陽光の黒鉄
第35話 ターニングポイント
アメリカの公文書館にはある重要な記事が展示されている。
それはかつて日米間で行われていた戦争において重要なターニングポイントを作り出した一枚の記事だ。それまで厭戦の空気が漂っていたアメリカ国内に新たな風を吹かしたものである。
記事は「卑怯な日本軍、民間人を犠牲に!」。
それは日米開戦から半年ほどが過ぎ、戦局がアメリカが押されにおされ、ハワイから撤退する際に起きた一つの事件に起因する。
この時、アメリカ海軍は太平洋艦隊のほぼ全軍を使って、民間人を護衛しながら撤退をしていたのだ。
その時に日本海軍の潜水艦がアメリカ艦隊に向け魚雷を発射。その大半はアメリカ海軍の軍艦やハワイ防衛を担っていた陸軍の輸送船に当たったが、一発だけが民間人を乗せた輸送船に命中。その輸送船に乗っていた民間人の内一命だけ命を落とした。それは乗っていた赤ん坊の命であったのだ。これにアメリカ世論は一気に戦争に傾いていき、以降の日米戦争に多大な影響を与えることとなったのである。
文庫「日米戦争の姿」
この日、トラック諸島は雲一つ無い綺麗な快晴であった。平時であれば、浜辺で海水浴でもしたら素晴らしい日になるであろうそんな日にもかかわらず、大和の司令長官公室には真っ黒な暗雲が立ちこめていた。
「アメリカの我が国への印象は最悪の状態となり、最早講和などは受け付けないでしょう……」
参謀長の宇垣は苦渋の表情を浮かべながら、古賀に言った。
彼の目の前にあるのは一枚の軍令部からの手紙だ。そこには軍令部第五課(米国本土の情報を集める部)が収拾した米国における対日戦争の世論についての内容が書かれている。
ー我が軍の潜水艦による太平洋艦隊への締め付け作戦において敵国の輸送船が撃沈され、これに座乗していた民間人(幼児)一名が死亡したことから、対日感情は一気に悪化。最早、早期講和の道は断たれたものと判断す。ー
「我が軍は敵を締め付けるつもりでやったが、それが逆に自分の首を締め付けることになろうとはな……」
「ええ。まさか米海軍が本気で撤退をしようとしていたとは想定外でした。これは完全に私のミスであります」
元々、陸軍参謀本部の第二部(各国の情報を集める)の方から撤退の準備をしている可能性が大いにあるという連絡は受けていた。
この陸軍第二部は陸軍の麾下にいる特務機関(敵地に入り込み情報を集める)や米国の暗号解読班らの協力を仰いだ上で情報を判断しており、その情報はかなり正確なものが多かった。
 しかし、連合艦隊司令部を含めた上層部は、陸軍如きが言うことなんぞ、と高をくくってその情報を握りつぶしてしまったのだ。その結果がこれに到る。
「これに関しては君のみが責任を負う必要は無い。その情報を知り得ながら、気にしなかった私にも責任はある。問題はそんなことよりもこれから先どう対抗すべきかだ」
「これで完全に早期講和の道は断たれました。ですので残ったのは敵の厭戦気分が漂うまで奮闘するか、もしくは敵を完全に叩きのめすかです」
「叩くにしても敵の軍需工場の多くは大西洋方面にある。我が軍では手も足も出ないであろう。頼りになるのはイギリス海軍だが、いくらあの国でもアメリカ相手では分が悪すぎる。最初こそ上手くいけど、敵があの工業力を生かし始めたら終わりだ」
「分かっております。そこで我が軍に取りうる手は二つあります。まず一つ目は敵が破棄したハワイを取り、我が軍の前線基地をそこに移動。そこを起点に太平洋に広く展開させ、出てくる太平洋艦隊を叩く方法。これはハワイという位置を取れる関係上、敵の本土を直接叩きに行くことも出来ます。逆に言えばそれだけ我が国から離れているため補給路を保つのが極めて困難です」
「もう一つが?」
「もう一つが、現状のままハワイを捨て置き我が軍は動かず、敵がやってくるのを待つ漸減作戦を執り続ける方法です。これは補給路には大きな問題はありませんが、敵に与える影響は小さく、厭戦気分にするにはかなりの時間と労力を要します。どちらにせよ、敵の圧倒的な物量に攻めきられる可能性は非常に高く、講和への道は厳しいでしょう」
「やはりか。これほどの事案ともなると司令部要員を収集した方が良いな。明日この時間に緊急で会議を行う旨を伝えてくれ。それで決定をしよう」
「分かりました」
一連の話を宇垣達の横で聞いている者がいた。
人間には認知することが出来ない存在。大和の艦魂だ。
「……」
大和の表情に普段のような明るいものはない。
大和にも宇垣達が考えていたが言葉にはしなかった最悪の事態が想像できたからだ。
国力がまるで違うアメリカが日本に対して本気を出すと言うことがどういった結果を生むのか。想像に難くない。
「失礼します」
宇垣は長官公室を出て行った。その後には古賀と大和のみが残される。
「日本はかつて無い国難にぶつかるな。今度こそ日本は……」
古賀は心中の思いを言葉に出し、その場で瞑目した。大和は静かにその場から移動をしていった。
それはかつて日米間で行われていた戦争において重要なターニングポイントを作り出した一枚の記事だ。それまで厭戦の空気が漂っていたアメリカ国内に新たな風を吹かしたものである。
記事は「卑怯な日本軍、民間人を犠牲に!」。
それは日米開戦から半年ほどが過ぎ、戦局がアメリカが押されにおされ、ハワイから撤退する際に起きた一つの事件に起因する。
この時、アメリカ海軍は太平洋艦隊のほぼ全軍を使って、民間人を護衛しながら撤退をしていたのだ。
その時に日本海軍の潜水艦がアメリカ艦隊に向け魚雷を発射。その大半はアメリカ海軍の軍艦やハワイ防衛を担っていた陸軍の輸送船に当たったが、一発だけが民間人を乗せた輸送船に命中。その輸送船に乗っていた民間人の内一命だけ命を落とした。それは乗っていた赤ん坊の命であったのだ。これにアメリカ世論は一気に戦争に傾いていき、以降の日米戦争に多大な影響を与えることとなったのである。
文庫「日米戦争の姿」
この日、トラック諸島は雲一つ無い綺麗な快晴であった。平時であれば、浜辺で海水浴でもしたら素晴らしい日になるであろうそんな日にもかかわらず、大和の司令長官公室には真っ黒な暗雲が立ちこめていた。
「アメリカの我が国への印象は最悪の状態となり、最早講和などは受け付けないでしょう……」
参謀長の宇垣は苦渋の表情を浮かべながら、古賀に言った。
彼の目の前にあるのは一枚の軍令部からの手紙だ。そこには軍令部第五課(米国本土の情報を集める部)が収拾した米国における対日戦争の世論についての内容が書かれている。
ー我が軍の潜水艦による太平洋艦隊への締め付け作戦において敵国の輸送船が撃沈され、これに座乗していた民間人(幼児)一名が死亡したことから、対日感情は一気に悪化。最早、早期講和の道は断たれたものと判断す。ー
「我が軍は敵を締め付けるつもりでやったが、それが逆に自分の首を締め付けることになろうとはな……」
「ええ。まさか米海軍が本気で撤退をしようとしていたとは想定外でした。これは完全に私のミスであります」
元々、陸軍参謀本部の第二部(各国の情報を集める)の方から撤退の準備をしている可能性が大いにあるという連絡は受けていた。
この陸軍第二部は陸軍の麾下にいる特務機関(敵地に入り込み情報を集める)や米国の暗号解読班らの協力を仰いだ上で情報を判断しており、その情報はかなり正確なものが多かった。
 しかし、連合艦隊司令部を含めた上層部は、陸軍如きが言うことなんぞ、と高をくくってその情報を握りつぶしてしまったのだ。その結果がこれに到る。
「これに関しては君のみが責任を負う必要は無い。その情報を知り得ながら、気にしなかった私にも責任はある。問題はそんなことよりもこれから先どう対抗すべきかだ」
「これで完全に早期講和の道は断たれました。ですので残ったのは敵の厭戦気分が漂うまで奮闘するか、もしくは敵を完全に叩きのめすかです」
「叩くにしても敵の軍需工場の多くは大西洋方面にある。我が軍では手も足も出ないであろう。頼りになるのはイギリス海軍だが、いくらあの国でもアメリカ相手では分が悪すぎる。最初こそ上手くいけど、敵があの工業力を生かし始めたら終わりだ」
「分かっております。そこで我が軍に取りうる手は二つあります。まず一つ目は敵が破棄したハワイを取り、我が軍の前線基地をそこに移動。そこを起点に太平洋に広く展開させ、出てくる太平洋艦隊を叩く方法。これはハワイという位置を取れる関係上、敵の本土を直接叩きに行くことも出来ます。逆に言えばそれだけ我が国から離れているため補給路を保つのが極めて困難です」
「もう一つが?」
「もう一つが、現状のままハワイを捨て置き我が軍は動かず、敵がやってくるのを待つ漸減作戦を執り続ける方法です。これは補給路には大きな問題はありませんが、敵に与える影響は小さく、厭戦気分にするにはかなりの時間と労力を要します。どちらにせよ、敵の圧倒的な物量に攻めきられる可能性は非常に高く、講和への道は厳しいでしょう」
「やはりか。これほどの事案ともなると司令部要員を収集した方が良いな。明日この時間に緊急で会議を行う旨を伝えてくれ。それで決定をしよう」
「分かりました」
一連の話を宇垣達の横で聞いている者がいた。
人間には認知することが出来ない存在。大和の艦魂だ。
「……」
大和の表情に普段のような明るいものはない。
大和にも宇垣達が考えていたが言葉にはしなかった最悪の事態が想像できたからだ。
国力がまるで違うアメリカが日本に対して本気を出すと言うことがどういった結果を生むのか。想像に難くない。
「失礼します」
宇垣は長官公室を出て行った。その後には古賀と大和のみが残される。
「日本はかつて無い国難にぶつかるな。今度こそ日本は……」
古賀は心中の思いを言葉に出し、その場で瞑目した。大和は静かにその場から移動をしていった。
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