鮫島くんのおっぱい
鮫島くんVS猪さん
騎士養育という仕事は、稼業というわけではない。
この家の主――白熊は騎士団長を務め上げたことで、生涯貴族という高い地位を得た。世代交代で引退後、枢機院と呼ばれる軍部へ転属。本業は政治家ということになる。
この当時から、貧しくも能力のある少年兵を預かりうけるようになったらしい。それで授業料を取ったり、報酬があるわけではない。食費と雑費が国から援助される程度で、半分はボランティア、半分は貴族としての義務である。
五年前、とある『不祥事』を機に枢機院からも引退し、隠居。以後は財産を切り崩して暮らすだけの、無職の年寄りだ。
つまりこの家は元々、学校などではない。ただの一個人住宅である。
ラトキア有数の商家である、自分の生家よりずっと小さな屋敷だ。それでも蝶は、この家がとても好きだった。
もう二十年ほども前、二年間、世話になった家である。
温もりのある休憩室を見回して、蝶は細い目をさらに細めた。
「……懐かしいなあ。おかげで騎士になれましたって、挨拶に行かなくちゃと思っていたけど……結局二十年も経ってしまったか。また改めて、女房もつれてこよう」
和やかな蝶のつぶやきは、誰も相槌を打たずに霧散した。
二人の男は、騎士団のムードメーカーなど視野にも入れない。両者、口をへの字に噤み、ひたすら無言で睨みあうばかり。寡黙な大男たちのにらみ合いに、空気が痺れるほどの緊張感。蝶は嘆息した。
「……あのさあ。オトナだからね。それもお二人とも、イイ立場だし。言い分があるなら、ちゃんと落ち着いて話し合いをしましょ。なんなら文書で、後日にでも」
「何が気に入らないんだ猪」
「ああ、やっぱり前置きゼロで本題」
蝶は頭を抱えた。そんな彼の苦悩も、やはり二人は拾わなかった。離れの休憩室という、ひとけのない個室で、両者苦い顔のまま。
ことさら渋面の猪は、上官にきちんと全身を向けていた。なんら物怖じすることなく、吐き捨てる。
「何もかもです」
「……俺が星帝になると話した時は、なにも反対しなかったじゃないか」
「自分では止められるすべがないからです。しかし、その時は自分も騎士団を離れようと思っていました」
猪の言葉に、鮫島、蝶も目を丸くした。それはひどく、意外な発言だった。長のほかは役職のない騎士団だが、最古の古株であり、最強の兵であり、副リーダーにあたるのは間違いなくこの男だ。
騎士団に、なくてはならない人材。
同時に彼自身にとっても、騎士団はただの就職先などではないはずだ。
騎士団長が首をかしげる。
「……お前が、騎士団を辞めてどうするんだ。商売人が出来るとは思えないぞ。『リタの妻』以外にどうにもならない俺が言うのもなんだが」
「うわぁどストレート」
蝶は思わず感嘆する。猪は笑いもしなかった。
「傭兵にでも、と。かつて長年、所属していたこともあります。いかようにでも」
「……騎士団長よりも、良い暮らしが出来るとは思えない。理由を聞かせろ」
「あなたが十六で長となって以来、十二年、近くでその仕事を見て参りました。自分に務まるとは思いません」
「そんなことはないだろう」
鮫島は本気で首をかしげていた。蝶も同意だった。
確かに、この若き騎士団長には猪にはないカリスマ性がある。しかし能力だけなら、この猪も見劣りするほどではない。戦闘力なら肩を並べるし、案外器用者で、頭も切れる。鮫島が苦手な事務仕事も、彼はそつなくこなすだろう。言葉が足りないのは両者似たようなものだ。
蝶は口をはさんだ。
「俺がサポートするよ? 団長だってずっと犬居に支えられてたんだし……」
「ならば蝶が団長になればよかろう」
「ぅえっ!?」
「蝶ではダメだ」
血の気を引かせた蝶が反論するより早く、鮫島。
「騎士団長は、公私を国へ捧げる職務だ。騎士達の誰よりも命を懸けて、誰よりも時間を使い、心身を使い果たす必要がある。蝶はそれが出来ない」
蝶は激しく頷いた。まさに、それこそが自分が出世したくない理由である。猪に次ぐ古株の実力派でありながら、器用貧乏ゆえに雑用ばかりさせられている地味なやつ。それが、蝶の望むポジションだ。英雄の称号も華も要らない。なるべく長生きして、妻のもとに給料を持って帰りたいのだ。
(さすが団長、なんだかんだいって、団員のこと見てくれてる……!)
蝶は関心した。
だが、猪は目を細めた。
「……この猪の人生ならば、騎士団に喰いつぶさせたとて問題無いと?」
蝶は悲鳴を上げそうになった。誤解だと弁解を期待したが、団長はキョトン、と目を丸くして、
「そう思っていたが、違うのか」
「だんちょぉおお!?」
「……さすがに、その言い方は酷いですな」
「でもお前、親はいないし独身だし、友達や恋人もいないだろ。ずっと寮に一人でいるじゃないか。いや俺が言えたことでは全くないんだけど」
「だんちょーっ!!」
「……皆無というわけでは。日帰りならば外泊許可願いもそちらに上げませんので」
「あっそうなのか」
鮫島は案外簡単に納得した。会話のテンポにコケそうになる。蝶は混乱した。――そういえば、あのリタ少年が言っていた……「鮫島くんはクールなのではなく、むしろひたすら素直な人」という、突拍子もない評価……あれは、真実だったのかもしれない。
鮫島はフームと唸り、腕を組む。
「すまない、それは本当に意外だった。俺は、お前はこの騎士団で死にたがっているのだと思っていたよ」
猪は沈黙した。
大きな体が一瞬、縦に揺れたように見える。顔つきが変わった。だがそれはほんのわずかな振動で、瞬きをすればもうわからなくなった。
やがて、猪は微笑む。穏やかに言った。
「……無駄死には御免ですな」
「そうか。……しかし……どうにかならないか? さっき蝶の言ったように、色んな人間のサポートがあれば仕事の負担は軽くできる。なんなら逆に、蝶を騎士団長とし、そのサポートを猪がするのでもいい。いずれにせよ、お前が騎士団を抜けるのはとても困る」
騎士団長からの言葉に、猪は「光栄です」と言いながら首を振った。
「自分は根っからの武人です。事務仕事は、出来んとは言わんが、机に骨を埋めたくはありませぬ」
「……わかった。仕方がない。ならこれまで通り戦士として騎士を続けるといい。次期団長はなんとか手配をする……」
猪はまた首を振った。
「あなたの居ない騎士団に、なんの価値がありましょうや。自分は団長殿の退官と同時に、騎士を辞めます」
「……なぜだ、猪?」
「理由はもう申し上げた。価値のないものに命を賭ける気が無い」
「考え直してくれ。……新戦力だった虎はもういない。それでお前まで抜けては、それこそ騎士団の価値は崩壊する。このラトキアに騎士団の力は必要だ」
「ではあなたが残ればいい。それならば自分も務め上げましょうぞ」
「……退団は許さない。団長命令だ」
「今は従います。寿退職の後に、思うようにいたしますので」
「ちょ、ちょっと二人とも待ってくれよ!」
蝶は声を上げた。その場が孕む殺伐とした気配を散らそうと、意味もなく両手をばたつかせながら間に入る。
「団長、落ち着いてください。猪も、なんか意固地になってないか? 悪い話じゃないって。そりゃ、団長がいるかいないかで騎士団のカリスマ性は大違いだ。枢機院への発言力も、王都の騎士団人気もこのひとあってのことなんだから。でも抜けたからってすぐ落ち込むってわけでなし、そこを作り上げていくのが腕の見せ所だろ。一緒に頑張っていこーぜ、な」
早口でまくしたてる同僚を、猪は一瞥もくれなかった。
明るい水色の瞳を、まっすぐに上官へ向けていた。
彫りの深い顔立ちに、確かな殺気を纏わせて。
彼は言った。
「――ならば、力づくで従わせればよろしい。ラトキア騎士団長としてではなく――俺よりも強い男として、この俺を屈服させてみろ」
腰を落とし、片足を引く。そうして戦闘の構えを取った猪に、鮫島は目を細めた。
この日、彼は軍服ではなく、貴族らしい優美な衣裳を身に着けていた。豪奢なジャケットを脱ぎ、床に落とす。
その下には動きやすそうな貫頭衣。
そして拳を握った。
彼らの真ん中で、蝶が飛び上がる。
「ちょっ――!」
止められない、ことはなかった。二人の拳の間に入るだけの時間は合った。だが当然、蝶は速やかに逃げ出した。その場から身を引いたとたん、さっき自分がいた場所に唸る二つの拳。
まっすぐに突かれた猪の拳。それよりほんの少し遅れて、横から刺さる、鮫島の拳。ばちんと激しい音がして、猪の身体が傾いた。手首のあたりをフックで叩かれ、拳の軌道を曲げられたのだ。
構わず、猪は左腕に替え、視認できない速さで殴りかかった。その時にはもう鮫島はいない。膝を曲げ深く腰を落とし、真下から、猪の腕を殴りあげた。
異様な攻撃。だがアレは、蝶も演習でやられたことがある。脇に近い腕の下部という、急所であり、打たれる機会のない部分への拳撃――猛烈に痛い攻撃だった。
通常ならしばらく腕が麻痺をする。だが猪も負けていない。打たれた瞬間、そのまま腕を真下へ振り下ろした。鮫島の肩に、猪の肘が突き刺さる。
鮫島は床へ伏した。
猪が足を持ち上げる。『踏み付け』は、ひどく原始的な暴力だが、威力の高い蹴りでもある。巨漢ならばなおさらだ。鮫島はすみやかに退避した。
絨毯を転がり、距離を取って身を起こす。
軽く咳き込みながら、それでもダメージはなさそうだ。再び構えを取るのを、猪は静かに見つめた。
「さすがすばしっこい。しかし五年間……いや、六年か。それだけの年月、女の身体であった間に衰えたようだな。拳が柔らかい」
「そうかな」
鮫島の表情は変わらない。何も感情のない、冷たい声で囁く。
「それにしたって、俺は強いぞ」
その時、小さなノックの音。同時に扉が開かれた。当主の妻、鮫島の実母が、ティーセットを持って部屋へ入ってくる。
「失礼します、お茶を――」
「来るなっ!」
叫んだのは蝶だった。その声を合図に、再び両者が飛ぶ。一気に距離が詰まり、速かったのは鮫島だった。
真横から薙ぐような右フック――拳が猪の顎をかすめた。顎先を打ち、脳震盪を起こさせるのは活人技の定番。騎士団長の技は的確だった。だが巨漢は倒れない。丸太のような首で衝撃に耐え、焦点を揺れさせながらこらえきった。
張り手が唸る。
破裂音、血風。騎士団長の身体が宙を飛ぶ。
彼の母親が悲鳴を上げた。
――夫が駆けつけてきたのは、一分も経たないうちだった。
この家の主――白熊は騎士団長を務め上げたことで、生涯貴族という高い地位を得た。世代交代で引退後、枢機院と呼ばれる軍部へ転属。本業は政治家ということになる。
この当時から、貧しくも能力のある少年兵を預かりうけるようになったらしい。それで授業料を取ったり、報酬があるわけではない。食費と雑費が国から援助される程度で、半分はボランティア、半分は貴族としての義務である。
五年前、とある『不祥事』を機に枢機院からも引退し、隠居。以後は財産を切り崩して暮らすだけの、無職の年寄りだ。
つまりこの家は元々、学校などではない。ただの一個人住宅である。
ラトキア有数の商家である、自分の生家よりずっと小さな屋敷だ。それでも蝶は、この家がとても好きだった。
もう二十年ほども前、二年間、世話になった家である。
温もりのある休憩室を見回して、蝶は細い目をさらに細めた。
「……懐かしいなあ。おかげで騎士になれましたって、挨拶に行かなくちゃと思っていたけど……結局二十年も経ってしまったか。また改めて、女房もつれてこよう」
和やかな蝶のつぶやきは、誰も相槌を打たずに霧散した。
二人の男は、騎士団のムードメーカーなど視野にも入れない。両者、口をへの字に噤み、ひたすら無言で睨みあうばかり。寡黙な大男たちのにらみ合いに、空気が痺れるほどの緊張感。蝶は嘆息した。
「……あのさあ。オトナだからね。それもお二人とも、イイ立場だし。言い分があるなら、ちゃんと落ち着いて話し合いをしましょ。なんなら文書で、後日にでも」
「何が気に入らないんだ猪」
「ああ、やっぱり前置きゼロで本題」
蝶は頭を抱えた。そんな彼の苦悩も、やはり二人は拾わなかった。離れの休憩室という、ひとけのない個室で、両者苦い顔のまま。
ことさら渋面の猪は、上官にきちんと全身を向けていた。なんら物怖じすることなく、吐き捨てる。
「何もかもです」
「……俺が星帝になると話した時は、なにも反対しなかったじゃないか」
「自分では止められるすべがないからです。しかし、その時は自分も騎士団を離れようと思っていました」
猪の言葉に、鮫島、蝶も目を丸くした。それはひどく、意外な発言だった。長のほかは役職のない騎士団だが、最古の古株であり、最強の兵であり、副リーダーにあたるのは間違いなくこの男だ。
騎士団に、なくてはならない人材。
同時に彼自身にとっても、騎士団はただの就職先などではないはずだ。
騎士団長が首をかしげる。
「……お前が、騎士団を辞めてどうするんだ。商売人が出来るとは思えないぞ。『リタの妻』以外にどうにもならない俺が言うのもなんだが」
「うわぁどストレート」
蝶は思わず感嘆する。猪は笑いもしなかった。
「傭兵にでも、と。かつて長年、所属していたこともあります。いかようにでも」
「……騎士団長よりも、良い暮らしが出来るとは思えない。理由を聞かせろ」
「あなたが十六で長となって以来、十二年、近くでその仕事を見て参りました。自分に務まるとは思いません」
「そんなことはないだろう」
鮫島は本気で首をかしげていた。蝶も同意だった。
確かに、この若き騎士団長には猪にはないカリスマ性がある。しかし能力だけなら、この猪も見劣りするほどではない。戦闘力なら肩を並べるし、案外器用者で、頭も切れる。鮫島が苦手な事務仕事も、彼はそつなくこなすだろう。言葉が足りないのは両者似たようなものだ。
蝶は口をはさんだ。
「俺がサポートするよ? 団長だってずっと犬居に支えられてたんだし……」
「ならば蝶が団長になればよかろう」
「ぅえっ!?」
「蝶ではダメだ」
血の気を引かせた蝶が反論するより早く、鮫島。
「騎士団長は、公私を国へ捧げる職務だ。騎士達の誰よりも命を懸けて、誰よりも時間を使い、心身を使い果たす必要がある。蝶はそれが出来ない」
蝶は激しく頷いた。まさに、それこそが自分が出世したくない理由である。猪に次ぐ古株の実力派でありながら、器用貧乏ゆえに雑用ばかりさせられている地味なやつ。それが、蝶の望むポジションだ。英雄の称号も華も要らない。なるべく長生きして、妻のもとに給料を持って帰りたいのだ。
(さすが団長、なんだかんだいって、団員のこと見てくれてる……!)
蝶は関心した。
だが、猪は目を細めた。
「……この猪の人生ならば、騎士団に喰いつぶさせたとて問題無いと?」
蝶は悲鳴を上げそうになった。誤解だと弁解を期待したが、団長はキョトン、と目を丸くして、
「そう思っていたが、違うのか」
「だんちょぉおお!?」
「……さすがに、その言い方は酷いですな」
「でもお前、親はいないし独身だし、友達や恋人もいないだろ。ずっと寮に一人でいるじゃないか。いや俺が言えたことでは全くないんだけど」
「だんちょーっ!!」
「……皆無というわけでは。日帰りならば外泊許可願いもそちらに上げませんので」
「あっそうなのか」
鮫島は案外簡単に納得した。会話のテンポにコケそうになる。蝶は混乱した。――そういえば、あのリタ少年が言っていた……「鮫島くんはクールなのではなく、むしろひたすら素直な人」という、突拍子もない評価……あれは、真実だったのかもしれない。
鮫島はフームと唸り、腕を組む。
「すまない、それは本当に意外だった。俺は、お前はこの騎士団で死にたがっているのだと思っていたよ」
猪は沈黙した。
大きな体が一瞬、縦に揺れたように見える。顔つきが変わった。だがそれはほんのわずかな振動で、瞬きをすればもうわからなくなった。
やがて、猪は微笑む。穏やかに言った。
「……無駄死には御免ですな」
「そうか。……しかし……どうにかならないか? さっき蝶の言ったように、色んな人間のサポートがあれば仕事の負担は軽くできる。なんなら逆に、蝶を騎士団長とし、そのサポートを猪がするのでもいい。いずれにせよ、お前が騎士団を抜けるのはとても困る」
騎士団長からの言葉に、猪は「光栄です」と言いながら首を振った。
「自分は根っからの武人です。事務仕事は、出来んとは言わんが、机に骨を埋めたくはありませぬ」
「……わかった。仕方がない。ならこれまで通り戦士として騎士を続けるといい。次期団長はなんとか手配をする……」
猪はまた首を振った。
「あなたの居ない騎士団に、なんの価値がありましょうや。自分は団長殿の退官と同時に、騎士を辞めます」
「……なぜだ、猪?」
「理由はもう申し上げた。価値のないものに命を賭ける気が無い」
「考え直してくれ。……新戦力だった虎はもういない。それでお前まで抜けては、それこそ騎士団の価値は崩壊する。このラトキアに騎士団の力は必要だ」
「ではあなたが残ればいい。それならば自分も務め上げましょうぞ」
「……退団は許さない。団長命令だ」
「今は従います。寿退職の後に、思うようにいたしますので」
「ちょ、ちょっと二人とも待ってくれよ!」
蝶は声を上げた。その場が孕む殺伐とした気配を散らそうと、意味もなく両手をばたつかせながら間に入る。
「団長、落ち着いてください。猪も、なんか意固地になってないか? 悪い話じゃないって。そりゃ、団長がいるかいないかで騎士団のカリスマ性は大違いだ。枢機院への発言力も、王都の騎士団人気もこのひとあってのことなんだから。でも抜けたからってすぐ落ち込むってわけでなし、そこを作り上げていくのが腕の見せ所だろ。一緒に頑張っていこーぜ、な」
早口でまくしたてる同僚を、猪は一瞥もくれなかった。
明るい水色の瞳を、まっすぐに上官へ向けていた。
彫りの深い顔立ちに、確かな殺気を纏わせて。
彼は言った。
「――ならば、力づくで従わせればよろしい。ラトキア騎士団長としてではなく――俺よりも強い男として、この俺を屈服させてみろ」
腰を落とし、片足を引く。そうして戦闘の構えを取った猪に、鮫島は目を細めた。
この日、彼は軍服ではなく、貴族らしい優美な衣裳を身に着けていた。豪奢なジャケットを脱ぎ、床に落とす。
その下には動きやすそうな貫頭衣。
そして拳を握った。
彼らの真ん中で、蝶が飛び上がる。
「ちょっ――!」
止められない、ことはなかった。二人の拳の間に入るだけの時間は合った。だが当然、蝶は速やかに逃げ出した。その場から身を引いたとたん、さっき自分がいた場所に唸る二つの拳。
まっすぐに突かれた猪の拳。それよりほんの少し遅れて、横から刺さる、鮫島の拳。ばちんと激しい音がして、猪の身体が傾いた。手首のあたりをフックで叩かれ、拳の軌道を曲げられたのだ。
構わず、猪は左腕に替え、視認できない速さで殴りかかった。その時にはもう鮫島はいない。膝を曲げ深く腰を落とし、真下から、猪の腕を殴りあげた。
異様な攻撃。だがアレは、蝶も演習でやられたことがある。脇に近い腕の下部という、急所であり、打たれる機会のない部分への拳撃――猛烈に痛い攻撃だった。
通常ならしばらく腕が麻痺をする。だが猪も負けていない。打たれた瞬間、そのまま腕を真下へ振り下ろした。鮫島の肩に、猪の肘が突き刺さる。
鮫島は床へ伏した。
猪が足を持ち上げる。『踏み付け』は、ひどく原始的な暴力だが、威力の高い蹴りでもある。巨漢ならばなおさらだ。鮫島はすみやかに退避した。
絨毯を転がり、距離を取って身を起こす。
軽く咳き込みながら、それでもダメージはなさそうだ。再び構えを取るのを、猪は静かに見つめた。
「さすがすばしっこい。しかし五年間……いや、六年か。それだけの年月、女の身体であった間に衰えたようだな。拳が柔らかい」
「そうかな」
鮫島の表情は変わらない。何も感情のない、冷たい声で囁く。
「それにしたって、俺は強いぞ」
その時、小さなノックの音。同時に扉が開かれた。当主の妻、鮫島の実母が、ティーセットを持って部屋へ入ってくる。
「失礼します、お茶を――」
「来るなっ!」
叫んだのは蝶だった。その声を合図に、再び両者が飛ぶ。一気に距離が詰まり、速かったのは鮫島だった。
真横から薙ぐような右フック――拳が猪の顎をかすめた。顎先を打ち、脳震盪を起こさせるのは活人技の定番。騎士団長の技は的確だった。だが巨漢は倒れない。丸太のような首で衝撃に耐え、焦点を揺れさせながらこらえきった。
張り手が唸る。
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