滔滔と、落ちる心

一夕 ヒ(いゆう ひろ)

ムカシバナシ 2

 嫌悪感が拭えない。
 頭は覚えている。分かっている。まだ、忘れないでいる。
 なのに、身体がいつまでも拒み続ける。
 席は遠い。遠いのだが、まるで近くにいるような感覚、それに伴う激しい動悸どうき
 次第に頭も痛む。泣きそうになってきた。
 が、どうにかそれだけは堪えた。周りには人がいる。唐突に泣けば注目が集まる。
 それだけは、避けたかった。
 やがて友人の1人が寄ってくる。
 いつも俺をからかって来ては適当に駄弁だべんし、授業開始間際で席につく。
 決まって言うセリフが「大丈夫か?保健室行くか?」、と。中学校時代の先生の言葉を、俺達でネタにして遊んでいたときのものである。
 知っているからこそ、「行かねぇし、大丈夫だって」と返す。
 話すことも大抵決まっている。小説…ラノベの類や、ゲーム。
 とは言っても、基本的に俺からは話さない。友人から話し始め、それに反応する程度。
 またそんな事をしている内に、授業始めのチャイムが鳴る。
 まだ3時間目。億劫だ。
 ちらと後ろを見れば、それはいつも通りの顔で過ごす彼女がいた。
 すぐに目をそらす。目も合わせたくないし、出来れば話したくない。
 話せば、それを引き金に思い出すから。
 嫌なことを振り払うかのように小説のページを繰る。
 ちょうど、面白い展開なんだ。

 悪夢から、目が覚めるシーンで。




 母はとにかく頑張っていた。
 どうやら自分に言ったことを本当にそうとしているらしい。
 その母に堪える為にも少しづつだが頑張った。
 幼心に、「迷惑を掛けたくない」と、そう思ったから。
 だがそんな幼心に、いじめはやはり耐えられない。
 段々と辛さが増し、学校自体に嫌気がさしてきた。また空白の期間が生まれたのである。
 そんな矢先に幸か不幸か、やっと引っ越しの資金が貯まったのである。
 心の底から感謝した。これでもう、いじめは受けなくて済むと思った。
 そして何より、そこに母の愛を感じたから。
 それからはすぐに実行された。
 たった数日の内に荷物を整理し、その時に出た要らないものは全て譲るか棄ててしまった。
 名残惜しいのもあるが、それよりも母に迷惑を掛けたくない一心だった。
 そして、どこに引っ越す、という話だが、これは母が先に決めていた。
 そして見せてくれたのは、今住んでるところよりもとても田舎の風景を思わせる所だった。
 正直、文句は言わないようにはしたが、肯定的に受け取れなかった。
 引っ越して分かったが、まずゲームセンターがなかった。
 学校をサボった日には、ほぼゲームセンターで格闘ゲームに明け暮れていた。
 それが自由に出来ないとなると、つまらなさも感じる。
 あとは地下鉄がない。これも驚きだった。
 当たり前のようにあるからこそ感じた事だったが、それは今となっては自転車で工面しているから苦ではない。
 小学校5年生の時、詳しく言えば5年生の終わりに引っ越した。
 その時遊んでいた友達には、何も告げずに行ってしまった。今思えば後悔しかない。
 そして小学校6年生を皮切りに、自分の居た地を捨て、田舎へ逃げるように去った。

 思えば、そのまま居れば、まだいい学校へ行って、そこで過ごせばよかった。
 だが、そんな後悔は、もう遅い。
 小学校6年生。入学式と、始業式。
 自分も1年生と何ら変わらない状態で、田舎の小学校へ入学した。
 ただ、楽しみだった。少なくとも何か変わるかもしれない。
 淡い期待は、まだ幼い自分の心を弾ませるのには十分だった。




 …面白かった。
大抵ラノベを読むが、たまには普通の、挿絵のない小説だって読みたい。
 複数の伏線を上手に回収する巧みな文運びに素直に感動した。
 だが、読み終えた小説の他、本は持ってきていない。
 しかしまだ授業は続く。早く読み終えてしまった。
 没頭するとこんな事になるのは、1つや2つではない。…と願いたい。え、みんなもならないの?
 暇に耐えかねた俺は渋々ルーズリーフを取り出し、そこに丸を描く。
 そしてその丸に十字線を引き、角度を決める。
 ―どんな絵を描こう。
 ふと思いついた絵を描く。周りとは違うペンの音だ。
 ささっと引く線が机の上で踊る。心做しか俺の心も躍っていた。
 結構可愛く描けている。名前、何にしよう。
 …と、思ったのだが、今はやや暗い絵を描きたい。
 そっと先描いた絵をいつも持ち歩く絵のファイルに入れて、新しいルーズリーフを取り出す。
 絵は、自分の心の写鏡うつしかがみのようだと、誰かが言っていた。
 今自分の描いている絵は、助けを求めているようだった。
 それも、手を向けている女性はどこかで見覚えがあるような気がした。
 だとしたらそれは助けでなく、掴もうとしているのだろうと、自分の絵に思った。
 それは、2度と叶わないと知っているけれど。

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