鮫島くんのおっぱい

とびらの

梨太君ナイトフィーバー!

 
「――ぁぁぁぁあああああああっ!」

 尾を引く絶叫をそのままに、梨太は枕をつかんでひっくり返す。乗っていた鮫島の頭がころんと真横に転がって、そのままやはり寝息を立てていた。

 彼の肩をつかんで激しく揺さぶる。

「起きろっ! 起きて! てかなんで寝られるの信じらんないどんな神経してんだよこんにゃろ起きてください起きろ起きろ起きろっ!」

 鮫島の顎がゆらゆらがくがく上下した。それでも瞼が開くことはない。
 鼻をつまみ、頬をつまみ、左右から挟んでつぶし、鼻先をブタにように押し上げて、しまいには瞼をこじ開けて白目を剥かせたが、起きない。

「ちょおまマジか。どうなってんだよありえない。起きろって。大丈夫? これ健康? おはよう鮫島くん朝ですよ。朝ご飯だ! カレーだよ! ああっUFOだ! 金銀財宝宝箱だ! 海賊だー海賊が来るぞー! 八時だよ全員集合! おはようございま――っす!!」

 起きない。

「鮫島くん鮫島くん。お願い聞いて。梨太君ね、けっこうシリアスやったんですよ。キャラ崩壊くらいの勢いでガチやったんですよ。ねえ聞いてた? うたた寝しながらでも聞いててくれた? ねえねえ、あれ全部独り言だったオチとかホント勘弁してよ別の意味でいたたまれないよ。……おはようございま――す!」

「……くぅ」

 起きない。

 一気にまくしたてたせいで上がりきった息を抑えながら、梨太は一応、優しい気持ちで思考した。
 鮫島と同衾する直前、自分が何と言ったか思い出す。『そばにいるだけでいい』。たしかに言った。

「言ったけど、素直に眠るか、普通!?」

 梨太はまた優しい気持ちで思考した。

 ……さかのぼってこの数日、彼はどれほどの安息を得ていたのだろうか、考えてみる。
 昨夜は体育館倉庫で、ほんとうに快く眠れたのだろうか。異邦人の女がたったひとりで。

 この家にやってくる直前まで戦っていた。死闘の緊張を越え、血塗れで帰宅してきた。風呂に入り食事をとり、気心の知れた友の家で、彼がどれほど心を解かしたことだろう。
 眠りの深さが物語る、その背景を考えるほどに切なくなる。罪悪感のようなものにさいなまれてくる。安らかな寝顔に幸福感を覚える。

 大事にしたい。大切だった。愛おしかった。いつまでもそうしていてほしかった。

 だが、それとこれとは話が別だ。

「おはようございま――っすっ!!!」

 鮫島の両手をバタバタ仰がせて、梨太は絶叫した。


 喜怒哀楽、あらゆる表現方法を用い、梨太は切々と進言し続けた。

「鮫島くんっ。ほら、起きよ。ね。梨太君との楽しい時間だよ。いまなら出血大サービスで二割り増しだよ。二割り引きすることもできるよ」

「おいこら鮫島くんいい加減にしろよ。男をなんだと思ってるんだ。このまま脱がして犯してもいいんだぜ。あんなこともこんなこともやっちゃうぞ。さっさと起きていろいろ希望を言った方が自分のためだよ。おい」

「ううっ――うっうっ。おねがいします助けてください。僕もう駄目だよ鮫島くん。今日に至るまでもどんだけオアズケくらってるか。おねがいします起きてください。先っぽだけでいいんです。最大でも三分の一くらいでちゃんと止まります。いや、先っぽだけです」

「……僕、こうして君がそばにいるだけで幸せだよ。ほんとうにそう思う。なんてかわいい寝顔なんだろう。僕ァ幸せ者だなあ。……ああでもなんというかその、それはそれとしてうちの愚息が反抗期で思春期で成長期でさ」

 とうとう土下座で懇願する。

「セックスさせてください。どうかお願いします」

 くうくう、寝息で返事をされて、梨太はぶるぶる震えた。うおおおおお、と低い声で吐き出して、深呼吸。半身を起こしその場にきちんと正座して、眠り続ける鮫島の体に向き合った。

 誠実なまなざしに、真摯な声音で淡々と告げる。

「……ねえ鮫島くん。真面目な話、僕、最悪の場合、夢精するとおもうんだ」

「むにゃ」

 鮫島はわかりやすい寝言を吐いて、寝返りで梨太に背を向けた。しばらくはモゾモゾと身をくねらせていたが、やがては落ち着く体勢をみつけたらしい、くたりと身を弛緩させ、熟睡の波に落ちていく。

「おはようございま――す!」

 梨太は絶叫した。


 そこからさらに数十分、梨太は粘った。それでも成果はせいぜいうるさそうに眉を動かされる程度、さすがに絶望に打ちひしがれて、少年はしくしくと泣き崩れる。

 平常の寝入り時刻を回って、敗残兵のように肩を落とした梨太は、もはや自分が何のためにがんばっているのかも解らなくなってくる。

 「……寝よう……」

 とうとうそう呟いた。

 鮫島の頭をすこし持ち上げ、枕を敷いてやると、自分もそれを共用して寝そべる。

 鮫島が寝返りを打ち、梨太の肩に額を乗せた。
 産毛がふれあうほど接近して、視界一杯を浸食する鮫島の顔面。

「……なにこれ。これで、キスも出来ないって、意味わかんない……」

 つぶやく、そのためだけに動かした唇の膨らみが彼の皮膚に触れた。

 それはただの不可抗力であった。梨太は何ら思惑もなく、顔をかすかにかたむける。夜風が後頭部を押した。薄紙一枚ぶんの距離を飛び越えて、鮫島の唇に重なってしまう――

 夏の外気とおなじ体温。

 湿り気のない口づけを静かに解いて、梨太は目を閉じた。

 そのまま動かなくなる。

 胸の鼓動よりも強く脈打つ丹田を力付くで押さえ込み、あああああ、ぶるぶる震えて吐き出す。

「寝・ら・れ・る・かぁっちくしょぉおおおおおっ」

 美女をベッドで抱きしめたまま、少年の哀れな夜は更けていく。

 闇がどれだけ深さを増しても願いは届かず、気温だけアツい夏の夜がすぎていくのだった。

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