鮫島くんのおっぱい

とびらの

豆の国の試練②

「改めて名乗ろう。この食料生産地コロニーの総督で、領主と呼ばれている。――我が名は鈴虫だ。よろしく」
「よ……よろしく。星帝候補、の、梨太です」

 差し出された、分厚い手。梨太はおそるおそる、そうっと握った。よもや振り払われるのでは――という懸念はすぐに晴れた。
 ふふふ、優しい笑い声に顔を上げる。そこには目を細め、穏やかに笑う領主、鈴虫の顔があった。

「知っているよ。記憶力には、自信があるんだ」
「そ、そうですか。……いやほんと、とんだ偶然で。昨夜はその、たいへん失礼を……」
「偶然ということはないかもな。雨の日はこの町の休日で、この俺だって息抜きは必要だ。旅人も然り。なら、町で唯一やっているあの店で顔を突き合わせるのは必然だったのさ」

 なるほど、納得である。しかしたまたま隣の席に座り、ナンパをされたのは必然ではないだろう。
 頬をひきつらせる梨太の横で、鮫島はプイと横を向いていた。挨拶の一つもする気がないらしい。
それを見て、鈴虫は顔色を変えた。先ほどと打って変わった声音で。

「――おい。どこを向いている。人の家に押し掛けておいて、挨拶も名乗りもしないつもりか」
「……記憶力はいいんじゃなかったのか?」

 横を向いたまま、鮫島。鈴虫はさらに声を低くした。

「覚える価値のないものは覚えない主義だ。というわけですぐに忘れると思うが、訪問者として当然の態度をしろと言っている。追い返すぞ」
「……鮫。現ラトキア騎士団長。リタの婚約者」
「ふん。まったく、この態度のでかさ、背丈と一緒に胸の方にお裾分けしてやったらどうだ」

 むっ、と鮫島が唸るのを、梨太は袖を引いて収める。

(以前はそうでもなかったのに、なんか最近、貧乳ネタは気に障るようになったみたいだな……)

 これも女性に近づいたということだろうか。平常なら庇ってやりたいが、今は推薦状というニンジンが鼻先にぶら下がっているところ。うかつな言動はできない。幸い自分は気に入られているようだし、鮫島には一歩引いてもらって、さっさと認可証をもらって去りたいものだ。

「それでその……突然押しかけて申し訳ありません。先程お話した通り、僕はラトキア星帝候補として立候補しています」

 ああ、と頷く鈴虫。彼は笑ったり驚いたりもしなかった。

「成れたあかつきには、領主さまとたびたび顔を突き合わせ、ラトキアの食料自給にともに取り組むことになるでしょう」
「ふむ。それで、わざわざ挨拶に?」
「ええ、まだいち候補者の身で気の早いことと存じますが、この町に立ち寄った機会とあれば、ぜひ一度お会いしたいと――」

 きれいな言葉を並べる梨太に、鈴虫は呵々大笑。大きく胸をのけぞらせ、豪快な笑い声を屋敷にとどろかせた。

「お上手に言おうとしなくていい! はっはっは。俺の推薦状が欲しいんだろう?」
「えっ、い、いやそんな――」

 と――言い掛けて、鈴虫が満面の笑みでいるのに言葉を飲む。ここは下手にとりつくろわないほうがよさそうだ。梨太は苦笑しつつ、素直にうなずいた。
 さすがに高級貴族、着飾ったお世辞や下衆な根回しなど慣れっこで、うんざりしているらしかった。梨太の意図を的確に読み取ったうえ、気前のいい笑顔で応えてくれる。

「俺はもともと、成金貴族の商売人だからな。星帝の器かどうかなどはかる術がない。星帝ハルフィンのときにも頼まれたが、どうしていいかわからなくてな。なにか試練を与えたほうがいいのかと聞くと、やつは言ったぞ、ボクが好きなら推薦してくれって。それで、俺は推薦状をあいつに渡したのさ」
「じゃ、じゃあ……」

 さらににっこり、笑みを深くする鈴虫。

「ああ、いいよ。お前を星帝に推してやる。今日はなにも心配しないで、この屋敷でゆっくりくつろいでいきな。これからの旅と次の試験に向け、英気を養うといいだろう」
「あ、ありがとうございます!」

 梨太は頭を下げた。が、鮫島は直立したままだった。慌てて彼の袖を引き、せめて一礼させる。しぶしぶ、といった様子で腰を屈める鮫島。元来物わかりのいい彼が、いつになく意固地になっていた。

「ちょっと鮫島くん、なにへそ曲げてんの……」

 袖を引き、小声で諭す。

 確かに鈴虫の言動は鮫島に強く当たるものだが、それでいちいち腹を立て、引きずるものとは思えない。
 せめていつものように無表情であればまだいいのに、あからさまに不機嫌なものだから始末に負えない。

「鮫島くん……」
「こら、いい加減にしろ。それが一宿一飯の世話になる態度か。本当に追い出すぞ。お前だけ野宿するか」

 案の定、また鈴虫の怒りを買う。梨太が謝らせるより早く、鮫島はフンと鼻を鳴らした。

「できればそうしたいところだけど、お前が梨太に変なことをしないよう、見張る役目があるからな」
「さ、鮫島くんっ!」

 仰天して叫ぶ、だがその言葉はしっかりと鈴虫に届いていた。禿頭に血管が浮かび、太い腕で、鮫島の胸ぐらをつかみあげる。

「貴様……ものを理解しろよ。これが町中のケンカなら、いい度胸だ表にでろと言わせ、俺を殴って終わりなんだろうが。今、お前は星帝候補の婚約者としてここにいるってことをわかってないな? 相棒のために、その審査官の心証を悪くするような言動は慎むべきだろう」

 まったくもって正論である。梨太は思わず横でウンウン頷いた。

「いいか、女になるということはそういうことだ。自分の行動が夫の評価につながる。女で身を滅ぼした男は星の数だぞ。リタが許しているからって、甘えているようじゃ女房失格。そんな女を皇后に迎える男もまた星帝失格だ!」

 サッと鮫島の顔色が変わった。理解をすれば、軍人である彼の行動は早かった。即座に頭を垂れ片膝までつこうとするのを、鈴虫は制する。

「謝ってすむことばかりじゃないんだぜ英雄さん。……どうもお前は、浮世離れしたところがある。子供のころから軍隊にいて、世間を知らないな? 主婦の本業は井戸端会議だぞ」
「それは偏見じゃないかな。どこかの団体から怒られそう」

 こっそり梨太はつぶやいたが、誰も相手にしなかった。

 反論できず、俯く鮫島。
 たしかに、鈴虫の言うことも一理ある。鮫島は元来、人懐っこくて優しくて、温厚で可愛らしい人間だ。だがそれを知る者は身内のみ、この国に数えるほどの人数しかいない。
 軍部では、実績と実力、地位があって許されてきた仏頂面――それが無くなった瞬間、彼はただのコミュ障となる。母になるにせよ他の仕事をするにせよ、もう少し社交的でなくてはならないと、当人たちも理解していた。
 リタが許せばそれでいい、ではない。
 鈴虫の言葉は、鮫島の一番痛いところに深々と刺さり、彼を青ざめさせていた。

 鈴虫はフンと、鼻を鳴らした。

「……お前はここでしっかり学ぶ必要がありそうだ。リタが星帝になるために、鮫よ、お前を試験にかけさせてもらうぞ」

 傲然と言い放つ鈴虫に、鮫島はグッとのどを鳴らす。そして今度こそ膝をつき、顔を伏せた。

「……わかった。その試練を受ける。なんなりとお申し付けください」
「鮫島くん……鈴虫さん……っ」

 二人を交互に見回す梨太に、二人はともに目を細め、全く同時にこう言った。

「大丈夫。リタは何にも心配しないでいい」

 一言一句たがわず重なった台詞に、両者はまたムッと唸り、お互いに顔を背けるのだった。

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