SCP版 エンジェル・オーバードーズ

奏せいや

第一章 素晴らしき新世界

 高校一年生の白河しらかわ守人(もりと)には今でも覚えていることがあった。

 おぼろげだが、幼いころに自分の手を握ってくれた温かい手があったことを。

 誰なのか、いつなのか、それすら判然としない。もしかしたら幻想なのかもしれないし勘違いなのかもしれない。

 けれど。

 今でも覚えてる。自分の手を握ってくれた誰かがいたことを。まだ子供の自分を導いてくれた誰か。

 その温かさを、覚えてる。

 守人は感慨に耽り、夕焼けに染まり始めている空に向かって手を伸ばす。かつての温かさを探すように。

 しかしそこにあるのは空を流れる雲だけだ。彼の手を握ってくれる者はいない。

 当たり前か。そんなことあるわけがない。

「くだらない……」

 守人は小さくつぶやくと伸ばした手を下ろした。

 学校の屋上には彼以外誰もいない。まして横になる者は彼ぐらいだろう。水色の髪に丸い顔をしており、仰向けで寝転んでいる。

 今日の日程は終わった。教室ではまだ残っている生徒たちがこれからどこに遊びに行こうかはしゃいでいるだろう。

 そんな中、守人は一人だった。彼の前髪を初夏の暖かい風が吹き抜けていく。

 そんな時、重い扉を開く音が聞こえた。振り向けば立ち入り禁止である滑りの悪い扉がぎこちない音と共に動いている。

「守人くーん!」

 現れたのは小柄な女の子だった。可愛らしい声を元気いっぱいに張り上げ、彼女は守人へと駆け寄って来る。守人は上体を持ち上げた。

「やっぱりここにいた」

 守人を見下ろして彼女は微笑んだ。

「どうしてここにいると分かった、みず?」

 高森瑞希たかもりみずき。守人の幼馴染だ。守人と同じく高校一年生のクラスメイト。

 ライトブラウンのショートカットが夏の光を照り返す。小柄な体と愛嬌のある笑みはぬいぐるみのような可愛らしさがある。

 男子や女子にも好かれ、特に年上からは絶大な人気を誇るとか。枯れて久しい人脈の守人でも風のうわさで瑞希の人気は聞いていた。

 自分とは違う、クラスの人気者。そんな彼女が、屈託なく自分に笑顔を向けてくれる。

「だって、守人くんいつもここだもん。分かるよ、これくらい」

 そう言う彼女は楽しそうだった。

「そうか。けっこう単純なんだな、俺」

「単純っていうか~、それ以外知らないというか~……」

 瑞希は苦笑しながら目を泳がせている。

「ねえ、いつもここでなにしてるの?」

 髪と同じブラウンの丸い瞳。リスのような小動物を思わせる。意識してはいないだろうが、自然と向けるその愛らしい瞳に心打たれた男子は多い。

「別に」

 そんな彼女から目を背けた。守人にとって彼女は良くも悪くも太陽みたいな人だ。間近で見ると目が焼かれそうになる。

「もう」

 守人の答えに瑞希がすねる。

「ねえ、一緒に帰ろう」

 けれどもすぐに元の表情に戻り、笑顔で言ってくれる。

「なんでだよ、一人で帰れるだろ」

 せっかくの誘いだが守人は顔を逸らす。あまり自分を見られたくない。彼女の光は強すぎて近くにいると自分の影が大きくなっていく。

 守人はそっと目だけを動かし瑞希の顔を伺ってみた。普通なら守人の態度に怒って帰っていくはずだ。

 でも、瑞希は微笑んでいた。

 守人の言動に嫌な顔一つせず、優しい笑みで守人のことを待っていた。

「……分かったよ」

 守人は、またしても顔を背けた。



 二人は通学路を歩く。まだ赤味を帯びる空の帰り道。住宅街の静かな道だった。

「どうして俺なんか誘うんだ? 楽しくないし、放っておけばいいだろ」

 二人は並んで歩くが守人は素っ気ない。それに対し瑞希は明るく守人を見上げていた。

「そんなことないよ~。それにね、守人君のこと狙ってる女子けっこういるんだよ? 放っておくなんてもったいないよ」

「からかってるだけさ」

「もーう、そんなことないのに」

 そう言って瑞希は小さな頬を膨らませた。

「そういえば、ねえ守人くん聞いた? 昨日近くにある、えーとどこだっけ、すごく大きな火事があったって」

「確か国立の施設だろ? 薬の研究をしてたとか。ニュースで見たよ」

「私も。びっくりしたね」

 そんな小さな会話をいくつか挟みながら二人は歩いていく。

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