鮫島くんのおっぱい

とびらの

鰐と鮫の協奏曲


「――ってなわけでっ! 改めて自己紹介しましょーかね。はい! 白熊家五人キョーダイの長男にして第四子、クゥとは一卵性双生児、ルード様とはオレのこと! どなたさまもお気軽に、ルゥにーちゃんって呼んでくれよなっ!」

 ごん。

「呼ばなくていい」

 これ以上なくハイテンションな自己紹介に、これ以上なくローテンションなツッコミ。そして垂直に振り下ろされたフライパンの三つを同時に視界に入れて、梨太はいまだ、困惑していた。
 とりあえず、ベンチシートに座ったままペコリと頭だけ下げてみる。

「……どうも、栗林梨太、です。弟さんとはその、婚約者で、一応僕の方が夫です」
「あっ大丈夫、聞いてる聞いてる。ココは僻地だけども一応、ラトキア科学最先端の研究所だからな。帝都直通の電話もあるし、テレビもラジオもつながってるんだよ。王都の最新情報はバッチリさ。リタ、地球から来たんだろ? クゥとは八年の付き合いだって? いやー顔と名前だけ知ってたけど、実際動いてるトコみると君、カワイーねっ」

 ごん。

 鰐は、このラトキアで梨太が出会ってきた誰よりもオシャベリだった。彼が一方的にまくしたてるたび、鮫島がフライパンを振り下ろす。
 力を入れず、ただ落としているだけとはいえ結構な重みである。
 なんで叩くのかと聞いてみると、「うるさい黙れ」の意思表示とのこと。鮫島は、口をはさむことすらできないでいた。そして鰐には全く効かず、そのオシャベリを止めることもできなかった。

 森を歩くこと十五分、鰐の家は、陽だまりの中にぽつんと建っていた。「えらい貴族様の家」で想像した屋敷とは全く違う、きわめて簡素なログハウスだ。
 霞ヶ丘の栗林家よりも小さく、家具も原始的な手作り木工、家電は必要最低限といったようす。

 きょろきょろあたりを見回す梨太に、鰐は豪快にワハハと笑った。

「ほんというと完全自給自足、テントでキャンプってくらいには野生同様の生活をしたいんだけどな。さすがに赤ん坊が出来てからは、水道と暖炉が欲しいって嫁さんがさ。それで仕方なく家を建てたんだ。そういうの使ってるとこを動物に見せたくない、下手すると動物たちの生態を歪めるからな」
「……ここは……この森は、まるごとが動物の野生を観察するための、研究施設なんですか?」

 梨太の言葉に、鰐はオッと声を上げた。

「すごい、鋭いな。……今の話だけでそれを察するとは、たいしたもんだよ」
「いえ、僕も地球で、同じような場所で働いていましたから。水族館っていって、観光客への展示も兼ねてるんですけど」
「ほお、そりゃ興味深い。あとでじっくり聞かせてくれ。この裏にある、大木にカモフラージュした研究所本施設も見せてやるよ。――でも今はいいからお茶を飲め! どう? 黄金葦を煎じたお茶、どう? これってオレがバルフレアに提案した試作品なんだ、うまくいけば王都への交易品になるだろう! わはははははっ!」

 ごん。

 意味もなく笑いだす兄を、特に意味もなく殴る弟。
 鮫島の背中で、二人の赤ん坊がキャッキャと笑っていた。 

 外見はまさに、瓜二つである。それでもやはり、改めてみれば完全に別人だった。鮫島と違い後ろ髪が短く、瞳の色も少し明るい。並んでいれば顔つきや微妙な体格差が見て取れるし、身内ならば間違えようがないだろう。だが「双子の兄がいる」という予備知識もなく、別の場所で会えば惑わされる。

 梨太もすぐには気が付かなかったことを、鮫島は怒らなかった。気分がよかったわけがない。だがその怒りを、彼は騙した兄の方にぶつけていたのだった。

「まったく、四人の親になってもまだ変わらないのか貴様は。相変わらずふざけた男だ」
「オマエモナー。相変わらずの仏頂面、そんなだから二十八にもなって独身なんだよ。奇跡的にモノズキな彼氏ができただけ、これまで浮いた話はからっきし。幸せは明るい門から入ってくるんだぜ。表情筋どこ行った? ああココか、たしかに筋肉でマッタイラ。で、そこにあるべきオッパイはどこに行ったのかな」
「……今まだ雄体だし。表情……は、リタなら、読み取ってくれるし」
「そのリタはしばらくオレと見間違えて、オテテつないで歩いてたけどな。まー無理もない、無表情なのがお前の唯一の特徴だからな。今度一回お前がオレの真似してみなよ、サメジマクンがどこにもいないッてなるぜきっと、うわはははははっ」
「……。…………もう、ほんとおまえきらい……」

 兄弟は声までよく似ていたが、セリフだけでもどちらがしゃべっているのかすぐにわかる。
 梨太は出されたお茶をすすりながら、この光景を消化するべく努めていた。……消化不良を起こしていた。

「鮫島くん。……僕、自分はメンクイだと思ってたし君にも一目惚れみたいなもんだったけど……実は、顔より内面派だったみたい」
「わははは、そりゃどぉーいう意味だ」

 腹を抱えて笑う鰐。鮫島は表情が薄すぎるが、この兄は激しすぎてやはり真意がわかりにくい。
 また無表情で殴っている鮫島に、梨太は半眼になって呟いた。

「それはそうとして、さすがに叩きすぎじゃない?」
「大丈夫。俺たちが一番よく似てるのは、体の頑丈さだ。このくらいなら痛くもない」
「いや普通に痛いのは痛いぞ、痛いうちに入らないだけだ!」
「もうしゃべるな。リタが混乱する」

 ごん。

「……。ところで鮫島くん、その背中の赤ちゃん、鰐さんの子だよね。なんで君がオンブしてるの」
「ああ、それは」
「それはオレが子守を押し付けたからだな! 時系列順にはこうだ。二か月ほど前、嫁さんが、第四子出産で王都の産院へ入院した。そうして無事に産んだんだけど、ちょい産後の肥立ちが悪くてな、六歳の長男はともかく、いちばん手がかかる一歳の双子の面倒は無理、オレも長くこの施設を離れるのは無理ってんで双子だけここに連れ込んでワーキングシングルファザーライフのスタートを切った。なんとかかんとかやってるけども、たまにはオレも、身軽な状態で森を散歩くらいしてみたい」
「……はあ」
「そこに現われ出でたるは血相を変えた我が弟。一緒にやってきた婚約者が跳ね上げ式網罠にかかってぶら下がってる、軍の仕様とは違うようだし、安全な解き方がわからない、お願い助けてルゥにーちゃん! と」
「そんな言い方はしてない」
「ああ、はい。やっぱり近くにいたんだね鮫島くん」
「そこでオレはこれ幸い、よっしゃすぐ行く、うちの子頼むわ! と双子をポイッと手渡して、反論も待たずにダッシュで逃げた」
「そりゃ酷い」
「……しばらく呆然としてた……」

 俯く鮫島に、双子はまたキャハハと笑った。父親に似て明るい子供たちである。
 鮫島も懐かれて悪い気はしないらしく、下ろせと言われるまでは背負っているつもりのようだった。

 久々に、文字通りの肩の荷を下ろした鰐は、自分で肩を揉みながら嘆息した。

「いやほんと、助かったよ。ヨチヨチ歩きしだした今、一瞬たりとも目が離せなくて。ここのスタッフは使用人ってわけじゃないからな。ただでさえバルフレアまでの広い敷地を走り回ってくれてるし、関係ない残業は頼めないだろ。ちょっと息抜き、ホッとさせてもらった」

 梨太は破顔した。息抜き――といっても、彼が森を歩いたのは、往復でも三十分ほど。帰ってからはすぐ、施設内無線機インカムでスタッフに連絡を回し、倒れた盗賊たちの救助と捕縛に向かわせた。
 それからも立ったり座ったり、インカムマイクに向かってずっとしゃべっているような状態だ。さきほど少し収まったところで、ようやくの自己紹介時間である。鰐は育児に専念しつつ、リーダーの仕事をまっとうしていた。

「……鰐さんの本業は、領主よりも動物研究者のほうなんですね。インカムでの会話、ほとんどがそっちの報告だったみたいだから」
「ああ。この時期は冬眠の準備と、春の出産にむけた繁殖とで縄張り争いが激しくなる。色々と大事な時期なんだよ」
「観測だけじゃなく、孤児の保護や医療もするんですか?」
「ほとんどしないね。やるとしたら本当に生態が全く分かってない、新発見の種くらいか。それも保護じゃなくやっぱり観察、最後は解剖するためだ。オレたちはこの森の生態系そのものを調べている。生きるも死ぬもヒトの手は入れないんだ」

(……立派な人だな)

 言動こそふざけているが、この鰐はちゃんとした社会人だ。妻の兄として――はともかく、その仕事内容は梨太も非常に興味深い。
 もっと具体的な話を聞こうと、身を乗り出したところで、鮫島に肩を叩かれた。

「リタ、用件は済んだ。もう出よう」
「ええーっゆっくりしていけよー。いっそ泊ってけー!」

 梨太としても、どちらかというと鰐のほうに同意だった。今後親戚づきあいをするわけだし、この地域をつかさどる領主である彼には、星帝への後押しになってもらいたい。交流を深めるに越したことはない。

 その梨太の心情は、鮫島も感じ取ったらしい。億劫そうに眉をしかめつつ、カバンを開いた。

「……ルゥ、頼みがある。ニュースを見ているならもう知っていると思うが、俺は星帝候補を辞退し、代わりにこのリタが立候補した」
「ああ、知ってる。鯨からも連絡があったよ」
「ならば話が早い。推薦状をかいてもらえないか」

 相も変わらず、単刀直入。さっさと済ませて出ていきたいのはバレバレだったが、それで気を悪くするような関係でもないだろう。

 オッケー了解、という、簡単な了承を、空耳する梨太。そこに重なるようにして、鰐は言った。

「それはできないな」
「……えっ?」

 一瞬で、鰐はその表情を変えていた。
底抜けに明るいバカ笑いを、皮肉気な微笑みに変えた――そうすると、この男はやはり、鮫島と同じ顔をしている。
 ただ居るだけで、ひとを緊張させる怜悧なまなざし、不安になるほど繊細な美貌。
 彼は静かに、立ち上がった。物音を立てないのも鮫島と同じ。
 彼は木製のキャビネットから、紙の束を取り出した。二十枚ほどだろう、簡素な書面には、それぞれ人の名前が記されている。

「オレも、星帝候補に推薦されてるんだよ」

「そ……そんな」

 梨太が息をのみ、鮫島はそのまま絶句する。空気の変化を察したか、赤ん坊たちは不安げに、父親を見上げていた。

 鰐だけが笑う。

「……今夜は泊っていけ。いろんな話をしようじゃないか」

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