鮫島くんのおっぱい

とびらの

鮫島くんという生き物

 満を持して、戦場に現れた騎士団長。その格好に、梨太や騎士団、犬居までが目を点にする。こころなしかバルゴまで呆気にとられたように、虎の上で停止していた。
 ラトキア騎士団のりりしい軍服でも、市民服でもない。
 エプロン姿、である。

 あるいは割烹着と言うべきだろうか。袖が肘ほどまである白い布の服は、食堂のおばちゃんが着ているそれによく似ていた。全力で努力をして見てクソダサいワンピース――いや、やっぱり、割烹着だ。かなり丈が足りておらず、長い腕が肘まで見えてしまっているが、やはり婦人用の割烹着以外の何者でもない。
 さらに頭部には三角巾、とどめに、左手に炊飯器をぶら下げている。

 全く持って意味が分からない。

 バルゴの腕の下で、虎が首を巡らせた。
「……だんちょー。なんすか、そのかっこ」
 ぶっこんでくれるのを、一同全員感謝した。

 言われて、鮫島は表情を変えなかった。五合炊きほどだろうか、こぶりな炊飯器を掲げてみせる。

「これは、すいはんき、というものだ。電器屋の前を通りがかったら、売っていた。店員曰く、これがあればボタンひとつで、誰でも必ずおいしいご飯ができるらしい」
「…………はあ」
「購入を迷っていたら、コレと他社製品とでそれぞれ炊いた米があるから、自分でオニギリにしてみろという。よくわからないが見よう見まねで挑戦してみたら、ものすごい勢いで服が汚れた」
「なんでオニギリでそんな汚れるんだよ」
 梨太がつぶやく。
「見かねた店員が、この服を貸してくれたんだ。だからあとで返しにいかないと」
「脱いでからこんかいっ!」
 わめいたのは鯨である。

 彼は上空のくじらくんを睨み上げると、恨めしそうに、
「なんだその言いぐさは。俺が休暇中にどんな格好をしてようと勝手だろう。そこをいきなり無線を鳴らして、早く早く一刻も争うんだぞと急かしたのは貴様だ。意味も分からんまま駆けつけたというのに、なんで叱られなきゃならないんだ。あのオニギリも小一時間かかってようやくできて、これから食べ比べようってところだったのに」
「なんでオニギリで小一時間」
 梨太のつぶやきは誰も相手にしない。

 鮫島は再び怒鳴りつけてきた鯨を睨み、 
「炊飯器も買わざるを得ない状況になった。俺はまだ迷ってたのに、鯨のせいだぞ。領収書もらってきたから経費で出せよ」
「誰が出すか、だいたい地球の電化製品がラトキアで使えるわけがないだろう。電圧もプラグも違うんだから」
「えっ。」
 炊飯器を見下ろして瞬きをする弟に、姉は頭を抱えてうめく。

「もーいいから、とりあえずさっさとそれを床において、その服を脱げ。似合わなさすぎて頭が痛い」
「そうかなあ……」
 彼は不満げに頷くと、炊飯器を置き、背中の紐を解いた。脱いだ割烹着を炊飯器の上に置く。そうして現れた衣裳に、再び騎士たちは顎を落とした。

 ふんわりシフォンのパフスリーブ。極端なミニスカートのワンピース――いや、いわゆる、チュニックだ。その下にはデニムのショートパンツを付けているものの、白い太股が丸出しである。長い足のつま先には、これもまたかわいらしいオレンジ色のサンダル。

 断じてそれは、ユニセックスという次元ではない。きっぱりと、女性服だった。斜め掛けにしたメッセンジャーバッグ以外、上から下まで、地球の女性服。

 女装、とは言うまい、鮫島は女性の体なのだから。だが雌雄同体という概念になじみ深いはずの騎士たちも愕然としているあたり、これまでに彼がこんな格好をしたことはなかったのだろう。鮫島本人も居心地が悪そうに、己の剥きだしの腿をさすった。

「日本の夏の夜は冷えるな。この格好は、昼間はともかく、夜は寒い」
「……い……いやいやいや、いやいやいやいやいや」
 その場の全員が手と首を振って否定した。

「……なんて格好してんですか。見苦しい」
 吐き捨てたのは犬居だった。全員半分くらいは同意だったので無言のままである。言われた鮫島はあきらかに機嫌を損ねた。犬居に向き直り、洋服の裾を摘んでみせる。

「まだ、俺だってコレなら似合うという正解を見つけたわけじゃない。客観的に、あまり似合っていないという自負がある。しかし試行錯誤とは失敗を重ねていくことを言う。この服はもともと、靴を買いに行って、サイズがなくて困っていたら店員に大きいサイズの女性靴屋を紹介されて、そこは服も売っていて、これがそのセット販売で。いや、単体でも買えたのだけど、とーたるこーでぃねーとが大事なんだと、すごいまつげをした店員がいろいろ言うから」
「聞いてねええええっ!」
 絶叫する犬居。梨太はほんのすこし犬居に同情した。

 その梨太のほうへ視線をやり、鮫島。
「リタ。やっぱり似合わないかな」
「え。ええええ。……えーっと」
 とつぜん自分の方に火の粉が飛んで、返答に窮する梨太に、なぜか心配そうな視線を送る騎士団。梨太は返事をかなり迷ったが、結局は正直に、
「……まず、ごはんつぶが付いてるのがもう、どうしようもないんだけど。ごめん、僕も、あまり似合ってはないとおもう」
「……そうか」
 明らかにシュンとなる、その胸元で、白色のペンダントトップが揺れた。
 梨太が贈った、鮫の牙。視線を感じたのだろうか、彼はそれを摘まんで持ち上げる。
「……これを、せっかくもらったのに、ひとに見えるようにできる服がラトキアの物にはなくて。だけど俺はもともと、軍の支給品以外買ったこともないから、よくわからないな」
 梨太はしばらくぼんやりと、かすかに紅潮した彼に見惚れた。
 思考をめぐらせ、言葉を推敲し、提案の形にまとめていく。

「あの……。その大きいサイズの店、ってたぶん、タテじゃなくて横……長身アスリート体型じゃなくて、ポッチャリさん用の店じゃない? なんかチュニック、もっさりしてるし。大は小を兼ねてるだけだよね」
「ああ、うん」
「鮫島くんは、良くも悪くも日本人離れしてるから。やっぱりインポートブランドか、いっそ仕立てたほうがいいと思う。下手にカワイコぶらないで、鮫島くんのイイトコ出していこうよ。霞ヶ丘の商店街なんかじゃなくて、もっと都会の、百貨店とかで……僕の好みでよかったら、見立ててあげる。一緒に行こうよ」

 鮫島は微笑んだ。幸福そうに、目を細めて。
「わかった。じゃあ、明日。犬居、スケジュールを押さえて騎士たちに伝達をしておいてくれ」
「了解――って、なんでだよ!」
 一瞬軍服の裾からくじらくんを取り出してから、地面にたたきつける犬居。

 長年の団長の世話役ポジションからなる条件反射に全力であらがって、犬居は小型犬みたいに絶叫した。
「ふざけるな! 緊迫感がないのもたいがいにしろよ。今がどういう状況かわかってるのか!」
 鮫島はきょとんとした。首を傾げ、コレ以上なく素直な返事を返してくる。
「いや。なにも聞いてないからぜんぜん……」
「うだああああああっ! 将軍! 道中で話通しといてくださいよっ!」
「ごめんなさい。わたしも慌てていて……」
「ったく、もう。この姉弟は。二人とも座学で総合一級資格持ってるくせになんでそうどっか抜けてるんだ。毎度毎度フォローする俺の身にもなってくださいよね!」
「面目ない。いつもありがとう」
「どういたしましてっ!」

「あの、僭越ながら、僕が状況説明をば」
 梨太が手を挙げた。

 ごく短い報告を聞き終えて、鮫島はふうんと軽薄な反応だけして見せた。すべてを理解してもなお緊迫感のない様子に、犬居が頬をひきつらせる。鯨も固い声でささやいた。
「おい、わかってるのか? ……決戦だぞ。敵はあの獣……まだ二十以上いる。そして犬居だ。おまえはあれらを、倒さなくてはならない」
 そこまで聞いても、彼は表情を変えない。
 了解していることを頷いて告げると、鞄から何か、鉄の塊を取り出した。折りたたまれていたものを手早く展開、それは、籠手の形になる。左腕に装着。そしてショートパンツのポケットから、弾丸のようなものも取り出した。
 籠手の、手の甲のあたりに弦がついている。それで、あの弾丸を飛ばすらしい。パチンコ、弓? 名称がわからないが、やけに簡易的な飛び道具である。

 そんなものが、野生の獣に当てられるのか――そう、梨太が問いかけようとした瞬間。

 寂しいほどにどうということもない所作で、鮫島は弾丸を弦にかけ、すぐに引いてすぐに放った。ピュンと愛嬌のある音とともに、楕円形の弾が空を裂く。
 そして一直線、虎に跨っていたバルゴの眉間を打ち抜いた。
 悲鳴もなく、一瞬で絶命。

 そこで初めて、獣たちは硬直から目を覚ました。最強の敵と認識し、奥にいたものが一斉に寄り集まってくる。鮫島は構わず、次々に弾をつがえ、虎の周りにいた残り四頭を駆逐した。すべてが一発で眉間に沈み、糸の切れた人形のごとく、ばたばたと倒れ伏していく。
「うげっ」
 助けられた虎が、なぜか悲鳴を上げる。
 その間に、距離を詰めてやってきた三頭。ピュンピュンピュン、の三発で地面へ墜落。
 それを見た後続が突進をためらって停止した、それこそ狙いやすいとばかりに着弾。
 直線上から逃げようと身を翻し、サイドステップするのも構わずに撃ち抜く。
 その間、二分足らず。そうして、十頭のバルゴは十体の死骸になった。

「……走ってる獣の眉間ってオイ……」
 死骸に囲まれて、呟く虎。

 梨太は彼へと駆け寄って、まずその無事を確認した。そして絶命しているバルゴの死体に、ウッと呻き声を漏らしてしまう。
 眉間に、底が見えないほど深い穴が開いていた。眼球は左右共に飛び出している。その、飛び出した視神経紐の長さが全く同じだ。
 四足で真正面から飛び込んでくる獣を、一撃で即死させるにはここしかないという位置、そこに寸分の狂いも無く、鉄の玉が撃ち込まれている。
 闇夜のむこうに転がる死骸も、すべておなじ状態だろう。どうにか狙いを混乱させようと、複雑な動きをするものも、逡巡のタイムラグすらなく――
 十一体目の躯が地に落ちた。

「強ぇ……」
 呟く虎。彼が斬り、殴り、蹴飛ばし、そしてかみ殺されかけた獣たち。美女のしなやかな指が数センチメートル動くたび、骸と化して地面に沈む。

 さすがにそこで、獣たちは敵が強すぎることを理解したらしい。戦闘態勢から小気味がいいほどに翻り、いっせいに遁走を試みる――そのために一度足を止めたところを撃ち抜かれ、その場で死んだ。

 梨太が唾を飲みこむまでに、弾はいくつ放たれただろうか。放たれたのと同じ数、生物が死んでいく。十三、十四、十五――

「もうすぐ弾切れ。リタ、そこに虎の短剣が落ちている。拾ってくれ。虎の左頭側と、俺の右足のすぐ下だ」
 十八、十九――視点を標的に向け、弾を撃ち込みながら唐突に、鮫島。梨太は慌てて言われた通り、刃を探した。かくしてあれほど探した二刀はすぐそこに見つかった。
 手渡したところで、ちょうど弾丸が切れたらしい。
「ありがとう」
 短剣を受け取ると、彼は細長い女の身体をしならせて、大きく肩をふりかぶった。体重を乗せてなげうつ。
 そうして放たれた短剣は空を裂き、暗くて見えないほど遠い闇の中、ギャンと獣の声が上がる。もう一本、同じ投擲。やはり遠くで断末魔。

 そして――夏の夜は、静かになった。
 鮫島がふうと小さく息をつく。
 ぜんぜん似合っていない女性服。オレンジ色の可愛いサンダルをそろえ、長い腕につけた弓籠手を手早く取り外す。それを鞄に片づけて、そして今更、騎士達に向けて声を張った。

「みんな無事か? 間に合ってよかった」

「だ……団長!」
 猪と蝶、傷だらけの男が二人、足を引きずって寄ってくる。虎もなんとか身を起こし、こちらは無言のまま、自ら応急処置を始めた。

 表情が見て取れるだけ近づいた蝶。彼にとって、鮫島の戦闘力は初見ではない。称賛などはしないまま、どこか複雑な笑みを浮かべて、一度、梨太を見た。なにか言いたいことがありそうな口元。
 その彼に鮫島が近づいて、その手の長刀をヒョイと奪った。剥き出しのままの刃を一瞥する。
「まあ、鈍器としては使えるか。借りるぞ」
 そう言って、身を翻す。

 騎士団長を取り囲むものたちから、ほんのわずか距離を開けて、アスファルトの道路にひとり、佇む犬居。
 彼に向けて構えながら。

「で、次の相手はお前か。犬居」
 そう言った。いつもと変わらぬ、冷淡で熱のない声だった。

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