偏食な子犬拾いました

伊吹咲夜

生クリームとポチ

今日は朝から講習がギッシリで精神的に辛い。

月に数回、料理教室に入れない(空きがない)と騒ぐ女性達の為にチケット制の講習を設けている。
こちらは無期限のチケット綴りを購入し、受けたい講習のところに予約を入れて受ける方式。
定期開催の講習者は原則入れないようにしてあるし、チケット制の人も月に三回までの受講と決まっている。
それなのに毎回ギッシリ。
予約が取れないとまた騒ぐ輩もいる。
それを見兼ねたマネージャーが『チケット制の講習、一日一回でなく、まる一日フルで入れたら苦情少なくなるんじゃないか?』と、先々月悪戯に、フルのチケット制講習を一日だけ作った。
それがいけなかった。
翌月、何でまる一日のチケット制講習がなくなったの! と文句殺到。
女性のギャーギャーと抗議する電話の山に、あの冷徹無情なマネージャーも白旗を揚げた。

で、今日がそのフルのチケット制講習の日なのである。
色欲の混じった好奇の目で見られるのはまだいい。
ちゃんと教えた通り出来ているか巡回していると、分からない振りをしてベタベタしてくる人や、あからさまに触ってくる人、触ったついでにエプロンのポケットに連絡先を書いたものを入れてくる人までいる。
たまに『今日の××時、△ホテルの◯◯号室で待ってます』と勝手に待っていられたりもする。
こういうのは絶対に行かないし、連絡も入れない。
下手に連絡してしまうと、それを『特別』と勘違いしてエスカレートしてしまう人が過去にいたからだ。

『俺が代わりに行ってやろうか?』
なんてマネージャーは言うが、あいつに行かせたら好みの女性は間違いなく全員食われる。
そこから問題に発展させるようなミスだけはしないだろうけど。
ミスった時の修羅場が怖いから絶対に行かせない。

一時間半の講習が休憩を挟んで五本。
殆どが初見さん。
話など聞かない。
色欲の目でじっと見る、誘う、触る。
これの繰り返しを今から味わうのだ。
五本目の講習が終わる頃には吐きそうだ。

「……大丈夫か?」

最後、五本目の講習中。渡したプリントの内容を確認するフリをして、マネージャーが声を掛けてきた。
こうなることは予測していたんじゃないのか、と言いたいところだが今はまだ講習中。作ったキャラを崩してはいけない。

「……終わったら間違いなく吐く。さすがに限界。料理教室になんで香水付けてくるバカがいるんだよ。それだけでも吐きそうだ」
「そういう所も踏まえて、料理出来ないから来るんだろう」
「料理しに来てないだろう、ここの女性の殆どは」

真面目に料理を学びに来ている人だってちゃんといる。
顔だけで料理講師なんてやってる訳ではないのだし。
だけどパンダを見に来る受講生より全然少ない。

「あとは試食と片付けだろう? 俺がやっとく。控室で少し横になってろ」

ポンと尻を叩くと、俺からワイヤレスマイクを奪う。
マイクの繋がり具合を確認し、マネージャーは女性陣に向かってアナウンスしだした。

「はい、それでは皆様、今から試食に移ります。先生が作ったものを持って回りますので、ご自分の作ったものと食べ比べてみてください」

普段電話応対くらいで、こうした講義では一切しゃべらず、アシスタントもたまにしかしないマネージャー。
実は客寄せパンダは俺だけでなくマネージャーもだったりする。
チケット制の講義が人気なのも、実はマネージャーがアシスタントに必ず入るという事もあったりするからだ。
この交代劇で女性陣はさらに色めき立ち、一部から『キャー』と黄色い声まで上がる始末だった。

「ほら、早く行け」

マイクに音を拾われないよう手で隠し、マネージャーは俺を控室へと追いやる。
限界ギリギリだったので、マネージャーに視線が集まっているうちにありがたく控室へ逃げさせてだいた。




「終わったぞ」

額に何か触れる感触と、マネージャーの声で目を開けた。
いつの間にか少し寝ていたらしい。
目を開けるとマネージャーのアップ。
額に触れたのはマネージャーの唇だったらしい。

「無防備なお前もいいな。いつ誰が来るか分からないシチュエーション。ここでするのもいいかもしれない」
「……暫く相手してないからって、所かまわずってどうなんだ? 誰かに見られて、それが広まってこの教室畳むことになってもいいのか」
「そしたらまた別な方法でお前を売り込むからいい。売れなかったら養うつもり満々だし」

出来る事なら売り込まないで欲しい。
そして養われるのも遠慮したい。今よりもっと立場が悪くなる。
気付くと何気にシャツのボタンを三つ目まで外していたマネージャー。
本気でここで『話し合い』をするつもりでいたらしい。
滑り込んでいた手を制止し、起き上がる。

「ここでそんな時間取ってたら、ビルの管理人に締め出される」
「そしたらここに泊まればいい」
「ポチは?」
「ああ、すっかり忘れてた」

忘れてたと言いながら、帰る気は全くないらしい。
起き上がったといっても上半身を起こしただけ。
その上からしっかりと乗っているマネージャーとでは力の差は歴然。
静止させた手と腕に力を込め、空いた手で俺の肩をつかみそのままソファに再び押し倒す。

「少しの時間遅くなったところで、ポチは逃げもしないし、飢え死にもしない」




家に着いた頃にはすっかり真っ暗になっていた。
昼飯も食べたし、作った料理を少しだけど食べていたがお腹は空く。
『話し合い』までされてはさらに減るといったもんだ。
今日はマネージャーも一緒に帰ってきたから、荷物持ちよろしくでスーパーに食材を買いにも行けた。
昨日みたいにポタージュだけの夕飯はなく、しっかりと夕飯が食べれる。

「ただいま。遅くなってごめん」

声を掛けて部屋家に入ると、電気はどこもついていない風だった。
キッチンも、リビングも真っ暗。
それでは寝室は? と入ると、ここも真っ暗。
まさか出て行った!? と思っているとマネージャーが後ろから声を掛けた。

「ポチ、電気ぐらい付けて起きてろ」

マネージャーの声に反応してベッドの辺りで何かがもぞもぞと動いた。
そして灯りがつく。

「……おかえり」
「ただいまポチ。いい子にしてたか?」

マネージャーはベッドの下で座り込んでいたポチに近づき、頭をグシャグシャに撫でまわす。
それ、本当に犬にすることだよ、マネージャー。
ポチは少し嫌がるが、反抗すると何か倍に返されるのを学んだのか大人しくされるがままでいた。

「腹は減ったか? お、お粥は全部食べたな。偉いえらい。下ったりはしてないか?」

マネージャーの問いかけにポチは頷く。
ちゃんと消化器官は機能しているっぽい。これなら数日で普通の食事もいけそうだ。
でも今日もまだ粥辺りがよさそうだ。

「それじゃ俺は夕飯作ってくる。マネージャーはここに居てもいいし、一回帰ってもいいし」
「ポチに聞きたい事があるから残る。さっさと作ってこい」
「はいはい」

聞きたい事って、俺に聞かれてはまずいのか? と思いつつもキッチンへ向かう。
あとでマネージャーから聞けるかもしれないし、ポチが話してくれるかもしれない。
聞けなくても多分困ることでもなさそうだし。

さて今日の夕飯は材料の使い回し。
ポチには鶏の胸肉を少し入れた粥。
俺達は胸肉を塩こうじで揉んで蒸したものに、ネギと生姜で作ったタレを掛けたもの。
ほうれん草のおひたし、おから炒め、油揚げのお味噌汁。
そして食後用にケーキを買ってきた。
鶏肉もほうれん草もネギも、ポチ用と俺達用で同じものを使えるので、わざわざ材料を別にして切ったりする必要がない。
鶏肉も全部塩こうじで揉んで蒸して、そこからポチ用を少し分けた。
これを出汁に薄く塩味を付けたものに放す。
今日の粥は『でろでろ』にならないと証明してやるのに、白飯を使って作ってみた。
混ぜすぎず、強火にし過ぎず。これが基本。

「ごはんだよー」

さすがに寝室のローテーブルでは二人分の夕飯を乗せるには狭いので、ダイニングに二人を呼び寄せた。
ポチだって寝たきりじゃ嫌だろうし、もう起きて歩ける様子だったし。

呼ばれて嫌がる気配もなくポチがやってきた。後ろからはマネージャー。

「お、和食だ。『話し合い』で、講習の件で機嫌悪かったの直ったのか。じゃあこのままフルのチケット制は一日五本を月に三回で決定だな」
「え!? 何言ってんだよ! それは無理! 和食は偶然!」
「それは『ツンデレ』というやつか。『話し合い』の後で機嫌も体調も良くなったのは明らかだろう」
「……勝手にしろ」
「じゃあ決定な」

和食にしたせいで、『話し合い』が嬉しかったと勘違いされてしまった。
確かに気分は紛れたが、和食は本当に偶然というか俺がそんな気分だっただけのメニューだったのに。
体調も新鮮な空気を吸って少し寝たお陰。
なのに月三回の五本チケット制が確約されたうえに、月三回の講習後の『話し合い』まで決定されてしまったようだ。
このままポチが家にいるようだったら、逆にその方がよかったのかもしれないけど。

「……冷めないうちに食べようか」
「そうだな。いただきます」

俺とポチもマネージャーのあとに続き『いただきます』と言ってご飯に手を付ける。
粥を見たポチは今度は固まることなく普通にスプーンを入れる。
俺の作る粥が『でろでろ』でなく、おいしいと分かって貰えたようだ。

「今回の粥は鶏。白飯から作った粥だが、朝に食べた粥とさほど食感は変わらないだろう?」
「……うん」

はっきり『おいしい』とは言わなかったが、ポチのスプーンを運ぶスピードでおいしいと思っているのが分かる。
卵の時よりも冷ます時間が短い。
まだ熱いみたいなのに、アツアツやりながらどんどん口へ運んでいく。

粥を口へ運ぶ途中、ふと俺を見て手を止めた。
少し間があって、視線を横に反らすとスプーンを置いてポチが俺に話しかけた。

「あの……、ここ……」

ポチは自分の鎖骨の下あたりを指さす。
何か付いてるのか? と俺は自分の鎖骨辺りを見る。
見えないのでキッチン脇に置いていた鏡で見てみる。

「!? マネージャー!!」
「気付くのおせーよ」

確信犯は相変わらずのポーカーフェイス。
遅いって問題じゃなくて、そもそも付けるなよ。
明日休みだからいいものを、これ、気付かないでそのまま講習行ってたら、色んな噂されてしまうだろう。
これ、暫く相手してなかった報復兼ねてるな。

ポチを見ると再び粥を食べ始めてはいるが顔が赤い。
やっぱり想像しちゃったのか。
女医の時はここまで反応しなかったような気はしたんだけど、あの時は意識がはっきりしてなかったのもあったからかな?

「あの、二人って、そういう関係なんですか?」

食事の片付けが終わり、コーヒーを淹れてきた所でポチが聞いてきた。
やっぱり思春期だから気になるんだろう。
そういう関係って、ポチの言う関係はどういう関係なんだ?
大人になると色々な関係が出てくるわけで、思春期の子が考える関係がどれを指すのか難しいところでもある。

「知りたいか? じゃあポチの『いう事聞く』券を一枚使おう」

今朝のゲームの戦利品『何でも言う事を聞く』権利。
ポチは八個の権利を獲得している。

「俺と香西の関係は公私で分かれるが、『私』でいくなら恋人兼奴隷。いや、奴隷は言い方がひどいな。そうだな、香西は俺の『所有物』だな。命令は絶対ではないが逆らってはいけない、そんな感じ」
「恋人って初耳なんですが? 『所有物』に関しては否定しないが」
「恋人じゃなかったら、お前に必要以上に『話し合い』を求めないだろう? それだけ愛してるって事だ」
「女医とかたまに部屋に入っていくあれは?」
「あれはギブ&テイク」

マネージャーの回答にポチは当然ながら固まる。
恋人だけ返ってくるとでも思っていたんだろう。
まさか奴隷とか所有物とか、マンガとか小説に出てくるような言葉が飛び出せば訳ないよな。
まぁ、マネージャーから『セ●●スフレンド』なんて卑猥な単語が出てこなくて助かったが。

「他に聞きたい事は?」
「今のところ、ない、です」

あっても衝撃で忘れてるのかも。
このまま固まらせとくのも気の毒なんで、話題を変えるために買ってきたケーキを出す事にした。

「食後にと思ってケーキ買ってきたんだ。今のポチの食欲とお腹具合なら食べても平気そうだよ」

遅くまで開いている、お気に入りのケーキ屋で買ってきた。
見た目は普通のショートケーキなんだが、クリームが少し違う。
それぞれの前にケーキを出すと、またもや固まるポチ。

「……スポンジだけなら食えます」
「甘いの苦手?」
「いえ……」

そう言ってケーキには手を付けず、ポチ用に淹れたほうじ茶を飲む。

「生クリームがダメでもこれは案外大丈夫かもしれないよ」
「ポチ」

マネージャーの一言はポチには脅しなんだろうな。
『ポチ』と言っただけなのにフォークを持って、そっとクリーム部分を掬っておそるおそる口へ運んでいった。

「……? 何か違う」
「そりゃそうだ。生クリームじゃないからな。ちなみにこっちが生クリーム」

マネージャーは自分のケーキ皿からシュークリームを取ると、上のシューを少しちぎってクリームを付け、ポチの口に放り込んだ。

「!! ……? これ生クリーム?」
「そう。ちなみにショートケーキのクリームは生クリームではなく、豆乳クリーム。珍しいだろ」
「そんなの売ってるんだ」
「ま、アレルギー云々が騒がれてる世の中だからね」

興味があって買ってみた豆乳クリームのショートケーキだったが、コクがあるのにしつこくなくて後味が良かったので、気に入って時々買っていた商品。
あまり甘くないという事もあって、ポチにどうかと思って買ってみたが正解だったようだ。
でもシュークリームを食べた時の反応がまたも首を傾げるアレだった。
これも今まで同様、別な物と勘違いしている可能性もある。

「ポチ、ケーキって色んなクリームがあるの知ってるよね? 生クリーム、ホイップクリーム、今食べた豆乳クリーム。そして最近人気がないのかあまり見かけないバタークリーム」

あの重たい食感、しつこい後味の甘いクリーム。
好きな人は好きなんだろうが、俺は苦手だ。

「白っぽいクリームは全部生クリームだと思ってた。出される時も生クリームだって言われてたし」
「そっか。それじゃあそれがホイップかバターかなんて分からないもんな」
「でも、これは食えます」

今度はスポンジごと掬って口に入れる。
スポンジの甘さが加わって、あっさり過ぎたクリームが丁度良くなりお互いを引き立てたスィーツと変わる。
あ、ポチこれは完全にお気に召したな。ここに来て一番の目の輝きを見せている。

そしてこの二日間で分かった事。
ポチは偏食であるが、それが『きちんと』作られたものを食べて出来上がった偏食ではなく、間違ったもの、言っては失礼なんだろうが『メシマズ』から出来上がった偏食だということ。
あとは生クリームの件で言えるのは、間違った知識がある。
そこからの誤解で食べれるものも、すべて『まずい』と勘違いさせている。
ポチの偏食は直すことは簡単そうだが、長くかかりそうな予感。
いつまでここに居るのかも分からないし、もしかしたら本当に嫌いで食べないでいるものもあるかもしれない。
とにかく手当たり次第に作って出すしかなさそうだ。

まだ何も語らないポチ相手に、俺はどこまで出来るのだろう。
あれ? いつの間に俺、ポチの偏食直す事って決めたんだ?
体調治して親元に返してやるんじゃないのか?
そもそもポチ、帰る場所ってあるのかな……。

コメント

  • 水精太一

    続き、待ってます。登場人物、特にポチさんはどんな顔?気になります。
    マネージャーさん、好みです。

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