白昼夢の終演、僕が見たエトセトラ

些稚絃羽

10.誰にも言えないお仕事

 翌日、一睡もしないまま朝を迎えた。とはいえ、何もせずに時間を過ごしていた訳ではない。調べものに集中していたら朝になっていただけの話だ。
 ルームサービスでお腹を満たして、事務所で飲んでいるインスタントより数十倍美味しいコーヒーを飲む。苦みと少しの渋みが、喉を通ると同時に爽やかな甘みに変わって鼻に抜けていく。実に贅沢で至福のひとときだ。

 明日、明後日、同じ朝が僕にあるだろうか。

 不穏な言葉が当然のように目の前を流れていく。幸せな時間を感じるのに、反面これで最後かもしれないと考えている。
 それでは危ない。誰にもボロを出してしまわないように、慎重に上手く行動しなくてはいけないのだ。今頼れるのは自分だけ。自分を信じてやってみるしかない。

「怒られるだろうなぁ」

 無意識に出た。怒られる、誰に? 分からない、もしかしたら皆に、かもしれない。
 無謀だって言われるだろう。何でこんなことをって。怪我でもしたら、まして死んだりなんかしたら、思い浮かぶ限りの暴言で馬鹿にされるのかな。死んだら聞こえないけど。……じゃあいいか。

 テーブルの上に置いてあるハンカチ。不自然に膨らんだそれを開いてみる。
 レンズのない、フレームだけになった眼鏡。銀色を砕いて集めたみたいな色をしている。

「現場から物を持ち出すの、そういえば二回目だ。くくっ」

 僕の笑い声に応えてくれる人は居ない。僕はひとりだ、孤独に戦わなくてはいけない。それを選んだのも確かに僕だった。


 木の枝の間で見つかったのは、煙草のパッケージだった。空になったため捨てようとしていたのか、中央で捻られていた。火事の熱風でそこまで引き上げられたのだろうと考えられている。
 金属探知機はどうやら煙草のパッケージに含まれるアルミに反応していたらしかった。あの量であれば近付いているのに音量が上がりにくかったのも頷ける。

 姉川さんからは、これで事件が進展しそうだよとお褒めの言葉を頂戴した。煙草の銘柄から犯人を絞ることができ、指紋が取れれば一気に犯人に近付くこともあるからだ。すぐに鑑識で調べると言っていたし、早ければそろそろ決定的な証拠となる結果が出ている頃かもしれない。
 そうなってもいいし、そうならなくてもいい。むしろどっちでもいい。そっちは警察の仕事だ。ただそれで盛り上がってくれるのは僕にとって好都合だった。

 ポケットに隠した、犯人のものと思われる眼鏡フレーム。それを僕は持ち出した。
 これが直接犯人に結び付くなんて思っている訳ではない。眼鏡なんてどこにでもある品を隠したところで、大きな何かが変わる筈もない。
 どうして持って来たのかな。特別な理由は思い至らない。けれどしいて挙げるとすれば、動き出すための言い訳が欲しかったのかもしれない。そんなことを考える。

 母さんはどうしているかな。
 あんなことがあった後だけれど、家で眠りたいと言うので意思を尊重した。僕が帰る時には奥野さんも戻ってきたから、問題はないか。明日また来るよと伝えたけれど、多分無理だろう。
 ……とんだ再会になっちゃったな。
 深く息を吐く。ここでしんみりしていてどうする。起きたことは仕方ない、だから解決するために尽力しよう。それがたとえ何かの罪に問われるとしても、不思議と怖くはなかった。どうとでもなれ。だって僕なんか……。

「なんてな」

 僕の笑い声に応える人は、やはりひとりもいなかった。僕はひとりきりだった。


*****


 陽の当たらないコンクリートの冷たさが、コートを通して背中に広がっていく。
 見上げて広がる空は狭い。ホテルで焼き付けるように空を眺めていて良かったと思う。ビルの先に隠された色は残像で補った。
 ここに陣取ってからもう一時間は優に過ぎている。人の往来が少ないのは、皆敢えて避けたい通りであるせいだろう。僕だって目的がなければ近付きたくない場所だ。

 ビルの陰から顔を覗かせて様子を窺う。しかし待ち人はなかなか現れない。今この時間に居るかどうかの確証はないが、長期戦も覚悟の上。今ここに居ないなら日を跨いだって構わない。計画も一か八かだ、失敗すれば二度と日の目は見られないかもしれない危険な賭けではあるものの、躊躇いはない。こういうのもランナーズハイみたいなものだろうか。何にせよ、アドレナリンが大放出中であることは間違いなかった。

「兄ちゃん、こんなところで何してる?」

 突然後ろから伸びてきた二本の腕が、僕の上半身をがっちりと固定する。圧死してしまいそうな強さで抱えられて、野太い声が頭上から注がれた。

「答えられないのか?」

 確かに答えられない。あまりの苦しさに浅い呼吸をするので精一杯だったからだ。
 別の男の声が、まぁまぁと制止するのが聞こえた。力がほんの少し緩まった。が、身動きは取れない。

「客だったらどうすんだよ、もうちょい丁重に扱えって」
「怪しいだろうが、陰からこそこそ覗いていたんだぞ」
「怪しいかを決めるのは俺等じゃねぇよ。兄ちゃん、悪いけど上で少し話聞かせてもらえるか」
「あ、い……」
「おい、死にそうじゃねぇか」

 やっと殺人級の腕から解放されると、そのままエレベーターに押し込まれる。男達は大小の凸凹コンビだった。七階のボタンが小男によって押され、微かな機械音と共に身体の内側がふわりと浮く。

 思い描いていた展開とは多少違ったけれど、本拠地に招かれたのは好都合だ。このままボスと対面できれば申し分ない。あとは僕の話術次第だろうが、どう転ぶにしても痛いのは嫌だなぁ。

「失礼しまーす。今いいですか?」
「ああ、どうした」

 パーテーションを過ぎて、窓際のデスクから返答がある。
 見えたのはいかにも仕事のできそうな男だった。今も何かの書類に目を通している。やや俯き加減ではあるが、整った顔立ちであることは十分に分かった。ちらりと向けた視線が部外者の存在を捉え、ふっと和らいだ。しかし直前の、鈍器を振るような重い眼光の記憶は少しも消えなかった。

 白戸勲、四十歳。森下金融の副社長。
 三十代の若さでその肩書を手にしていることから、その敏腕ぶりは容易に想像がつく。とはいえ表にはほぼ出てこない。森下金融自体は真っ当な金融会社だが、その裏では闇金めいた物騒な経営をしているらしい。その裏の管理を任されているのがこの白戸という男で、アジトとしているのがここ、森下金融第一支店だと言われている。
 ……闇サイトを巡ってもこの程度の情報しか得られなかった。それらの内容が正しいのであれば、利用者の口止めはほぼ完璧ということだろう。

 だから、潜入することを決めた。
 被害者である小林拓馬は、この男の名刺を持っていた。表面的な露出のない白戸が名刺を渡しているということは、小林氏はこちらで世話になっていたのだろう。
 更に言えば、どういう理由かはまだ不明なものの、計画的に状況を整えて奥野さんの自宅の離れに侵入している点を考えると、やはり第三者と手を組んで悪さをするためだったのではないかという仮説が立つ。そこに白戸勲は関わっている、恐らく確実に。
 内部事情は実際に入ってみないと分からない。だからこうして裏側の森下金融を見張っていたのだ。


 背中を突かれて前のめりに歩み出る。大男が押したらしい、幾らかでも人間味のある表情をしてくれていたら良かったのに。

「彼は?」
「下でうちの様子を窺っていたもんで、話を聞こうと思いまして」

 小男が白戸に答えると、白戸の目が改めて僕を見つめる。黒目だけが動いて僕の全身を観察していた。
 敢えておどけた感じでコートを広げて見せたが、後ろのふたりの空気が尖っただけだった。そんなに殺気立たなくても武器なんて持っていないのに。

「名前は?」
「神咲歩と申します」
「金に困っている、ようには見えないが」
「はい、おかげさまで」

 僕がコートの中に手を入れると、音もなく臨戦態勢を取られているのが分かる。数秒もったいつけて名刺を取り出した。白戸は一度僕の顔を見て、それから受け取った。

「探し物探偵?」
「探偵、というのは自称ですが探し物の捜索を請け負っています」
「事務所は随分遠いようだが、どうしてここに?」
「そろそろその土地も飽きてしまいまして。移転しようかと考えているんです」
「それでうちに何か用が?」

 今のところ冷静さを欠かずに対応してくれている。たとえ裏の人間であくどいことをしていようと、こういう人間は好きだ。感情的にならないため性急に行動を起こさないし、周りを統べる力がある。ただひとつ残念なのは、裏の人間の顔を隠しきれていないところだ。
 いよいよ本題に入る。ここからが上手くいかなければ、計画は振り出しに戻り、同じ手は二度と使えない。

「実は、白戸さんの下で専属の探し物業ができたらと思いまして伺った次第です。
 森下金融さんほど大きい会社であれば、迷惑な客というのも多いんじゃありませんか?
 返済を求めに行っても、金に換えられるものもないということも少なくないでしょう。そういう場合に僕を使っていただけたら、客が絶対に見つからないと思って隠したものまで綺麗に見つけて差し上げられますよ」

 シャイなもので訪ねる勇気がなかなか出なかったので、助かりました。
 言って大男を見上げれば、鼻息で返された。あぁ、これは大成しないなと考える。腕っぷしが強いだけのただのチンピラだ。
 白戸は笑みを浮かべ、挑戦的な表情で僕を見上げた。

「相当の自信があるらしい」
「勿論です。でなきゃ直談判なんてしませんよ」
「何でも探せるのか?」
「金属類でしたらどんな小さなものでも。大がかりな人の捜索は控えたいですが、かくれんぼ程度ならすぐです」
「ほう」

 興味を持たせることには成功したようだ。
 どうやって、という質問が続いたため、捜索用の機器を二、三見せてやる。自分で改良していることを話すと白戸よりも小男の反応が良かった。無害そうな男だ。機器を四方八方から嘗め回すように見て構造を知ろうとしているが、スケルトン仕様でもあるまいし分かる筈もない。壊されないようにだけは注意して、白戸に声をかける。

「手先は器用な方ですから、ご要望でしたら探し物以外の仕事もしますよ」

 目が合い、僕は自信の火種を燃え上がらせるようなイメージで、視線を返した。すると白戸は頷く。

「そこまで言うなら雇ってやろう」
「ありがとうございます。精一杯務めさせていただきますよ」

 しかし大男は納得がいかないらしい。

「いいんすか? 得体の知れない奴ですけど」
「心配ない。お前達も居ることだしな。それにこういう目をした奴は好きなんだ、根っこの強さが見える」

 根っこの強さとは。僕の中に何を見たと言うのだろう。騙そうとしていることがバレないならどうだっていいのだけれど。

 有難いことに段取りよく状況が進む。これで白戸の下につくことができた。下っ端の僕で探れるのは爪の先ほどのことかもしれない、だけどそれが犯人探しの手がかりになるなら何だってするつもりだった。
 僕の予想では、犯人は白戸の下についている人間だ。白戸の命を受けて殺害したのだろう。

 白戸本人ではないと考えているのは、現場の始末のずさんさのため。
 煙草のパッケージも眼鏡も燃えてなくなることを想定してそのままにしていたのだと思われる。パッケージの方は偶然燃えなかったに過ぎないが、眼鏡に関しては拾えば済む話だ。それをしなかったのは、離れを燃やすことを前提にしていたのではないだろうか。眼鏡が何かの拍子に歪んでしまい、持って帰っても仕方がないから一緒に燃やしてしまおうとしたのかもしれない。さほど視力が悪くないか、代えがあるなら大した問題ではない筈。レンズがないため何とも言えないけれど伊達眼鏡だったというのもなくはない。どうあれ頭の切れそうな白戸が、万が一にも証拠になりそうなものを残すとは考えにくかった。
 ざっとそんな理由があって、白戸に近付くことによって彼の取り巻きに近付くことが目的だった。まだふたりしか会えていないが相当数居るものと見ている。


 そこでタイミングよく、ドアが開いた。女が三人とスーパーの袋を両手に抱えた男の、計四人が中に入ってくる。

「あれ、お取込み中?」
「ホントだー、知らないのがいる」
「客じゃなさそうだ」
「それはいいからどけろよ、このままじゃ俺の腕壊れちゃうから!」

 一気に騒がしくなった。年齢は僕より少し下に見える。男性的な話し方の女を除いて、皆派手な髪色をしている。その割に全員、服装は動きやすさを重視した地味なもの。こう言ってはなんだが、そこいらのコンビニにたむろする輩のようにしか見えなかった。

「早速だが仕事だ」

 白戸の声に向き直る。

「ある男が住んでいた家から何か見つからないか探して来い」
「住んでいた……今は空き家ですか?」
「綺麗さっぱり空だ。だが何か隠していると踏んでいる。お前なら探し出せるんだろう?」

 報酬は百万だ、と告げられ開いた口が塞がらない。そんな金があるなら表の方で法律に従って仕事をすればいいのに。与えられるその金は、どのくらい泥にまみれたものだろう。
 地図と合鍵が手渡される。それにより今度は瞬きすらも忘れてしまう。

 小林拓馬。家主の名前はそう綴られていた。

 僕の手元を覗き込んで、小男が言う。

「あれ、こいつは金が出るからもういいんじゃなかったです?」
「掘れるとこがあるならとことん掘ってみたいだろう? それにこれまでの労働報酬を貰わないと割に合わん」
「いやぁ、流石です」

 下賤なやり取り。思いがけない場所への到達に全身が震えたような気がした。
 金が出るとはどういうことだ? とことん掘ってみる……全てを返済できるほどの金が入るというのか。そして更に搾取しようとしているのか。
 白戸は僕への報酬の高さを、警察の目があるからだと言った。被害者とはいえ前の住居周辺で今日にでも聞き込みが行なわれるらしいという情報を掴んだようだ。それでそのリスクを負うという点で初仕事ながら破格の金額が付けられたのだ。

「先に幾らか出してやろう」
「いえ、結構です」
「なに?」
「金はいいのでその代わり、警察に見つからないよう援護してくれる人を付けていただきたいです。こんなリスク今まで負ったことがないので、どんなヘマをするか分かりませんから」

 断る理由もなく、白戸は頷いた。
 喉が鳴る。口が渇いていた。今になって緊張が、腹の底から内臓を押し上げる。
 ここから先は勢いではどうにもできないだろう。いよいよ恐ろしいところに来てしまったと、しかし拳を握り締めた。

  

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