天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

誰にも泣いてほしくない。平和を作りたい。それのなにが悪い!

 ウリエルを取り囲むように発生した無価値な炎ファイア・オブ・ノーライフによる防壁。

 一瞬で目の前は炎で覆われ熱が皮膚を焦がす寸前だった。

 近接距離での突然の発火。ルシファーが再度空間転移で回避できたのは幸運だった。もしあと少しでも近づいていればとられていたのはルシファーの方だ。

 距離を置きウリエルを見つめる。彼女は物静かな姿勢で背後を見せていた。無価値な炎のファイアウォールは消え去り残り火が辺りを漂っている。

 ルシファーは彼女を見つめながら危機感がふつふつと沸いていた。

(誘われたか)

 ルシファーーが行った奇襲。完璧な一撃に見えたそれはしかしウリエルの作戦。

 遠距離攻撃に出ることで空間転移を誘導し、近づいたところを無価値な炎で滅ぼす。結果的に失敗したものの見事な戦術だった。

「やるな、この五年で腕を上げたようだ」

「誰のせいだ」

 ウリエルがゆっくりと振り向いた。青い瞳がルシファーを睨む。そこに親愛の情はない。

「お前が反乱など起こさなければ、私はここまで剣を振るう必要はなかった」

「それは言い訳か? 多くの命を奪ったことの」

 ウリエルの視線が鋭さを増す。それを彼は受け止めた。

「仕方がないと割り切り、必要のない犠牲をいくつ生んだ?」

「詭弁は止めろ、お前の言葉に惑わされるほど、私は甘くない」

 ウリエルが完全に振り返りルシファーに正面を向ける。空中の風が吹き白い髪が流れていく。

「神が提唱する恒久的平和。完全なる管理によってそれは実現する。誰も飢えることなく、苦しまず、理不尽のない世界が完成しようとしていたんだ。なのに! お前は裏切った! なぜだ『ルシフェル』! なぜ!?」

 言葉の途中で糸が切れたようにウリエルの感情が高まっていた。話していると思い出していく。昔のことを。かつての姿を。二人で、遠見の池で話していた、温かな時を。

 ウリエルはその時のルシファーを尊敬していた。優しく、明るく、気さくで。自分にないものを多く持っていた。なにより、人を愛していた。

 自分と同じように。


 なのになぜ、こうも違ってしまったのか。
「なぜよりにもよってお前だったんだ!? お前だって、平和を望んでいたんじゃなかったのか!」

 彼女の叫び声が周囲に響く。迫るような熱意と、今にも泣き出しそうな悲壮のある声だった。

 遠見の池で笑い合った思い出が、毒のように胸を締め付けてくる。

「あの時の、優しいお前はどこに消えたんだ!」

 ウリエルは悲しみの糾弾を上げていた。軋む胸の痛みに耐える。

 けれど、彼女の慟哭に答えるのはたったの一言だった。

「私は、ここにいるさ」

 変わらない、昔のままの声調で。真っすぐな瞳に真剣な表情は思い出にある彼の顔そのままだった。

「ウリエル、争いのない平和な世界。その実現のために人類を管理下に置くこと。それは確実に争いを無くすだろう。しかしそれは支配であって平和ではない」

 ルシファーの言葉をウリエルは戦闘態勢のまま聞いている。

「お前たちのしようとしていることは楽な道だ。だが理想とは、困難な道にこそ求めるべきものがある!」

 そんな彼女にルシファーも語気を強め言った。表情にも熱が入る。

「お前が愛した人の笑顔も、優しさも、時に苦境があるからだ。だから人間は努力し、他者を思いやり、達成していく。それを管理してしまえば、人からは達成すべき目標がなくなり、他者を助ける場面も消え、人は努力を失うだろう。お前が愛したすべてを、お前が殺しているんだ! なぜそれが分からん!?」

「愛しているからだ!」

 だがウリエルも負けていられない。ルシファーの論調に反論を叩き付ける。

「弱い者が踏みにじられ、苦しみ、泣いている! そんな人たちをもう見たくない。もう見たくないんだ私は! そう思うことの、なにがおかしい!?」

 それは優しい彼女らしい、純真な願いだった。

 彼女は変わったが、根柢にあるものは変わらない。

 平和な世界で、人々が笑っていること。それは見るだけで胸が温かくなる。そんな幸せを作りたい。

 けれど現実は残酷で、人は争い、罪のない者まで涙を流している。

 辛いのだ、そんな姿を見るだけで胸が締め付けられる。自分まで涙を流しそうになる。

 なのに人間は止めない。いつまでも、どこででも、無益な争いを始め不幸は終わることなく続いている。

 止めなくてはならない。人間にそれが出来ないなら、力尽くでも我々天羽がしなければならないのだ。

 すべては、みんなが笑顔で過ごせる、平和のために。

 だから、ウリエルは想いを叫んだ。

「誰にも泣いてほしくない。平和を作りたい。それのなにが悪い!」

 そこで、ルシファーが言った。

「人を見下しているからだ」 

「――――」

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