天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

これが正義で、その反対が悪だというのなら

「あなたは混同している。人の嘆きを、悲しみを、絶対的な悲劇だと錯覚している! けれどそれは違う。彼らは悪で、悪の嘆きなど虫唾が走る! これは正義だ、罪なき同胞を踏みにじった者への鉄槌だ!」

 その時、ウリエルの瞳は、泣いていた。泣いていたのだ、青い双眸そうぼうから涙をこぼして。

 ただ平和のためだけに、そう願った天羽は無抵抗のまま殺された。

 約束を裏切られ、もう一体の天羽も殺された。

 天界を覆う悲しみと憎悪。神の愛を否定し人類の救済を阻む者たち。

 ウリエルは、悲しみと憎しみに燃えていた。彼女の正義が激しく燃えている。

 その中で、ウリエルは一旦語気を落ち着け、尋ねた。

「あなたは、天主に異を唱えるのか?」

「…………」

 二人は掴んでいた手を離し距離を取った。ぶつかり合う激しさは鎮火ちんかし静かな眼差しで互いを見つめる。ウリエルは指先で瞳に残る涙を弾いた。

「一度目は私も耐えた。しかし、二度目はない」

 さきほどよりも落ち着いた口調だが、決意までは変わっていない。

「天羽長。あなたのことは尊敬している。素晴らしい天羽だと認めています。しかし今のあなたは…………迷惑だ」

 ウリエルの行動は天主イヤスの指示に反していない。よって誰も彼女を咎めることも止めることもできない。それが、たとえ多くの命を奪う行為であっても。

「失礼しました。あなたといえど一時の迷いはあるでしょう。出過ぎた真似をしてすみませんでした。それでは、私はこれで」

 ウリエルは会釈えしゃくすると踵を返しこの場から消えていった。翼を羽ばたかせ、純白の羽が宙に散らばり姿が遠のいていく。

 この町はもうだめだ。助からない。それが分かっているからウリエルも消えたのだろう。

 ルシフェルは地上に降り立った。さきほどまであった悲鳴はもう聞こえない。変わらないのは燃えさかる炎の音だけだ。

 この町自体が彼らの墓標のように寂しくそこにある。炎の燃える音は鎮魂ちんこんのようだ。

 炎上する町。無人の静寂に身を置き、ルシフェルは瞳を閉じた。

「これが正義で、その反対が悪だというのなら」

 ここにあった多くの声を聞く。かつてあった多くの笑顔を見る。

 たとえ、彼らに非があったとしても。

 たとえ、彼らに罪があったとしても。

 その幸せは、その笑顔は、彼らの平穏は、

 それこそが、守るべきものだったはずではないのか。

 けれどそれらはもう、灰の中。

 ルシフェルは理想と現実の狭間で、一人立ち尽くしていた。

「私は、どちらなんだ……」

 その問いに、答える者はない。

「天下界の無信仰者(イレギュラー)」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く