鮫島くんのおっぱい
梨太君の危機 二回目
バルゴの絶命を確認し、鮫島は初めて、大きく息を吐いた。
武器を地に落とし、そのままべちゃりとしゃがみ込む。
ひざを折り臑をすべて赤い床につけ、汚れることを構うこともできず、脱力していた。
休息は三分と続かなかっただろうか。
不意に彼は首を巡らせた。
そしてすぐに、鉄の扉がかすかに開かれ、覗く人間を発見する。早足で距離を詰めた。
鉄の扉が、障子でも開くように開け放たれた。
「……何をしている」
赤い床を背景に、美女は二人を見下ろした。
人間らしい感情はいっさいない。声音は低く唸るようで、梨太は無意識に全身をこわばらせ、身を引いた。決して彼の、血塗れの軍服を恐れたつもりはなかったが――
鮫島は、冷たい双眸でじっと梨太を見る。じきに、犬居のほうへ向き直った。
「状況を説明しろ、犬居」
「はい」
騎士団長の言葉に背筋を伸ばす。
「この巣から一匹逃亡したバルゴを追っていった虎が、見失った当たりでちょうど民間人、クリバヤシリタと遭遇。リタとともに捜索。途中で合流した猪とともにあちらにも巣を発見し討伐――」
「そんなことはあとでいい。なぜ、リタを巻き込んだ。なぜリタの服が、血で汚れている」
「鮫島くんそれはっ」
梨太の言葉は無視された。犬居が遮って述べる。
「現場で虎が、独断でリタに捜索協力を要請、彼が承諾」
「猪までがか?」
「それは、俺は聞いていません。ですが現場で討伐後に猪から蝶へ、リタをこの戦地へつれていきたいと連絡があったとのことです。今名前を挙げたものは全員事態を把握していたと見なすべきかと」
「それはちがう! 僕が討伐の現場にいたのは事故みたいな成り行きで、猪さんは帰れっていったし、蝶さんも――僕がここへ来ないように、嘘をついたんだ。きっと」
遮った梨太のほうへ、鮫島は視線をくれない。
「僕があきらめて帰るようにって、蝶さんはそのつもりで……鮫島くんはもういないって、嘘をついたんだ。僕がここに来たのはほんとに成り行きって言うか、自転車を取りに来たら、犬居さんに出会っただけで……」
「犬居。お前はなぜリタをここへ連れてきた」
鮫島の追及は終わらない。犬居は、団長の眼光に一瞬ぎくりとしたが、すぐに身を正した。
「本人がどうしても団長に会いたいと。放置して、知らぬまま戦場に飛び込むより、俺が付き添って、戦禍の及ばない位置から覗かせた方が安全かと判断しました」
「うそをつくな」
鮫島は即答した。
黙り込む犬居と、同じく言葉を無くした梨太の間を抜ける。
階段を上る背中が吐き捨てた。
「犬居、騎士のなかではお前が二番目に悪い。一番が虎だ。審問にかけられたくなければ、今から罰としてこの現場を二人で掃除しろ。バルゴの血を一滴残らずだ。それまで帰還は許さない」
「了解」
「虎を呼んでくる。近くにいるな?」
「俺が端末で連絡しておきます。団長は休んでください」
「了解。ではそうしてくれ」
「……鮫島くん!」
彼のあとを追って、梨太は階段をかけ上った。
数秒と遅れなかったはずだが、鮫島はすでに道路をわたっていた。周囲には騎士が四人集まり、彼をねぎらっている。そちらに対してもなんら愛想を振るでもなく、彼は軍服を脱ぎ手渡した。中にはラトキアの白い民族服を着用していた。血しぶきは軍服に阻まれ、上着はもとの白いままだ。
「鮫島くん!」
叫んで、駆け寄る――だが四人の騎士が阻んだ。ずらりと横に並び、まさに壁となって、騎士団長を覆い隠す。
雌体となり、背丈の縮んだ彼の顔が、屈強な騎士の体の向こうに隠されていた。仕方なく梨太は見えない鮫島に向かって声を上げた。
「鮫島くん、僕が悪いんだよ。犬居さんのいったことは本当だ。僕がわがままを言ったんだ、君に会いたいって――」
「そうだ。お前が一番悪い、リタ」
鮫島の冷たい声が、騎士たち越しに突き刺す。
「なぜ戦場に顔を出した。お前は賢い。こんなところへ来ては危険だとわからないアタマではないだろう」
「――でも――」
「俺の仕事場に、触れるな。……汚れる……」
鮫島の声が遠くなる。
騎士達の向こうで、彼が静かに立ち去っていく。追いかけることはできなかった。四人の騎士に命令がでている。突破する力は梨太にはない。
梨太は叫んだ。
「汚したっていいよ!」
梨太は大きく腕を振りかぶり、手に持ったものを空中へ投げ出す。ちいさな金属は騎士たちの頭上を越え弧を描き、そして、地面に落下する音は聞こえなかった。
ちゃり、と、柔らかい人間の手のひらに捕まれた小さな音。
「鮫島くん、僕、これから三日くらい出かけるから!」
鮫島が無言のまま、手のひらの中身を確認する気配がする。それを視認は出来ないまま確信して、梨太は声を張り上げた。
「それ、うちの鍵……! スペアキー。あげる。だから――」
その道路向かいで、犬居が唇を結んでいる。四人いる騎士の半分が梨太を、半分が騎士団長を振り返って眉をひそめていた。それにかまわず叫ぶ――
「そのままの格好で、おいで。汚したっていいから。もう荷物全部持っておいでよ。……仕事以外のときは、なるべく長く、うちに居て。絶対また来てね。待ってるから!」
鮫島の返事はない。目の前の大柄な騎士が明らかに機嫌を損ね、緑の目で強く梨太をにらむ。
「おい、地球人。お前、何のつもりか知らないが団長に馴れ馴れしく近付くな」
その台詞を皮切りに、四人が梨太を取り囲んだ。全員が青い髪をしている。
騎士はいきなり、梨太の頭蓋を鷲掴みにしてきた。こめかみを締め上げられ、うっと呻きながらも、騎士たちの向こうに視線をやる。鮫島の姿はすでになかった。かといって地面に鍵が落ちてはいない。
よかった、と梨太は安堵した。
頭を鷲掴みにされたまま笑う地球人に、騎士は怪訝な表情を浮かべた。舌打ちをし、顔を覗き込んでくる。梨太はにっこりと愛想よく笑ってみせると、もう帰りますよと主張した。目的は果たしたのだ。さっさと引き上げてバスターミナルへ戻り、自分自身のことをやらなくてはいけない。
すっかり明日のことに意識を向けている梨太に、騎士たちは一度手を放し、そして改めて襟首をつかんで締め上げた。呻く少年に、青い髪の騎士が潜めた声で囁いてくる。
「……もしかして、お前がバルゴを呼び寄せているんじゃないのか? この町に、団長を縛り付けるために」
「……へ?」
梨太は思わず素っ頓狂な声を上げる。意味が分からずキョトンとなる彼に、補足をしてくれたのは騎士たち自身だった。透明な水色の瞳に、下卑た色がにじむ。
「オーリオウルでは、バルゴを誘引する香水なんてのがあるらしい。お前、あのバルゴを操って、邪魔な騎士を狩ってるんじゃないだろうな」
「……何のはなし?」
言っていることを理解しても、なにが言いたいのかがわからない。
何の変哲もない地球人の少年。仮に、騎士に恨みなどあったとしても、オーリオウルの売人なんてものとつながる力があるわけがない。
さすがに、騎士たちもそれは口にしてみただけのようだった。本気で尋問をする気などない。だが、かといって自分への悪意は収まっていない。
騎士たちは梨太を憎んでいる。だが、その理由が何も思いつかなかった。
誰かと根本的な人違いをしているのではないか――
「お前、クリバヤシリタだろう」
しかしその身分はしれていた。
梨太が返事をしないでいると、肯定と確信した騎士が笑みを消す。侮蔑、というよりは、怒りの表情を浮かべて、梨太をにらんだ。
「あの人を、女にしたのはお前だな」
目を見開く。
(何……なんだって?)
梨太が疑問を整理するより早く、騎士は早口でまくし立てる。ドスのきいた声音はもうはっきりと脅迫じみていた。
「うちの団長にちょっかいをかけるな。いい加減男に戻ってもらわないと……あの人がこれ以上弱くなったら、誰が代わりに前線に立つはめになると思ってんだ。お前が代わるか?」
「死にたがりなんだろう、あの『英雄』に手を出そうってんだから、そうに違いない。なあ坊主、お前、死にたいんだろう」
別の騎士がささやく。
「そんなに死にたいなら、ここで私がその腹にくれてやろうか」
言葉こそただの脅しのようだったが、梨太は背中にゾッと冷たいものを感じた。
平和な田舎町の進学校高校生などとは全く違う、プロの軍人。命をかけて戦うことを生業にした戦士たち。
もしかしたら人を殺したこともあるやもしれぬ。
水色の双眸が、殺意を帯びて梨太へと詰め寄っていた。
武器を地に落とし、そのままべちゃりとしゃがみ込む。
ひざを折り臑をすべて赤い床につけ、汚れることを構うこともできず、脱力していた。
休息は三分と続かなかっただろうか。
不意に彼は首を巡らせた。
そしてすぐに、鉄の扉がかすかに開かれ、覗く人間を発見する。早足で距離を詰めた。
鉄の扉が、障子でも開くように開け放たれた。
「……何をしている」
赤い床を背景に、美女は二人を見下ろした。
人間らしい感情はいっさいない。声音は低く唸るようで、梨太は無意識に全身をこわばらせ、身を引いた。決して彼の、血塗れの軍服を恐れたつもりはなかったが――
鮫島は、冷たい双眸でじっと梨太を見る。じきに、犬居のほうへ向き直った。
「状況を説明しろ、犬居」
「はい」
騎士団長の言葉に背筋を伸ばす。
「この巣から一匹逃亡したバルゴを追っていった虎が、見失った当たりでちょうど民間人、クリバヤシリタと遭遇。リタとともに捜索。途中で合流した猪とともにあちらにも巣を発見し討伐――」
「そんなことはあとでいい。なぜ、リタを巻き込んだ。なぜリタの服が、血で汚れている」
「鮫島くんそれはっ」
梨太の言葉は無視された。犬居が遮って述べる。
「現場で虎が、独断でリタに捜索協力を要請、彼が承諾」
「猪までがか?」
「それは、俺は聞いていません。ですが現場で討伐後に猪から蝶へ、リタをこの戦地へつれていきたいと連絡があったとのことです。今名前を挙げたものは全員事態を把握していたと見なすべきかと」
「それはちがう! 僕が討伐の現場にいたのは事故みたいな成り行きで、猪さんは帰れっていったし、蝶さんも――僕がここへ来ないように、嘘をついたんだ。きっと」
遮った梨太のほうへ、鮫島は視線をくれない。
「僕があきらめて帰るようにって、蝶さんはそのつもりで……鮫島くんはもういないって、嘘をついたんだ。僕がここに来たのはほんとに成り行きって言うか、自転車を取りに来たら、犬居さんに出会っただけで……」
「犬居。お前はなぜリタをここへ連れてきた」
鮫島の追及は終わらない。犬居は、団長の眼光に一瞬ぎくりとしたが、すぐに身を正した。
「本人がどうしても団長に会いたいと。放置して、知らぬまま戦場に飛び込むより、俺が付き添って、戦禍の及ばない位置から覗かせた方が安全かと判断しました」
「うそをつくな」
鮫島は即答した。
黙り込む犬居と、同じく言葉を無くした梨太の間を抜ける。
階段を上る背中が吐き捨てた。
「犬居、騎士のなかではお前が二番目に悪い。一番が虎だ。審問にかけられたくなければ、今から罰としてこの現場を二人で掃除しろ。バルゴの血を一滴残らずだ。それまで帰還は許さない」
「了解」
「虎を呼んでくる。近くにいるな?」
「俺が端末で連絡しておきます。団長は休んでください」
「了解。ではそうしてくれ」
「……鮫島くん!」
彼のあとを追って、梨太は階段をかけ上った。
数秒と遅れなかったはずだが、鮫島はすでに道路をわたっていた。周囲には騎士が四人集まり、彼をねぎらっている。そちらに対してもなんら愛想を振るでもなく、彼は軍服を脱ぎ手渡した。中にはラトキアの白い民族服を着用していた。血しぶきは軍服に阻まれ、上着はもとの白いままだ。
「鮫島くん!」
叫んで、駆け寄る――だが四人の騎士が阻んだ。ずらりと横に並び、まさに壁となって、騎士団長を覆い隠す。
雌体となり、背丈の縮んだ彼の顔が、屈強な騎士の体の向こうに隠されていた。仕方なく梨太は見えない鮫島に向かって声を上げた。
「鮫島くん、僕が悪いんだよ。犬居さんのいったことは本当だ。僕がわがままを言ったんだ、君に会いたいって――」
「そうだ。お前が一番悪い、リタ」
鮫島の冷たい声が、騎士たち越しに突き刺す。
「なぜ戦場に顔を出した。お前は賢い。こんなところへ来ては危険だとわからないアタマではないだろう」
「――でも――」
「俺の仕事場に、触れるな。……汚れる……」
鮫島の声が遠くなる。
騎士達の向こうで、彼が静かに立ち去っていく。追いかけることはできなかった。四人の騎士に命令がでている。突破する力は梨太にはない。
梨太は叫んだ。
「汚したっていいよ!」
梨太は大きく腕を振りかぶり、手に持ったものを空中へ投げ出す。ちいさな金属は騎士たちの頭上を越え弧を描き、そして、地面に落下する音は聞こえなかった。
ちゃり、と、柔らかい人間の手のひらに捕まれた小さな音。
「鮫島くん、僕、これから三日くらい出かけるから!」
鮫島が無言のまま、手のひらの中身を確認する気配がする。それを視認は出来ないまま確信して、梨太は声を張り上げた。
「それ、うちの鍵……! スペアキー。あげる。だから――」
その道路向かいで、犬居が唇を結んでいる。四人いる騎士の半分が梨太を、半分が騎士団長を振り返って眉をひそめていた。それにかまわず叫ぶ――
「そのままの格好で、おいで。汚したっていいから。もう荷物全部持っておいでよ。……仕事以外のときは、なるべく長く、うちに居て。絶対また来てね。待ってるから!」
鮫島の返事はない。目の前の大柄な騎士が明らかに機嫌を損ね、緑の目で強く梨太をにらむ。
「おい、地球人。お前、何のつもりか知らないが団長に馴れ馴れしく近付くな」
その台詞を皮切りに、四人が梨太を取り囲んだ。全員が青い髪をしている。
騎士はいきなり、梨太の頭蓋を鷲掴みにしてきた。こめかみを締め上げられ、うっと呻きながらも、騎士たちの向こうに視線をやる。鮫島の姿はすでになかった。かといって地面に鍵が落ちてはいない。
よかった、と梨太は安堵した。
頭を鷲掴みにされたまま笑う地球人に、騎士は怪訝な表情を浮かべた。舌打ちをし、顔を覗き込んでくる。梨太はにっこりと愛想よく笑ってみせると、もう帰りますよと主張した。目的は果たしたのだ。さっさと引き上げてバスターミナルへ戻り、自分自身のことをやらなくてはいけない。
すっかり明日のことに意識を向けている梨太に、騎士たちは一度手を放し、そして改めて襟首をつかんで締め上げた。呻く少年に、青い髪の騎士が潜めた声で囁いてくる。
「……もしかして、お前がバルゴを呼び寄せているんじゃないのか? この町に、団長を縛り付けるために」
「……へ?」
梨太は思わず素っ頓狂な声を上げる。意味が分からずキョトンとなる彼に、補足をしてくれたのは騎士たち自身だった。透明な水色の瞳に、下卑た色がにじむ。
「オーリオウルでは、バルゴを誘引する香水なんてのがあるらしい。お前、あのバルゴを操って、邪魔な騎士を狩ってるんじゃないだろうな」
「……何のはなし?」
言っていることを理解しても、なにが言いたいのかがわからない。
何の変哲もない地球人の少年。仮に、騎士に恨みなどあったとしても、オーリオウルの売人なんてものとつながる力があるわけがない。
さすがに、騎士たちもそれは口にしてみただけのようだった。本気で尋問をする気などない。だが、かといって自分への悪意は収まっていない。
騎士たちは梨太を憎んでいる。だが、その理由が何も思いつかなかった。
誰かと根本的な人違いをしているのではないか――
「お前、クリバヤシリタだろう」
しかしその身分はしれていた。
梨太が返事をしないでいると、肯定と確信した騎士が笑みを消す。侮蔑、というよりは、怒りの表情を浮かべて、梨太をにらんだ。
「あの人を、女にしたのはお前だな」
目を見開く。
(何……なんだって?)
梨太が疑問を整理するより早く、騎士は早口でまくし立てる。ドスのきいた声音はもうはっきりと脅迫じみていた。
「うちの団長にちょっかいをかけるな。いい加減男に戻ってもらわないと……あの人がこれ以上弱くなったら、誰が代わりに前線に立つはめになると思ってんだ。お前が代わるか?」
「死にたがりなんだろう、あの『英雄』に手を出そうってんだから、そうに違いない。なあ坊主、お前、死にたいんだろう」
別の騎士がささやく。
「そんなに死にたいなら、ここで私がその腹にくれてやろうか」
言葉こそただの脅しのようだったが、梨太は背中にゾッと冷たいものを感じた。
平和な田舎町の進学校高校生などとは全く違う、プロの軍人。命をかけて戦うことを生業にした戦士たち。
もしかしたら人を殺したこともあるやもしれぬ。
水色の双眸が、殺意を帯びて梨太へと詰め寄っていた。
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