天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

進むのだ、未来は前にしかないから

 気迫のある声で言い切った。三人の後ろで立ち止まり頭上の光へと顔を向ける。その瞳に、臆した様子はない。

「おい新入り、調子乗ってんじゃねえぞ」

 サリエルは片膝をついた姿勢のまま顔だけをミカエルに向けている。

 こうして謁見の間に現れたミカエルだがそれだけでも本来なら越権えっけん行為、厳罰だ。さらに耳を疑う言葉まで飛び出してきた。

「私に任せてほしいだ?」

 それがなによりサリエルの顔にヒビを入れさせた。名誉や序列を重んじる彼だからこそさきの一言は聞き逃せない。

「天羽長補佐官という役職のお前だがしょせんは大天使、階級八位が天羽長に立候補だ? ふざけんじゃねえぞ。それにだ、お前も言った通りお前は天羽長と特に親しかった。いざって時に情が湧く恐れがある。そんなやつに任せられるかよ。その点ガブリエルなら信用できる。ラファエルは優し過ぎるし俺は天羽長ってガラじゃねえしな」

「私は裏切らない!」

 サリエルからの揶揄やゆ。だが、ミカエルの気迫がそれを切り開く。

 その熱意にサリエルが押し黙った。彼だけじゃない。普段の彼を知っているだけに予想外の反応に三人は言葉を失っていた。

 それだけに、ここに立っているミカエルは凄まじかった。

 ミカエルもここに遊びに来たわけではない。その胸にあるのは一つの決意。

 憧れていた。彼の輝きを。

 信じていた。二人でした約束を。

 努力した。互いの夢に向かって。

 信じていた、信じていたのだ。どんな困難でも達成できる。進むことができる。そしていつの日か共に笑い合えると。

 二人なら。

 だけど――裏切られた。

「彼は、私の手で決着をつける! ずっと彼のそばにいた。何度も語り合った。なのに、彼の真意を読めないでいた。わがままなのは分かっている。しかし! これは私の問題でもあるのだ。天羽長補佐官として、友人として、これは私が決着をつける!」

 叫ぶ、自らの覚悟のほどを。

 ミカエルは覚えている。

 あの日、人類に二度裏切られた日。草木が風に揺れる丘でした約束を。

『なあミカエル、頼みがあるんだ』

 思えば、これが彼と交わした最後の約束だった。

『私がまた、道を見失いそうになったとき、同じ言葉をかけてくれないか?』

 それは彼が頼った、最後の支えだったのかもしれない。

『私が迷った時、もしくは道を誤った時、お前が私を呼び戻してくれ』

 彼は分かっていた。自分が抱える不安や葛藤、それがいつの日か進むべき方向を変えてしまうことを。そうすればなにもかもを失ってしまうことさえ。

 だとしても、彼は歩き始めた。新たな道を。すべてを裏切り、すべてを捨てて。

 ミカエルは約束した、彼を引き戻すと。

 すべての理想と努力を裏切られ。利用され、捨てられた。

 夢も、約束も、ぜんぶ。悲しかった。苦しかった。涙を流し、悲憤ひふんに震えた。

 だけど、なにより悔しいのは、それを察することが出来なかった自分自身!

 だから決めたのだ、自分だけは、なにがあっても諦めない。

 約束を果たしてみせると!

「ルシフェルは、私が止める!」

 立ち上がる、天羽最大の逆境の中にあってなお。

 大天羽ミカエルは、困難に立ち向かっていた。

 彼の宣言に三人は互いの顔を見遣る。しかし答えは出ない。出すのは自分たちではない。

 ここの主、天主イヤスだ。

「ミカエル」

 頭上の光から言葉が降りてくる、それだけで奇跡に等しい神聖が、彼の名を呼んだ。

「君の主張は聞かせてもらった」

 イヤスからの御言葉に三人はすぐさに顔を下げる。しかしミカエルは一人立ち続け頭上に顔を向けていた。不遜ふそんにも見えるその態度。

 しかし、退かぬという強い意思が彼から常軌を取り払っていた。力強い目つきで光を見つめる。

 彼からの宣言をどう受け止めるのか。受けるか、断るか。

 イヤスの答えを、四人は待つ。

「いいだろう」

 答えが、出た。それは受諾じゅだく。その決定に三人に衝撃が走り一人は心の中で頷いた。

「ミカエル、君を新たな天羽長に任命しよう。そして、君が果たすべき任務は一つだ」

 天界の神が新たな指令を言い渡す。全天羽を巻き込んだ大戦を前にして、しかしそれはとても個人的な内容であり、ミカエルの胸をたかぶらせるものだった。

「彼との決着を付けよ」

 前天羽長ルシフェル。最大の友にして裏切り者との決着を。

「はい、望むところです」

 イヤスからの指令にミカエルは気迫のこもった返事をし頭を下げた。胸では体を溶かすほどの使命感で燃えている。

 夢も、理想も、友情も、すべてを裏切られた。

 それでも、忘れない約束を果たすために。

 ミカエルは彼と決着をつけなくてはならない。そして、自分自身もそれを望んでいる。

 約束を果たす時は、今だ。

 三人は立ち上がり新たな天羽長となった男を見た。その佇まいを四大天羽である彼らの目が測る。彼は彼らのお眼鏡に適うのか。けれど、ガブリエルとラファエルから不満は出なかった。

 初めて会った時の青さはない。あるのは研ぎ澄まされた強い意思。

 それを認め、ガブリエルはイヤスにではなく、ミカエルに跪いた。ラファエルも片膝を付け頭を垂れる。

 それに続き舌打ちしてからサリエルも同じ姿勢を取った。乗り気ではないが、サリエルの眼から見てもミカエルの意思は本物だ。納得した自分が悔しい。

 ミカエルの前には三人の四大天羽が並び、彼に忠誠を誓っていた。

「新たな天羽長、ミカエル。我が剣、我が心はあなたと共に」

 ガブリエルからの鮮烈な宣誓が届き、

「あなたに天羽の未来を委ねます」

 ラファエルから穏やかな言葉が送られ、

「この命尽きるまで、戦うことをここに誓おう」

 サリエルからの厳かな誓言が響く。

 彼らは天界最上位の称号、四大の天羽。

 そして。

 彼らを率いるは、全天羽の長。光の戦士。

 ミカエルだ。

「ガブリエル。ラファエル。サリエル」

 ミカエルは彼らの名を呼び三人は立ち上がる。全員が表情を引き締め、これから立ち向かう戦いへと気持ちが赴いていた。

 ミカエルは踵を返す。コートの裾が揺れ扉へと歩いていく。

「いくぞ、反乱軍を鎮圧する」

 天羽長からの指令が謁見の間に轟いた。

 敵はかつて全天羽が憧れた天羽、明けの明星にしてかつての友。ルシフェル。そして彼に付き従う堕天羽たち。

 けれど臆することなく立ち向かう。

 進むのだ、叶えたい望みがあるから。

 進むのだ、望むものが未来にあるから。

 進むのだ、未来は前にしかないから。

 ミカエルは三人と共に、光の中へと進んで行った。

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