ろくでなし

増田朋美

第二章

第二章
 それからも、愛子と尋一の生活は続いた。愛子は炊事と掃除、洗濯などをしていればよかった。尋一は店が閉まるとすぐ帰ってきたから、飲み会で遅くなって朝帰り、ということはまずなかった。それは、理想的な生活といえばそれまでであるが、何か物足りない日々を過ごすことになった。
 ある日、店の閉まる時刻になっても、尋一が戻ってこなかった。何かあったのだろうかと心配になった愛子は、一階の店舗部分に行ってみた。階段を下りて、店舗部分に行ってみると、二人の男性が話しているのが聞こえてきた。一人はまぎれもなく尋一であったが、もう一人は誰なのか、愛子はわからなかった。
「あなた、どうしたの?」
店の障子を開けると、尋一は、売り台にもたれるように立って、もう一人の男性と何か話していた。
「ちょっと!」
と、少し声を荒げると、尋一はやっと気が付いて、
「ああ、ごめんね。この人が、結婚の祝いをもってきてくれたので。」
とだけいった。一緒にいた男性も愛子のほうを見たが、彼を見て愛子は仰天した。その男性は、左腕がなかった。
「ああ、初めまして、友人の木内和美です。よろしくどうぞ。」
と男性は、軽く礼をして、そうあいさつした。きうちかずみという名前は、どこかで聞いたことのある名前だった。
「木内和美ってあの、もしかして、失礼ですけど、テレビに出たことがあるのではないですか?なんか、ワイドショーに出演していた気が、、、。」
よく見るとその顔は愛子にも見覚えがあった。もう十年近く前のことであったが、テレビのワイドショーで、片腕の男が、仏師として大成功し、その養成施設を作ったという特集をしたことがあった。その人物が、木内和美という名前であった。
「よく覚えてますな。まあ、あの時は運がよくテレビに出させてもらいました。まあ、ある有名な漫画の主人公に似た人生を生きた、というおかしな特集でしたよ。」
和美は照れくさそうに右手で頭をかいた。
「それにしても、尋一もよかったな。こんな美人の嫁さんをもらってさ。」
「いや、そんな大したことないよ。」
尋一の言葉に悪気はないが、なんとなく愛子にはちくりと来た。
「で、商売はどう?軌道に乗った?」
「いや、それはだめなんだ。」
「そうか、やっぱり着物ってのは需要がないからな。着物を日常的に着るなんて、僕みたいな宗教関係者か、茶道とか、華道とかやっているくらいの人しかないだろう。そういう関係者であっても、最近は洋服で出る人のほうが多いもの。邦楽の雑誌の表紙を見てもよくわかるよ。グラビアアイドルみたいにして、箏を弾く女が、続出してるからな。まあ、少なくとも僕は、この、片腕である以上着物を着ないといけないけどさ。」
「なんで着物を着るんですか?」
と、愛子は聞いた。
「ああ、洋服ってどうも苦手なんだ。あの、袖がぶらぶらと吊る下がってるのが本当に苦手だ。なんか、気持ち悪いんだよ。その反面、着物は袖を取ったほうがかっこ悪いし、片腕でもさほど気持ち悪くはない。だから、毎日を着物で過ごすようになった。こういうリサイクル着物の出現は、素晴らしいよ。着物って、新品で飼うと数百万するものもあるだろ、それが、リサイクルだと、数百円で買えるからな。」
そう答えた和美も、黒い着物を身に着けていた。身長も尋一より高く、胴回りも肥満しているわけではないが、尋一より太い和美は、実業家といういい方がまさにぴったりで、何か威圧的なものを持っている気がした。
「奥さん、尋一、大切にしてやってくれよ。こいつは多くの人がろくでなしと呼んでいるが、心のまっすぐないい男だからな。体こそ弱いがそれは奥さんがフォローしてやってくれ。じゃあ、そろそろ時間だから、帰るよ。また来るからな!」
和美は、尋一から大きな紙袋を右手でもって、店を出て行った。紙袋の中には、着物が十枚近く入っていた。片腕だから当然のごとく右腕でもつが、重い着物をひょいと持ち上げてしまうほど、和美は体力があった。
「あなた。」
と愛子は、尋一に聞いた。
「あの人は、どういう関係なの?」
「どういう関係って、ただの友人だよ。それ以外なんでもない。たまに店にやってきて、ああして着物を大量に買っていく。それは恒例のことだから、何もおかしなことではないよ。」
尋一は驚いた表情をして答えた。
「でも、偉い人でしょ?」
「偉い人?」
「とぼけないでよ!」
愛子は、なぜか怒りがわいてきてしまった。
「なんであの人とあなたが関係を持てるの?あなたは、大学卒業していないで、ずっとこの商売をしてたってお母様だってそう言ってたわよ。そんな境遇で、あんな大金持ちの実業家と知り合いになれると思うの?」
「ああ、着物を愛好する人の中には、そういう人もいるよ。和美さんだって初めのころは、普通にお客さんとして来ていたんだ。それに、着物を買っていってくれるんだから、そんな金持ちなんて関係ないんじゃないか?」
「そうじゃなくて私は、あなたがその和美さんと関係を持てたのはなぜかを聞いているのよ!どうやって知り合ったの?」
「まあ、この店がまだ、フリマアプリの中でしか存在しなかったときに、急に家にきて、注文した着物を実際に見せてもらえないかと言ってきたんだよ。それから、着物を買いに来るときは必ず顔を出してくれるようになって、僕がこの店を開店するときも、ずいぶん助けてくれたんだ。」
「あなたって、人が良すぎね。私は初めから必要なかったのかしらね。」
「どうしてそんなこと言うの?だって客じゃないか。何がそんなに不満なんだ?」
「そ、それは、、、。」
愛子はそこで言葉に詰まってしまった。確かに尋一の言った言葉の通りであれば別に不満を漏らす必要もない。しかしなぜか、この時の愛子は、怒り心頭だったのである。
「それなら、別に不満を持つことはないと思うけど?」
尋一は、そう言って、今日仕入れた着物の確認を始めた。愛子は店の中を見渡した。確かに奇麗に整理されて着物が置かれているが、商品である着物は減っていくどころかむしろ増えてしまっているように見えた。
「ねえ、あなた、商売、うまく行ってないでしょ?」
愛子はそう言ってみた。
「まあ、需要のない商売だからね。確かに着物を買いに来るお客さんよりも、着物を手放したいお客さんのほうが多い。」
「だからだわ。」
と、愛子は強く言った。
「私もこの店手伝っていいかしら。まあ、確かに女が商売をするのはいけないっていう時代もあったけどさ、今はそんなことはないと思うわ。」
「いいけど、何をするの?基本的なことなら一人でやれるよ。」
確かにその通りだった。二人の人間がやらなくてもやっていける仕事であり、スキルと言っても、着物のTPOと、接客の技術さえあればそれでいい。
「今見たけど、着物って女物のほうが圧倒的に多いわけだから、女のお客さんを呼びこまなければいけないと思うの。そのためには、着物がどんなにかわいいかをアピールしなくちゃいけないわ。だから、インターネットでホームページ作ってさ、着物のかわいい写真とか載せたらどうかしら。」
「でも、僕にはパソコンは、、、。」
「今は、誰でも簡単に作れるわ。以前はフリマアプリでやっていたんでしょ?その延長戦だと思ってよ。」
「そうだね、、、。」
尋一はしぶしぶ頷いた。
「じゃあ、いいわ。私明日、パソコン見てくるから。」
「僕は店番しているから。お客さんが来るかもしれないし。
「だめよ、それで逃げちゃ。あなたもパソコン屋に行って。店は午後から開店することにすればそれでいいから。」
「わかったよ。」
尋一はそういったが、どこか嫌そうな顔つきだった。愛子は、そんなことは平気だった。というより、誰でもパソコンとなれば、必要な道具になるとおもった。
 翌日、愛子と尋一は大店舗のパソコンショップに行った。いわゆるチェーン店で、数多くの支店を持っているところだから安心だと愛子は思っていた。店は宣伝のための音楽が大音量で流れていて、きらきらとまぶしく光るパソコンがいくつも置かれていた。
「どうしたの?」
尋一の顔は、普段から白いが、それがさらに白くなっているように見えた。
「ほら、これどう?」
愛子は一台のパソコンの前に尋一を連れて行ったが、尋一は応えない。
「これなら、狭い家にも置けるでしょ。それに、商売するんだから、スペックは大きいほうがいいわ。」
愛子自身もパソコンについての知識があるわけではないが、ちょうど目玉商品として置かれていたものであった。
「これですか?」
と店員がやってきた。
「ええ、私たち、インターネットで店を作ろうとおもって、そのためのパソコンを使いたくて買いに来たんです。」
愛子が説明すると、
「じゃあ、こちらのほうがいいんじゃないですかね。」
と、店員は愛子たちを別の売り場に連れて行った。そこに置かれていたのは超高級なデスクトップのパソコン。しかも、先ほどのものより二倍の価格であった。
「こんな高いの買えませんよ。」
尋一は、そういったが店員は待ってましたというような口ぶりで、こう説明した。
「いや、それがですね、うちはオリジナルのプロバイダを持ってまして、そこと契約してくれさえすれば、半額で購入できます。」
「はあ、そうですか。半額になっても、こちらのような高機能はいらないと思います。」
「いえいえ、商売をされるとなると、画像や動画をさんざん使うことになるでしょうから、ハイスペックなこちらをおすすめいたします。それに、うちのプロバイダだって、他の会社さんと比べていただければ、大いに安いということがわかると思いますから!」
「でも、大手のほうが、修理やそれ以外のことでもすぐできるでしょうから。」
「ちょっと待ってよ尋一さん!」
と、愛子は苛立ちながら言った。
「すこし店側の話も聞いてみたら?」
「じゃあ、ちょっとこちらにいらしてください。」
店員は二人を店の奥に案内させ、椅子に座らせた。
「まあ、こういうことです、うちでやっているプロバイダに契約させていただければ、このパソコンも半額で購入できますし、それ以外のサポートも低価格でできます。うちは、販売から修理までこの店でできますから、それは本当に安心できます。プロバイダも、うちのものを使ってくだされば、月々のインターネット費用は3000円程度で済みます。商売に利用するのであれば、これが良いのではないでしょうか。インターネットを長時間するのならなおさらのことです。契約は二年契約していただくことになりますが、それでも継続を求めるお客様が大半ですので、特に解約する必要もないでしょう。」
「ああそうですか。でも、それは必要ないと思いますし、大手のプロバイダのほうが保証もいろいろあると思いますから、僕たちは使おうと思いませんね。」
「でもお客さん、うちは販売も修理もみんなここでできるんですよ。それに、お客さんは商売をされているのなら、直しに行く暇もないんじゃないですか?それなら、全部ここでできる、この店に任せたほうがよいと思いませんか?」
店員は、まるで介護施設の職員のように優しく話しかけていたが、尋一は反応を変えようとはしなかった。
「あなた、もう少し他人の話を聞いたほうがいいわ。」
愛子は苛立ってそういってしまった。
「だからこそ、ろくでなしと言われてしまうのかも。」
「ははあ、奥さんのほうがはっきりわかっていらっしゃいますな。女性はこういうところが本当に優れていますよね。どうですか、奥さん、うちのプランを使ってみたいですか。」
「ええ、私は、そうなるんなら。」
「なりますとも!ご主人はなんだか頑固おやじタイプのようですが、奥さんはそうではないのですね。なら、安心しました。じゃあ、契約の説明に移りましょう。いいですか、まず、」
「ちょっと待ってくれ、僕は納得できません。」
「あなた、そんなに嫌なら外に出ていて!」
「わかったよ。」
尋一は、椅子から立ち上がり、外へ向かって歩いていった。その時、一瞬だけ表情が変わったが、愛子は気が付かなかった。
「すみません、こんなろくでなしで。」
「いやいやいやいや、奥さん、それはそれでいいんです。使えば使うほどうちのパソコンは納得できるものですからね。じゃあ、まず、インターネットについてですが、、、。」
店員は、介護職員のような優しい口調ではあるが、専門用語を連発したとても分かりにくい説明を始めた。愛子は、それは何なのか聞きたい場面がいくつもあったが、店員はそれを許さなかった。気が付くと、愛子はペンを握ってサインをしていた。
「じゃあ、本日の午後には設置に伺いますから。」
「午後?早いですね。」
「ええ、迅速なサービスを心がけていますから。」
「まあ、うれしいわ。じゃあ、午後にお待ちしています。主人は、店をやっていますが、私はお待ちしていますから。」
「じゃあ、設置料として一万円いただきます。」
愛子は、安いのか高いのかわからなかったから、とりあえず一万円を出してしまった。
「はい、ありがとうございます。じゃあ、午後の二時くらいをめどに伺いますので。」
「ありがとうございました。」
店員に向かって最敬礼し、愛子は店を出て行った。店を出ると、ベンチで尋一が待っていた。
「契約してきたわ。」
と愛子は尋一にいった。
「誰も、悪そうじゃなかったわよ。」
「そうか。」
尋一は寂しそうな様子でそう答えた。
「あなたって本当にろくでなしね。」
「とりあえず帰ろう。」
二人は愛子の運転で店に戻っていった。午後の二時に、パソコンの設置は問題なくできた。
「じゃあ、ホームページ作ってみるか!」
と愛子は、買ったばかりのパソコンを立ち上げ、WEBブラウザを起動させた。すると、
契約していたプロバイダのホームページが出る、という店員の話の通りではなく、「お使いのPCがクラッシュ寸前です!」というエラーが出て、ブラウザが全く動かないのである。
しかもそれが何度もちかちかして、非常に目にとってもつらいのである。特に不要なアプリを入れたわけでもない。愛子がその表示をクリックしてみると、英語なのかそのほかの言語なのかもわからないサイトに跳んでしまって、さらにわからなくなってしまうのである。
肝心のホームページなど、作るどころではなかった。
あせって、できることを次々に試していると、
「愛子さん。」
と、尋一がやってきた。
「もう、店は閉める時刻になったから、こっちに来た。」
「あなた、すぐにパソコン屋に電話して。これ、何かおかしいのよ。こんなにエラーばかり出て、何も進まないっておかしいわ。なぜこうなるのか、理由を説明してもらわなきゃ。」
「わかったよ。」
尋一はすぐにスマートフォンを取り上げた。今朝いってきたパソコンショップに、電話をかけた。
「もしもし、」
「ああ、藤井です。今日、お宅でパソコンを購入したのですが、たぶんですが初期不良で、操作ができないみたいなんです。なんでもお使いのPCがクラッシュ寸前とかでるとか。ああ、そうですか。じゃあ、持っていきますので。」
と、尋一は電話を切って、
「すぐに修理してくれるってさ。」
と、愛子に言った。
「じゃあ、これを外して、修理に出してこよう。」
と、尋一は愛子にパソコンの電源を切らせて、本体を取り囲んでいるコードなどを外させた。幸い、無線ランですべてのパーツがつながっているパソコンだったから、コードも少なくて済んだ。
「行こう。」
二人は、また愛子の運転でパソコンショップに行った。先ほどの店員はいなかったのが幸いだった。
「すみません。このパソコン、エラーが出てインターネットにつながらないと。」
尋一は的確にそういった。
「ああ、どんなエラーですか?」
「ええ、お使いのPCがクラッシュ寸前と。」
「わかりました、中を見てみましょうか。」
店員はパソコンを再びつなげて、WEBブラウザを立ち上げた。
「ああ、これはね、」
と、店員はまたわけのわからない言葉で、尋一とパソコンについて話し始めた。これは一時間以上続き、愛子は次第に退屈になってきた。それでもわけのわからない話し合いは続いた。
やがて、尋一が愛子の元へ戻ってきた時には、コンビニ以外の商店は閉店している時間になっていた。
「終わったよ。たぶんもうエラーは出ないと思う。」
「なんだって?」
「なんだか余分なプログラムが入っていたらしいんだ。でも、そのおかげで、余分な契約は解除することはできた。ものすごい額の解約金を提示されて、一瞬焦ったが、でも何とか説き伏せて、一万だけにしてもらったから。」
「いくら取られたの?」
「とりあえず、車に乗ろうよ。話はそれからにしよう。この会社は悪質だから、二度と訪れたくない。」
尋一は、疲れきった表情で、店の外へ出て行った。愛子も急いで追いかけて、車に乗った。「もう、すぐにここから出させてくれ。」
愛子は言われるがままに、車のエンジンをかけて、店を出ていった。
「この会社は悪質って?」
「ああ、こうして商品をずさんに扱って、その割に高額な修理代を取るような会社とは契約するべきではないよ。それに、この会社は、プロバイダ契約の解除料に、8万円出さないといけないから。いきなり八万なんて、誰も提示できないだろ、それを利用し脅かしているんだと思うよ。」
「一万だけに説き伏せたって、、、。」
「うん、安心して。もう、消費者センターに連絡するか、弁護士に連絡するといったら、それだけはやめてくれと言われたので、やっぱり悪質だとわかったよ。」
「これからはどうするの?」
「とりあえず、パソコンは、返品した。」
「へ、返品?」
「そうだよ。だって、あんなおかしな会社にいつまでも関わっていたら、僕たちの生活もままならなくなるもの。」
「まあ、それまではしなくてもよかったのに、、、。」
「いや、こうしなければだめだと思う。とりあえず、夕飯をまだ食べていないから、どこかで買っていこう。」
「わ、分かったわ。」
愛子はとりあえずすぐ近くにあったコンビニで弁当を二つ買った。尋一は満足そうだったが、愛子は何か腑に落ちないものがあった。
「大丈夫だよ。」
「そう、、、。」
それでも何か、損をした気がした愛子であった。

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