ろくでなし

増田朋美

第四章

第四章
今日も尋一が店に立っていた。その顔は紙よりも白く、げっそりと痩せていて、誰が見てもおかしいとわかる顔であった。それでも尋一は店に立つことをやめようという発言は一切しなかった。
お昼過ぎ、店の戸が開いた。一人の若い女性が入ってきた。精一杯若作りをしているが、明らかに30を越していることが分かった。
「いらっしゃいませ。」
尋一は言った。
「こんにちは。あの、突拍子もないことを聞きますけど、」
その客は、普通の人とはどこか違っていた。なぜか目が大きくて、派手な化粧をしている。
着物を身に着けているが、その着用の仕方はどこか違う。衣紋の抜き方が大きく、伊逹襟も大きく出していた。
「なんでしょう?」
「あの、今まで呉服屋さんに行ってさんざん感じていたことなんですが、誰かからもらった着物をうまく活用する方法は教えてくれないでしょうか?」
尋一は、特に表情も変えずに、
「いいですよ。どんな着物ですか?」
と答えた。
「これなんです。」
そう言って彼女はスマートフォンを見せた。その写真の着物は、彼女が着ている派手な着物とは全く違う、素朴なウール着物だった。
「ああ、羅紗ですか。よく似合いそうな着物じゃないですか。」
「ありがとうございます。どこの呉服屋に行っても、この着物を活用する方法は教えてくれないんです。それよりも、こんなものは役に立たないから、さっさと新しいのにしろとか、これよりこっちのほうが今の時代にあっているから、とかしか言われなくて。私は母の形見ですから、大切にしたいと思っているのですが。」
「わかりました、じゃあ、こちらを合わせてみてください。羅紗は、名古屋帯と相性がいいですからね。あるいは、半幅帯の文庫でもいいですけど、どうされます?」
「そうですね、これを着ているときは汚い仕事から解放されるときにしたいんです。いつもはこんな派手な着物で仕事していますけれども、本当はこんなもの、好きでもなんでもありません。それよりも、こういう素朴なもののほうが好きなんです。でも、生活のためには、働かなければなりませんから、こんな派手になりますが、いつもは母からもらった着物で過ごしたいんです。だから、文庫ではなく、お太鼓にしたい。」
尋一は、彼女の仕事内容については、あえて言及しなかった。
「いいですよ。じゃあ、お太鼓を考えましょう。先に聞きますが、ご予算は?」
「五千円くらいで。」
「ああ、わかりました。じゃあ、そうだな、これならどうですか?」
と、売り台から名古屋帯を一本だした。簡素な花柄の帯だった。
「菊柄ですか。」
「ああ、それなら、別のものを出してきましょうか?」
「いや、そうじゃないです。母が古典的な柄のものを好んでいたので、懐かしくなってしまって。」
そう言って、彼女は顔の汗を拭いた。化粧がべっとりとついていた。
「母は、ずっと縫子だったんです。着物を仕立てたり修理したり。それを見て私は育ったので、私も着物にまつわるお仕事をしたいなと思ってたんです。」
「なるほど。」
「でも、その縫子として提供している相手は、みんな汚い仕事をしていました。だから、私も学校でよくいじめられて。私は、汚い仕事はしないって思って生きてきたけれど、不思議なもので運命ってのは、そうしようとすればするほど、同じところに導いていくものです。人生って何だろうって、よく考えるんですよ。」
「そうなんですね。汚い仕事でもないと思いますよ。生きていくためにはそうしなければならないということは、よくあることだと思うので。」
尋一は、売り台に帯を出しながら、そういった。
「店長さんはやさしいんですね。こんな客でも相手にしてくれるんですから。」
「逆を言えば、そういうところに勤めている方でないと、着物なんてほしがりませんよ。特に、若い人は全く寄り付かない世界ですもの。でも、仕方ないのかもしれませんが、早めに手を引いたほうがいいのかもしれません。でないと、もしかしたら梅毒にかかる可能性もありますからね。」
「そうですね、、、。」
「僕は、かかったことはないですが、非常に怖い病気らしいですからね。昔と違って何とかなる時代ですが、それでもかかると不利になることは確かですよ。」
「私も、いろんな人にそれを言われてきましたけど、どうしても手を引く気にはなれませんでした。それよりも、体を売らないと、生活がままならない。ほかの仕事を見つけようにも、そうやって来たといえばたちまち採用を取り消されるのが常ですし、、、。この仕事って、一度入ると二度と出ていけないものですよ、店長さん。」
「確かに、江戸時代の文献ではそうなってますね。でも、今は時代が違いますから。それを何とかすることもできる時代なのではないでしょうか。別にそれをしていたってことは、口に出さなければばれることもないですよ。それにそういうところで長く働いてきたのなら、生きる知恵だって、身についてるでしょう。極限の生活を知っているということは、生きることにとって大きな知恵になります。誰かに甘えて生きていくしかできない若い人よりもずっと優れていると思いますけどね。」
「店長さんって、他の人にはない見方をするんですね。私も、そういう優しい人には初めて会いました。なんか、この店に来て、何か変わりたいなと思うようになりましたよ。」
「そうですか、ありがとうございます。」
「もしよかったら、また来ますので、名前を名乗らせてください。吉田亜希子と申します。」
といって、彼女は軽くお辞儀をした。
「吉田亜希子さんね。僕は藤井尋一と申します。」
尋一は亜希子の右手を握ってやった。
「これからもうちの店に来てください。まあごらんのとおり、大したものはおいてありませんが。」
「じゃあ店長さん、私、この帯いただいていきます。」
「はい、できるだけ安いのをと思い、出してきましたが、これは、1000円で結構です。」
「それでいいんですか?」
「ええ、そういうことになっております。」
亜希子は、1000円札を尋一に差し出した。尋一はそれを丁寧にたたんだ。そして紙袋に入れてやった。
「ありがとうございます。また何かほしいものがあったら、必ず来ます。なんか用がなくてもここに来たくなります。店長さんが優しいから。」
「まあ、いつでも来てください。どうせ暇なので。」
「じゃあ、必ず来ます。ありがとうございました。」
亜希子は一礼して店の戸をがらりと開けた。ちょうどその時、愛子が、わずかばかりの食べ物をもって店の戸に手をかけた。
「誰、あなた!」
愛子は買い物袋を落としてしまった。
「ああ、今来てくれたお客さんだよ。」
尋一はそう言ったが、その説明では腑に落ちなかった。
「初めまして、私、吉田亜希子です。店長さんに帯の合わせ方について相談に乗ってもらいました。」
亜希子は丁寧に自己紹介をした。その丁寧さに愛子は腹がたった。
「彼女の言うとおりだよ。彼女がそういうから僕も手伝った、それだけのことさ。この人は、僕の妻の愛子さんだ。」
尋一が、さらりと自分の名を言う。それを聞いて愛子は、何か自分の名を汚されたというか、侮辱されたような感じだった。
「ああ、奥さんがいらしていたんですね。すみません、てっきり従業員さんかと勘違いしてしまいました。じゃあ、私、邪魔になってはいけませんから、もう帰ります。店長さん今日は本当にどうもありがとう。」
と、亜希子は急いで店を出て行った。
「また来てね。」
尋一は言ったが、彼女には届いていないような感じだった。
「どういうつもりよ!」
愛子は尋一に詰め寄った。
「どういうつもりって、お客さんじゃないか。」
「お客さん?」
愛子はわざとひょうきんに言った。
「そうだよ。それ以外なんでもない。」
「そう、お客さんなの!」
愛子は怒りで体が震えた。
「あたしが、一生懸命ご飯の買い物していた時に、あなたはそうやって女郎の女といちゃついて笑ってるなんて、どういうつもりよ!」
「どういうつもりって、ただ、彼女はお母様の着物と会う帯を探しに来ただけだよ。」
「じゃあ、売り上げは?」
「千円。」
「話にならないわ。あれだけいちゃついて、あなたは女郎から金を巻き上げることもできないのね。あなたって、いろんなお客さんと話すけど、売上は少ないんだから、本当にろくでなしなのね。気に入らないわ、あなたのそういうところ!」
「愛子さん、そういういい方はやめたほうがいいと思うよ。女郎とか遊女という言葉は、もう昔の言葉だよ。それに、そういう仕事についている人は、心が傷ついている人が多いから、差別的に扱ってはいけないよ。きっと彼女も何かわけがあって売春をしているんだろうからね。」
「そう!あなたは女郎のほうの肩を持つわけね。あなたの食べるものを提供している私よりも、女郎のほうが大切になるわけね!だったらもういいわ!話もしたくない!」
愛子は、困った顔をしている尋一のことは見向きもせず、部屋に入っていってしまった。
尋一が、その日も定刻通りに店を閉めて部屋に戻ってきても、愛子は部屋に入ったまま、口をきこうとはしなかった。
「愛子さん、悪かった。」
と、声が聞こえてくる。しかし愛子は、返事もせず、ドアを開けようともしなかった。やがて、あきらめて廊下を歩き始める音が聞こえてきて、愛子はほっとした気分になった。廊下を歩く音は、はじめは規則正しかったが、途中がたっという音がして、しばらくとまってからまた開始された。それを聞いても愛子は変だとは思わなかった。
翌朝になって、尋一が部屋から出て、朝食を食べにやってきたが、愛子の姿はない。食事の皿もなく、置手紙すらなかった。尋一は仕方なく、インスタントのみそ汁を作って、それを食べ、店に行った。
「やあ、今日は。」
店の戸がいきなり開いて、和美がやってきた。尋一が振り向くと、和美は驚きの表情をして、
「おい!お前大丈夫なのか?」
といった。尋一は何のことなのかわからず、
「大丈夫って何が?」
と、聞き返した。
「鏡を見てみろ。そんな真っ白い顔をして、仕事なんかできるのか?」
和美がいうので、尋一は店に置かれていた鏡で自分の顔を見た。相変わらずの白い顔というよりも、真っ青というか青白いというか、とにかくそんな顔なのだ。
「それにお前はとてつもなく痩せたぞ。ちゃんと食べてないだろ?」
「食べてるさ。」
「いや、嘘を言うな。今店を閉めて、病院に行くってことはできないかな?」
「無理だよ。今日はお客さんが来るかもしれない。それに定休日は設けていないし。」
和美は、困った顔をしたが、仕方ないなという顔をして頷いた。
「そうだよな。商売してるんだもんな。でも、ちょっとでも、体調悪いなあと思ったら、休めよ。それにお前はおくさんもいるんだからな。お前ひとりで生活しているわけではないんだから。もし、何かあったら、何でも相談に乗るからな。」
と言って、尋一の肩をたたいた。
「ありがとう。で、ほしいものは?」
「足袋、変えたいんだよ。」
「ああなるほどね。白足袋でいい?」
「いいよ。サイズは26でいい。」
「ちょっと待ってくれ。」
と、売り棚に手を伸ばした尋一の胸に鋭い痛みが走った。思わず手を止めてしまったが、幸い痛みはすぐに引いた。
「大丈夫だよ。これでいいだろ?」
尋一は足袋を一足、売り棚から取り出した。
「ああ、それそれ。キャラコのやつ。」
「こはぜは、4枚でいいかな?」
「いいよ。三枚より四枚のほうが足元がすっきりするよ。それをさ、三つぐらいまとめて買いたいんだけど、ある?」
「あるよ。三足でいいのか?」
尋一は、足袋をもう二足取り出した。
「うん、今のところそれでいい。じゃあ、なんぼになる?」
「一足800円だから、2400円かな。」
「わかった。ほれよ。」
と和美は、売り台に二千円と400円をおいた。かれの財布には、一万円札が一センチほど入っていた。そこに愛子がいたら、すぐにほしがるだろうと思われた。
「じゃあ、領収書書くよ。」
と、尋一は合掌して受け取り、領収書を書いて、和美に手渡した。
「品物はこれね。」
と、足袋を紙袋に入れた。
「ありがとう。また来るよ。今日はこれから用事があって出かけなければならないんだ。そのために足袋は必要だった。また、何かほしいものがあったら、いつでも来るからな。」
と、和美は足袋を受け取って、店を出て行った。尋一は一礼してそれを見送った。
夜遅くなって、尋一が店の掃除をしていると、愛子がかえってきた。
「どこ行ってったんだ?」
尋一は聞いたが、
「どこだっていいでしょ?ただ遠くへ行きたいだけよ!」
と愛子は返しただけであった。
「でも、聞いておかないと、こちらもいつ帰ってくるかとか、」
「そんなこと要らないわ!」
愛子は、無視して部屋に入ろうとしたが、明らかに千鳥足で、強い酒の匂いがした。だいぶ酔っているのだろうか。
「愛子さん、酒飲んでたのか?」
「私は、ろくでなしではないから、それくらい飲めるわ。」
愛子は、店から部屋に入ろうとしたが、酔った足だったので、上がり框に足が躓いた。
「あぶな、、、。」
尋一は言おうとしたが、再び胸に強い痛みが走って、座り込んでしまった。
「どうしたの?」
愛子が冷たく言うと、
「いや、何でもない。単に疲れているだけだよ。」
とひどくしわがれた声が返ってきた。
「ちゃんと自己管理してないのが悪いのよ!」
愛子はそれだけ言って、サッサと部屋に入り、三階の居住部分に行ってしまった。尋一は、何かいいたそうだったが、愛子はそれを見ることはしなかった。
次の日から、愛子は食事の時間になっても、食堂に降りてこなかった。尋一も、上の階に上がることはできないから、それを止めることはできなかった。実質的な家庭内別居だった。
愛子は、毎日静岡に通った。富士では、誰かに知られてしまう危険があった。静岡までは車で家から一時間。高速道路を飛ばしていくのも快感であった。
その日も車を飛ばして静岡に行った。富士と違って、高層ビルが立ち並ぶ静岡では、隣に座っている客の名前も住所も知らなくていい。この快楽は、田舎に住んでいるものだけのものである。そして、カフェの中で一日中コーヒーを飲む。お金がないのでそれだけしかできないが、愛子はそれで十分だった。カフェの店員が、コーヒーをもってきてくれることで、なぜか、解放されている気がした。
ところが、カフェに行ってみると、店長らしき人が、愛子に詰め寄った。
「すみませんが、これ以上占領するのはやめてくれませんかね。ほかのお客様の迷惑にもなりますからね。」
「まあ、私は客なのに?」
「そうなんですが、そうやって占領されると、非常にこまるのです。」
店長は、そんなの当り前じゃないかというような口ぶりで、愛子にいう。
「だって、私がここでコーヒーを買っているから、もうかっているでしょ?」
「そうですけど、他に使いたいお客様もいるんですよ。」
「何よそれ!ほかの客はよくて、私はいけないわけ?」
と、怒鳴り散らすと、周りの客がぼそぼそと、彼女の悪口を言い始めた。
「どのくらい座っているかなんて、客の自由だと思うんだけどね。」
「本当に常識のない方ですな。すぐに出て行ってください。今日は団体客の予約があるのです!」
店長も最後の手段だ。真偽はわからないが、そうなら仕方ない。
「わかったわ。」
愛子はしぶしぶ立ち上がってカフェを出て行った。しかし、いくところなぞどこにもない。愛子は考えて、車に戻り、静岡の市立図書館にいった。本なんかなかなか読むことはないが、図書館の貸し出しはただであるから、絶好の時間つぶしだった。運が良ければ、テレビを見ることもできた。図書館の映像ソフト貸し出し場に行ってると、平日なのであまり人はおらず、老人たちが、過去に流行っていた映画などを見ていた。愛子も、久しぶりに映画を見ようと思って、DVDの陳列している棚に行った。
すると、いきなり肩をたたかれた。振り向くと、二十歳くらいの若い男性が立っていた。当然のごとく洋服を着ているが、よくいる若い男性という雰囲気はなく、まじめそうだった。
「何?どうしたの?」
愛子が思わず聞くと、男性は返事の代わりにメモとペンを出して何か書き、愛子に渡した。
「これ落とし物じゃありませんかって、私何を落としたんだろ?」
慌ててカバンの中を探してみると、財布がなかった。代わりにその男性が持っていた。
「まあ、ありがとう!拾ってくれたの?」
男性はまた何かかいて愛子に渡した。
「はい、図書館の入り口に落ちていたんですって、ほんとに見つけてくれてどうもありがとう。」
男性はさらに書く。
「どういたしましてです。」
そうして愛子に一礼した。愛子は、何かこの男性にお礼してやりたくなった。
「お礼を言いたいからお茶しない?」
男性はそういわれて面食らっているように見えた。
「ああ、何も気にしなくていいのよ。私は普通のおばさんだし。それに、そんなに高い店には私もいけないし。」
男性はまたメモ書きして差し出した。
「でも、お時間など、って、ああ、私はいつでもいいのよ。どうせ暇人なんだし。私からも質問させて。あなた、スマホ持ってない?」
男性がまたメモを渡した。
「ありますけど、何にって、もちろん会話するためよ。いちいちいちいち紙に書いていたんでは、面倒くさいだろうし紙がもったいないでしょ。あなた、私の話を聞いて書いているようだから、耳が遠いわけじゃないんだし、今は、紙に書かなくても、スマホのラインとかで会話すればいいわ。」
男性は、少し考えてまたメモを渡した。
「これがラインのIDです。」
と、渡された紙に書かれたIDを愛子はすぐに検索した。すると、「斎藤健太」という名前が出た。
「あら、あなた、斎藤健太っていうのね。じゃあ、私も名乗るわ。私は藤井愛子。名前も苗字も大嫌いだけどね。こんなところでしゃべっていると迷惑かかるだろうから、お昼の時間だし、お礼も兼ねて食事でもしない?私、お礼におごるわ。」
と、愛子は受け取った財布をカバンに入れて、映像コーナーを出た。健太は何か考えていたが、
「早くきなさいよ。」
と、愛子が言うので、しぶしぶついてきた。



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