白昼夢の終演、僕が見たエトセトラ

些稚絃羽

11.真実は突如目の前に

「カンちゃん、金もらったさ、一緒に飯行こうぜ。当然カンちゃんのおごりで!」
「金の使い道くらい自分で決めさせてやれ」
「これは男の友情だもんね。イズは堅すぎだって」

 肩に回された腕が邪魔だ、と言える雰囲気ではない。いつから友情を育んだのかとも。
 初対面のふたりに挟まれて、居心地悪く愛想笑いを浮かべているしかなかった。


 僕の援護者としてあてがわれたのは、後から来た四人のうちの、男と黒髪の女のふたりだった。

 男の発言通り、女はイズと呼ばれている。本当は泉と書いて「せん」という名前らしい。男の方はソウと名乗った。苗字が天草だからということだったが、何故二文字目をとったのかは不明だ。
 そして僕はカンと呼ばれることになった。言わずもがな、神咲のカンだ。因みに白戸はそのままイサムさんと呼ぶと教えてもらった。他の人の名前はまだ聞いていない。
 彼等は皆、あだ名で呼び合う。その方が親しみが湧くだろとソウは言うが、本当のところは周囲に名前を悟られないようにするためではないかと思っている。どれほど気軽な関係がそこにあるとしても、彼等が居る場所は決して陽の当たる場所ではない。

 ふと姉川さんが呼ぶ「ガクさん」というのを思い出す。あれは単に古い刑事ドラマの影響であだ名で呼びたがったからという理由らしい。そんな可愛らしいものであれば良かったのだが。


「ふたりは小林拓馬って人を知っているの?」

 ただ歩くだけでは時間がもったいない。警察に見つかるというリスクは実際に負っているのだ。効率よく動かなくては。

「どうしてそんなことを聞く?」
「この仕事は宝探し。隠されているものを見つけるには、持ち主の性格を知っておくのがいいんだ。性格から隠し場所を絞れるからね」

 イズは瞳にアスファルトを映して、記憶を遡っているのか眉間を摘まむ。爪の短い素朴な指が離れたその箇所に、小さな傷がある。やや浅黒い肌にも赤みは強くまだ新しい。

 ソウは、一度見たことがあるだけだと言う。
 こう見えてソウは白戸に拾われてからさほど経っていないとのことだった。だからできるだけ客と接触しないようにしているらしい。

「多分余計なことしそうって思われてるんだろうな。実際しちゃうだろうけど」
「小林はどんな印象だった?」
「感じわりーとは思った。俺のこと見て、なにこのバカそうな奴って顔してたもん」

 そういう印象というのはきっと間違いではない。ソウが感じ取ったのは紛れもなく学歴差別的なものだろう。小林という男を実際には知らないけれど、世間からはみ出した者の感覚は鋭敏だ。言葉にしなくても瞳の裏に隠した意識を見つけてしまう。どこか少年のような雰囲気の残るソウも、はみ出してしまった――若しくは、取り残されてしまった――側の人間なのだ。

 イズは黙って聞いていた。が、おもむろに声を上げる。

「単純な男。自分のことが一番で、自分の境遇が悪いのは全て周りのせいだと思っている……そんな奴だ」

 嫌っているというようには見えなかった。しかしその言葉は幾らか厳しい評価だった。

「随分辛辣だね。イズは何度か会っているんだ?」
「あいつが特別そうという訳じゃない。うちに来る奴は表ではどうにもならなくなった奴だからな」

――あたしらみたいに。
 声が重たく落ちた。どんな言葉も思い浮かばない。可哀想だと考えるのは違うと思ったし、そうかと納得するのも違う気がした。触れないのが唯一できる反応だ。

「イサムさんが、小林が何かを隠していると考えているのには理由があるのかな?」
「一年前に父親が死んでいる。父親は会社を経営していて、かなりの遺産があったらしい」
「その遺産で借金は返せなかったの?」
「あいつは母親は居ないが三兄弟の末っ子だ。三分の一の金では半分も返せない」

 そんな状態で、今は空き家になった家から何かが出るとは思えない。そう言うと、イズは首を振った。

「父親に一番可愛がられていたという情報がある。特別に遺されたものがある筈、というのがイサムさんの意見だ」

 白戸を信頼しているんだな、そう思うのに変わらない表情が疑問を過らせる。感情の起伏が激しそうなソウとは真逆な性格らしい。だから僕の疑問も思い過ごしだろう。たかだか一時間程度で人の内が計れる筈もない。
 それよりも、こうして聞いたことに警戒なく返答してもらえるということは、仲間として認識されている証拠なのかもしれない。僕が知りたい本質まで、ふたりの知る範囲で、わずかにでも近づける期待が高まる。少し踏み込んでみてもいいだろうか。

「金が入るっていうのは」
「なぁなぁ、カンちゃんってさ、なんか警察みたいだな!」

 向き直るとソウが笑っていた。他意はなさそうな、純粋な笑顔。この分だと言葉を遮ったのも、単に聞こえなかったというだけらしい。

「まさか。……嫌いな人種だよ」

 僕は誤魔化そうとしていたのだろうか。それとも、これがやはり本心ということだろうか。であるとすれば、僕の方が余程、裏の世界の住人として素質がありそうだ。

「吸っていいか」

 イズが言って、煙草を出す。頷くと、先程買ったばかりの百円ライターで火を着ける。彼女の煙草は現場で見つかったパッケージと同じものだった。
 小林拓馬の前住居までは、もう少しのようだ。


**********


 到着したのは、年代物のアパートの一室だった。
 アパートは二階建てで、四部屋ずつ。敷地の中には駐車場と駐輪場、雑草の芽が顔を出した手付かずの花壇がある。その全てが見下ろせる二階の角部屋が小林の部屋だ。

「このアパートも父親の持ち物なんだって。住んでた頃はその小林が管理人みたいなことしてたらしいよ」
「へぇ、今は?」
「長男が管理している。といってもどちらも名前だけだ」

 父親に溺愛されていた小林だが、その代わり兄にはよく思われていなかったらしい。父親の死後、勘当同然でこのアパートから追い出されたというのが実情のようだ。
 小林は借金について、父親を頼ることはしなかったという。白戸が早くに提案したことだったが、それだけは絶対にしたくないと言って聞かなかった。父親に迷惑がかかることを良しとしなかったというエピソードかと思いきや、プライドが許さなかっただけだとイズは言い切った。小林への評価は下がる一方だ。


「何もないじゃん」
「追い出されているのに物が残っていた方がおかしいと思うよ。新しい入居者を入れるためにも部屋は綺麗にしてないと」

 荷物を置いていったとしても全て捨てられるのがオチだろう。そもそも大した荷物があったかどうかも不明だが。

「アパートだし、隠せるところは少ないかな。他の住人に気付かれずに部屋を改装するのも無理がある」
「早々にお手上げか」
「いや、逆に目星は付いたよ」

 玄関脇の窓から外を指差す。辛うじて見える敷地の隅には花壇がある。

「あの花壇じゃないかな」
「何にも植わってないけど?」
「何にも植わっていないからだよ。雑草だって最近出てきたような小さなものばかりだった。このアパートは結構古そうだしあまり手入れもされていないようなのに、あの花壇は確実に一度は手を加えられている」

 念入りに確認するほど部屋は広くない。何かを隠していることを前提とするなら、最も怪しいのはそこだ。ガーデニング好きの住人が居るとすれば、何も植えられていないというのはおかしい。かと言って完全に放置されていると考えるには綺麗すぎた。誰かが掘り起こしたのになおもそのままにしているというなら、考えられる理由は少ないだろう。
 しかしこんな日中に花壇を掘り起こす訳にはいかなかった。部屋の中であれば存分に見て回れるが、警察を警戒している身としては、外での行動はできるだけ避けたい。

「あとで金属探知機だけは使ってみるよ。何かありそうなら深夜にでも掘ってみよう」
「じゃ俺、イサムさんに報告してスコップとかの準備しておこうか?」

 ソウが言ってくれたのでお願いすることにした。一先ず今できるのは部屋に何もないことを確認することくらいだから、そんなに時間もかからない。すぐに引き上げることになるだろう。


 出て行ったソウを見送って、イズとふたりで部屋の中を歩く。僕のやや後ろの位置を保って付いて来るのは監視と思えばいいのだろうか。
 会話もなく、時折僕が壁や天井を叩く音だけが鳴る。イズの気配を感じなくなる瞬間が何度かあって、その度に後ろを確認した。
 そろそろ沈黙に耐えきれなくなった頃、イズの目元の傷に目がいって、それを会話の糸口に決めた。 

「目のところ赤くなってるけど、大丈夫?」
「昨日付いた傷だから多少は痛い。でも戒めにはなる」

 出たのは意外に重いフレーズだった。

「戒め。何の?」
「“瀕死の人間の言葉は聞き流せ”。自分が手を下した者なら尚更、耳を貸すべきじゃなかった」
「それ、は……」

 頭が真っ白になる。何を言っているのか、分かるのに分からなくて、心臓が暴れだす。冷酷な言葉がそれまでと一切変わらない声色で澱みなく流れていく。平然と、何でもない日常の一片を切り取るように。
 恐怖が全身の震えに変わって、吐く息まで明確に揺らいだ。

「君達は、殺人までさせられているのか?」

 僕を映す瞳は他の色が入る隙もないほど黒く、底なしの闇のようなのに、黒真珠のような輝きで満ちていた。窓から差し込む陽の光がそうさせているのか、彼女の持ち得る純真さのためなのか。こんなにも焦燥感を掻き立てられる瞳は初めてかもしれない。
 イズが無表情の中に不思議そうな感情を混ぜて言う。

「させられている? 違う、私にできる仕事がそうしたものだっただけだ」
「それこそ違うよ。汚い仕事を押し付けられているだけじゃないか」

 目が鋭く尖る。その隙間で黒の前を過った炎に似た色を、僕は確かに見た。

「カンは、どうしてうちに来た? これじゃまるでイサムさんのやり方を非難しているみたいだ」

 つい感情的になっていたことを、どこまでも冷静なイズの言葉で理解する。僕が追っている真実は、突っ走って手に入るようなものではないと認識していたのに。
 改めて今の自分の位置を思い返す。

「……ごめん。まさか君達にそんな仕事が回っているとは思わなくて」
「ひとつ訂正する。皆多様な仕事を回してもらうが、殺しは私だけ」
「イズだけ?」

 思わず皮肉めいた感想を述べた。

「それは随分、認められているんだね」
「さっきも言った、私にできることがそれしかないだけだ」

 何を言っても誰かへの批判にしかならない気がした。それはそうだ。僕がしていることは、批判するため、誰かが犯した間違いを正すための行為なんだから。
 叫びたかった、そんなの全部間違いだと。けれどそうしたところで何かが変わる保証もない。僕は何て無力だろう。

「昨日ということは、小林はイズが」
「あぁ」
「どういう計画だったのか、聞いても?」

 呆気なく、滑らかに、答えが提示される。あぁ、こんなことが他にもあったなと、心の隅が泣いた。


 イズが語った真実は、こうだった。

 以前まとまった金を用意した小林氏は、その金が奥野さんに工面してもらったものであることを明かした。法外な利子の付いた借金を前にしては、奥野さんからの金は微々たるものだったが、白戸は奥野さんを利用することを考えた。利用というのも金を出させるということではなく、小林氏殺害の犯人役になってもらおう、ということだった。
 それは小林氏にかけられた多額の保険金のためだった。限界が来ればこの保険金で返済してもらうという脅し付きで無理やり契約させたのだそう。そしてその限界が来た訳だ。

 イズは小林氏に「奥野の家の離れには金塊が隠されている」という偽の情報を伝えた。俄かには信じがたい内容だが証拠じみたものまで見せられ、イズが白戸に黙って秘密裏に助けてくれようとしている、と罠にまんまと引っかかった小林は偵察に出かけた。それが奥野さんの記憶していた日のことだ。
 何もないように思えたと首を捻る小林氏に、では一緒に探そうと持ち掛けた。奥野に見つからないように宿泊中のホテルに呼び出しておくよう命じる。そうして出掛けたことを確認して、離れに忍び込んだという流れだった。

「あいつの持っていた懐中電灯を借りて、それで殴った。火を着けようとしていたらあいつが何か言っていて、最期だし聞いてやろうと思って近付いた時に眼鏡をもぎ取られた。この傷はそのせい」
「今は眼鏡をしていないけど」
「軽い変装用だった。普段は必要ない」

 欲しい情報を大盤振る舞いに手渡された時、人は思考することを忘れてしまうのだと思う。順序立てて理解することを放棄したくなってしまう。
 現にほとんど放棄していた。すると場違いにも、好奇心みたいなものが理性が働くより先に動き出してしまう。

「どんな気持ち?」
「どんな?」
「イズは昨日、何度目かの殺しをしたんだろ? 怖いとか、悲しいとか……愉しいとか」

 イズは考えていた。自分の心の中にあるものを見ようとしていた。その姿はあまりに無垢で、それが僕を不安にさせた。
 答えを待つ。動かし続ける手は惰性で、平常心のふりをするには止める訳にはいかなかった。


「申し訳ないとは思っている」

 短く答えて、こう続けた。

「ただ、それは罪悪感を抱えていないことに対してであって、殺したことに関しては何の感情もない」

 さも当たり前のように、それ以外の答えは持ち合わせていないという顔が僕に向いている。思わず腕が重力に負ける。
 何がそうさせてしまったのだろう。あるべき感情は抜け落ちて。それを可哀想だと思ってしまった僕は一体何様だろう。
 ……僕の中の感情はちゃんと全て、揃っているのだろうか。

「このままでは……本当に抜け出せなくなるよ」
「別に抜け出そうとも思っていない。今のままで不自由もないし」

 彼女達が抱き締めているのは風船みたいなものなのかもしれない。中に先の鋭い無数の針があって、与えられた贈り物つみで風船は膨らんで。大きくなる風船はちゃんと抱き締めておかなくては飛んで行ってしまいそうで。彼女達は抱える腕に力を込める、その後の惨劇なんて知らないままで。
 危うい。いつ弾けるかも分からないものを、無垢に信じすぎている。大切に思いすぎている。やがて割れてしまう可能性を教えられないまま。
 同時に白戸の罪は重い。割れてしまうことも含めて許しているように思えて、無性に悔しくて堪らなかった。

 手から部屋の鍵が奪われる。イズが距離を取って、手の届かない場所で告げた。

「カンは早く消えた方がいい」
「どうして急に」
「表に居場所がある奴はそこに戻らなきゃいけない」

 線を引かれた。一瞬でも近いものを感じた気になっていたことを今更悟られたのかもしれない。でも僕は、微かにイズの居る場所に惹かれてしまう自分に気付いている。いっそ闇の奥深くまで落ちてしまいたいと願っている。馬鹿げた感情と知りながら、抗えないほど強く、惹きつけられていた。

「居場所なんて」
「あるだろ。でなきゃそんな顔はしない」

 来るな、と言われている。言葉にされなくても、明白だった。
 自分の表情が分からない。本当に居場所なんてあっただろうか。何もかもが、良いことも悪いことも全てが、白昼夢のようで。ぼんやりと霞んで、なのに僕を捉えて離さない。
 言葉が欲しい、僕の何かを証明してくれる言葉が。突然、そんなことを考えた。

「逃がすのか、僕は全部を知ったのに?」
「カンの命だ、どう使おうがあたしには関係ない。できることが好きなことという訳でもないから」
「……教えてくれたのは、どうして?」
「自分の正義のために犠牲を払おうとする勇気は、讃えてもいいと思ったから」

 イズが初めて笑みを浮かべる。嘲笑うように、皮肉るように、それとも心底素直な感情で。続く一言が僕達の別れの言葉になった。 

「カンの嫌い・・は、同族嫌悪だよ」

  

コメント

コメントを書く

「推理」の人気作品

書籍化作品