天下界の無信仰者(イレギュラー)

奏せいや

教皇宮殿

 白亜はくあの塔が空に伸びていた。

 教皇宮殿と呼ばれるその建物はゴルゴダ共和国を代表する巨大シンボルだ。まずでかい。なによりでかい。

 見る者を圧倒する全長300メートルの全容ぜんようは地上からは見ることは出来ない。さらに総教会庁そうきょうかいちょうの本部ということもあり存在感がある。

 その高く聳え立つそびえたつ教皇宮殿上層の会議室にて、教皇エノクは椅子に腰かけていた。目の前には聖騎士隊の隊長たちが着席している。

「教皇様、お誕生日おめでとうございます」

 着席していた隊長たちが立ち上がりエノクへお祝いの言葉を送る。

 今日はエノクの誕生日。この国の信仰上の代表者である彼の記念日に皆誇らしげな顔をしている。そこには聖騎士一位、ペトロの姿もあった。

 彼らかの言葉にエノクは小さく手を上げる。

「ありがとう。こうして祝ってもらえて私も嬉しい限りだ。だが、状況はそれを許してはくれない。座ってくれ」

 エノクからの言葉に隊長たちは着席する。表情は引き締まりせっかくの教皇誕生祭であるにも関わらずこの場は重苦しくなっていた。

「彼らの動向どうこうはどうだ」

 教皇エノクの問いにペトロが答える。

「国務庁、行政庁とも見張ってはいますがまだ動きは見られません。ただし神官庁では我々の動きに不信感を持ち始めている者が増えているようです」

「あからさまに装備を整え過ぎたからな」

「時間がありません、仕方のないことでしょう。いっそのこと天羽てんは襲来しゅうらいを彼らにも告知こくちしますか?」

「…………」

 ペトロからの提案にエノクは目を伏せると黙考もっこうした。しばらく無言の時間が経ち、エノクはそっと目を開けた。

「いや」

 その答えは否定、たとえ同じ慈愛連立じあいれんりつの信仰者といえど教えることは出来なかった。

「シカイ文書に記された天羽てんはの侵攻は隠さねばならん事実だ。その秘匿ひとくは我々の義務でもある。もしそれが明るみになれば混乱を招くだけだ。慈愛連立(じあいれんりつ)の信仰者が負う傷も大きい。また情報の共有は漏洩ろうえいの危険性を増す。スパルタのビスマルク宰相さいしょうが知れば黙っているはずがない」

「たしかに」

 直面する危機に対し、両者は対策とリスクを考えていく。

「しかし、隠し通すならば本日の教皇様の誕生祭、是が非でも成功させなくては」

 そこへ一人の隊長が言う。それに他の隊長たちからも賛同の声が上がった。

「神官長派の狙いが正確に分からぬ以上、やつらからの妨害を考慮し、警備には例年以上の人員を割いています」

「パレードに使われる道路、また道具は事前ぎりぎりまで精査せいさ、パフォーマーの本人確認はもちろんのこと教皇様のフロート車には騎士を囲うように配置。また数名と聖ペトロ様にも搭乗とうじょうしてもらう予定です」

 隊長たちからの報告にペトロも彼らを見つめ力強く頷いた。

「いや、私は一人でいい」

「教皇様?」

 だが、当の本人であるエノクが顔を横に振った。

「楽しみにしている催しが物々しければ、民の期待に水を差すことになる」

「ですがそれはあまりにも危険です」

 教皇の身を案じるペトロからしてみれば気が気ではない。エノクの言っていることは理解できるが認めるには危険が大き過ぎる。

「聞こえないか、この声が」

 そこで、教皇はぽつりとつぶやくようにそう言った。

 エノクは背もたれに体を預けると穏やかそうな表情で瞳を閉じる。

 この部屋ではここにいる彼らの声しか聞こえない。外から音が聞こえてくるというのも上空百メートルではあり得ない。

 だが、耳をませば聞こえてくる。それは彼らの神化しんかによって強化された聴覚もあるが、なによりその声が大きい。

 地上から百メートルちかい高さのここにまで響かんほどに、この日、ゴルゴダ共和国の民は歓喜かんきしていた。教皇誕生祭。待ちに待った当日を迎えて。彼の功績こうせきに、彼のあり方に敬服けいふくし、感謝し、喜びを共有していた。

「大勢の声だ、とても。今か今かと待ち侘びている楽しそうな声。毎年多くのみながこの日を祝ってくれる。私のためにな。それに、私は応えたい」

 静かで穏やかな声だった。まるでこのまま眠ってしまうのではないかと思うくらいに、教皇エノクは地上から聞こえる喧騒けんそうにくつろいでいた。

「教皇様しかし」

「それに、天羽てんは降臨こうりんを狙っているのは『彼ら』だけだ。慈愛連立じあいれんりつの信仰者はそうではあるまい。私は一人でいい。警備の騎士は道路沿いに。例年通りだ」

 エノクは瞳を開け体を起こした。この場の最高責任者の指示とあっては誰も拒めない。

「分かりました。ですが、せめて私一人だけでも傍に置いてください。それが最大限の譲歩です」

 ペトロはエノクの気持ちを汲みつつも自分の意見を主張した。民の期待に応えんとする気持ちは分かるが安全性を軽視は出来ない。

「……そうだな」

 ペトロの立場もある。エノクは素直に応じた。

「時に、ヤコブはどうしている。姿が見えないようだが」

「彼には別の任務に就いてもらっています。彼の弟を引き入れるために」

「そうか」

 エノクは小さくつぶやいた。目がわずかに細められる。

「申し訳ないが、この事態だ。彼にも働いてもらうしかない」

「当然の責務せきむではありますがね。彼もそう思っているでしょう」

 対してペトロは強硬きょうこうな態度だ。この危機的状況で戦わないとするのは甘えでしかない。そう思っている。

「だが、彼の苦しみは分かる」

「教皇様……」

 それでも、エノクは目を伏せた。ヤコブの弟、彼を戦いに引き込むことにエノクも異論はない。ただし、抵抗がないと言えば嘘になる。本当ならばさせたくはないと、目を閉じた表情は悲しそうだった。

「胸が、痛むな」

 エノクは胸に、片手を置いた。

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