海蛇座の二等星

ぽん

story.5 彼女は笑う

目を開け周囲の状況を見渡す。

五年ぶりだろうか…あまり変わっていないように思う。

どうやら地震と閃光はおさまったみたいだ。

それよりも、さっきから断末魔のような女の叫び声が聞こえる。

煩い。耳障りだ。

立ち上がり、聞こえる方へと歩を進める。

ドアを開けた先で一人の女が頭を押さえてのたうち回っていた。

…誰だ?

「あ…おね…ちゃ……助けて…」

その女は涙に濡れた目でこちらを真っ直ぐに見つめている。

あぁ、これは楓か。
大きくなったものだ。

そんな大して感慨深くもないことを思いながら楓の頭の横に膝をつく。

楓は安心したような顔になる。

直感的に、楓に何が起こっているのかわかった。

鬼だ。
鬼が身体に入り込んで拒絶反応が出ているんだ。
そしてその苦痛は長く続いて最終的には楓を殺すだろう。

一番手っ取り早く、なおかつ唯一してあげれる方法は…。

「…おねえちゃん……?」

首に手を添えたことを不審に思ったのか不安そうな顔をする。

「大丈夫。苦しいの、一瞬、だから」

苦しげな楓に微笑んでみせ、それと同時に楓に跨がり手に力をこめる。

が唯一してあげれる方法は…

今すぐに殺すこと。

「ガッ…あ……お…ねぇちゃ…ん……なん、で…」

驚愕と絶望の混ざったような、苦痛に歪む顔を真上から見下ろす。


何も感じない。

血が半分繋がっている妹だというのに。

いつだったか、虫を真っ二つにしたことがあった。

必死に逃げようとするあの様子が愉快だった。

あのときと同じなのに。

何も感じない。

興奮も、快楽も、優越感も、何もかも。

ただただ冷たい感情が体内を駆け回る。

これはなんと形容する感情なのか、律は知らない。


頬に生温かいなにかが触れ、ハッとする。

手を当てられていた。

さっきまで抵抗していた楓が何年ぶりか変わらない笑顔を見せ、私の頬を撫でた。

「…泣かな…い、で……ありが、と……ね…」

それが最後だった。

楓の手はずるりと重力に従って落ちていった。

ポタッと楓の顔に雫が落ちる。

泣いてる…?

そこで初めて自分が泣いていることに気がついた。

なんだこれ。

心臓の辺りが痛い。

触ってみても怪我はない。

なんなんだこれは。

なんで泣いている?

どうして涙はとまらないんだ?

この冷たい感情はなんなんだ?

わからない。なにも。

この頭脳はなんでもわかるんじゃなかったっけ。

もう、いいや。考え疲れた。

考えることをやめてヨロヨロと立ち上がる。

そうすれば自然と涙は止まりだした。

そして脳は容量の重いものを削除したパソコンのように、次に何をするべきなのかを導きだしていく。

「外、出よう」

きっともう世界は壊れきっている。

閉じ籠っていてはもったいない。

一刻も早くと、高陽感に突き動かされ、自分の部屋にかけ込む。

必要最低限の画材や文房具をボディバッグタイプの鞄に詰めこむ。

足りないからウエストポーチにも詰める。

制服のままのわけにもいかず、機動力のある服を選んで着替え、学校にも着ていっていたパーカーを羽織る。

バッグを二つ身につけて部屋を出る。

そういえば、お父さん山登りが趣味だった。

それなら刃物の一つや二つあるだろう。

そう思い、五年前に見たきりの開かずの部屋に足を踏み入れる。

埃が被っていて、綺麗好きだったお父さんとはまるでかけ離れた部屋だ。

それはさておき、思っていた通りマルチツールとダガーナイフを見つけた。

マルチツールはウエストポーチのベルトに、ダガーナイフはホルスターに入れて太ももにつけた。

部屋を出ようとしたとき、机の上のあるものが目にはいった。

宝石がはめ込まれたペーパーナイフだ。

いつだったか…これをいじってたら落として酷く怒られたことがあった。

あのときはまだ……。

感傷に浸りそうになり、やめる。

このナイフは持っていこう。
もう二度とここには来ないのだから。

ウエストポーチの奥の方に突っ込み足早に部屋を出る。

階段を下りていつも通り勝手口に向かう。

スニーカーを履いてドアに手をかけたときにふと壁にかかっている鏡を見た。

写ったモノを目にして乾いた笑いがこみ上げてきた。

「律ほんとに化け物、だね」

白い髪、赤く変色した目、縦長の瞳孔。

そしてなにより、黒い角。

「やっと、楽しくなる」

勢いよく開けたドアの先は日常など一片も見つけられないほどに変わり果てた世界が広がっていた。

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