シルバーブラスト Rewrite Edition

水月さなぎ

02-5 憎悪の炎 9

「マーシャをお願いしてもいい? 僕はこの後やらなければならないことがあるから」

「マーシャちゃんのことは任された。だが、一人で行くな。俺たち全員で行こう」

 マーシャを受け取ったイーグルは緊急治療キットを取り出して、二つほどアンプルを撃ち込んだ。

「う……」

 その衝撃に顔をしかめるマーシャ。

 しかし大人しくしていた。

 今の自分が無茶をすれば本当に命に関わると分かっていたからだ。

「組織再生薬を打ち込んだから、ナイフは抜くぞ」

「うん……」

 ナイフを抜いたら血が溢れ出てしまうが、傷口の再生を行う薬を打ち込まれたので、ナイフが刺さったままだと結合が阻害されてしまう。

 残りの一つは増血剤だ。

 ひとまずこれで失血死は免れるだろう。

 ナイフを抜いた部分には専用の絆創膏を貼り付ける。

 前と後ろ両方に貼り付けて、これ以上の血が流れないようにしておいた。

 組織再生を促す効果もあるので、これで放っておいても大丈夫だろう。

「ありがとう、イーグル。だいぶ楽になった」

 イーグルに抱き上げられたままのマーシャは安心したように息を吐いた。

 痛みがかなり和らいだので、ようやくほっとしたのだ。

 その様子を見てトリスもほっとした。

 これでマーシャは確実に安全だ。

「トリス。これでマーシャちゃんは安全だ。俺たちが護る。だから一人で行くのはよせ」

 イーグルがトリスに言い聞かせる。

 放っておくと一人で無茶をしてしまいそうなこの少年のことが心配だったのだ。

「駄目だ。あれは見せられない」

 バラバラになった仲間の遺体を見せたくない。

 それはトリスの我が儘だった。

 何よりも、マーシャに見せたくなかった。

 最初は彼らの手を借りてでも取り戻すと決めていたが、マーシャにも、他のみんなにも、あんなものは見せたくなかった。

 特に、マーシャには見せられない。

 あんなものを見てしまったら、いくらマーシャでも平静ではいられない。

 マーシャは仲間に対して淡泊だったが、それは自分の身を護るという最優先事項があったからだ。

 決して仲間に対して冷酷だった訳ではない。

 そうしなければ生き延びられなかったのだ。

 だけど今は違う。

 自分の身を護りたいだけならば、トリスのことなど放っておけば良かったのだ。

 だけど身を挺して、自分の身体を傷つけてまで、トリスを正気に戻してくれた。

 今のマーシャはそれほどまでに本来の自分を取り戻しているのだ。

 本来は優しい少女なのだと思う。

 だからこそ、あんな残酷なものは見せたくなかった。

 あれは自分一人で抱え込んでおけばいいものだと思ったのだ。

 あまり悠長にしている時間はない。

 一刻も早くセッテを殺さなければ逃がしてしまう。

 戦闘員はほとんど殺したつもりだが、いざという時の逃走手段を整えていないとは思えない。

 仲間の遺体を取り戻す。

 セッテ・ラストリンドを殺す。

 この二つだけはトリスにとって譲れない事柄だった。



 しかし運命はセッテに味方していた。

 船が凄まじい衝撃に襲われた。

「なっ!?」

「何だっ!?」

「みんな、一番近い手すりに掴まれっ!!」

 船全体を激しく揺らす衝撃に備えるイーグル達。

 ハロルドが咄嗟に指示を出す。

 イーグルはマーシャを抱えたまま、片手で自分の身体を支えた。

「ぐっ!!」

 しかしこの衝撃を片手で支えるには負担が大きすぎたようで、肩に激痛が走った。

 どうやら筋を傷めたらしい。

「イーグル。大丈夫?」

 マーシャを抱えていなければそんなダメージは負わずに済んだだろう。

 しかしイーグルはマーシャの所為にするつもりなど全く無かった。

「問題無い。この程度ならすぐ治る」

「ありがとう」

「どういたしまして。トリスと違ってマーシャちゃんはそこが可愛いよな」

「うん」

「え?」

 マーシャは得意気に頷いて、トリスの方は不思議そうに首を傾げる。

 マーシャが可愛いのは認めるが、自分と違ってという言葉に何らかの含みを感じてしまったのだ。

 何かイーグルの気に触ることでもしてしまっただろうか。

 いや、殺しかけたことを根に持っているのだとしたら、何を言われても耐えるしかないのだが……

「違うよ、トリス。そうじゃない」

 そんなトリスの落ち込みように気付いたのか、マーシャは苦笑した。

 宥めるようにトリスの頭を撫でる。

「私は、こういう時に『ありがとう』って言える。でもトリスだったらきっと『ごめんなさい』って言うんだ。その違いだと思う」

「?」

 トリスはきょとんとしたまま首を傾げる。

 確かにその通りだが、どうしてそれで責められるのかが分からない。

「まあ、トリスらしいと言えばそうなんだけどな。でも俺は『ありがとう』の方が嬉しいのさ」

「……努力する」

「そうしてくれると嬉しい」

 つまり、自分の所為で相手が傷ついたとしても、そこに負い目を感じるのではなく、謝罪するのでもなく、素直に感謝の気持ちを伝えて欲しいということなのだろう。

 要するに、自分を責めるなと言いたいのだ。

 マーシャにはそれが出来る。

 ごめんなさいではなく、ありがとうと言える。

 しかしトリスには難しいことだった。

 何かがあれば真っ先に自分を責めてしまうこの少年にとって、自分の所為で傷ついた相手にありがとうとは言えないのだ。

 しかし言えるようになれたらいいとも思う。

 その方が相手も喜ぶと分かっているのなら、尚更そう思う。

 しかしそんなトリスのほのぼのとした気持ちを一気に壊すような事態が起こる。

 一部の区画の隔壁が降りて、通路が塞がれたのだ。

 そして更なる衝撃が襲いかかる。

「不味いな。パージしたぞ」

「逃げるつもりか」

 ハロルドが忌々しげに呟く。

 この状況で隔壁が降りて、更にこの衝撃だ。

 他に考えられないのだろう。

 いざという時に区画の一部をパージして避難する。

 この船はそういう仕様なのだろう。

「な……じゃあ、あの先はパージされたってこと?」

 トリスが震えながら問いかける。

 あの先には仲間の遺体がある。

 絶対に取り戻さなければならないものがある。 

 そしてセッテ・ラストリンドがいる。

 絶対に逃がす訳にはいかない相手がいるのだ。

 それなのに、逃がしてしまう。

「駄目だっ! あいつだけは逃がさないっ!」

 トリスが隔壁に駆け寄って、近くの操作パネルに触れる。

 滅茶苦茶に操作したが、隔壁はびくともしなかった。

「畜生っ! 開けっ! 開けよっ!!」

 ドンドンと隔壁を叩くトリス。

 すっかり取り乱している。

 正気を失うようなことはなかったが、冷静ではいられないようだ。

「落ち着け、トリス」

 そんなトリスの肩を掴んで止めるハロルド。

 これ以上はトリスの手を傷めてしまう。

「離してっ! あいつだけは逃がさないっ! 逃がす訳にはいかないんだっ!」

 暴れるトリスだが、後ろから押さえ込まれてはどうしようもない。

 体格の差と腕力の差は大きすぎる。

 正面から戦えばハロルドでも危ういが、こうして後ろから押さえ込めばなんとかなるのだ。

「だから、落ち着け。この隔壁の向こうは恐らく宇宙空間だ。ここで無理にこじ開けたら俺たち全員が死ぬぞ。もちろんマーシャちゃんもだ」

「………………」

 マーシャも死ぬと聞かされてようやく落ちつくトリス。

 優先順位がはっきりしていると説得しやすくて助かる。

「ここにいても犯人は捕まえられない。いや、殺せないというべきか。俺たちと一緒にアイリスに戻ろう。そうすれば追撃が出来る。俺たちの船の探知性能はなかなか馬鹿にしたものでもないぞ」

「……じゃあお願いがある」

「言ってみろ」

「あいつの脱出艇を完全に破壊して」

「捕まえなくていいのか?」

「そんな余裕はないし、そうなると中に乗り込まなければいけない」

「それじゃあ駄目なのか?」

「あんなものは誰にも見せたくない。それぐらいなら、欠片も残さず消した方がマシだ」

 忌々しげに呟くトリス。

 よほど悲惨なものを目にしたらしい。

 自分達にではなく、マーシャに見せたくないのだろう。

 マーシャは絶対に引き下がらないと分かっている。

 ならば見せないようにすればいいと考えたらしい。

「分かった。それでいいならそうする。仲間の遺体は回収出来ないし、きちんと弔えないが、それでもいいんだな?」

「この宇宙で弔うってことにする」

「いいだろう」

 宇宙葬とは少し違うが、宇宙で散っていく船乗り達にはそういう弔い方もある。

 特に戦闘を生業とする船乗りにとって、宇宙空間で撃墜されることは珍しくない。

 そうなった時、残された仲間は宇宙で弔ったことにするのだ。

 遺体も回収出来ず、墓にも入れられない。

 しかしこの広大な宇宙こそが彼の墓なのだと、そう納得させるのだ。



 トリス達はすぐに発着場へと移動した。

 マーシャはイーグルの戦闘機に、そしてトリスはハロルドの戦闘機に相乗りさせてもらうことにした。

 どの操縦席も一人乗りだが、小さな子供一人を膝に抱える程度ならどうってことない。

 むしろ大歓迎といった雰囲気だった。

 最大の目的であるトリスは救出したのだ。

 本来ならここで引き上げてもいい筈なのだが、それではトリスの心に大きな影を残したままになってしまう。

 それにここまでリーゼロックを虚仮にした相手を見逃すつもりもなかった。

 それぞれの戦闘機に乗って旗艦アイリスに戻ろうとしたのだが、そこで見たのは信じられない光景だった。

「なっ!?」

「アイリスが攻撃されているっ!?」

「馬鹿なっ! 艦橋は何をしていたんだっ!?」

 戦闘機は残らず出払っていたが、それでも艦橋にはオペレーターが残されている筈なのだ。

 操舵手も残っているので舵も取れるし、砲撃手がいるので迎撃も出来る。

 大人しく攻撃されているなどあり得ない筈なのだが。

「おいっ! 艦橋っ!? 何があったか説明しろっ!」

 ハロルドが艦橋に怒鳴りつける。

 戦闘機はアイリスと通信が繋がっているのだ。

『す、すみません隊長。推進機関に攻撃を受けました……』

 艦橋のオペレーターが申し訳なさそうに報告する。

 ついさっきのことなのだろう。

 しかしそれにしては敵の姿が見当たらない。

 見つけたら絶対に逃がさないと決めているが、肝心の姿が見当たらないのだ。

「何があった? どうして推進機関を攻撃されるまで気付かなかった?」

 しかしハロルドはただ怒鳴りつけるだけではなく、きちんと理由を問い質した。

 アイリスの乗組員はそれほど無能ではない筈だという信頼もある。

『申し訳ありません。分からないのです』

「なんだと?」

 困惑した艦橋の声に首を傾げるハロルド。

 分からないとはどういうことだろう。

 もう少し明確に説明して欲しい。

『気がついたら攻撃されたのです』

「まさか……」

 気がついたら攻撃された。

 つまり、攻撃されるまで気付けなかった。

 それを可能にする手段はただ一つ。

 ステルス機能だ。

 しかしアイリスの探知機能は軍艦にもひけをとらない。

 いや、並の軍艦以上だと断言出来る。

 宇宙船製造にも力を入れているリーゼロック・グループはエミリオン連合軍にも軍艦を提供しているのだ。

 その性能は折り紙付きだ。

 それなのに探知出来ない。

 つまり、それ以上の技術を使われているということだろう。

 いざという時の為の脱出手段ならば、ステルス性能があるのは理解出来る。

 逃げ出しても見つかっては意味が無いからだ。

 その上、攻撃能力まで備えているとなると手に負えない。

 あの船の名前は知らない。

 攻撃能力も大したことはなかった。

 だから攻略に手間取ったりはしなかったが、とんでもない隠し玉があったものだ。

 アイリスは推進機関を撃たれた。

 つまり、追跡は不可能だ。

 戦闘機でも追跡は可能だが、探知機性能はアイリスに劣る。

 そしてすぐ近くにいる筈の脱出艇を探知出来ない。

 このまま無闇に追跡を開始すれば、こちらが撃たれる。

「………………」

 トリスは無言でその様子を聞いている。

 しかし先ほどのように取り乱したりはしなかった。

 ただ、無表情で聞いている。

 心の中で何が渦巻いているのかまでは分からない。

「すまん。トリス」

 自分の膝の上に座っているトリスに謝罪するハロルド。

 これから残酷なことを言わなければならないからこそ、この少年に対して申し訳ない気持ちになる。

「気にしないで欲しい。分かってるから」

「トリス……」

「大丈夫。分かってる。アイリスの推進機関が撃たれた以上、追跡は不可能だって。下手に動けばこちらに犠牲が出る。そういうことだよね?」

「そういうことだ。だが、いいのか?」

「……いいよ。仲間の遺体をあいつが持っていることは分かったんだ。だったら、取り戻すチャンスはまだ失われていない。だから、いいんだ」

「トリス……」

「それよりも僕はみんなが傷つく方が嫌だ。死んだ人よりも生きている人を優先させるのは当然だから」

「すまない」

「うん」 

 決して本心からの言葉ではないのだろう。

 それぐらいはハロルドにも分かる。

 仲間を何よりも大切にしていたトリスにとって、散々弄ばれたその遺体と犯人を取り逃がすことは何よりも許せないことの筈だ。

 しかし幸いだったのはここにマーシャがいたことだろう。

 彼女がいるからこそ、トリスは踏みとどまっていられる。

 唯一生き残った仲間がいてくれるからこそ、死んだ仲間よりも優先出来る。

 しかしこの少年が危うい均衡の上に立っていることは確かだった。

「セッテ・ラストリンドの情報は俺たちも集めてみる。見つけたら、必ずトリスに知らせる。今回は、それで勘弁してくれないか?」

 セッテを殺すまで、そして仲間の遺体を取り戻すまで、トリスの危うさは変わらないだろう。

 だったら早めに決着を付けさせるに限る。

 トリスが過去を精算して、自分自身の人生を歩み始めるには、それしか無いのだから。

 ハロルドはその日が一日も早く訪れることを願っていた。

 きっとマーシャも同じ気持ちだろう。

 トリスは少しだけ哀しそうに笑った。

「迷惑掛けてごめんなさい」

「違うだろう」

「え?」

「マーシャの言葉をもう忘れたのか?」

「あ……」

 言われて、思い出す。

『ごめんなさい』よりも、『ありがとう』の方が嬉しい。

 つまりそういうことだ。

 トリスは迷惑を掛けるのが申し訳なくて『ごめんなさい』と言ってしまうが、ハロルドにとっては可愛がっている子の為に動くのだから、『ありがとう』と言ってくれる方が嬉しい。

「……あの」

「うん?」

 おそるおそるハロルドを見上げるトリス。

 膝に抱っこされているので、そんな姿勢になるとちょうど寄りかかっているように見える。

 ハロルドの方は楽しそうにトリスの顔を見下ろしている。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 トリスにとってはなかなかに難しい言葉なのだろう。

 言いにくそうにしているのが分かる。

 感謝の気持ちは溢れんばかりにあるのが分かる。

 しかしそれ以上に申し訳ない気持ちの方が大きいのだろう。

 だからお礼よりも謝罪の方が先に出てしまう。

 しかしハロルドとしてはもう少し図々しくなってくれてもいいぐらいだと思っている。

「トリスはさ、もう少し自分から幸せになろうとしてもいいと思うぞ」

「え?」

「マーシャちゃんを少し見習えよ。あの子、いつも楽しそうにしているだろう? うちの奴らにおねだりしまくりだぞ。この前なんてリックがとっておきの酒を巻き上げられたって言ってた」

「え……」

 お酒を巻き上げられたというのは初耳だった。

 しかしよく考えてみると、少し前にマーシャが酒瓶を持って帰ってきたことがある。

 どうしたのかと聞いたら、貰ったとだけ言われたので、クラウスに貰ったのだろうと思っていたのだが……

「巻き上げられたって、何をしたの?」

 一体マーシャは何をしたのだろう。

 訊くのは恐ろしいが、訊かずにいるのも恐ろしい。

「いやいや。大したことじゃない。リックがマーシャちゃんの尻尾をもふらせて欲しいと頼んでいたから、本人はその代わりとっておきの酒を寄越せと言ってきたんだ。そしてリックはあっさりと手放した」

「それは巻き上げられたとは言わないんじゃないかな……」

「まあそうなんだけどな。本人は幸せそうだったし。でも子供相手だからそんな風に感じたんだろうな。あんな幸せな巻き上げられ方も無いと思うけど」

「………………」

 つまり、巻き上げられたどころか喜んで差し出したという感じなのだろう。

「他にも飯時とか、美味そうなものを食ってる奴らの傍に行くんだ。そうすると尻尾をぱたぱた振っているマーシャちゃんを餌付けする奴が増える。貰ったマーシャちゃんは幸せそうに頬張る。それを見る俺たちはほのぼのした気持ちになる。おねだり上手なマーシャちゃんだけど、あれぐらい幸せそうにしてくれるとこっちも嬉しくなるよな」

「……なんか、さっきから聞いていると食べ物関係ばかりに思えるんだけど」

「おお。言われてみればその通りだな。まあいいんじゃないか? お前ら、肉食獣だろう? 食欲旺盛なのは健康な証拠だ」

「そういうもの?」

「そういうものだぞ」

 そういうものらしい。

 しかし言いたいことは分かる。

 つまり、もっと素直になれということなのだろう。

 欲しいものには手を伸ばす。

 きちんと欲しいと口に出す。

 マーシャにはそれが出来る。

 トリスにはまだ出来ない。

「努力する」

「いい子だ」

 くしゃくしゃとトリスの頭を撫でる。

 マーシャのような素直さも愛らしいと思うが、トリスのような不器用さも微笑ましい。

 少しずつ変わっていければいいと思う。

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