天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

愛する人類を、救済するために

 声に含まれる感情、観念がそうされるのか。

 この声が持つ、人間と表現するには破綻した感覚は。声は悲しんでいる。語気は低く誰が聞いてもそう思うだろう。

 しかし、同時にどこか醒めているような、達観した含みがある。そのなんとも言えない奇妙さ。声も言葉も人のものであるに、これが人間とはまるで思えない。

 神とは人に非ず。ミカエルはそれを実感していた。

「はい、その通りです」

 イヤスの言葉にルシフェルはしっかりとした語調で答える。聖なる父に畏まった態度で接する。

 人間による、天羽殺害事件。一回目はなんとか解決に導いたルシフェルたちではあるが、連続して起きた惨劇に方法を決めかねていた。

 人類を裁くのか。

 それとも妥協するのか。

 どちらが正解など分からない。答えはまだ決まっていない。だが、

「残念だが、こうなっては仕方がない」

「では」

 イヤスから出た言葉にルシフェルは面もちを険しくさせる。

「手荒な真似はしたくないが、これも彼らのためだ」

 自分たちの創造主、聖なる父は決断された。

 此度の事件、その方針を。

「願いだけでは届かぬなら、やむをえん。人類のため、平和のため。彼らが傷つかぬよう、我々が守るのだ。争いをせぬよう管理しなければならない。愛する人類が、これ以上悲しむ前に」

 その根底にあるのは愛だ。人類すべてを痛みや怪我から救いたいのだという愛に溢れている。その愛があまりにも巨大であるがゆえ、一つの痛みや傷も許せない。

 そのため、次の言葉は必然だった。

「すべて」

 そう、すべて。全人類を傷つかぬよう守れと、そう言ったのだ。

 しかしそれでは。

(……すべて?)

 ルシフェルは顔を伏せながら言葉の意味することを考えていた。漠然とした表現に戸惑いそうになるが、ある意味でとても明確だ。

 今回、天羽殺害の罪を犯した者だけではない。

 男も、女も。

 子供も、老人も。

 すべて、力ずくで管理下に置けと?

「ですが」

 はじめて、ルシフェルは反論した。顔は伏せたまま声しか聞こえない主へ異を唱える。

 イヤスの言っていることは分かる。その目的、理念、理解できるし共感できる。しかし極論だ。

 言って駄目だから無理やりなど今までしてきた天羽のやり方ではない。あくまで人類と天羽による協力によって平和を実現させる。これが基本方針だったはず。

「それでは人類との和解は不可能です。敵対関係となり、争いが起こるでしょう。犯行に及んだ者も一部の過激派と判明しています。それをすべてというのは、やや早計かと」

 当然だろう。力ずくとなれば人類も力ずくであらがうに違いない。友好的だった国も意向を翻し失意とともに剣を向けてくる。

 如何に平和を掲げようと内容は自由の簒奪、抵抗は必至。あくまで一部の犯行だったものをその責任をすべてにしては。

 争いは、避けられない。

「やむをえんのだ。これ以上、人間が苦しむ姿は見たくない」

「しかし」

 そのためルシフェルは考えを変えてもらうよう進言するがイヤスの主張は変わらない。全人類の救済。

 それはすでに決定事項。手段は問わない。無理矢理となれば多くの反発や新たな問題が出てきてしまう。それを思えばこれは友好的な方法ではない。ルシフェルもそれでどうすればいいか悩んでいたというのに。

 しかしイヤスは人ではない、神だ。人の悩みなど持たぬのは必然と言えた。

 これは大いなる意思の決定だ。その前に、天羽の意志など無、同然。

「愛する人類を、救済するために」

 その言葉を残しイヤスの気配は消えていった。声も聞こえなくなりこの場を押しつぶすほどの存在感がいなくなる。ミカエルは水面から顔を出したような解放感を得るが緊張の糸は切れない。

 ルシフェルは、重苦しい雰囲気のまま立ち尽くしていた。それが背中越しからも分かる。ミカエルもさきほどの会話は聞いていた。

 天主イヤスから伝えられた指示とその内容。今までの行いを無にする代わり、目的成就のために一番確実な方法だ。

 ミカエルはゆっくりと立ち上がり、ルシフェルの後ろ姿へ尋ねた。

「……ルシフェル?」

 彼からすさまじいオーラを感じる。重大な選択を前に葛藤しているのが分かる。

 なぜなら、この選択で多くの命が関わる。多くの者の人生を狂わすことになる。苦渋が、意識に重く圧しかかる。

 だが、どれだけ悩んだところで答えは決まっている。至上の存在がすでに示しているのだから。
 ルシフェルは振り向いた。

「聞いただろう」

 そこに、選ぶ余地などない。

「人類に、侵攻する」

 今から人を殺しにいくような顔をして、ルシフェルはそう言った。

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