SCP版 エンジェル・オーバードーズ

奏せいや

第二章 今日はあなたの残りの人生の最初の日

 ビルの廊下を牧野萌は走っていた。表情もひっ迫しているように見える。普段と違う。いつもと違う。

 彼女は廊下を渡りきり、一室の扉の前で立ち止まる。

「牧野です。入ります」

 彼女は返事を待たずに部屋に入り込んだ。

 賢条は机の前で立っており、牧野に背を向ける形で窓から空を見上げていた。牧野が入室したのは分かっているはずだが、朝の挨拶はない。無言だった。普段と違う。いつもと違う。

 牧野は表情に気合を入れたまま、本題を口にした。

「室長、佐宝さほう精神保健研究所襲撃の件です」

「知っている」

 賢条の声にも真剣な重みがある。牧野は脇に抱えていた資料を机の上に置いた。

「その後の詳細を報告します」

 賢条が振り返り資料に目を落とす。

「すでにご存じの通り、財団のエージェントが我々よりも早くに教会と接触。戦闘行動の末死亡しました。実動部隊からの報告から結界痕があり聖位術が使われたのは間違いありません。現場にはアザゼルのアタッシュケースはなく、聖法教会が回収したものと見られます」

 賢条は険しい顔のまま牧野の報告は聞いている。それは鷹のような、もしくは戦況を見渡す軍師のような力強い眼光だった。

 報告された事態だけでも大きな失態だ。

 だが、最悪の展開はこれからだ。

「そして」

 賢条は机に座る。牧野の報告も聞いてはいるのだろうが、目当ての資料を探してか手だけを忙しなく動かしている。

「現場に居合わせた民間人についてです」

 そう、最悪の事態だ。可能性を考えていなかったわけではないが、これは想定していたものよりもさらに悪い。

「民間人がいたのは確定情報です。また現場には使用済みのアザゼルが落ちていました」

「その場には聖法教会の者がいたのだろう。ずいぶんとずさんだな」

「それだけ現場も混乱していたのかもしれません。それで注射針に付着していた血液検査が出ました」

 賢条の顔が一段と重くなる。牧野も改めて身構えた。

 重苦しい空気だった。ここではネクタイですらロープで首を縛っているほど息苦しい。それほどの重圧。

 その中で、牧野は口を動かした。

「検査の結果、聖位術特有の魔力反応及びアザゼルの検出なし。使用者は、民間人です」

 報告に、賢条は額に指を当てシワを揉んだ。

 民間人の第四世代兵器の使用。あってはならない、あってはならないことだった。事態を知られただけでなく使用されるなど。

 これは国家機密を知られたということだ。それも軍備の最重要秘密事項。たとえるなら核爆弾のパスワードを知られたようなもの。

 最悪の事態だった。

「防衛省長官はなんと?」

「この件に関しては一任すると」

「臆病者か」

 賢条はそれだけ吐き捨てると思案顔になる。

「室長、ご決断を」

 沈黙ができた。答えを待つ牧野ですら緊張に体が痺れる。特戦だけでない。日本という国そのものに関わる大事件だ。国家の危機にどう動くのか、牧野は上司の言葉を待つ。

 賢条は険しい表情に鋭さを保ち、伏していた目線を上げた。

「こうなった以上、仕方があるまい」

 答えを、この事態に対する指令を、賢条は言った。

「財団や教会にはこの件から退いてもらおう。そしてその場に居合わせた民間人だが」

 指示を出す声に乱れはなく、特戦室長に相応しい威厳をもって命令する。

「対処しろ。情報が公に、絶対に知られない方法でだ」

 絶対に知られない方法。すなわち、暗殺だ。賢条は決断したのだ。

 その意図を牧野も察しているため、表情を引き締めたまま頷いた。

「はっ。件の民間人の身元についてですがすでに判明しています。白河守人。年齢一六歳。きみどり園という孤児院に籍を置く少年で幸い対処は比較的容易かと」

「白河……?」

 だが、白河の名前に賢条の眉が動いた。

「その少年について、過去の経緯についても調査しろ。特に両親についてだ」

 賢条からの直接の指示。それほど重要かと牧野は考えて、ハッと思い当たる。

「白河……。まさか、考え過ぎではありませんか。そう珍しい苗字ではありません」

「念のためだ」

 牧野は杞憂だと思いこそすれ、しかしこの男、賢条幹久はそうではなかった。そして牧野が知る限り、この男が勘を外したことはない。

「はっ。その件についても了解です。これから防衛省での緊急会議が控えています。準備をお願いします」

「分かっている」

「では、失礼します」

 牧野は一礼して部屋から出ていく。扉が閉められ、賢条は机に再度目を向ける。

 牧野には念のためとは言ったが、しかし賢条の胸にはどこか確信があった。運命論者ではない彼の胸が、妙な興奮にざらついている。

「なんの因果かな。それもまさかアザゼル絡みとは。皮肉なものだ」

 わずかな時間を割いて、賢条は感慨にふける。

「そう思うだろう、白河博士」

 賢条はそう、呟いた。

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