鮫島くんのおっぱい
ラトキア星にて
黄金色草原――
それはラトキア星南部、バルフレア地区全域に広がっている。
景気のよさそうな名に反し、豊かな大地ではない。草原をただそれだけで埋め尽くす、植物の色が黄金のごとく輝いているだけである。強い草であった。人ならばたちまち皮膚を傷つける。噛み切れる動物や虫もごく一部、おまけに大量に水分を吸い上げ、他の植物を枯らせてしまう。そのため動物も少ない。
そこは貧しい土地だった。
このラトキア星で、最も気候がよく過ごしやすいのが王都である。ほかの土地は、領地争いに負けた少数民族が落ち延びて暮らす「ハズレ」だ。
狭い土地で、効率的に繁殖できるよう、雌雄同体という進化を遂げたラトキア人。
しかし他の亜人種もまた、その土地で生き延びて行けるよう、生態を進化させていた。
「はあっ、はあっ……はあっ」
ハーニャは平原を駆けていた。黄金色の草原に、黄金色の毛並みが溶け込む。四つん這いで疾走すれば、肉食獣に視認される恐れはない。
麻のワンピースは傷だらけになってしまったが、そんなことを気にしてはいられない。
早く、村に戻らなくてはならない。
黄金色草原のど真ん中、もっとも茂みの深い丘を越えれば、バルフレア族の村が見えてくる。
ハーニャは一度立ち上がり、風の流れに鼻先を掲げた。
大丈夫、火薬のにおいはしない。
安堵して再び、前足をついた。
「みんな! 助けを呼んできたわ、もう大丈夫よ!」
叫びながら、村へと駆けこむ。だがハーニャを出迎えたのは、父母の暖かな抱擁ではなかった。
不意に襟首を掴まれて、ハーニャの後ろ足が宙に浮いた。悲鳴を上げて振り返る。
そこに、セガイカン人がいた。男ばかり二十人ほど。 身長はハーニャの二倍、二メートルを超えるだろう。赤褐色の肌をした、小さな目の種族であった。
「お帰りケモノちゃん」
もがくハーニャを宙へ投げ、毬玉のように蹴り上げる。
吹っ飛び、墜落した地面には、ちょうど同じように倒れた仲間がいた。老若男女のバルフレア族、豊かな毛並みが一部、赤く濡れている。
ハーニャは吠えた。
「おのれ! 砂漠の民が、なぜこんなことをするの。バルフレアの草原から出ていけ!」
「あー、おれたちも、故郷に帰りたいのはやまやまなんだけどなぁ?」
赤褐色の肌をした男は苦笑する。
「オアシスにはもう、前科者に飲ませる水はねえんだと。セガイカンに戻れば今度こそ、ナタで額を割られちまうんだよ」
別のセガイカン人が、ハーニャの顎を持ち上げた。
「なに、獲って食おうってわけじゃないよケモノちゃん。家をいくつかと毎日の食料、あとはまあ、たまの娯楽に、遊びに来てくれたらそれでいい」
「けだものめ!」
ハーニャは怒鳴った。再び蹴り飛ばされても、牙を剥いて睨みつける。負けてたまるかと、バルフレア族の少女は気を張った。
獣によく似た姿でも、バルフレアはラトキア民族と最も近く、古くから繋がってきた亜人種だ。セガイカンの巨人らよりよほど知能があった。
「笑っていられるのなんてほんのひと時よ。お前たちには、すぐに女神の罰が下るわ」
ハーニャは挫けない。あのラトキア民族だって、かつて強大な力に支配され、そして都を奪い返して見せたのだから。
男たちはゲラゲラ笑った。ハーニャの胸ぐらをつかみ、天高く持ち上げて晒す。それでも眼光を緩めない少女に、巨人は黄色い歯を剥いた。
「女神ぃ? そりゃラトキア人の信仰だろ。王都に引きこもってるあいつらが、俺たちに何が出来るって?」
「――敵襲! 敵襲!」
見張り台から声が飛んだ。
「鎧トカゲに武装した兵が五十! あの黒い軍服は、ラトキアの騎士だ!」
「ラトキア騎士団だと!?」
セガイカン人はぎょっとして、それぞれの武器を構える。枝で作った槍、槌、かろうじて金属を用いた武骨な手斧だ。
彼らにぶら下げられたまま、ハーニャは草原を振り返った。
普段の目線なら、黄金色の葦が視界を阻む。しかしセガイカン人の手に持ち上げられて、ハーニャは草原を突き進む騎兵を確認した。
鎧トカゲの住処は本来、山岳地の洞窟にある。二足歩行、羽毛を持つ巨大なトカゲは、人に慣れることはないはずだった。
しかし確かに、鎧トカゲに跨った黒衣の騎士団がこちらに向けて駆けてくる。
「村の出入り口はひとつ! このまま押し込むぞ!」
先頭の騎士が叫ぶ。セガイカン族にも負けない巨躯の男は、その体格に合わせいっとう巨大な鎧トカゲを操っていた。
セガイカンの男が笑う。
「ラトキア人にしてはえらくデカいのがいるな。あれがリーダーか? 投石をつがえろ! 先頭の男を――ぎゃっ!?」
雄々しい号令が悲鳴へと変わったとたん、ハーニャは地面へ落下した。見上げると、男が腕を抑えて呻いている。そこへさらに一発、二発。小さな何かが飛来して、男の半身を打った。
一体いつの間に、村の中央に入ったのか。
音もなく騎士がそこに現れたのだ。
砂埃を上げてこちらへ駆けてくる軍団、そこからたった一騎、先行してきたらしい。セガイカンの男は目を見開いた。傷の痛みすらも忘れ、惚けた声で呟く。
「――綺麗な女だ」
男は、感想そのままを言葉に出した。
先行の騎士は絶世の美女であった。もっとも操るのが難しい、若い鎧トカゲを手慣れた家畜のように従えている。
草原では決して見れない、透き通るような白い肌。腰に至るまである長い髪は、闇夜のように黒く艶やかだ。
セガイカン族の口からよだれが落ちる。同性、亜人種のハーニャにも共感できる。それほどに、彼女は美しかった。
白い唇がかすかに開く。
「セガイカンの盗賊団、おまえが頭領だな。騎士団が突入してくるまであと一分。投降しろ。抵抗すれば、我らラトキア騎士団には武力行使をする権利がある」
男は聞いていなかった。先ほど同族たちに出した命令を撤回し、目の前の女を捕えろと絶叫する。
仲間は一度、戸惑って、しかしすぐに理解した。目の前に迫る軍団に背を向け、女騎士のほうへ向きなおる。
禍々しい目つきを見て取って、女は嘆息した。
「――まったく、もう。手間のかかる」
それだけ呟き、右手で軽く、鎧トカゲの首を撫でた。途端、若いトカゲがいなないた。天に向かって奇声を上げて、後ろ足で跳ねあがる。飛翔はほぼ垂直であった。一瞬、ハーニャの顔にも陰が差す。
直後、セガイカン族の顔面を、巨大な脚が踏みつけた。
「ぶぎゃ」
醜い悲鳴を上げ昏倒した男を蹴り飛ばし、そのまま他の連中に突っ込んでいく。
鎧トカゲの体長は二メートル、体重三〇〇キロ。鞍も手綱もなく、女騎士は野生生物を操って、次々に賊どもを蹴散らした。
――速い。
見張り台から号令が飛ぶ。
「ひるむな! 矢を放て! 鎧トカゲの足元を狙うんだ。ラトキア人は脆弱だ。駒だけ取れば、あとはただの女だ!」
その男に向けて、女は騎乗したまま両手を離し、左手をかざした。しなやかな手の甲に、奇妙な装置が付いている。籠手に弦が張ってある。それはバルフレア族が扱う、狩り用の弓籠手であった。鉄と革を張り合わせさらに強化されている。彼女は弾丸をつがい、軽く引いてすぐに放つ。ピュン、と軽い発射音。
それは拳銃以上の威力を持って、見張り台まで到達し、男の右肩を撃ち抜いた。
「くそっ、変な武器を持ってる?」
「飛び掛かれ! 抱きついて引きずり降ろしてしまえばただの――」
女は腰元から三節棍を取り出した。揺れる騎上で間接部を開いて固定。大人の背丈より長くなった棍を掲げ、疾走しながら振り下ろす。すれ違うたび次々に昏倒させられる男達。
「馬鹿な。ありえない。あれはただの――」
「ただの女のヒトなんかじゃないわ!」
ハーニャは叫んだ。ひたすら無言で戦う女騎士の代わりに、誉ある名乗りを上げてやる。
「あれがラトキア騎士団長! バルフレアを救いに来てくださったのよ!」
村をぐるりと一周すると、彼女は首を巡らせた。もう一つの見張り台に投石機がある。もう一度トカゲの首を撫で、彼女は垂直の壁を駆けあがった。
長い髪が宙に広がる。
高台で、物見遊山気分だった見張りがギクリと体を震わせた。
「え? あれっ?」
その頭上に。
鮫島は棍を握りなおし、まっすぐに打ちおろした。
それはラトキア星南部、バルフレア地区全域に広がっている。
景気のよさそうな名に反し、豊かな大地ではない。草原をただそれだけで埋め尽くす、植物の色が黄金のごとく輝いているだけである。強い草であった。人ならばたちまち皮膚を傷つける。噛み切れる動物や虫もごく一部、おまけに大量に水分を吸い上げ、他の植物を枯らせてしまう。そのため動物も少ない。
そこは貧しい土地だった。
このラトキア星で、最も気候がよく過ごしやすいのが王都である。ほかの土地は、領地争いに負けた少数民族が落ち延びて暮らす「ハズレ」だ。
狭い土地で、効率的に繁殖できるよう、雌雄同体という進化を遂げたラトキア人。
しかし他の亜人種もまた、その土地で生き延びて行けるよう、生態を進化させていた。
「はあっ、はあっ……はあっ」
ハーニャは平原を駆けていた。黄金色の草原に、黄金色の毛並みが溶け込む。四つん這いで疾走すれば、肉食獣に視認される恐れはない。
麻のワンピースは傷だらけになってしまったが、そんなことを気にしてはいられない。
早く、村に戻らなくてはならない。
黄金色草原のど真ん中、もっとも茂みの深い丘を越えれば、バルフレア族の村が見えてくる。
ハーニャは一度立ち上がり、風の流れに鼻先を掲げた。
大丈夫、火薬のにおいはしない。
安堵して再び、前足をついた。
「みんな! 助けを呼んできたわ、もう大丈夫よ!」
叫びながら、村へと駆けこむ。だがハーニャを出迎えたのは、父母の暖かな抱擁ではなかった。
不意に襟首を掴まれて、ハーニャの後ろ足が宙に浮いた。悲鳴を上げて振り返る。
そこに、セガイカン人がいた。男ばかり二十人ほど。 身長はハーニャの二倍、二メートルを超えるだろう。赤褐色の肌をした、小さな目の種族であった。
「お帰りケモノちゃん」
もがくハーニャを宙へ投げ、毬玉のように蹴り上げる。
吹っ飛び、墜落した地面には、ちょうど同じように倒れた仲間がいた。老若男女のバルフレア族、豊かな毛並みが一部、赤く濡れている。
ハーニャは吠えた。
「おのれ! 砂漠の民が、なぜこんなことをするの。バルフレアの草原から出ていけ!」
「あー、おれたちも、故郷に帰りたいのはやまやまなんだけどなぁ?」
赤褐色の肌をした男は苦笑する。
「オアシスにはもう、前科者に飲ませる水はねえんだと。セガイカンに戻れば今度こそ、ナタで額を割られちまうんだよ」
別のセガイカン人が、ハーニャの顎を持ち上げた。
「なに、獲って食おうってわけじゃないよケモノちゃん。家をいくつかと毎日の食料、あとはまあ、たまの娯楽に、遊びに来てくれたらそれでいい」
「けだものめ!」
ハーニャは怒鳴った。再び蹴り飛ばされても、牙を剥いて睨みつける。負けてたまるかと、バルフレア族の少女は気を張った。
獣によく似た姿でも、バルフレアはラトキア民族と最も近く、古くから繋がってきた亜人種だ。セガイカンの巨人らよりよほど知能があった。
「笑っていられるのなんてほんのひと時よ。お前たちには、すぐに女神の罰が下るわ」
ハーニャは挫けない。あのラトキア民族だって、かつて強大な力に支配され、そして都を奪い返して見せたのだから。
男たちはゲラゲラ笑った。ハーニャの胸ぐらをつかみ、天高く持ち上げて晒す。それでも眼光を緩めない少女に、巨人は黄色い歯を剥いた。
「女神ぃ? そりゃラトキア人の信仰だろ。王都に引きこもってるあいつらが、俺たちに何が出来るって?」
「――敵襲! 敵襲!」
見張り台から声が飛んだ。
「鎧トカゲに武装した兵が五十! あの黒い軍服は、ラトキアの騎士だ!」
「ラトキア騎士団だと!?」
セガイカン人はぎょっとして、それぞれの武器を構える。枝で作った槍、槌、かろうじて金属を用いた武骨な手斧だ。
彼らにぶら下げられたまま、ハーニャは草原を振り返った。
普段の目線なら、黄金色の葦が視界を阻む。しかしセガイカン人の手に持ち上げられて、ハーニャは草原を突き進む騎兵を確認した。
鎧トカゲの住処は本来、山岳地の洞窟にある。二足歩行、羽毛を持つ巨大なトカゲは、人に慣れることはないはずだった。
しかし確かに、鎧トカゲに跨った黒衣の騎士団がこちらに向けて駆けてくる。
「村の出入り口はひとつ! このまま押し込むぞ!」
先頭の騎士が叫ぶ。セガイカン族にも負けない巨躯の男は、その体格に合わせいっとう巨大な鎧トカゲを操っていた。
セガイカンの男が笑う。
「ラトキア人にしてはえらくデカいのがいるな。あれがリーダーか? 投石をつがえろ! 先頭の男を――ぎゃっ!?」
雄々しい号令が悲鳴へと変わったとたん、ハーニャは地面へ落下した。見上げると、男が腕を抑えて呻いている。そこへさらに一発、二発。小さな何かが飛来して、男の半身を打った。
一体いつの間に、村の中央に入ったのか。
音もなく騎士がそこに現れたのだ。
砂埃を上げてこちらへ駆けてくる軍団、そこからたった一騎、先行してきたらしい。セガイカンの男は目を見開いた。傷の痛みすらも忘れ、惚けた声で呟く。
「――綺麗な女だ」
男は、感想そのままを言葉に出した。
先行の騎士は絶世の美女であった。もっとも操るのが難しい、若い鎧トカゲを手慣れた家畜のように従えている。
草原では決して見れない、透き通るような白い肌。腰に至るまである長い髪は、闇夜のように黒く艶やかだ。
セガイカン族の口からよだれが落ちる。同性、亜人種のハーニャにも共感できる。それほどに、彼女は美しかった。
白い唇がかすかに開く。
「セガイカンの盗賊団、おまえが頭領だな。騎士団が突入してくるまであと一分。投降しろ。抵抗すれば、我らラトキア騎士団には武力行使をする権利がある」
男は聞いていなかった。先ほど同族たちに出した命令を撤回し、目の前の女を捕えろと絶叫する。
仲間は一度、戸惑って、しかしすぐに理解した。目の前に迫る軍団に背を向け、女騎士のほうへ向きなおる。
禍々しい目つきを見て取って、女は嘆息した。
「――まったく、もう。手間のかかる」
それだけ呟き、右手で軽く、鎧トカゲの首を撫でた。途端、若いトカゲがいなないた。天に向かって奇声を上げて、後ろ足で跳ねあがる。飛翔はほぼ垂直であった。一瞬、ハーニャの顔にも陰が差す。
直後、セガイカン族の顔面を、巨大な脚が踏みつけた。
「ぶぎゃ」
醜い悲鳴を上げ昏倒した男を蹴り飛ばし、そのまま他の連中に突っ込んでいく。
鎧トカゲの体長は二メートル、体重三〇〇キロ。鞍も手綱もなく、女騎士は野生生物を操って、次々に賊どもを蹴散らした。
――速い。
見張り台から号令が飛ぶ。
「ひるむな! 矢を放て! 鎧トカゲの足元を狙うんだ。ラトキア人は脆弱だ。駒だけ取れば、あとはただの女だ!」
その男に向けて、女は騎乗したまま両手を離し、左手をかざした。しなやかな手の甲に、奇妙な装置が付いている。籠手に弦が張ってある。それはバルフレア族が扱う、狩り用の弓籠手であった。鉄と革を張り合わせさらに強化されている。彼女は弾丸をつがい、軽く引いてすぐに放つ。ピュン、と軽い発射音。
それは拳銃以上の威力を持って、見張り台まで到達し、男の右肩を撃ち抜いた。
「くそっ、変な武器を持ってる?」
「飛び掛かれ! 抱きついて引きずり降ろしてしまえばただの――」
女は腰元から三節棍を取り出した。揺れる騎上で間接部を開いて固定。大人の背丈より長くなった棍を掲げ、疾走しながら振り下ろす。すれ違うたび次々に昏倒させられる男達。
「馬鹿な。ありえない。あれはただの――」
「ただの女のヒトなんかじゃないわ!」
ハーニャは叫んだ。ひたすら無言で戦う女騎士の代わりに、誉ある名乗りを上げてやる。
「あれがラトキア騎士団長! バルフレアを救いに来てくださったのよ!」
村をぐるりと一周すると、彼女は首を巡らせた。もう一つの見張り台に投石機がある。もう一度トカゲの首を撫で、彼女は垂直の壁を駆けあがった。
長い髪が宙に広がる。
高台で、物見遊山気分だった見張りがギクリと体を震わせた。
「え? あれっ?」
その頭上に。
鮫島は棍を握りなおし、まっすぐに打ちおろした。
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