天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

自分は馬鹿だ

 でも、目の前がどうなっているのか分かる。鼓膜を通り越して悲鳴が心に突き刺さる。

 何度も自分に言い聞かせる。これは必要なこと、仕方のないこと。意味のあること。なんでもいい、自分が納得できる言葉を探しては言い聞かせていく。

 だけど、

「ぐああああ!」「ぎゃあああ!」「怪我人を搬送しろ!」「やられた! やられた!」

 迷いそうになる。挫けそうになる。

『ボクは、みんなが笑顔になれる、そんな世界がいいです!』

 蘇るかつての自分の言葉に、表情が歪む。唇が震えた。

(迷うな! 迷うな! 迷うな! 迷うな!)

 目の前の光景に、ウリエルは自分がどんなに情けないか思い知った。

 理想の決意?

 犠牲の覚悟?

 自分は馬鹿だ。仲間を前にあれほど豪語しておきながら、もう吹き飛びそうだ。

 燃え上がる炎に、聞こえてくる悲鳴に、決意も覚悟も揺れそうだった。

 いっそ、この炎で自分が焼かれたい。そう思えるほど。

 戦いは、一時間ほどで終わっていた。兵士たちは駐屯所を後にして撤退を開始した。彼女の周囲は燃える音だけになっている。

 ウリエルは地上に降りた。コンクリートの地面の上に立ち、胸に手を当てた。

「はあ……はあ……」

 深く、重い息が出る。涙をぐっと耐え、溜め込んだ心労を吐き出すように。

 傷一つない体に守られながらも、心は鋭利な刃物で切り裂かれたように痛々しい。

 ウリエルは今一度駐屯地を見渡した。炎上する建物、天にまで届きそうなほどの黒煙。地上を覆う炎の音。

 それらはぜんぶ自分がしたことだ。理想のため、平和のために。

 そう、仕方がないことだ。ここにある痛みと悲しみは。それを目の当たりにしてしかしなにも出来ない。

 これは犠牲、救うことは出来ない。

 ウリエルは姿勢を正し、現実を受け止めた。

(私にはもう、これしかない)

 もう後戻りは出来ない。これだけのことをした、あとは進むしかない。

(そう、これしかないんだ)

 一つを諦めて、一つを成す。

(世界から争いを無くすために)

 彼女は愛を捨てて理想を選ぶ。

 痛みを呑み込んで、進むのだ、これがみんなのためになると信じて。

 ウリエルは悲哀の瞳で立ち尽くした。

(神愛君……)

 これも彼のためだと自分を納得させて、ウリエルは悲しみに暮れる。

(今の私を見ても)

 多くの人々を襲う非情な天羽。そんな身に成り下がろうと、

(君はまだ、友達だと言えるの?)

 彼はまだ、思ってくれているだろうか。また、言ってくれるだろうか?

 絶望と不安から救ってくれたように。

 あの時と同じ言葉を。

「恵瑠?」

 その時だった。背後から聞こえた声にすぐさに振り向いた。

「どうして……」

 それは聞きたくて、しかし聞きたくない声だった。

 そこにいたのは神愛だった。今しがた考えていたその人が目の前に立っていたのだ。

 周囲が炎に包まれている中で、二人は対峙していた。

 彼の背後には数台の車が見える。乗ってきた他の騎士たちは散開して負傷者や逃げ遅れた人たちの手伝いに向かっていた。

 数人が車の前に立ち、離れた場所から神愛とウリエルを見守っている。

 突然の再会にウリエルは茫然としていた。まさか会えると思わなくて。目を丸くして神愛を見つめるだけ。

 頭の中は真っ白だ。考えようとしても頭がうまく回らない。

 会えたことが嬉しい。

 だけど彼を攻撃したことが辛い。

 彼はどう思っている? なにをしに来た? 味方として? それとも敵として?

 思考は空回りを続け期待と不安が繰り返しやってくる。

 そんな彼女に、神愛は言った。

「恵瑠、もう帰ろう」

「……!」

 その目に敵意はない。自分を心配してくれて、声は柔らかだ。

 彼は、味方として来てくれた。

 不安が歓喜に変わった瞬間だった。

 普通あるだろうか。攻撃し、炎に包まれて、それでも自分を信じてくれることが。

 こんな自分をなお、友人として扱ってくれることが。

 ウリエルは、再び感謝した。泣きたいほどに。

「お前が自分からこんなことするはずがない。なにか事情があったんだろ? ミルフィアや加豪も天和も待ってる。他の連中はいろいろ言ってくるかもしれないが心配すんな、俺がなんとかしてやる!」

 彼女を引き戻そうと必死に説得してくれる。

「だから、一緒に帰ろう。な? まだやり直せるって!」

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