生きててよかった！

　ホッとするが、そこへ恵瑠えるが聞いてきた。

「ねえ、覚えますか？　一緒に街を歩き回ってた時のこと」

　恵瑠えるは懐かしむようにそう言った。囮作戦として恵瑠えるとはいっしょにいろいろな場所を歩き回った。今思えば軽率だったけど、でもなんだか懐かしい。

「ああ、それがどうした？」

「必死だったけど、なんだか楽しかったなって」

「そうか？」

「うん」

　それは恵瑠えるも同じみたいで、小さく微笑んでいた。なんだかいろいろあって遠い昔のことのように思えてくる。

 ずっと必死だったからかな。恵瑠えるもそうだ。ここでずっと辛い思いをしていたんだから。

「一緒に街を歩いて、案内して、美術館回って。ボクの秘密を明かしても受け入れてくれた。友達だと言ってくれた。その後は一緒にお泊りして。緊張してすごくドキドキした」

「そうだな」

　ほんと、いろんなことがあった。

　美術館では恵瑠えるから歴史のことをたくさん教わった。

　ペトロ達には追いかけ回されて。

　その後、俺は恵瑠えるから真実を教わったんだ。

　恵瑠えるは人間じゃない。天羽てんはだったこと。それも堕だ天羽てんはとして人間に近づいた天羽てんはだったこと。

　その後、俺たちは安い宿で一泊した。見慣れない恵瑠えるの大人な姿に俺も緊張しっぱなしだった。

　大変だったよ。いろいろあり過ぎて。

　だけど、

「でもね、たのしかった」

　楽しかったんだ、恵瑠えると一緒にいる時間が。恵瑠えると笑い合えた瞬間が。この今を大切にしたい、そう思えるほどに。ずっと守っていきたい、そう思えるくらいに。

「神愛かみあ君がそばにいる。それだけで安心できた。たくさん不安だったはずなのに、笑顔になれたんだ。どんなに辛い時でも、神愛かみあ君と一緒なら怖くない。こんなに幸せでいいのかなって、そう思っちゃうくらい幸せだった。ずっと、こんな時間が続けばいいのに。そう思ってたんだ」

　恵瑠えるは堕だ天羽てんはだ。かつて自分が行なった非道に人間たちからは追い立てられ、仲間であった天羽てんはたちからも迫害を受ける身だ。仲間なんていない。

　昔の仲間を裏切って、愛する人間には嫌われて。

　一人ぼっちだ。寂しいさ。不安なはずだ。それを恵瑠えるは耐えてきたんだ。

　でも、俺は恵瑠えるを受け入れた。友達として。俺は恵瑠えるとずっと一緒にいることを決めたんだ。

　恵瑠えるが、俺を見上げる。

　ずっと一緒にいようと約束した、この俺を。

「神愛かみあ君、ありがとうね」

　そばにいる。それだけで恵瑠えるは救われていた。

「いいって、当然だろ」

　そんな恵瑠えるに俺は当然だと自然に言ってやった。

「立てるか？」

「うん……」

　起き上がる恵瑠えるを支える。長時間による十字架の責苦を受けたんだ、衰弱の状態がひどい。本当はもっと休ませてやりたいが、ずっとここにいるわけにもいかない。

「うっ」

「恵瑠える？　大丈夫か！？」

　恵瑠えるの姿勢が崩れあわてて力を入れて支える。恵瑠えるも頑張って立ち上がってくれた。

「うん、大丈夫……」

「無理はすんなよ」

　よろめきながらも恵瑠えるは立っている。俺はそっと手を放した。

「歩けるか？」

「うん」

　恵瑠えるが頷いたのを見て俺は台の階段を下りていく。だが、恵瑠えるに呼び止められた。

「神愛かみあ君？」

「ん？」

　振り返る。そこには恵瑠えるが立っていて、小さな両手を不安そうに胸に当てていた。その一つを小さく俺に向ける。

「手、繋いでくれる？」

　伸ばされた恵瑠えるの手。それを、俺はゆっくりと握ってやった。

「あったかい……」

　恵瑠えるの手はひどく冷えていた。それに小さく震えている。

　俺が握ったことで恵瑠えるからは不安そうな表情はなくなり、ホッとしたようだった。目は細められ俺の手を見つめている。

　すると恵瑠えるは俯いてしまった。

「神愛かみあ君。よかった……会えてよかった……本当によかった」

　声が震えてる。俺は心配になった。

「恵瑠える、泣いてるのか？」

「うん」

　恵瑠えるは泣いていた。もう片方の手で涙を拭いている。だけど涙は止まらないようで、恵瑠えるは何度も拭いていた。次第には肩も震え出し、涙声になっていた。

「もし、また会えなかったらどうしようって。そう思ってた。そうするとね、寂しくて胸がすごく痛くなったの。痛くて痛くて、涙が出てきたんだ。すごく悲しくて、辛かった。早く会いたいって、ずっと思ってた」

　泣きながらしゃべる。一人で待っている間、ずっと寂しくて辛かったと。もしかしたらもう会えないかもしれない。そんな不安の中にいたんだ。恵瑠えるの涙がなによりもその時の思いを語っている。

「だからね、こうして出会えて――」

　震えが止まった。恵瑠えるは涙を拭き終り、両手で俺の手を握ってきた。

「ボク、すごく幸せだよ」

　不安と恐怖に挟まれて、すごく寂しい思いをしただろう。ずっと一人で、痛みと悲しみに泣いたこともあっただろう。

　でも、もう泣くことなんかない。そんな必要なんてない。

　だって、その時の思いはこうして報われたんだから。辛くても頑張った。苦しくても諦めなかった。だからこそ俺たちは出会えたんだから。

「……そうか」

　恵瑠えるの告白に俺は優しく声をかける。恵瑠えるの喜びを俺も嬉しく思う。

「こっちだ！　襲撃犯がいるぞ！」「この部屋だ！」

「！？」

　聞こえてきた声にすぐに振り返る。外が騒がしい。どうやら敵が追いついたようだ。

「ここで待ってろ恵瑠える！」

「でも、神愛かみあ君！？」

　俺は恵瑠えるから手を放し入口に足を向けた。そこから何人もの騎士たちが入ってきていた。

「大丈夫だ、すぐに戻る！　じっとしてろ！」

「天羽てんはが逃げ出すぞ！　早く捕まえろ！」「ここで食い止めるんだ！」

　俺は階段を駆け下りた。その最中に黄金のオーラを纏っていく。

「悪いがな、大事な友達待たせてるんだ」

　階段を下り終え床に立つ。正面には三十人近い騎士たちがびっしりと並んでいた。

　でも心配や不安なんて少しもなかった。

　恵瑠えるがそこにいるんだ。戦える。守れるんだ。なら、負ける気なんてしない！

「さっさと退いてもらおうか！」

　絶対に守るって、誓ったんだからな！

　俺は突撃した。敵に強化した拳を打ち付け吹き飛ばし、敵の攻撃は妨害し、その隙に打ち返す。
敵も必死だが、俺には届かない。

　なんていうか、充実していたんだ。

　今までは恵瑠えるが殺されるのではないかと不安と焦りにがむしゃらに戦ってきたけれど、今は安心して戦える。

　恵瑠えるが生きていたという安心感と守っているんだという実感が、胸につかえていた不安を取り払って、清々しいほどまでに戦える。嬉しいくらいだった。

　恵瑠えるも言っていたけれど、俺だって同じだ。

　よかった。会えてよかった。無事でよかった！

　だから、こんなところで――

「負けられないんだよぉ！」

　俺は最後の一人を倒していた。騎士たちは全員床に倒れ意識を失っている。

　俺は振り向いて、装置の上にいる恵瑠えるを見上げた。さきほどから不安そうな顔で俺の戦いを見ていたが、こうして勝って、俺は余裕の表情で言ってやった。

「な、大丈夫って言ったろ？」

　それで恵瑠えるも小さく笑ってくれた。

「うん」

　恵瑠えるの顔を見て俺も安心する。俺は見上げたまま、俺たちは見つめ合っていた。

「神愛かみあ君、ボクね」

　そこで恵瑠えるが言うか言うまいか迷う仕草を見せる。なんだろうか。そう思って見ていると、恵瑠えるは意を決めたのか顔を上げた。

　その時に、恵瑠えるがなにを考えていたのか、心が読めるわけじゃないので俺には分からない。

　天羽てんはとして生まれて、人が大好きで。でも、人にひどいことをして。それをずっと後悔してた。仲間を裏切って、人には嫌われて、報われることなく、ずっと一人で生きてきた。

　天羽てんはが地上に降りて二千年。その時間の中で、恵瑠えるがどんな思いで生きてきたかなんて、誰にも分かるはずがない。

 ただ、その二千年という時間を一度も報われることなく、ずっと苦しんできただけだ。

　そんな長い時間を、たった一人で。

　そんな彼女が顔を上げた。

　そして、言うんだ。

　とびっきりの笑顔で。

「生きててよかった！」

　声を叫ばせて。抑えられない喜びを弾けるようにして。

　恵瑠えるは、笑ってた。