異世界イクメン~川に落ちた俺が、異世界で子育てします~

須方三城

ご奉仕…?される第27話



 朝を嫌う密林ディープナイト攻略の翌朝。


「…………だよなぁ……」


 声くらいは出せる様になったが、未だ指1本動かしただけで全身に激痛が走る。
 ベッドから起き上がれない。


「まぁ、昨日は結構な無茶をしたからな」
「うぶ」


 サーガを寝巻きから普段着に着替えさせながら、シングが言う。


 ちなみに、昨日の戦利品とも言える招き猫は、鏡台の上からこちらを眺めている。


「執事長も痛みが引くまでは休めと言っていたんだ。余計な事は考えず、ゆっくりしていろ」
「それと同時に修行も先送りだがな……まぁ、仕方ねぇ」


 少し不満気なコクトウ。
 いや、俺だって歯がゆいんだよチクショウめ。


 うっ、ていうかヤバイ、尿意が……


 そんな時、ドアをノックする音。


「失礼します」
「え」


 ドアを開けて入ってきたのは、全身に鎧を纏った巨大な重歩兵。


「シェリー……?」
「はい」


 重歩兵が兜を取ると、銀色の髪がはだけ落ちる。
 その顔は間違い無くシェリーだ。
 まぁあの身長の時点でシェリー本人だとわかっちゃいたが。


「あれ、でもお前、もう手形も手に入って街に帰ったんじゃ……」
「はい。手形の方は、田舎の母の元へ送らせてもらいました。本当にありがとうございます、ロマンさん達のおかげです」
「あ、ああ、どうも……」
「それで、その……余りにもお世話になったので、お礼1つではいサヨナラは流石に気が引けて……」


 話を要約すると、色々世話になった恩返しという事で、シェリーもこの屋敷で働く事にしたらしい。
 パン屋との掛け持ちなので、週3回だけの出勤らしいが。
 パン屋の店長さんも大分優しい人らしく、こちらで働く時間を作るためにシフトを減らしたいという要望を、すんなり聞き入れてくれたそうだ。


「って、通い出勤って、大丈夫なのか?」


 ここ、A級ダンジョンの中だぞ。


「あ、はい。あの雑貨屋の店長さんが、送迎してくれるそうで」


 ラフィリアさんか。
 まぁ節操も見境も無いあの人なら「ナイスバディな美人ちゃんの送迎なんて、頼まれなくてもヤっちゃうよーん☆」とか言いそうではある。


「……気を付けろよ」
「え? 大丈夫ですよ、テレポートで送迎してくれる訳ですし。危険はありません」


 その送迎主が一番危険なんだ。


「ところでここに何を?」
「あ、執事長さんがコレを持って行ってやれと」


 ……ああ、執事長、流石だ。


「これ、何ですかね、ガラス瓶だって事はわかるんですが……花瓶? にしては形が……」
「ああ、それを置いてできれば早目にこの部屋から出てくれると有難い」
「え、あの……私邪魔ですか? ……やっぱり体が大きいから……」


 あー、しゅんとなってる所悪いが……本当に早く出て行ってくれ。
 別に体大きくて邪魔だからとかじゃない。


 端的に言うと、君が持ってきてくれたそれは、いわゆる尿瓶しびんだ。
 そしておあつらえ向きに俺は今尿意のピークが来ている。
 全身くまなく痛いが、小便を漏らすよりは少し痛い思いをしてでも尿瓶を使う。


 しかしね、君がいるとね、やり辛くてしょうがない訳だよ。
 シングに関しては俺の股間なんぞなんの興味も無いだろうし、サーガにも見られたって特に問題は無い。
 でも君は、半裸状態を衆目に晒す事すら嫌がる様な乙女だよね?
 そんな娘の目の前で用を足すとかね、俺そんな鬼畜っていうか恥知らずな事できない訳ですよ。


 しかしコレをどう説明した物か。
「今すぐここで小便をするので出て行ってください」って直球で言ったら、もう今後シェリーに口聞いてもらえなくなりそうだ。


「む、それは尿瓶だな」
「シビン?」


 頭の上で?マークが飛び交うシェリーに、シングがその用途を懇切丁寧に説明する。
 全てを理解したのだろう。シェリーはその褐色の頬を真っ赤にして狼狽し始めた。


「あ、あぅ、その……気が効かないウドの大木でごめんなさい……」


 そっと尿瓶を置いて、シェリーはそそくさと部屋から出て行った。


「何を恥ずかしがっていたんだ、シェリーは」
「お前に乙女の恥じらいはわからんだろうな。まぁ助かったわ、ありがとう」
「にしても、恩返し、か」
「どうした?」
「……いや……」
「?」


 何か考え事だろうか。
 とにかく、これで用を足せる。早速尿瓶を……ぐぅほぅ……本当、手を動かすだけで何でこんな痛い思いせにゃならんのだ……
 まぁこの筋肉痛祭りを避けるために「コクトウの使用を控えて死んじゃいました」とかだと本末転倒だし、仕方無いか……


 ん? シングは何でこっちをジーッと見て黙りこくっているんだ?
 さっきから考え事をしている様だが……


「……よし、アタシがやってやろう」
「……一応聞くぞ、何を?」
「尿瓶をよこせ」
「え、ちょ、待ってシングさん!? 本当に何する気かな!?」
「体中痛いんだろう、無理はするな。どれ……」
「ちょ、待っ…」
「アタシに任せろ。おい、暴れようとするな」


 何だ、何が起きているんだ。
 何故俺は今、尿瓶を持ったシングにマウントを取られ、ズボンを脱がされかけているんだ。


 しかも全身の筋肉痛と溢れんばかりの尿意のせいで、イモムシレベルの抵抗しかできない。


「ちょっとシングさん! 落ち着こう! 何かご乱心してない!? ねぇ!?」
「傷病人の看病のどこがご乱心だ」
「だう?」
「ほら、サーガが見てる! 教育に悪い! 教育に悪いよこの光景!」
「何の話をしているんだ、お前は? サーガ様、少しお待ちください。さっさと終わらせるので」
「うぶい」
「赤ん坊に見守られながら同年代の女の子に排尿の手伝いされるって何この状況!?」


 俺の中のモラル的な何かと、羞恥心という名のピュアなハートが、エラい勢いで悲鳴を上げている。
 何故肉体的に痛めつけられ切ったこの状況で、こんな辱めを受けなきゃならんのだ。


「何を抵抗しているんだ? 別にアタシは男性器を見たりちょっと触るくらい平気だ。さっきお前が言った通り、そこまで初心ではない。アタシに気を使う必要は無いぞ」
「だからこそ嫌な部分もあるんですけどね!?」


 作業的に股間をあれこれされるってのも中々辛い物があるんだよチクショウが。


 助けて神様、お願い。
 そうだ、おい招き猫、仕事しろ! この運命をどうにかする出会いとやらを早く! 早く! 早っ…




 ……残念な事に、俺の願いは届かなかった。








「ロマンに恩を返したい?」


 屋敷の従業者用に設けられた談話室。
 個人の部屋より少し広いかなくらいの空間に、コーヒーサーバーやテレビ、フードコートにある様な簡易テーブルなどが設置されている。


 その部屋で、モヒカン執事のベニムと、エロ魔神執事のランドーはシングからとある相談を受けていた。
 ちなみにシングに抱っこされてお昼寝中だが、サーガも一緒だ。


「少し前から思っていたのだがな……最近アタシは、ロマンに負担をかけ過ぎている気がするんだ」
「負担ねぇ」


 サーガの希望とは言え、サーガの世話のほぼ全てはロマンが見ている。
 そして自分が風邪を引いた時、その看病だけでなく、すったもんだしてヒエンと決闘を余儀なくさせてしまった。
 執事業務を少し手伝ってやれてはいるが、大した量はこなせていない。
 昨日のダンジョン攻略の際にも、大分無理をさせてしまった。


「全て、アタシの不甲斐無さが原因だ……」
「そう思いつめる事も無いと思うよ?」


 ランドーの言う通り、ロマンは別にそんな事をいちいち気にするタイプでは無い。
 災難が降りかかって来た時、誰かを責めるよりも「どう切り抜けるか」を模索し、切り抜けた後はもう次の何かを考えている奴だ。
 負担がどうのとシングを責める様な発想は、持ち合わせちゃいないはずだ。


「責められる責められないの問題では無い。アタシの気が済まないんだ」
「で、ロマンのために、何かしてやりたいと」


 だから昨日、ロマンをおんぶする事にやたら固執していた訳か、とベニムは納得。


「ああ。とりあえずさっき、手始めに軽い看病から挑戦した。ロマンの奴め、泣いて喜んでいたぞ」


 ちなみに、泣いてはいたが喜んではいない。
 いや、心のどこかで喜びを感じていたもう1人の自分的な何かはいたかも知れないが、ロマンの理性はそれを受け入れようとはしなかった。
 ロマンはまだ16歳、内なる変態じぶんを受け入れられる程、大人では無い。


「そんで、まだまだ恩を返したりない訳?」
「ああ、もっと何かしてやりたいと思っている」


 1度排尿を手伝ったくらいで清算できる物では無い。


「何せ、アタシの一番大切な存在を救うために奮闘してくれている男だからな」


 そう言って、シングは愛おしそうに、優しい手つきで、眠っているサーガの額を撫でた。
 その慈愛に満ちた表情に、ベニムとランドーも良い意味で気が緩む。
 ただのお世話役と言う話だが、シングがサーガへ向ける想いは、母親が子に向けるそれと遜色無い様にベニム達には思えた。


「と言う訳で、ロマンが喜びそうなアイデアを聞きたい」
「うーん…同じ男として言える事は……そうだな、メイドちゃんみたいなベッピンが、ニコニコ笑顔で看病してくれたら幸せだろうな」
「シングだ。何回言わせる気だ鶏頭」
「にわっ…」
「だが、参考になる話だ。ニコニコ笑顔……か」


 普段は余り笑わない方だが、やってみよう、とシングはうなずく。
 ベニムは少しヘコんでいる。


「そうだね、今のロマンの状態ならー……無難なのは、手作りのおかゆをあーんしてくれたりとか?」
「お前にしちゃ無難なアンサーだな、ランドー」
「そう?」


 ベニムはランドーの本質というか本領を知っている。


「てっきり性的なサービスを推薦するんじゃねぇかと若干ヒヤヒヤしてたが……」
「ベニムさん、僕だってちゃんと冷静な分析はするよ」
「分析?」
「ロマンは僕と同じ『攻め派』だ。本能的にわかる。だから看病プレイとか『受け』のプレイはあまり好んでない。それとまだロマンには今1つ羞恥心という殻を破れない…そう、童貞をこじらせている気配もある。女性からのアプローチには、喜ぶ体に相反して精神面で拒絶反応が出てしまう可能性が非常に高い。そういう時期が僕にも…」
「わかった。もう喋るな」
「何の話をしているかはわからんが、おかゆを作ってあぁん? だな。わかった」
「おい、今のあーんのイントネーションは完全にヤンキーだったぞ? あーんだからな?」


 そのテンションでおかゆなんぞ口にねじ込まれたら、恐怖しか覚えない。


「そもそもあぁん? とは何だ」


 知らなかったんかい、とベニムとランドーは椅子ごとズッコケかける。


「あーんって言うのはね、こう、スプーンとかで、相手に物を食べさせてあげる事だよ」


 ランドーがジェスチャーであーんの動作をシングに見せる。


「ああ、そう言えば、ロマンもサーガ様にリンゴを食べさせる時に『ほれ、あーん』とか言ってたな」
「そうそう、そゆ事」
「わかった。それもやろう。執事長に言ってキッチンを借りよう」


 シングの看病、その第2弾が、ロマンに迫る。








「今朝のシングは一体何だったんだ……」


 ベッドの上で転がりながら、俺は思い出し唸り。
 顔を手で覆いたい所だが、動きたくないのでやめておく。


 しかしまぁ、未だに恥ずかしい。
 本当に恥ずかし辛い。
 看護婦さんにだって尿のお世話なんてされた事無かったのに。


「ったく、ガキじゃあるまいしチンコ見られてちょっと触られたくらいでギャーギャーと……」
「剣には一生わからねぇだろうよ……」
「ロマン、待たせたな!」
「だぼん、なう!」
「ひぃっ!?」


 バターン! と部屋のドアを勢い良く開け放ったシング。
 サーガをベビーショルダーで背負いつつ、その両手にミトンを装着し、何か大きな土鍋を持っている。


「し、シングさん……? 今度は一体何を……」
「食事だ!」
「だっぷ!」
「飯?」


 ああ、それなら中々ナイスタイミングだ。
 丁度腹も減っていた。
 土鍋の中身はおかゆ、だろうか。
 臓器へのダメージも少し残っているし、有難いチョイスだ。


 ……ただ、それ以上に気になる事が。


「シング、何でそんな笑ってんだ…?」
「ニコニコ笑顔だ!」
「ぶぅ!」


 シングもサーガも、すんごい笑顔だ。
 100万$の笑顔って感じだ。もう本当、輝いて見えるくらい笑顔だ。


 故に恐い。


 2人とも、そんな良い笑顔するキャラじゃなかったよね?
 え、何これ、マジで恐いんだけど。


「そして手作りおかゆだ!」
「やぶあうあ!」
「て、手作り……」


 まぁ、ゴウトに世話になってる時に料理を手伝っている姿は見たし、料理下手って事は無いだろう。
 でもアレだよね、君、俺のために料理作ってくれる様なキャラじゃないよね。


 故に恐い。


 しかも入室から今までシングもサーガも一切笑顔を崩さない。
 恐い、本当に恐い。


「そして(ランドー曰く)ここからが本番だ!」
「ぶぉおん!」
「本番……?」


 シングは調理用お玉でおかゆを1杯分すくうと、


「ほれ、あぁん、だ」
「あぁん!?」


 何だ、何故俺はおかゆの入ったお玉を片手にヤンキー調の脅しをきかされているんだ。
 これは普通に恐い。
 しかも「あぁん」という言葉の割に、シングは未だ良い笑顔のままだ。
 もうかなり恐い。


 人間は、混乱すると、恐怖を覚えると言う。
 理解が及ばない領域に踏み込むと、不安に思考を支配され、全てが恐ろしく感じてしまう。


 今まさに、俺はそう言った状態だ。


「さぁ、あぁんが終わったら、体も拭いてやるぞ、余す所なく、念入りにな」
「ちょっとシングさ…がぼふっ」


 お玉を無理矢理口にねじ込まれ、言葉による抵抗すらできなくなる。


「歯も磨いてやろう、自分ではできないだろうからな。歯垢を1ミリ残さず根こそぎ駆逐してやる」
「もぐふ、はぼうばっ!?」
「ついでだ、耳や鼻の掃除もしてやろう、サーガ様用のベビー綿棒にはまだ余裕がある。お前の全身の垢という垢をこそぎ落とすとしよう」
「うい」
「ぎょぼ、ごぼあぁぁあっ!?」
「今日1日、完璧な看病をしてやるぞ、思いつく限りの全てを尽くしてやる。さぁロマン、まずはこれを全て完食するんだ、さぁ!」
「もべ、ぶがごふ、ほばあああああああああ!! っばはぁ! お前馬鹿か!? そんな量食えるか! ってかお玉て!」


 お玉は調理器具だ。食器じゃねぇ。食器じゃないはずなんだ。
 そんなもんを幾度と無くねじ込まれたら顎外れるわ。


「男ならこれくらい食え! 腹が減っては傷も治らんぞ!」
「いや限度ってモンがっばがどぅっはぁっ!?」
「ほら、あぁん! あぁん! あぁん! まだまだあるぞ!」
「だぼん、べう! やぼん! やい! ひでぶぃ!」
「ごばぁ!? ほぶふぅ!? へべあぁ!?」
「そうかそうか、青冷めて泣き狂う程に嬉しいか! 大袈裟な奴め! そんなに喜んでもらえると、こちらとしてもやり甲斐があるぞ!」
「ういー!」


 次々にお玉ごとおかゆを口にねじ込まれ、薄れゆく意識の中、俺はシンプルにこう思った。


 殺される、と。








 翌日。


「あ、ロマンだ。もう動けるの?」
「おう、少しはな……」


 庭で力無く風に打たれる俺の元に、ユウカが近寄ってきた。
 多分、これから日課の日向ぼっこに向かうつもりなのだろう。


「今日はサーガちゃんいないんだ」
「シングが、面倒を見てる……」
「っていうかロマン、大丈夫? 燃え尽きたボクサーみたいになってるけど」
「……ユウカ、俺は1つ、決意したよ」
「?」
「もう2度と、できるだけ、無理はしない」


 事情はランドー達から全て聞いた。


 シングに悪気は無いのはわかってる。
 痛い程わかってる。


 でも、もうあいつに看病されるのは2度とごめんである。





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