鮫島くんのおっぱい
鴨ネギワッショイ祭り②
――――鴨ネギワッショイ祭りキタワッホォ――――ッ。
梨太は一人、クッションを抱きしめてごろんごろんごろんごろん床を縦断し、絶叫してしまいそうになる衝動を、綿の中にぶち込んだ。
二階の私室である。
正月以来、半年ぶりの寝室は、三年前よりもがらんとした印象になっている。ベッドとデスクしかない部屋は広く、男子が暴れても頭をぶつけることがない。
今、鮫島は風呂に入っている。寝室の換気をしてくると言った梨太は、以来ずっとこうしてごろごろしていた。
この行動が楽しいというわけでは無論ない。だが、どこかにぶつけておかないと、浴室に突撃してしまいそうな衝動にかられて仕方がないのである。
落ち着け自分、と言い聞かせる。とりあえず落ち着こう。こういうことは初回が大事、暴走してヘタなことをすれば、それがすべての印象付けになってしまう。
(きっと間違いなく鮫島くんは初めてだろうし、コミュ障で我慢強いからちゃんとこっちが慮ってリードしてあくまで紳士的に――)
と、そこまで考えて。
(……あ。鮫島くん、入らないんだっけ?)
梨太はピタリと動きを止めた。
雌体化したラトキア人。鮫島は、『以前と比べれば』明らかに、女性的である。だが梨太の思う『地球人女性の体』と同じかどうかは、いまだ明らかにされていない。
――雄体優位である彼は、たとえ雌体化しても妊娠に至る過程が退化している。端的に言えば、平常の性行為は不可能である――。
そう、三年前に、彼当人から聞かされていた。
腕を組んで、考え込む。
(……最後まで、は無理。じゃあどこまでならできるものなんだろう?)
それは事実上、梨太自身の心理にかかっている。
見た目は、可愛い。中性的に偏ってはいるものの、梨太にとって十分ストライクゾーンだった。それは人間としての魅力うんぬんなんてこぎれいなものはなく、ごく単純に性的対象としての魅力だ。
だがそれはあくまでも一見。着衣の上から見ただけの現時点、である。その裸体は、はたして梨太の昂ぶりを叶えるものだろうか。
(……胸は……正直な話、見てわかんなかった。ふつう、ぺったんこ貧乳でも男の胸板とは違うもののはずだけど……まあ、もともと巨乳派でもないし、最悪でも上半身着衣のままですればいいし)
とすればやはり、鬼門となるは下半身、である。
(……。雌雄同体、てのがどうあるものなのかはよくわからない。けど、以前雄体だった鮫島くんは『完全に男以外の何でもない』と言っていた)
(雄体のときに完全に男になる、ならば、雌体の時に完全に女になる、と考えて自然だろう。少なくともパッと見がソレならもうそれで何の支障もない)
と、ここでもう一度思考をひっくり返す。
(いや、それともやっぱり凸的なものが付いてるのか? だ、だとしたらちょっと……さすがに、間近で見たら萎えちゃうかなあ。ううむ。ううむ……)
もしも、彼の体がまだ、男のものだったら。
さすがに、梨太は手を出すことは出来なかった。
梨太は考えた。悩み抜いた。一見するとあどけない、少女じみた丸い眼差しが知的に輝く。
「ふっ。……仕方ない」
梨太は前髪をかきあげた。精悍な眉を苦渋の決断の形に寄せて、虚空に向かって野太い声でつぶやく。
「覗くか」
階段を降りると、真正面には小さな玄関。そこで折り返し、細い廊下の右側に、洗面所へ続く扉があった。金属のドアノブにそっと手をかける。
梨太は一度動きを止めて、作戦を胸中で復唱した。
(相手は、惑星最強の男といわれるラトキア騎士団長。いくらオフとはいえ、完全に気を抜いているとは思えない)
(浴室の扉を、気づかれないよう開くというのは無理だ。音が響くし空気も動くし、本職の忍者レベルでも無理。僕みたいな覗き初心者の一般人、間違いなくばれる。どんだけ頑張ってもぜったいばれる)
(ならばいっそ――がんばらない! 死なばもろとも、特攻隊! これが一番確実っ!)
扉の前に耳をくっつけ、ひたすら気配を探る。木の扉、狭い洗面所、ガラスの引き戸を経た先で、かすかに水が跳ねるような音がする。
梨太は腕時計で時刻を確認した。鮫島が入浴を始めて、二十五分。すでになかなかの長風呂だ。近いうちにでてくることだろう。
(鮫島くんが浴室から出て、脱衣所への扉を開けた瞬間、この扉を開ける。そうすれば、全裸の彼と対面ができるっ!)
梨太はグッと拳を握った。きっぱりと犯罪、我ながら最低の作戦だが、確実ではある。
鮫島の拳が巨漢の顎を砕いたところも目撃したが、それはそれ。温厚な彼が手加減してくれるだろう可能性にかけて、梨太はドアノブを握り、ひたすら待機した。
長い静寂のあと、サアーッと数秒、シャワーの音。上がり湯だろうか。
キュッキュッ、とノズルを閉める音。
「ふぅ」
鮫島が、小さく息をつく声が聞こえた。なんだかそれが色っぽくて、梨太の心臓が高鳴る。
来る。来た。
ドアノブを握る手に力がこもる。裸足が濡れた床を進む音。そしてガラス戸が、ガラリと開く――
梨太は扉を開いた。
そこに、鮫島の背中があった。浴室の扉を閉めた姿勢から、物音を聞いて梨太の方を顔だけで振り返っている。予想通りの姿勢。
ただし、服を着込んだ姿で。
「あれっ?」
ぱちくり、ふたり同時に瞬きをあわせる。そしていっしょに首を傾げた。発言は鮫島のほうが先にした。
「どうしたリタ」
上から下まで、彼の格好を見やる。
ラトキア民族服は、長袖長ズボンに、貫頭衣を重ねたものである。その貫頭衣を脱ぎ、薄手のシャツに、膝下まである白ズボン。
一応、寝間着であるらしい。脱衣所に鞄ごと持ち込んで、新しいものに着替えていた。
濡れた右手にはスポンジが握られていた。
「……えと……もしかして、お風呂掃除してくれてた、とか?」
「うん。前来たときは、日本の風呂というものを知らなくて。大きな溜め桶だと思っていたら、あれに体をつけてしばらくじっとしているのだとあとから知った。でもそれだと湯が汚れることになるから、次にリタが入るのに、よくないと思って」
首を伸ばして、浴室の方を覗いてみる。
天井のしずくまできれいに拭き取られたあと、湯を張りなおしたらしい。もともとハウスキーパーによって綺麗にメンテナンスされていたはずだが、さらに磨かれて新築さながらである。
実際に入浴していた時間より掃除の方に手をかけたのだろうか、黒髪が半ば乾きかけていた。
ミッション・コンプリートの満足顔で、鮫島は梨太の横を抜けた。階段を上がりかけたところで、アッと声を上げた。
「おまえ、さてはまた覗こうとしたな? だめだぞ。ばーか」
振り向いて軽く睨み、これ以上なく優しく、ちゃんと怒られた。
「……あ、い、いやその――」
言い訳をしようと、梨太は慌てて視線を泳がせて――驚愕に、目を見開く。
(おしりが、まるいっ……!)
貫頭衣を取り、薄布をまとっただけの鮫島の後ろ姿。
広い肩から、完璧な逆三角形を成す細い腰。その下のおしりが、想定外に、大きかった。
横幅も奥行もある尻、そしてやはり肉感的な腿を経て、贅肉のない膝へと流線型を描いている。
(……まるい……)
去っていく鮫島の後姿を凝視しながら、梨太は明瞭に思考した。頭の中にくっきりと、活字が浮かぶ。
(まんまるおしり……)
(おっぱいは控えめ……)
(足首ほっそい……)
(……お尻は……大きい……)
湯に浸かりながら、梨太はカビジミひとつない天井を見上げていた。
丁寧に掃除をされた浴室はビジネスホテルのように味気なく、先に入っていた人間の体臭や、シャンプーの残り香すらも嗅ぎとれない。
「ふっ……」
小さく笑みをこぼす。
「大丈夫……なにも、焦ることはない――」
湯の中で呟いて、水面にブクブクと泡が上がる。構わず、梨太は力強い声を上げた。
「ゆっくり行こう。夜は長い……。今夜の目標――二回戦はあっちのほうからねだらせるっ!」
つい十分ばかり前の己の思考や、もはやなにが目的だったのかも完全に忘れて、梨太は水中でこぶしを握りしめていた。
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