SCP版 エンジェル・オーバードーズ

奏せいや

捨て身

「いけない!」

 彼女が駆け寄る。しかしそれよりも早くに男はアタッシュケースを開けていた。

 そこにはいくつもの注射器が並んでいた。赤い布地の上に一本ずつ整然と固定されており、まるで高級品。宝石か腕時計のように仕舞われている。

 男は死にもの狂いで一本の注射器を手に取り自身に打とうとした。

「させるか!」

 だが、彼女の一撃がそれを防ぐ。男は咄嗟にアタッシュケースを振り上げ防御するものの、衝撃で注射器は手元を離れ宙に投げ出された。

 妨害に成功する。しかし、男は空いた手で彼女の腹部を強打すると、彼女を掴み壁に投げつけた。激しい衝突に壁がへこみ少女の体が地面に倒れる。

「がっぁ」

 顔は苦悶に歪み、必死に体を動かそうとしているが起き上がれない。しかし、辛そうな顔をしながらも守人を見つめてきた。

「そこの君、早く!」

「しかし、このままじゃ君が!」

 言っていて自分が間抜けだというのは自覚していた。こんな常識外れの戦いで自分になにができる? あるわけがない。二人とも不思議な力を持っているが自分はただの高校生だ。

 だが、次の彼女の言葉が、守人のすべてを変えた。

「こいつは危険なの。先日ここで起こった交通事件は本当は殺人事件で、こいつがその犯人なのよ!」

「え?」

 瞬間、聞こえた言葉に、全神経が反応した。

「だから君も早く逃げて! 本当に殺されるわよ!」

 彼女の叫びが途端に遠くなる。ふつふつと湧き上がる感情に思考の制御を失っていく。

 守人は男を前にして、棒立ちしていた。

「こいつが?」

 恐怖が、溶けていく。迷いが、消えていく。代わりに意識が形を作る。芽生える。殺意が、芽生える。

「瑞希を?」

 守人の意識が壊れて、変わっていく。今まで心の奥底に隠れていた怒りが、じわじわと顔を出す。

(この男が?)

 復讐の念が、ぞわりと全身を逆立てた。

(殺しただと?)

 思考と感情が混ざり合う。

「それを返せェエエ!」

 男の大声に意識が戻される。気づけば、男がさきほど打とうとしていた注射器が自分の足元に転がっていた。

「それが必要なんだ、それが……!」

 ぬらぬらとして、粘度の高い視線で男が見てくる。まるで重度の酔漢を思わせる目だ。

「そうか、これが必要か……」

 足元に転がる注射器。それを守人は持ち上げた。

「お前がなんでそんなに普通じゃないのか知らないが、これが必要っていうのは無関係じゃないんだろ」

「駄目!」

 守人の意図を察してか、少女が叫んだ。

「なにをしてるの、それを捨てて早く逃げて!」

 少女は大声で指示するが、守人は確信する。

 男の異常な腕力。そして斬られてもすぐに直る回復力。超人といってもいいその力の秘密、それがこの注射器なのだと。

 彼女の必死な訴えに、しかし守人は聞く耳を持たない。

「借りるぞ」

 目の前には復讐の男がいる。瑞希を殺した、犯人がいる。

「お前は殺す」

 躊躇いはなかった。この男を殺せればそれで良かった。それが得られる可能性があるなら試すまで。失敗しても構わない。

 もとより自分の命は安物同然。それで可能性が買えるなら、守人はたった一つの命も惜しくはなかった。

「お前は許さない、お前だけは!」

 命を助けてくれた彼女は動けない。ここで動けるのは守人しかいない。

 守人は注射器を自分の腕に向ける。左腕の袖を捲り針を刺した。

 そのまま射器の栓を押し込んだ。

 中身が入っていく。栓が押し込まれ、左腕に異物が入り込んでくる。

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