偏食な子犬拾いました

伊吹咲夜

マダムとのお茶会前夜

「香西、お茶会やるぞ」

 突然大樹は夕食を食べている時に言い放った。

「は? お茶会?」
「前に言っただろう。講習ひとつ潰したお詫びのアレだ」
「あー……」

 どのくらい前の話だったか思い出せないが、ここ一カ月の間に起こったことなのは間違いない。
 忙しいとどうでもいいことから順に忘れていく。
 たまに大樹に強制的に書かせられている、ブログ的なものの更新すら忘れる。

「で、いつやるの」
「来週の週末。夜がいいと思う」
「お茶会なのに夜……」

 相変わらず大樹の考えていることはよく分からない。
 何か意図してるものはあるんだろうけど、それをはっきりと俺に告げることは少ない。

「あ、勿論ポチも参加ね。強制参加。ちゃんとマダム達のお相手してもらうからな」
「げ」

 ポチはあからさまに嫌な顔をした。
 そりゃあんな色目使ってくる色欲ばばぁの相手なんて、命令されたってしたくない気持ちはよく分かる。
 俺だって講習に穴を空けなければ、こんなバカげたことしたくもない。

「で、お茶会の内容ってもう決まってるの?」

 言い出した大樹に聞いてみた。

「まだ。こういうの考えるのはお前の役目だろう。俺がメニューなんて考えられるとでも思っているのか?」

 当たり前とばかりに言い放つ大樹。
 何か内容考えてての夜なんじゃないのかよ。

「だと思った……。でもさ、何で夜なの?」
「単に講習午前中だけでも入れたい野望。少しでも利益を上げたい」
「……いいじゃん、これ以上稼がなくても」

 実際どのくらいの利益が上がっているか数字では分からないが、このマンションの購入支払いがとっくに終わっている位に稼げているのは知っている。

「備えあって憂いなし、だよ。稼げるうちに稼いでおかないとな。夜だからアルコールの提供があってもいいな」
「アルコールか……。だとしたら女性向けにフルーツワインとかがいいのかな。そこから軽食を考えると……」

 つい考え込んでしまう。
 甘いワインと合わせるならばそこまで重くない方がいい。
 デザート感覚のフルーツサンドとか、クリームチーズと生ハムのカナッペとかもいいかもしれない。

「香西、香西! 食べ終わってから考えろ。一度集中すると何も手が付けられなくなるんだから」

 隣の席の大樹が頭をペシと叩いてきて我に返った。

「だったら夕食中に言うなよ。分かってたくせに」
「こっちだってやる事考える事いっぱいで、思い出した時に言わなきゃ忘れる。お前の癖を忘れた訳ではない」

 ごちそうさまでした、と手を合わせ自分の食器を下げる。
 ポチも大樹に倣って手を合わせ、いつの間にか平らげた夕食の食器を下げる。

「ポチは何がいいと思う?」

 俺が夕飯の食べるのを眺めながら、大樹はポチに聞いた。

「僕、ですか?」
「何がいい? 軽く摘まめる食事。デザートでもいい。ポチの好きなものをあげてみて」
「軽く、摘まめる……」

 うーん、と少し考えてポチは口を開いた。

「……クッキー?」
「ああ、クッキーか。それもいいな、余ったら持ち帰られるし」

 うんうん、と大樹は頷く。

「て、ことだ。クッキーも入れといて。種類は香西に任せる。あ、今考えるなよ。食べ終わって片付け済んだらにしろ」
「分かってるよ」

 危なく考え始めるとことだった。

 言われたように、片付けを終えてから最近寝室と化した仕事部屋に籠る。
 パソコンに向かい、検索した軽食レシピから拾い上げた数品と、今まで作ってきたレシピの中から甘口ワインに合いそうなものを数品ピックアップした。

「やっぱりカナッペは簡単だし手軽に摘まめるから入れるとして……」

 もう少し乾きものじゃない物も入れたい。
 でもしっかりとした会食じゃないし、『お茶会』と言っていることだしそこまで気を遣わなくてもいいか、とも思えてきた。

「ゼリーでも入れればいいか」

 これなら前日に準備しておける。
 あとはフルーツサンドとBLTサンドでも作っておけば十分だろう。

「クッキーはどうしようかな。ワインにクッキー……」

 ワインだけ提供する訳ではないが、夜だからそっちが一番出そうだ。

「チーズと黒コショウのクッキーってのも美味しいんだけど」

 それだけでは見栄えしないだろう。せめてもう一種類。

「ま、定番でいいか」

 **********

 お茶会の前日。
 講習が終わった俺は真っ直ぐにマンションへ帰って準備を始めた。
 ゼリーとクッキーだ。

 ゼリーは大人の女性を意識して、白ワインを使ったマスカットと白桃のゼリーだ。
 アルコールを飛ばすのとゼラチンを溶かすために一回ワインを水とグラニュー糖を入れて沸騰させる。
 火を止めてから粉ゼラチンを入れ、よく溶かす。
 レモンを数滴。
 粗熱が取れたところでマスカットと白桃の入ったカップにゼラチン液を注ぐ。
 あとは冷蔵庫で冷やすだけだ。

「ポチー、手伝ってー」

 キッチンから大声でポチを呼ぶ。
 本当は寝室(というか現状ポチの部屋)に行って声を掛ければいいのだけれど、手が離せない状態だった。

「何ですか香西さん」
「手伝って」

 俺が粉を計ったりバターをボウルに移し替えたりしているのを見て、クルリと踵を返そうとした。

「大樹の言うことはハイハイ聞くくせに、俺の時は逃げるのかよ」
「だって大樹さん、逆らうと怖いし」
「俺だって怖いよ?」

 多分、と心の中で付け加えておくが。

「そうですか? 全然怒ってるの見たことないし、大樹さんみたいに実害ないし」
「実害、ねぇ……。ああいう事したらポチは俺にも逆らわなくなるのか?」

 わざと付けた小麦粉の手をポチの顔の前に持っていく。

「お化粧、してあげようね。可愛くなるよポチ子ちゃん」
「それくらいじゃ全然」

 プイと顔を背けたところで、タイミングよく大樹がキッチンへ入ってきた。

「ほほう、ポチは香西のことを下にみていたのか。拾って貰った恩はどこへ行った? 犬は序列を弁えるものだが、香西とポチは同列だったとは知らなかったな」
「あ、大樹さん……」

 ポチの背後から腕を回し抱きしめる。
 そのままわざと音を立てて首筋にキスする。

「香西よりも上になりたいなら、俺の愛人の座につかないとね。手始めにマーキングさせてもらったよ」
「いやっ、あの、上とか下とかでなくて、ですね」
「何? もっと熱烈な愛が欲しいのか、ポチは」

 肩を掴んでポチをくるっとターン。
 ポチに近づく大樹の顔。
 さあ、ポチはどう言い逃れしてこの攻撃を避けるのか!?

「ごめんなさい! 手伝いたくなくて屁理屈言いました! 手伝わせていただきます!」
「よろしい。最初からそうすれば、こんな芝居がかったことしなくても済んだのに」
「え……」

 ポチが呆気に取られている。
 多分芝居ではないんだろうが、本気でするつもりだったなんて言ったら、すぐさま家出されそうだ。

「マダム達はポチのファンでもある。ポチが作ったと知れば、かなりお喜びになるから全力で手伝うこと」

 もう一回くるっとターンさせ、大樹はポチの背中を押して俺の方へ越させた。

「俺も手伝うよ、香西」
「助かる。じゃあ、大樹はそっちの粉篩って。ポチはバターを柔らかくなるまで木べらで捏ねて」
「了解」

 そう言って大樹は備え付けのエプロンを着ける。
 ポチはこれから起こる惨事を知る由もなく、そのままの格好でバターを捏ね始めた。

「香西、次は……」

 このセリフの直後、篩った小麦粉の入ったボウルが宙を舞った。
 こういう時って本当にストップモーションがかかったようになると初めて知った。
『まずい!』という顔をした大樹。
 何も知らないでバターを捏ねるポチ。
 手を伸ばす俺。

 次の瞬間には白い世界と化していた。

「げふっ! ちょっと大樹!」
「……悪い、躓いた」
「……ゲホゲホ」

 小麦粉の入ったボウルは見事にポチの頭に被さった。
 頭からしっかりと白く化粧されたポチ。

「とりあえず、ポチ、風呂直行」
「ポチ洗うの手伝うか?」
「……その前に大樹は掃除機。二次災害が起こる」

 ばら蒔かれた小麦粉の上を歩かれては、たまったもんじゃない。
 ダイニングまで小麦粉が拡がって、掃除が大変なことになる。

 その間も俺は黙々と作業を続けた。
 今ばら蒔いた分をもう一回計量しなくてはいけないし、終わったあとにもう一度床の掃除をする時間を考えると些か時間が足りない。

 ポチに教えながら作らせるつもりでいたが、仕方がない。

 室温に戻したバターに小麦粉、砂糖を入れよく混ぜる。
 それを三つ作り上げ、あとはそれぞれ風味をつけていく。
 二つはそのまま形を整えラップし、冷蔵庫へ。
 もうひとつは生地にパルメザンチーズと粗挽き胡椒を加え、もう一度混ぜ合わせたら棒状に整えラップし、こちらは冷凍庫へ。

 一通り作業が終わった頃、ポチが頭からタオルを被ってキッチンに戻ってきた。
 なかなか小麦粉が落ちなかったのだろう、実に不機嫌そうな顔をしている。

「お、綺麗になったな。いい男の出来上がりだ」
「出来れば風呂に入る前に被害に遭いたかったです」
「それは悪かったな。事故とはいついかなるときもそういうものだ」

 使い終わったボウルや木べらを洗いながら、大樹はあっけらかんと話す。

「今度から気を付けるよ。悪気はなかったんだ」

 ポーカーフェイスのままというのはいかがなものかとは思ったが、大樹も本当に悪かったと思っているのは確かだ。

「大樹も謝っていることだし、ポチも許してあげて。ね?」
「……わざとじゃなかったって言ってるし」

 俺が話しかけるとポチは大きく頷いた。

「じゃあ、改めて手伝ってもらえるかい? 今度は小麦粉被るような事はない筈だから」
「分かった」

『筈』といったのは多少粉ものをまだ使うから。
 それをぶち撒けるかはポチにかかっている。

 今度は用心のためなのか、仕事用に大樹から与えられたエプロンと三角巾を装着していた。

「まずはそこのめん棒で生地を薄くのばして。だいたい五ミリくらいかな」
「薄く……」

 困ったようにめん棒を持って固まるポチに、『こうやってやるんだよ』と隣でもう一つの生地をのばしてみせる。
 小麦粉を軽く生地に振り、めん棒に均一に圧をかけて転がす。
 何度か転がしていくと綺麗に薄い長方形が出来上がった。

「こんな感じ。やってみて」

 真似てポチもめん棒を転がしてみる。
 が、小麦粉の振りもまばらで上手くいかない。

「……くっついて伸ばせない」
「少しバターが溶けてきちゃったからね。もう少し小麦粉振ってみようか」

 俺がポチの生地に小麦粉を振ってやり、それを延ばさせる。
 些か均一とは言い難いが、これは型抜きしないので直させはしなかった。

「じゃあ、次はこれを均一に振ってみて」
「なにこれ?」
「シナモンだよ?」

 じっとシナモンの入った瓶を見つめ、匂いを嗅ごうと鼻を近づけたがピタッと手を止めた。
 嫌な予感がしたのだろう。

「それ振っててね。オーブンセットするの忘れてた」

 すっかりオーブンの予熱をセットするのを忘れていた。
 クッキーの型も出していなかった。

 オーブンの温度を設定し、スイッチを入れる。
 久し振りに使うクッキーの型をどこにしまったのかな? と食器棚をゴソゴソしていたら、背後から『あ』と聞こえた気がした。

「ポチ?」
「何でもない。振ったらどうすればいい?」
「その生地、端っこからクルクル巻けるか? うずまきになるように」
「分かった」

『わ、くっつく!』と声をあげながらも何とか巻いたらしい。
 クッキー型を見つけて戻ると、少々いびつな円筒になったクッキー生地が台の上に乗っていた。

「じゃあこれはラップして冷凍庫に寝かせて、その間にこっちを仕上げてしまおう」

 延ばした生地をポチの前に移動させる。
 横には様々な型。

「適当に型で抜いて、天板に乗っけていって。こっちもバター溶けてきてるから、少し型から外しにくいかも」

 俺もポチの横から手を伸ばし、次々にクッキーの型を抜いていく。
 程よく天板二枚分の型が抜けたところでオーブンが予熱終了のメロディーを鳴らす。

「タイミングがいいな。これをオーブンで焼いていく。ポチ、そっちの天板持ってきて」

 うちのオーブンは二段均等に焼けるのが嬉しい。
 この間に次々と型を抜いていけば、さほど遅くなる前に終わりそうだ。

 穴の開いた生地を纏めて伸ばして、また型を抜いて。
 型の抜けないまでに小さくなった生地は、なんちゃってハート型に手で作って乗せた。
 残りの生地も丁度天板二枚で納まってくれた。

 焼き上がりを知らせるメロディーに、いそいそと天板を交換し再びスイッチを入れる。

 綺麗な薄茶色に焼けたクッキーは甘くいい香りを熱気とともに立ち昇らせた。
 まだ焼き上がったばかりで、持ち上げるとしっとりと柔らかく崩れそうだ。

「食べてみる?」

 甘い香りに魅了されたポチはクッキーの前で目を輝かせていた。
 返事を聞かずとも食べるというのは分かっていたが、ポチから食べたいという言葉が聞きたかった。

「じゃあ、これがいい」

 いびつな星型のクッキーを指さした。
 最初にポチが抜いた、うまく型から抜けなかった『失敗』作品だ。

「まだ熱いから気を付けて」

 フーフーと少し冷ましてから口の中へ入れる。
 まだ若干熱かったのか噛んだあとで『はふっ』としたが、そのままサクサクとかみ砕いて飲み込んだ。

「甘くてバターたっぷりでおいしい!」
「だろう。焼きたては少ししっとりしてるけど、冷めればもっとサクサクで甘みも強くなるよ」
「どれ、俺にも一枚」

 一回姿を消していた大樹が再びキッチンに現れた。
 多分焼き上がりまで俺の仕事部屋で自分の仕事済ませていたんだろうが。

「んー、紅茶が欲しくなるな。香西、紅茶淹れて」
「何ばかなこと言ってんだよ。まだまだ焼かなきゃいけないし、これ、お前が食べるために焼いたんじゃない」
「ああそうだった。仕事してて頭が疲れたからすっかり忘れてた」

 とぼけたフリをしてもう一枚盗み食い。
 それを見ていたポチも盗み食い。

「ちょっと二人とも! 明日の分足りなくなったらどうすんだよ!」
「大丈夫。お土産用がなくなるだけだ」

 しれっと一枚掴んで俺の口にも放り込む。
 少し冷めたクッキーは口どけもよく、サクサクとした食感が上手に焼けたことを教えてくれた。
 少し砂糖を入れすぎたかな? と思いもしたが、女性が食べることを意識したからこれくらいでも大丈夫だろうと自己完結。
 確かに紅茶が飲みたくなる感じの甘さと水分の持っていかれ具合だ。

「これ以上は摘ままないでよ、二人とも」

 返事は不満そうだったが、構ってもいられないので次々と焼くことにした。

 冷凍庫から取り出したチーズ入りを一センチの厚さに切り天板に並べる。
 直径が小さいせいか二枚の天板で納まってくれたので、これを焼いている間にシナモン入りも切って並べていく。

 シナモンのは切り口の片側にグラニュー糖を少しだけ振りかけて、そちらを上面にして焼いていく。

 全ての作業が終わる頃には日付はとっくに変わっていた。
 チーズ入りを焼いている段階でポチはウトウトしかけていたので部屋に帰らせた。

「あー、終わったぁー!」
「お疲れ。あとは講習終わってからの作業だな」
「そうだね。そんなに時間かかるものは作らないし、セッティングだけ面倒臭いくらい」

 終わるのを待っていてくれた大樹が、冷蔵庫からノンアルコールのビールを差しだして労ってくれた。
 丁度喉も乾いていたから、ノンアルコールとはいえ美味い。

「ところでさ、明日やるとは聞いてたけど会場ってどこ? 運ぶ手間とか時間とか考えないといけないし」
「ああ、言い忘れてたな」

 最近なんやかんや忙しいのか、さほど重要でないことは言い忘れることが多い大樹。
 俺と違って他にも仕事しているから仕方がないとは思うけど。

「会場は俺の家だ。隣だから運ぶ手間も時間もそんなにかからないぞ」

 思わぬ回答に、口に含んだばかりのノンアルコールビールを思いっ切り吹き出した。

「え!? 何でまた大樹の家!? マダム達に知られるの嫌とか言ってなかった!?」
「言ってたような気もしたが、プライベートな空間は昨日までに片付けて入れないようにしたから問題ない」

 それでも隣が俺が住んでいると嗅ぎ付けたらどうするんだ、と心の中はかなりのパニック。
 完璧主義者の大樹のことだから、大丈夫と言い張ったからには大丈夫なんだろうけど……。

「それより」

 ぐい、と肩を抱き寄せられ大樹に耳元で囁かれた。

「この落し前どうしてくれる。お前が吹いたビールで濡れたぞ。ちゃんと隅々まで洗ってくれるんだよな?」
「あははは……。もう夜中だよ? ほら、顔と服くらいしか濡れてないし」
「言い訳無用。こんな時間まで付き合って待ってやったのに、その態度か?」

 ……明日の講習は寝不足決定だな。
 せめてお茶会終わってから『落し前』つけさせてくれたらありがたいのになぁ。

 俺に拒否権は与えられず、そのまま大樹にバスルームへ連行されてしまった。

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