協会の戦闘員、通称J-Men。詳しくは知らないがJはおそらくjustice。正義のことだろう。ヒーロー候補生の実技科目みたいなもので、このJ-Menの活動が評価されて名のあるヒーローとなった者も多くない。J-Menのおそるべき所はまさにここにある。普通、ヴィランの引き連れる戦闘員は基本特別な能力も持たず、個性も無い。しかしJ-Menにはそれぞれ個性がある。能力の大小関わらず動きが読めないのはヴィランからすれば恐怖そのものだろう。ただ、弱点もある。それは、
「おい!35番がやられたぞ!」
「何も考えずに行ったから…!」
「フンっ!あんな貧弱そうな男にやられるとは他愛もないわ!この俺が」
「どけぇ!俺が一番乗りだぁ!」
協調性の無さ。それに尽きる。
「おい、準備運動は今のうちにしとけ。雑魚っぱ集団とはいえ能力はまばらだ。お前の場合力づくでやりゃなんとかなるんだろうし、やっとくにこしたことはないぞ。」
問題はそこではない。俺は戦いたくないんだ。正義を掲げた者と戦うこと、それ即ち悪。奴等と延々戦うのが嫌だというわけではない。正しいことではないのに人を傷つけることが嫌なんだ。
「助けてくれたあんたには悪いが、俺はもうここまでだ。今のうちに投降して命だけでも助けてもらえばいい。」 
「何言ってんだお前。…お前もしかしてあいつらに情でも移ってんのか?」
弁護士はヘラヘラ笑ってスマホを触りだした。何やらこの男と話していると無性に腹が立つ。
「そんなわけないだろ!…俺だってやり返したいけど…だけど…俺は誰も傷つけたくない!」
思わず強く言い返してしまった。が、弁護士は涼しい顔でスマホをいじり続けている。しばらくすると思い出したかのように彼は喋り始めた。
「あのな、お前は何一つ悪いことしてないんだ。むしろ良いことやってるよ。自分でもわかってるはずだよな?…そうだよな?
あそこの女の人も助けたしさ、どうやら前にも色々やってたらしいじゃないか。ほれ。」
持っていたスマホを無造作に俺に投げ渡す。液晶の色んな箇所にヒビが入っているあたり、やはりがさつな人間なのだろう。

そこには俺が過去に行ったいわば善の愚行が画像つきでまとめられていた。俺が突発的に人を助けるようになったきっかけである最初の事件から、最新の一ヶ月前の事件まで詳しい情報がのっていた。サイト名はA-Villainとある。どうやらこれは正義の意識を持った怪人たちの裏サイト的な存在らしい。この記事を見ていて正直…認められている気がして嬉しかった。
「この辺じゃお前は有名人みたいじゃないか。これでお前に色々質問することも無くなったし、お前が奴等に躊躇することも無くなった。」
見ている途中だったスマホを取り上げられる。
「まあおそらく、だ…お前は自分が正しくあるべきだと思って、戦うことを抑えているんだろうがそれは違う!戦うことで正義を証明する、もしくは相手が間違っているということをお前の拳で証明するんだ。そうでしかこのご時世の腐ったヒーローは矯正できねぇ。
いいか。今からお前がするべき事に一切の悪は存在しない。保証は弁護士である俺に任せろ!」
男が俺に手を差しのべる。その手は今まで見てきた人間の中で一番頼もしく、曇りのないものだった。
「俺は……俺は…!」

──この世にはアンチヒーローという存在がある。反英雄とも言えるべきその存在は、一般的な正義の意識を持たず、手段を選ばず、人格者ではなく、法を破り、しかし己なりの正義を貫く。それがアンチヒーローだ。
しかし、無辜の怪物である彼をそう呼ぶものはいなかった。であればヒーローか?違う。
一般的な正義の意識を持ち、ちゃんとした手段を講じ、法を守る人格者である彼を、今や汚職の代名詞と言われるヒーローなどとは呼ばない。なら何と呼んだのか。
そう、後に人は彼を「アンチヴィラン」と呼んだ。心優しき鬼が、満を持して目を覚ましたのだ。


Anti Villain  第一話  「鬼の目覚め」 


「…とにかくだ。怪人は君とJ-Menで撃破、弁護士はJ-Menが確保。J-menはもう既に到着している。現場の指揮は君に一任しよう。…ところで、この一件が英協の評価を下げかねない事なのはわかっているのかね?」
「おい待ってくれよ!だから俺はただ襲われてる市民を助けようとしただけで…」
「君がグレーなヒーロー活動をしているのは知っている。処罰が無いだけマシだとは思わんかね。」
ファイアマンことキース・バーンズは商業ビルの屋上にいた。あまりクリーンとは思えない会話を誰にも聞かれないよう、場所を移動したのだ。
「何言ってるんだ…?こんなことトップヒーローからアングラなヒーローまで誰でもやってるだろ!ヴィランなんかほとんど出なくなったこのご時世に有名になるにはそれしかないんだよ!」

実際、このヒーロー業界には様々な闇が潜んでいる。今まで判明した違反行為は、ヴィランとの談合や、キースがしばしば行っていた、見た目の悪いヴィランを問答無用で倒す通称「ゲリラヒーローショー」など、ヒーロー達は日々悪に手を染めつつあった。
正直なところ、キースは罪のないヴィランを襲うことには抵抗があった。正義のヒーローに憧れてJ-Menという下積みを経験し、ようやく名前つきのヒーローへと成り上がったキースに待っていたのは、協会からの冷たい一言だった。
「君にはキャリアも特別な能力もない。キャリア持ちのヒーローよりもよい成績を取らないと、有名にはなれないよ。」
現実は厳しい。生活のため、職のため、そしてなによりこれから先の平和のために、キースはヒーロー協会の闇に堕ちた。

「ふふ。他のヒーローは君なんかよりもっと上手くやっているよ。特に君と同じ防衛地区のスプラッシュ・ガイル君は素晴らしい隠蔽工作をするよ。見習いたまえ。」
電話が切れた。冷たい風が頬をなでる。
「…クソぉっ!やればいいんだろ!やれば!」
ビルから飛び降りる男のその両手に携えた炎は、どこか物悲しく見えた。

ファイアマンがすぐそばの現場に駆け足で戻ったとき、彼は己の最期を覚えた。
「なあ、弁護士先生。俺関係ない人間怪我させてないよな?もしあったとしたら…」
「見たところ大丈夫そうだ。…お前ホントに誰も傷つけたくないんだな。力の加減完璧だべ。多分最初に吹っ飛ばされた奴は骨ボッキボキだろうけど、死人はゼロだ。なかなかやるな!…ぁあ、えっと…」
「カイだ。鬼崎カイ。…なぁ、本当にこいつらを倒してよかったのか?」
「大丈夫さ。俺に任しとけ。…おっと、炎上野郎が戻ってきたぜ。」
まさに死屍累々。ヒーロー研究生とはいえどもその大半は能力者だ。数の暴力にたった一人で応戦してしかも勝つなんて常識的には考えられない。ヴィランとして考えれば結構なレベルとなるだろう。オーディエンスは目の前で行われた衝撃的な戦闘に余程驚いているのだろう。ため息一つ聞こえやしない。
「おうボーボー野郎遅かったな。英協の偉いさんにチクチク言われてたんだろ?ご苦労なこった。この一件の「後片付け」、大変だろうなぁ。」
清木が柄の悪いにやけ顔で言う。ファイアマンのフラストレーションが爆発したのはその時だった。
「…どれもこれも全部!お前のせいだ!!」
怒りの雄叫びの後に両手の炎が今まで以上に燃え盛り、温度に耐えられなかったのかフルフェイスの戦闘用マスクにヒビが入る。
「どいつもこいつも腐ってやがる!殺してやる!俺の邪魔をする者全て!皆殺しだ!」
もはや彼はファイアマンではなく、キースという一人の怒り狂った青年であった。野次馬は身の危険を感じたのか散りぢりに離れていく。
清木に駆け寄るキースを前に、カイが立ちはだかる。しかしキースにとっては何の問題もない。今の彼は邪魔するもの全てを叩きのめす破壊魔だ。
「うりゃあああああああああ!!!」
カイに向かって憤怒の炎を叩き込む。一発、二発、三発と。憎しみと悲しみのこもった重く暗い炎の拳が確実に撃ち込まれる。
「これで…終わりだ!!」
ドンッ。と激しい衝撃。辺りが黒煙に包まれる。キースは無計画に拳を振り回した代償か、それとも能力の使いすぎか、立て膝をついている。
「ハァ…ハァ…俺は成るんだ…世界を守るヒーローに…」
キースはうわ言のように呟いた。誰もいなくなった灰まみれの世界に一人、うなだれる。

ドクンッ

静寂に響き渡る異音。

ドクンッ

しかしそれは誰にでも聞き覚えのある音だった。

ドクンッ

それは心拍の音。しかしその音源はキースから発せられるものではなかった。

ドクンッ
霧が晴れていく。その先に現れたのは
ドクンッ
先程よりもさらに大きく、醜くなった、
鬼の化け物だった。

あれほど大きかったカイの体は更に歪に大きくなり、皮膚は鱗のようなものへ変貌していた。
とはいえ、キースが叩き込んだ業火のラッシュは間違いなく鬼の体力を奪っていた。拳を受け止めた両腕の鱗の一部は剥がれ落ちて黒く焼き爛れており、苦悶に満ちた表情を浮かべていた。
「…やっと落ち着いたか?………はぁ。」
キースの目の前の2m級の鬼が信じられないくらい情けない声を出してその場に崩れ落ちる。
「弁護士先生…無事か?」
「ゲホッ、ゲホッ…あぁ、無事だ。よくやったな。それより今度は一酸化炭素中毒の危機だ。色んな所燃やしてすごいことになってるからな。下の方にはまだ比較的綺麗な空気残ってるだろうから今はそれ吸え。無理はするなよ。」
「あぁ…じゃあ寝るわ…」
大きい図体が音をたてて横になる。すると瞬く間にサイズが人間の学生並みに縮み、イビキをあげ始めた。

キースはこの、いたって普通の青年があの鬼へと変身したのに正直驚きを隠せなかった。青年に彼の拳は通らなかった。これは恥だ。
『君にはキャリアも特別な能力もない。』
あの時の協会の言葉がちらつく。俺はトップヒーローにはなれないのかもしれない。そんな思いがキースの頭を巡る。

しかし、キースは元々最初のターゲットであった清木の元へ、最後の力を振り絞って近づく。チャンスは今しかない。
「今闇サイトで見たんだけどな、こいつさぁ…18らしいぜ。歳。…すごいよなぁ、ここまでアマチュアヒーローとはいえど本気の連打受けておいて命があるんだ。しかも変身解けてみたらただの青年さ。…こいつを突き動かしてるのは一体何なんだろうなぁ…」
キースの鬼気迫る接近に微塵たりとも恐れずに清木は話し始める。
「そういやお前、協会には何て言われたんだ?ま、次は無い。とか、身の程を知れ。とかか?
まぁお前の戦績の稼ぎかたは目に見える程荒ぇらしいから…多分厳重注意は受けてるだろうよ。俺とこいつの処分ミスったら間違いなくクビだよな。あーでもJ-Men全滅だからもうアウトか。ハハッ」
再びキースの両手に火が灯る。先程よりは弱く、か細い火ではあるが、一般人ならイチコロだ。
しかしキースも先程の激昂とはうって変わって至って冷静であった。
「…いくらお前にけなされても、バカにされようとも、あんたは俺には勝てない。」
右手を清木の腹部に近づける。
「逃げなかった事を後悔しろ。これで終わりだ。」
赤と黒のネクタイはあれよあれよと焦げ付き、シャツは見事に引火し、清木は苦悶の表情を浮かべている。
「苦しいか。しかし今はこれが正義だ。法律にもやり方にも縛られない、これこそが正義なんだよ!」
火はその箇所で更に勢いを増していく。しかし、彼自身はまんじりとも動こうとはせず、むしろキースの左手を自分の胴体に半笑いで押し当てた。

「お前バカか…正義に今も昔もねぇよ!お前みたいな歪んだ正義が変な定義してんじゃねぇ!」
清木の声は怒ってはいるが顔はニヤけている。そのアンバランスな違和感がキースに恐怖心を生み出した。
キースは掴まれた手を振りほどこうとするが、信じられないくらい強い力でがっちりと固定されていて動けたものではない。この男、やはり異常だ。
「俺が怖いか?怖いだろう。今やヴィランの親玉みたいなことしてるからなぁ。」

清木に更に右手首を掴まれる。もう逃げられない。それでもなおキースの炎は勢いは止まらなかった。このヴィランもどきはここで刺し違えてでも殺す。火の勢いが強まった。
「ヒーローの邪魔をするやつは皆ヴィランさ。俺がヒーローをクビになってもお前だけは必ず倒す。」
「おおっと、ついにヴィラン呼ばわりか。笑えるなぁ…」
清木の力がさらに強まる。

「自分なりの、協会なりの正義は今やもう正義とは呼べねぇ。汚れで塗れてる。お前も薄々感づいてるんだろ?なら、誰かが正すしかない。…それをヴィラン呼ばわりして殺そうとするヒーロー。やっぱ世も末だな。」
憤りからか、それとも清木の掴む腕の痛みからか。キースの顔は苦しそうに歪んでいた。

清木の発言は全て、彼の心に突き刺さっていた。今まで正義として尽力してきた数年間を否定するような発言。即ち己の否定となりうること。キースの今まで抑え込んでいたフラストレーションは最大まで高まっていた。
清木の握る力に比例するようにキースの火も増幅していく。炎が清木の腕全体を包んだとき、キースは自分に言い聞かせるように呟いた。

「…俺はヒーローだ。世の中を乱すヴィランは…悪は、排除する…!」
ひび割れた仮面の中の真っ直ぐな瞳が大きく見開かれる。その時、キースの全身が赤く光った。そして大きな爆発。周囲の灰が再び舞い上がる。
「…今度は俺の番か…」
清木がか細い声で呟く。キースをあれほど強く拘束していた手と手が、まるで嘘のように離れた。
勝った…!そうキースは確信していた。はずだった。

今もなお放出し続けている爆風を背に受けて、近くに倒れたカイに覆い被さるように爆風と火から守っている。その姿はまさにキースが幼少に憧れた英雄。ヴィランの攻撃から無力な人を身をもって庇うヒーローそのものだった。

『負けた。俺は正義ではなく悪として負けたのか。俺は忘れていた。ヒーローとは何かを守るため、助けるための存在だということを。
例えそれが真の正義を貫くための道程だとしても、何の罪もない誰かを傷つけるのは間違っている。俺だって本当は頭では理解していた。鬼の彼だって傷つけたくなかった。…言い訳なのはわかってる。許されないことだったのもわかってる。
俺は、間違っていた。』

爆風の成れの果ての熱風が周囲に巻き起こる中、今度こそ力尽きたキースが灰まみれのコンクリートに倒れた。周辺の建造物は最早、元の容貌を残してはいない。熱でとろけた電柱がバチバチと火花をあげている。
清木は変わらずキースに背を向けていた。そしてまるで彼の心を読んだかのように、呟いた。
「ファイアマン。お前の正義は間違ってはいない。ただ、やり方を間違えただけだ…」
正義のヒーローは、もう一つの影の正義に屈した。
遠くから聞こえるサイレンの音で、カイは目を覚ました。地面にに降り積もる灰で、自分がどれだけの間眠っていたのかを察する。
「おう、起きたか?」
顔を上げると、そこにはほとんど燃え尽きかけのスーツ姿の清木がいた。全身に軽い火傷が見られる。
「あんた…!もしかしてあいつと戦ったのか!?…あいつはどこに!?」
「いやいや、戦ってなんかねぇよ。お前が寝てる間に消せる火消してただけだ。…ちょっち俺に燃え移ったけども。死ぬかと思ったわぁ。それにボーボー野郎はあそこだ。倒れてんだろ。」
すぐ向こうにファイアマンは倒れていた。ホッと胸を撫で下ろす。が、安心した途端にこれから下されるであろう協会の制裁を思い出された。不安で気が気でなくなりあたふたしながら清木に問う。
「弁護士先生!これやっぱりマズいんじゃないか!?J-Menもやっちゃったし、ヒーローまで…」
「まあまあ俺に任せろって。…ちょっと待ってな。」
清木はそう言うとファイアマンに歩み寄り、右腕のコントロールパネルのようなものを引きちぎった。
「えーっと…これと…これだったかな?」
若干迷いながら小さいボードに所狭しと並んでいるスイッチをポチポチ押す。しばらくすると発信音が流れ出した。どうやら誰かに電話をかけているらしい。数秒後、
「ファイアマン!今まで何をしていた!報告しろ!」
声を荒げた男が通話に出た。協会のオペレーターだろうか。男の後ろでは固定電話の着信音や、他のオペレーターであろう人々のざわめきが聞こえる。
「ど~も~。ファイアマンこと炎上野郎で~す。あ、逆か。」
電話の向こうの世界が静寂に包まれる。カイ、大量の冷や汗。しばらくするとこそこそと話す声が聞こえ、壮年の男であろう声が話し始めた。
「…何者だ。何故通話システムの使い方を知っている。」
「…ああ!ネルじぃ?元気してた?俺のことおぼえてるー?」
「…なんてことだ。その声はセイギか。貴様まさか悪に下ったというのか。」
「いや、なんの罪もない怪人、もとい俺の依頼人を襲ってたから弁護しただけ。最後はうちの依頼人ボコボコにするだけして倒れたべ。」
予想不能の事態にカイの頭に?マークが浮かび続ける。厳正な風格の協会に対してこんなに軽口を叩けるなんて、やはり常人ではない。
「まぁ冗談は置いといて…ここから本題。ネルシスさん。かいつまんで言うとだ。あんたの統括するヒーロー協会日本支部のメンバー、ファイアマンに重大な規約違反、及び法律違反がみられた。
さらにあんたたちはこの事実を良いようにねじ曲げようとした。武力行使で。まぁどうせ告発しても訴訟してももみ消すんだろうから、こちらも後々強行手段をとらせてもらうよ。」
「またお前は弁護士面で我々の邪魔をするというのか…よかろう。君を指名手配する。君の依頼人もだ。」
カイ、いよいよ顔面蒼白。やっぱり暴れるのはよくなかったんだ。と、罪の意識に苛まれて再び意識が遠のきそうになる。しかし、清木は報復を食らうまでそこまで甘くはなかった。
「ネルじぃは相変わらず怖いなぁ。…そんな事したらばらまいちゃうぞ?『茨のジャック』の秘密。あとその他諸々のヒーローの汚職も。『ネクロマン』に『サイレイン』。そろそろ奴らも年貢の納め時じゃあないか?」
山に籠って修行でもしていない限り、人生で一度は必ず聞くヒーローばかりだ。
特に有名なのは『茨のジャック』。まるで茨のような特殊金属のワイヤーを自由自在に操るトップヒーロー。彼の強さは世界中のヒーローを集めても上から十本の指には入ると言われている。
とはいっても、この世界のヒーローにランキングなどない。もっとも、オフィシャルでないファンとファンとのぶつかり合いのようなランキングサイトはあるが。
「…そこまでの虚勢が張れるのはいいことだ。セイギ。しかしこちらとしても虚偽の情報を流されるのは対応に困る。君と怪人の指名手配は取り下げよう。…だが、次は無いぞ。」
「次は無いのはあんたたちだ。今度あんたの所のヒーローがやらかしたら、俺とカイ…人がお前らを正す。覚悟しとけ。」
一方的に電話を切る清木。ちょうど西日が差し込んで煌々と照らし出されたその凛とした後ろ姿は、これからの明るい未来を示している気がする。
そしてこの時カイは気づいてしまった。彼の優しく意地っ張りな嘘を。何かを守るかのように負った背面の火傷が全てを物語っていた。端から見れば変態に見えるかもしれないが。
「カイ。お前にゃヒーローの筋がある。それも『本物』のだ。俺と来い。お前がいれば世界は、ヒーローは、変わる。」
しかし、カイはこの誘いに不思議と悪い気はしなかった。むしろ自分が求められている素晴らしい状況を深く噛み締めていた。

「…あんたは俺のヒーローなのかもしれないな。…わかった。あんたについてく。」

そして二人は光の先へと歩き始めた。カイの『化け物』ではなく『正義』としての初めての一歩。先は長いかもしれないが、彼の運命を変える一歩であることは間違いなかった。

「…あんたの背中すごいことになってんぞ。」
「うわっ!マジか!このスーツ結構いい値段したんだぞ!…ハッ!ズボンは!?…無事だ。よかったよかった。
いくら俺が天才弁護士でも公共の場でケツ丸出しは弁護できんからな!ハハッ!」

…たとえその歩き方が滅茶苦茶であっても。

コメント

  • ノベルバユーザー602658

    アクションヒーロー物が好きなんで、ボリュームたっぷりで読みやすかった。

    0
  • フー

    第一話読ませていただきました。

    主人公は「正統派な反英雄」といった感じで、ワクワクする設定でした。

    変態のプロセスや、どうして彼のようなヴィランが生まれるのか、今後の展開が気になります。

    全体としてはかなり一話の分量が多かったので、もう少しまとまったら敷居が低いかなとおもいます。

    設定を開示する速度もかなり多めでしたので、軽く混乱しました。

    ヒーローモノとしては、正当はな部分を持ちつつ新しい感覚がありましたので、今後に期待したいと思います。

    1
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