異世界イクメン~川に落ちた俺が、異世界で子育てします~

須方三城

そして母になる

 雄叫びを上げ、拳を振り上げる。
 筋肉を裂き、骨を砕く感触が腕を伝う。
 ついでに、俺自身の拳も砕けやがった。


 直後、腹をぶん殴られた。
 俺の腹筋を構成する繊維がブチブチと音を立てて断裂し、骨が粉々に砕け散り、その内に収まっていた臓器が変形する。
 いや、口からぶちまけた血痰の量的に、もう何個か臓器潰れちまったんじゃねぇか。


 俺は今、笑えるくらいアホみたいな量の血を吐いている。それもまだまだ喉の奥からこみ上げて来やがる。
 俺の体って、こんなに血液が詰まってたのか、とか我ながらどうでも良い事に感心してしまう。
 もう味覚と嗅覚が潰れてしまうくらい、口内に血の味と匂いが染み込んでいた。


 正直、限界を大分越えてると思う。


 それでも、だ。
 まだだ、まだ倒れんな。
 どんだけ笑ってもいいから、砕けんな、俺の膝。
 どんだけ霞んでもいいから、消えんな、俺の意識。


 一方的にやられてる訳じゃねぇ。
 俺の拳だって効いてる。


 確かに、最初の一撃をもらった時点で俺の完璧な勝利への方程式は崩壊した。
 でもまだだ。まだ方程式が崩壊しただけ。
 大体だ。何が方程式だって話だよ。こちとら数学は大ッ嫌いだ。
 ブッ壊れたってんなら、方程式そんなもんは捨ててやる。何の未練もありゃしねぇ。


 元々、俺はいつだってこんなんだ。
 理想通りに事を運べた事なんて、1度も無い。
 いつだって、翻弄されて、打ち負かされて、痛い目見て、苦しんで、足掻いて、ただ足掻いて、そんで、最後の最後で打ち勝って来たんだ。


 俺ならやれる、そんな油断から、とんでもない目にあった事もある。
 でももう関係無い、既にこれ以上無いくらい素敵なザマだ。
 だったらもう、俺に残された手段はただ1つ。


 俺ならやれる、そんな自惚れを信じて、ただ前へと突き進むだけだ。


「がぁぁあああぁあああぁぁああぁああぁああああぁぁぁぁぁああああああああああああああああぁぁっっ!!」


 自分でも「どこからこんな声出してんだ」って思うくらいドスの聞いた咆哮を吐き上げて、挑む。挑み続ける。


 相手は、世界最強。
 目の前に立ちふさがる壁は、途方も無く巨大。


 知った事か。
 今の俺は、俺が知る中で過去最強だ。


 世界最強VS最強の俺だ。
 最強同士、勝率はイーブンだろうが。そういう事にしとけ。そう思え。
 だから、進め。


 踏みしめた大地から、ありったけのエネルギーを奪い取る。
 砕けた拳を、気合で固める。


 大切な未来を掴み取るために、ただ、手を伸ばす。






 その手の先から、光が溢れるのを、俺は確かに見た。
 巨大な壁が砕け散る音を、確かに聞いた。


「見事だ」


 俺の視界から消える間際、巨大過ぎた壁は、そう賞賛の言葉を口にした。


 突然に変化した光景に、俺は呆然と、自分が突き出した拳を見つめていた。


 この世界にやって来た頃は、人を殴った事なんて1度も無かった綺麗な拳。
 今では血まみれで、骨も肉も砕けてグシャグシャに変形した、無残な拳。


 でも、そんな拳が、未来を勝ち取った。


 俺はこの日、世界最強に、勝ったんだ。
















 世界最強の冒険者、ゲオル・J・ギウスとの決闘から3ヶ月。
 ようやくあの決闘の傷が癒えた俺は、シングとサーガとコクトウ、そして姉貴を加えた4人と1本で旅を再開する事にした。


 当然、元の世界へ帰るための旅である。
 サーガを狙う最大の敵は打ち破ったし、もういい加減に初心に戻っても良い頃だと思うんだ。
 思えば、元の世界に帰るのが俺の最大の目標だったはずなんだよ。


 世話になったデヴォラの屋敷メンバーと別れを済ませた後、まず俺達が向かったのは、ゴウトさん達の牧場。
 元の世界に戻る旅に出れば、いつどんなきっかけで元の世界に帰る事になるかわからない。
 旅の前に、ゲオルに勝った事とか色々報告して、別れを告げに行こう、と思った訳だ。


 この世界に来て、最初に俺を助けてくれた一家。
 そんなゴウトさん達に別れも告げず元の世界に帰っちまったら、絶対後悔するから。


 牧場についてまず最初に出会ったのは、羊を散歩させているゴウトさんだった。


「おう、ロマンじゃないか!」
「久しぶりです」
「ふむ……随分見違えたな。相当強くなっただろ」
「う、うす」


 この人は、俺の最初の師匠。戦いの基礎は、この人に全て教わった。
 そんな人に強くなった事を認めてもらえると、何かこう、すげぇ嬉しい。
 何と返すべきかわからず、「うす」とつぶやきながら相槌を打つ事しかできないくらい、何かこう、照れる。


「サーガを抱いてる姿もサマになったな」
「だいう!」
「うむ、ロマンはサーガ様の父になると宣誓したのだからな!」
「……父?」


 シングの言葉に、ゴウトさんはキョトンとした表情になった。


「……まぁ、色々ありまして」


 姉貴の紹介も含めて、色々と土産話が積もっている。
 続きは、セレナとシルビアさんも交えて、ゆっくりと話させてもらおう。






「ロマンちゃんが望むのなら……私はこういうプレイもやぶさかじゃないわ!」
「はいはいそれは良かったわ。そのまんまぐっすりお休みお姉様」


 ゴウトさん家、以前、俺らが寝泊りさせてもらっていた部屋。
 とりあえず姉貴を余っていた布団で簀巻きにして拘束。ハッスル夜襲を行えない様にしておく。


「ここで寝るのも久しぶりだな」
「うい」


 既にパジャマ姿に着替え、布団の上に佇んでいるシングとサーガ。


「ああ、もう半年近く経つんだっけか……」


 なのに埃が全く溜まっていなかったと言う事は、俺らがいつ帰ってきても良い様にちょいちょい掃除してくれていたんだろう。
 何か、ここも俺の帰る場所……帰って良い場所なんだ、って感じがして、とても胸の奥が暖かくなる。
 シング達も同じ気持ちなのだろう、その表情はいつもより数段和らいでいる様に見えた。


 さて、コクトウを壁に立てかけ、俺も寝る準備を進めよう。
 何のリアクションも無い辺り、コクトウは既に就寝しているようだ。
 相変わらず、見た目に変化が無いからわかり辛い。


 今、この暖かな気持ちのまま寝たら、どれだけ素敵な夢が観れるのだろう。
 少し、ワクワクしてきた。








「……ん?」


 何か、目が覚めてしまった。
 室内は暗闇が月光に薄められ、藍色に満たされている。まだ夜中だ。


「………………」


 どんな夢が観れるのか、と期待していたが、記憶にない。
 どうやら夢を見る暇も無く熟睡していた様である。
 何か、ちょっと残念だ。


 静かな寝息が聞こえる。
 サーガの可愛らしい微かな寝息と、姉貴の寝息と……あれ?


「……お前も目が覚めたのか?」
「ああ、奇遇だな」


 サーガを挟んで俺の隣りに寝ていたシングは、しっかりと起きていた。
 布団の上で座り込み、顎に手を当て、何か考え事をしていた様子である。


「……何か、考え事か?」
「うむ。すっかりしっかり目が覚めてしまったのでな。丁度良いから、さっきゴウトに言われた事について、考えていた」
「?」


 お前が人の言葉で何かを考え込むなんて珍しいな。
 俺の中でシングは、サーガに関係する事以外どこまでもマイペースなイメージがある。
 一体何を言われたのだろうか。


「お前がサーガ様の父を目指す様に……アタシは母を目指してはどうか……と言われた」


 成程、サーガに関係する事だったか。


「ってか母って……」
「わかっている、本来ならば、アタシの様な一介の世話役がこの様な事、一考する事すら憚られる事だ」
「……いや、そういう事じゃなくて……」
「……? ではお前は何を気にしているんだ?」


 そりゃお前、俺がサーガの父親になって、お前が母親になるって……そういう事じゃね?
 ……ま、あれだよな。お前はサーガの事しか見えてないモンな。
 その辺には思考が回っていない様子だ。


「とにかくだ。憚られる事……なのだが……」


 シングは少しだけ、眠っているサーガの頬に指先で触れる。


「こうも言われた。世話役だなんだは一旦全部忘れて、アタシ自身がどうしたいのかを考えてみろ、と」
「……で、お前はどうしたいんだよ」
「…………わからない」


 そりゃそうだろうな。
 そんな簡単に答えが見つかる話でも無いだろう。


「母と言う存在は、大きい物だ。当然、いないよりはいた方が良い」
「そうだろうな」


 いつぞやの病院でも言われた事だ。
 シングルは、ファザーだろうがマザーだろうが、親子共々辛いって。
 出来る事なら、両親健在であるに越した事は無い。


 でも、サーガはもう両親共この世にはいない。
 俺が父親になっても、母はいない。
 俺が誰かしらと結婚すりゃその辺は解決するんだろうが……結婚相手を探すなんて、そんな一朝一夕で片が付く事じゃない。


「サーガ様は愛おしい。サーガ様の幸福に繋がる事ならば、どんな事でもすべきだと思う。だが、アタシは果たして母親と言う役柄を全うできるのか?」
「………………」
「子の……誰かの人生を背負う役になると言うのは、そう簡単な話では無い。……アタシなんかが、サーガ様の人生を背負い切れるはずがない」
「誰だってそんなモンじゃねぇの?」
「……え?」
「俺だって、人の人生全部背負い込めるなんて自信はねぇよ。お前だって言ってたろ、俺には父親としてまだまだ足りないモンが山ほどあるって」


 魔王とも、同じ様な話をしたな。
 あの時、魔王は言っていた。
 人が他人の人生を背負い切る事など、到底不可能だと。
 負うべきモノの重さを理解した上でもなお、それを背負う覚悟…挑戦する意思を持つ事が、親たる者の資質ではないか、と。


「無理難題だってのはわかってるけど、それでもそうしたいって思ったから、俺は挑むんだ」


 そうやって俺は、到底不可能だと誰もが思うであろう打倒世界最強を成し遂げ、今もサーガと共に居る。
 確かに、理想的な勝利ではなかった。
 血みどろで、ボロボロで、グチャグチャで、勝てたのが奇跡的に思える様なザマだった。
 それでも俺は、挑み続けて無理難題を乗り越えた。


 理想形で飛び越える事は難しいかも知れない。
 それでも、そこを目指せば、目指し続ければ、無様だとしても乗り越えられるかも知れない。
 あの戦い、俺は自分自身にその可能性を示した。


 子供の全てを背負い込める様な「理想の父親」にはなれないかも知れない。
 それでも、やれる所までやれば、きっと「父親」にはなれる。
 なってみせる。


 だから俺は、サーガに取っての最高の親父を目指している。


「なぁ、シング。俺のやり方は、駄目か?」
「………………」


 例えこの考えを笑われても、否定されても、俺は足掻き続けるつもりだ。
 そういう風にしかできないし、そうすべきだと思うし、そうしたいから。


「大体、誰だって最初っから親として相応しい訳じゃねぇだろ」


 生まれた時から親の奴なんていない。いるはずがない。ガルーラじゃあるまいし。


「皆、子供を授かって、親になるために頑張って、苦悩して、子供を育てあげてんだと思う」


 俺はただちょっとだけ、子供の授かり方が特殊だった。
 それだけの事ではないか、と思う。


 サーガの小さな手を、握ってみる。
 小さくとも、そこには生がある。
 それを育む責任は、とてつもなく大きい。
 どんな授かり方をしようが、そこは変わらない。


「……そうか」


 フッ、とシングが静かに笑った。
 納得してくれた、そんな感じの笑顔だった。


「では、ロマン。お前に1つ頼みがある」
「ん? おう。何でも言え」


 この流れからして、シングが母親になるための協力だろう。
 そういう事なら、協力は惜しまな…


「結婚してくれ」


 …………………………。


「……は?」
「お前はサーガ様の父になるのだろう? そしてきっとお前は立派な父となる。確信している。だったら、アタシが母になるためには、まずお前と夫婦になる事から始めるべきだろう?」
「……いや、ちょっと待ってシングさん、少しタンマ」


 サーガを起こさない様にゆっくりとその手を離しつつ、俺も起き上がる。
 ……シングの言っている事は、別段おかしい事では無い。
 理屈としては、正しい。正論だろう。


「……お前、結婚の意味わかってる?」
「バカにするな。当然知っている。夫婦として生涯を支え合う意思表示のための儀式だ」


 ああ、概ねその通りだ。
 そうか、わかった上でそんな気軽に言っちゃってんのかお前。


「……お前バカだろ」
「なっ……バカにするなと言った矢先にその言い草はなんだ!」
「いやお前……だって絶対バカじゃん。お前絶対俺の事愛して無いじゃん、結婚しても仮面夫婦コース確定じゃん」
「? 何を言っているんだお前は?」


 シングは小首をかしげ、


「アタシは、お前の事が好きだぞ」
「…………へ?」
「そうでもなければ、いくらサーガ様のためとは言え、結婚してくれなどと頼むものか」
「……いや、ちょっと待ってシングさん、少しタンマ」
「またか」


 はい、またですよ。


 何だろう、これは夢か? 夢なのか? ぽかぽか気分で寝ちゃったから、こんなウフフな展開の夢を見てんのか俺。
 ちょっと頬っぺツネってみよう。


 ……うん、割と痛い。
 現実だこれ。なんつぅ現実だこれ。


「……シング? えーと……いつから俺の事を?」
「はっきり確信したのは、ゲオルとの戦いの後辺りから、だな」


 3ヶ月前かよ。
 嘘だろ、全く気づかなかった。
 俺結構勘は鋭い方だと自負してたのに。


 いや、っていうか待て、愛の告白をしてるにしちゃ今のシングの様子はおかしくないか。
 ちょっと普段通り過ぎない? 何か勘違いしてるとか?
 でも結婚を頼む方面での「好き」って断言したよなこいつ。


「今思えば、ヒエンとの決闘の辺りから薄ら前兆はあった気がする」
「マジで?」


 ヒエンとの決闘って……半年近く前だぞ。


「理由はわからんが、あの頃辺りからお前の事をカッコイイと思う様になった。できる事ならこれから先も傍にいたい、見続けていたいと思ったのだ」
「お、おうふ」


 何の臆面もなく正面からそんな事を言われると、ものすごく気恥ずかしい。


「シェリー達にその事を相談したら『それは恋だ』と言われたから、そうだとばかり思っていたのだが……違うのか?」
「……いや、多分その感じは違わない」


 はっきりとした理由はわからないが、憧れ、焦がれ、惹かれ、そして傍にいたいと思う。
 それは多分、本当に「恋」って奴だろう。結婚云々の方面の好意で間違い無いはずだ。
 ……どうやら、シングはその感情が『口にするのが気恥ずかしい事』と言う認識は無いらしい。
 何故愛の告白をしている側が素のテンションで、こっちが赤面して狼狽せにゃならんのだ。


「っていうか、そんなに前から好きだったなら、何でこのタイミングで告白……?」
「アタシはサーガ様の世話役、そしてお前は父となるべく修練に励む身だ。お互い色恋にうつつを抜かしている場合では無いと思い、とりあえずこの件は黙っていた」


 ……成程。
 そして今、俺に告白しても問題無い状況、むしろ絶好の機会だと判断して、言っちゃった訳か。
 そうか、そうですか、そうでしたか……


 ……どうしよう、まだちょっと混乱気味だ。


「で、お前的にはどうなんだ。アタシはアリか? ナシか?」
「うっ……」


 正直、もうシングとのフラグ建ては完全に諦めていた。
 なので、今更そんな質問をされてもパッと答えは出せない。


「……もしナシでも、気を使う必要は無い。はっきり言え。そしたら、アリだと思われる様にこれから努力しよう。アタシ自身のためであり、サーガ様のためでもある。努力を惜しむつもりはない」
「……お前、変な所で一途っつぅか、バカ正直だよな」
「まだバカ言うか」


 ったく、人生初の告白が、まさかこんなシチュエーションで訪れるとは思わなんだ。
 ああもう、何か笑えてきた。


 シングと言う人物は、見た目は可愛いしエロいし、中身はバカ正直で、何か笑える。
 それに、こいつと一緒にいるのは何だかんだ楽しい。この世界に来てから、ほぼ毎日一緒に過ごしてきたんだ。その辺は、よくわかってる。


 そんな奴から告白されて、ナシなんて言うと思うか?
 本当に、バカだと思う。


「大アリだよ、このバーカ」
「そうか、その返答は嬉しいが……何故バカを付ける。台無しじゃないか」
「そもそもこのプロポーズのタイミングからして色々台無しだっつぅの」
「……? そうなのか?」


 ったく、将来サーガに「2人の結婚の切掛プロポーズってどんなんだったの?」とかありがちな質問をされた時、どう答えりゃ良いのやら。


 今の内から脚色を考えておくか、正直に話すか、後日俺の方からプロポーズし直すか。
 さて、どうしたものか。


「……あー、とりあえず、もう寝ようぜ。明日ゴウトさんの手伝いするって約束だから、朝早いし」
「む、まだ言いたい事はややあるが……わかった。続きは明日だ」
「おう、おやすみ」


 ま、とりあえず諸々の事は後で考えよう。
 今は、眠り直そう。


 きっと今度こそ、最高の夢が観れるはずだから。









コメント

  • サメ

    最高でした!

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