呼吸を忘れた。街に溺れた。

ノベルバユーザー211117

運命の紅だから


「だって、仕方ないの。」

教室の窓際で膨らむカーテンをつついて、彼女は言った。

「これは、私にとっては呼吸と同じなの。」

窓の方を向いている彼女の表情は分からない。
ただ、その口調から、言葉の響きから…少しだけ頬を緩めて微笑んでいるのだと思った。

彼女の指先には赤い運命の糸が垂れていて、窓から吹き込んでくる風に合わせて動いている。

ふらり、ふらり

それが少しずつ細く長くなっていき、やがて腕を伝っていくのを眺めていた。言葉も返せないまま、眺めていた。

「それがないと生きていけないの。」

「それが誰に責められるとしても、必要なの。」

「それは私の今を生み出して、生かしてくれる唯一なの。」

彼女は続ける。
ただ事実を数えるように、自分の姿を鏡に映すように、自然に、静かに、当たり前に。
少なくとも僕の目には、そう見えた。

彼女はカーテンをつついていた指をそっと引いて、視線を半分こちらへと向けた。そのまま彼女は自分の唇をつつっとなぞる。
形を確かめるように、紅をひくように辿っていく指先を見つめながら、僕はなんとか飲み下した現実の味を確かめながら口を開いた。

「…痛くないの?」

彼女の赤い糸は腕の中腹まで伸びていた。
彼女の赤い糸の先には、まだ誰もいないのだ。
繋がる相手もおらず、届けるべき何かも持たないまま力なく垂れ下がっているその姿を見ていると、何とも言えない気持ちになった。

彼女は僕の言葉に僅かも揺らぐこと無く、ただ視線だけを僕の方へと向けて口を開いた。

「痛いわ。生きるって痛いもの。」

確かに、それはそうかもしれない。なるほどと納得しながらも、そこで引き下がってしまえばせっかくの彼女との会話が全てなかったことになってしまう気がして、僕は静かに彼女へと歩み寄った。

「それは、分かる気がする。」
「人はいつでも、自分が呼吸する方法を探してるの。私は見つけた。見つけたから今も生きているの。」
「僕はまだ、見つけてないんだ。探そうとはしたけど、探している間も息が苦しくてさ…。」
「…それで、どうしたの?」
「死んでしまった…のかも、しれない。」

彼女を目の前にしながら思い浮かべた。
朝起きた瞬間に、そのまま布団に埋もれて目を閉じて…二度と目を開けなくなるような感覚を振り切って体を起こしたこと。
地面を踏み締めながら、電車を待ちながら、瞬きをした瞬間にぐらりと頭が揺れて、何かを落としたような感覚に足元を見下ろしたこと。

「あなたが死んでしまったなら、あなたは誰なんだろうね。」
「…分からない。だけど今日こうして君と話をしているのは…僕にとってはすごく大きなことで…。」

顔をこちらへと向けてくる彼女の手を取り、糸を手繰り寄せてみる。僕の指を絡めて締めて、彼女と同じ色になる。そのまま手を握り体温を移せば、彼女の言葉のほんの欠片が、分かった気がした。

「……、…僕も、呼吸が見つかったみたいだ。」

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