白昼夢の終演、僕が見たエトセトラ

些稚絃羽

9.探し物探偵の捜索

「いやぁ、驚いたなぁ。やっぱ遺伝子なんですかね? 途中からガクさんの話を聞いてるみたいな変な感覚でちょっと気持ち悪かった……今のはかなり語弊があるけど、こうなると現場に入ってるのも認めざるを得ないというか」

 姉川さんがずっとこの調子なので、煩くて集中できない。隣の男が止めてくれる気配もない。
 場所は母屋へと移っている。あの後、改めて離れを見てみたが燃えた紙の残骸が散らばるばかりで、目新しいものは見つからなかった。僕の受けている依頼は奥野さんが無実であることの証拠を探すこと。それで母屋を捜索することにしたのだった。

「奥野さんは任意同行なんですから、触らないでくださいね。今しているのは僕の仕事なんですから」
「見ているだけだ」

 返って来るのは端的な返事だけだ。こちらから投げかけなければそれ以上はない。姉川さんほど社交的になられても困るが、こうも両極端なふたりと一緒だとやりにくいったらない。

 離れで話したバッジへの見解は、あの人とほぼ同じだったらしい。
 これではっきりと、最初に浮かんだ自演説は消えた。ああいう性格の人が自殺を選んだり、「死んででも」なんていう考えに至ることはまずないのではないかと思う。あのバッジを見ながら、人並みの生活を送れることを、若しくは一発逆転を起こせると信じていたのかもしれない。そんな人間が死を選ぶとは到底思えない。
 問題は、誰が小林氏の頭を殴打し、火を着けたのかということ。何か新事実が分かればいいのだけど。


 奥野さんの自室は二階の小さな部屋だった。外で待機している母さんが、寝る時くらいしか使っていないと言っていた通り、年代物の勉強机とこじんまりしたクローゼットがあるだけのがらんとした、実に探し甲斐のない部屋だ。

 押し入れを開けると上下段に分かれており、下の段はいつも使っているだろう布団が入っている。こういう自分しか見ない場所はその人の性格を如実に表すものだ。奥野さんは雰囲気通りの真面目な性格のようで安心した。
 上段には数冊の小説と、看護師をしていた彼らしい医療関係のテキストが並んでいた。しかしそれだけだった。断捨離もここまでくると世捨て人みたいだ。実際そういう生活ではあるのだろうけれど。
 クローゼットは見られたくないものを隠したりするのに使われることがよくあるが――へそくりを探す依頼を受けたこともある――奥野さんのクローゼットは本来の用途でしか使われていなかった。
 見るべき場所はそれだけだった。仕事道具の出番はまだない。


 階段を下りて玄関まで進むと、ダイニングキッチンに母さんの姿が見える。放置されたままの料理を見る目は静かだ。どうしてこんなことになっているのだろう。改めてそう思った。

「何か見つかった?」
「ううん、奥野さんは綺麗好きなのかな。部屋にほとんど物がなくて驚いたよ」

 母さんが頷く。やはり元から持ち物の少ない人のようだ。
 隠し事のない人はいい。……不意に浮かんだのは誰かを傷付ける言葉で、声に出していなくて良かった。これ以上空気を掻き乱したくはない。

「あのぅ、すみません。ご無沙汰してます、姉川です」
「あら、お久しぶりです」

 唐突に姉川さんが母さんに挨拶をして、和やかな雰囲気が漂う。正直居心地は良くなかっただろう、微妙な空気感を抱える家族・・の中に連れ込まれている彼に、当事者ながら同情する。


 そこに留まっていても時間が過ぎるだけだ。余計な話で絡んでくる人は母さんに相手をしてもらって、もう一度外に出ることにした。
 予想通り付いて来る足音。陽の落ちてきた地面に伸びた影が、僕の足元を黒く染める。

「母さんと話すことはないんですか」

 答えない。答える気がないのか、答えられないのか。考えるまでもなく前者だろう。いつもそうだ。大事なこともそうじゃないことも、この人は自分が言いたいことしか言わないんだ。

「この事件、貴方の勘では犯人はもう分かっているんですか?」
「害者の交友関係を洗えばな」
「なら何でここに居るんですか? 無関係の奥野さんは連れて行かれてるのに」
「無関係ということはない。ここで死人が出た以上、何者かが奥野を絡めようとしているのは事実だ。それに必要なことは他の者が既に動いている」

 ほら、饒舌になった。何でもこんな風に話す人なら分かりやすいのに。僕は未だにこの人の本質を知らないのだと思う。理解しようと努力したことはないけれど。

 小林氏の交友関係を洗えば犯人が出てくるだろうというのは、警察でなくても分かることだ。更にその交友関係はごく狭いものだったに違いない。プライドが高いのに借金まみれの男。相談相手はかつて世話になった人ということから、他に相談できる相手が居なかったのだと推察する。
 金融会社の副社長の名刺を大事に財布に入れていたのが気になっている。一利用者に副社長が直々に名刺を渡す場面というのが考えにくいからだ。副社長の白戸という人物は裏で動いているという話もあるようだし、やはり何かしらの悪事に加担させられていたのではないだろうか。
 例えば詐欺はどうだろう。その対象が奥野さんで、傷害などを偽って金を取ろうとしていたとか。それで火事を起こそうとしたら巻き込まれた……これでは事故の流れになってしまう。第三者が関わっていることを加味しなくては。

「おい」
「……何ですか」
「そこからはこっちの仕事だ。お前は依頼されたことだけをしていろ」

 思考を読まれた、とは思わない。勘が良いこの人ならこれくらいのことは自然と気付くだろう。ほとんど一緒に過ごしてはいないし、父親として気付いたとは思えないが。
 奥野さんが無実であることを示す証拠は何もない。かといって犯人である証拠も皆無だ。この時点で僕の捜索の目的は少しだけ変わる。『奥野さんの無実を証明するために、他の人物が犯人であることを示す証拠を探す』。こうなる訳だ。
 しかしこれまでは、見つかるものがそれなりにあって、その中から連想させて真実を探ってきた。でも今回ばかりは遺留品も少なく、犯人ではあり得ないふたりのことしか知らない。被害者となった小林氏のことも探りようがない。
 探し物探偵として探すことを諦めるのは嫌だ。しかし現状は探そうと試みても意味のない空間が広がっているばかりで。形だけでも、と捜索に一番向いている金属探知機を取り出した。

「無実の人を拘束することを警察の方は何とも思わないんですね」
「何が拘束だ。たかが数時間、署で話を聞いているだけだろうが」

 機器は左足の先に、イヤホンは右耳に装着する。聞こえる音が半分になった。

「それは言い訳に聞こえます。警察なら何をやってもいいみたいな」
「どう思われていようと関係ない。必要なのは本当のことが明らかになることだ」

 夕暮れの山は静かだ。ふたりの声だけが空気と一緒に流れていく。遠くで車のエンジン音が囁くように鳴って、風が音もなく耳に触れた。イヤホンからは何も聞こえない。

「知っていたんですか、母さんの身体のこと」

 キンと耳の奥が鳴る。どちらの耳でもそれは聞こえて、タイミングの悪い耳鳴りだと自身を罵った。
 乾き始めた土が強情に靴裏にへばりつく。執着とはこういうことを言うのだと、まさに関係ないことを考えた。

 あぁ。

 溜息に似たそれが返事だと気付くのに時間がかかったのは、返事を期待していなかったからだろうか。言葉が飛び出していく。

「知っていることを明らかにしないのは、必要なことだったんですか」
「それとこれとは別だ」
「息子が、息子なのに、家族なのに、何も知らされなかったのは、正しいことなんですか」
「もう終わったこと」
「終わってない!!」

 何も。何も終わってなんかない。僕以外の中では風化した取るに足りない出来事だとしても、終わってなんかない。

「過去は過ぎても、生きている限り続いていくんだ。自分でも馬鹿馬鹿しいくらい深く、根付いた猜疑心はもう消えない」

 それ以上は何も言わなかった。
 どんな気持ちを口にしようが、僕の抱えた感情が届くとは思えなかった。伝わるものならこんなことにはなってないだろう、言っても意味のないことを吐露する気にはなれなかった。

 耳鳴りが大きくなる。右耳に、音の波が押し寄せるように。
 悔しい。顔色ひとつ変えないこの男が恨めしい。もう後戻りできないところまで感情が歪んでしまっていることが、哀しい。

 また酷くなる。足を進めてふたりの距離が離れていく毎に、責められているように耳鳴りが重みを加えていく。
 これでは探知機が反応しても気付けない。左耳に付け替えようとイヤホンを引くと、音が遠くなった。僕の耳とは違うところで音が鳴っている。差し直すと、またあの音が脳内を揺するみたいに行き巡る。

――これは耳鳴りじゃない。金属探知機が反応している。

 イヤホンの感触に集中し、そこから音を掬い上げるようなイメージで感覚を研ぎ澄ましていく。左足を左右にゆっくりと振りながら聞こえてくる音の位置を探す。わずかに大きくなった方へ身体を固定し、握り込んだリモコンのつまみを指先で慎重に絞る。音が消える。足先を左に向けてミリ単位で動かす。ピン、と跳ねるような一瞬の音を逃さない。他の誰も分からないような動作で右に返す。伸びる音。甲高い警笛のような強い音と、微風に混じる砂のようなざらざらとした微かな音。捉えたのはそのふたつ。性質の違うそれらが交互に鳴り、早く見つけてと僕を急かす。この同線上に、ふたつの何かがある。まだ誰も気付いていない何かが。

 このまま真っ直ぐ歩くと、離れの壁にぶつかってしまう。入口の左側、遺体の倒れていた位置よりも更に左手だ。
 入口から入るにしても裏を周るにしても、この同線を向こうですぐに見つけられるだろうか。角度が変われば音は容易に隠れてしまう。壁を突き通すほど精度を上げていても少しの条件の違いで、ある筈のものが見つけられなくなることがある。そして今日は生憎、目印になるピンも持って来ていない。

 ……仕方ない。駄目もとでやってみるか。
 右足を軸にその場でぐるりと一回転する。地面には円形の跡がしっかりと付いた。

「ちょっとここ、立ってください」
「は?」
「いいから。僕が言うまでこの位置から絶対に動かないでください」

 引いた腕、揺れる煙草の臭い。フラッシュバックが置きそうな予感。
 強引にそこに立たせて、有無を言わさず走る。あの人に向けた探知機が示した音を頭で反芻する。反り返るような独特な音――金か。

 離れの壁の前まで来る。指示した通りにちゃんとそこに立っていた。後でしつこく説明を求めてきそうな顔をしているが、今はどうでもいい。向かい合い、角度を確認する。爪先から届く音に注意して、足元に荷物を置く。防水仕様だ、少しくらい濡れた土の上でも中は無事だろう。様々な素材に探知機が反応した。
 離れの内部に回り込み、壁際で荷物の位置を探る。ここだ。壁に対して垂直になるよう壁に踵を付ける。先程見つけた音がふたつ、より鮮明な音質で鳴り始めた。小さな歩幅で、瓦礫を越えながら進んで行く。

 僕の金属探知機は改良により、音質で金属の種類の傾向を判別し、音の高低でその純度を感知することができる。
 聞えた音のひとつは、その音量の大きさから離れの中に存在していることは確実だ。火事で大部分が焼けている中でこれほど明確な音を出せるということは、金属量がかなり残っているということ。つまり火にかなり強い素材だろう。となると種類はかなり限られる……。

 一気に音が増して、気絶しそうな鋭さが耳を通り抜けている。恐らく探知機に触れているくらいの距離だ。見落とす訳にはいかないがこのまま本当に気絶してもいけない。探知機に手を翳して音を緩和させる。良い素材の手袋で良かった。
 地面に顔を近付けて、空いた手で瓦礫をそっと脇に寄せる。剥き出しになったのは、数時間前まで板張りの床だったところにできた穴だった。拳サイズの穴で下は暗くて見えない。手袋をしたままでは閊えてしまうため仕方なく素手を差し込んだ。

 指先に当たる滑らかな感触。細く伸びて、先が二股に分かれている。力を加えればすぐに変形しそうな細さに緊張しながら引き上げた。

「眼鏡のフレームか?」

 左側のレンズ部分と鼻当てにかけてのフォルムが見える。レンズ自体は溶けたらしく跡形もない。片側半分しか残っていないのかと思ったが、もう半分も穴から出てきた。恐らく穴が開いた衝撃の際に真っ二つに折れたのだろう。

 被害者は免許証を見た限り眼鏡をかけてはいない。奥野さんも、母さんもだ。以前から離れにあったものという可能性もあるが、やや小さめのものに見える。女性ものではないだろうか。もしそうであればここに居た第三者、敢えて呼ぶとすれば犯人は女性なのかもしれない。

 眼鏡フレームを壊さないよう手にしたまま、もうひとつの音の正体を探る。
 近い、すぐ傍のようなのにいつまでも音が大きくならない。対照的にごく微量の金属ということか。地中のものに反応したのであれば精度の良さも考えものだが。
 立ち上がり再度移動を始める。そのまま音を辿れば遂に離れを飛び越えてしまった。小さな音だが、行く手に確実にそれはある。

 離れの裏は細い道がうねりながら続いているだけ。ここから見ても、伸びた草がなぎ倒されているのが分かる。小林氏と何者かがこの道を通ってきたのは明白だった。しかしその道の先には反応がない。
 いや、離れを出た辺りから、音が微かなものになっている。ずっと聞こえていたのに。
 一度戻り、音を確認する。落ちた梁の上で耳をすますと確かに聞こえてくる。けれどそこを下りると遠くなる。ということは。

「もしや、下じゃない?」

 靴に取り付けていた金属探知機を手に取る。それだけで少しだけ音が大きくなった。上だ。
 身体は動かさず手だけを上へ上へと持ち上げていく。当初より断然クリアな高音が流れてくる。一本の木に近付くと更に音が増す。それでもまだ小さい。一体何を感知したというのか。
 時折音が途切れるのは、風が吹き始めたからだろうか。辺りはもう薄闇が下りている。少ない葉の代わりに夜の影が実を付け始めた。

 離れの壁の向こうに、律儀に待つ男のシルエットがぼんやり見えた。

「来てください! ここ、木に何か引っかかってます!」

 動き出した塊を見ながら、片手をポケットに突っ込んだ。

  

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