鮫島くんのおっぱい
鮫島くんと突入
敵アジトへの突入。といっても、これは襲撃ではなく捕りものである。
午前九時、明るい日差しの中、ラトキア騎士団は元学生寮を取り囲んだ。
敷地四百平米ほどの建物に騎士団は四人、くじらくんと梨太をいれても六人だ。包囲をするには足りないが、入り口は一つ、潜入できるのはたったの二人である。
かえって、迷いがなくていい。
「――では、鮫。そしてリタ君、くれぐれも気をつけて。しかしリラックスしていきなさい」
くじら型通信機のモニターで、ラトキア星の皇后であり将軍である美女が傲然と激励する。
慈愛の女神と言うよりは己こそ先頭になって戦旗をふるう、戦の女神パラスアテナのような彼女は、うねる豊かな黒髪をかきあげて、赤い唇でほほえんでいた。
ここまでのつきあいで一度も存在がでてこないラトキアの星帝という男より、梨太は彼女こそ惑星の最高権力者かと錯覚してしまう。
大きな間違いではないように考えているのだが。
彼女は広角レンズを最大にして、アジト頭上からその周辺すべてを見張る役となる。あまり近づきすぎると二階フロアから漏れる電磁波にやられ、緑のくじらくんの二の舞になりかねない。高度をぎりぎりに調節し、敵の逃亡にそなえている。
上昇する前に、くじらくんは梨太の周りを浮遊し、その頬にモニター画面をふれさせた。
激励のキスのつもりらしい。
すみやかに離れてしまった彼女にむけて、梨太はとりあえず手を振った。
鹿と蝶はすでに外周のほうへ待機。軍服姿の犬居が大きな鞄に道具を積んで、建物入り口までつきあう。毒に耐性を持たない彼はここで団長たちを送り出す。
防護スーツは、下着などをつけるとかえって密着度が下がり危険だというので自宅で着込んできた。一人で着込むには手間のかかるのを手伝ってくれたのも犬居である。
試着をしたその日、梨太は鏡に全身を写して、
「でも、体の突起物がいろいろ透けて見えるのがすごいイヤなかんじ。まんいち勃起したら大惨事だから上から着込んでもいい?」
「勝手にしろ!」
犬居に怒鳴られた。
ということで、スーツの上から安物の綿入りベストと、いつものパーカー、ハーフパンツを纏っている。
極薄手のスーツは手首までしかなかったが、そこにグローブをつけると、お互いが引き合うように粘りけを帯びぴたりと密着した。靴下部分も同様。髪の上からフードをかぶるとジャムでも垂らされたような気色の悪い感触で、頬骨に隙間なく張り付いている。
鼻の付け根まで覆うマスクは後頭部にチューブ状のベルトで固定されており、ここに圧縮された酸素がつまって、およそ六時間呼吸が可能。口の前には一通性の吐気孔があり、外部集音マイクとイヤホンのおかげで会話もできるが、そこから毒ガスがはいりこむことはないという。「もじもじくん」みたいで相当恰好は悪いので、せめてもの誤魔化しにパーカーのフードをかぶった。額まで覆うおおきなゴーグルをつけ、万端。
軍から支給されたシューズ――おもしろいほど軽くクッションの柔らかい――を履き、梨太はおおきく、深呼吸した。
「息苦しくはないか?」
優しい声でたずねてきたのは、鮫島である。
彼は結局マスクは付けずに一階フロアまで梨太に追従することになった。
通常の軍服に剣をさすホルダーを兼ねた白い帯布。靴だけが編み上げブーツではなくカンフーシューズのような底の薄いものになっている。近接格闘用らしい。
裾の下にはおそらくウエイトも巻いているのだろう。梨太はふと、鮫島くんはいつも何キログラムを抱えて歩いているのだろうと疑問に思った。
鮫島は犬居に手渡され、袖の中に、細身のナイフをベルトで巻き付けた。ぎょっとする梨太に、自嘲じみた笑みをみせる。
「一応、な」
梨太は息をのみ、自分も、腰に麻酔銃をさした。
学生寮だった建物は、現在は廃墟を装っているため、玄関入り口周りは極端に散らかっている。一番はじめに出会う門扉は、南京錠がぶら下がったまま片戸が腐食して破損し、何の役目も果たしていない。この放置された感が好奇心をそそらず、それでいて、その先にあるヒトの気配に気圧される。
門扉を抜けて五メートル、建物本体の正面入り口は、ひび割れた窓ガラスがなにか接着剤のようなもので補修されていた。工作趣味のない梨太にはよくわからないが、ホームセンターなどでも一般的にあるもののような気がする。以前の管理人が行ったのか、それともラトキア人が行ったのかはわからない。
重いガラスの観音開き扉である。
鮫島が一面を引くと、それは簡単に開いた。鍵はかかっていない。
ひろくはない玄関ポーチ、靴箱。細いフローリングの廊下の先に、一枚木製扉が閉ざされていた。
毒ガスは、あの扉の先に充満している。
ガラスの扉を閉じようとする鮫島に、梨太は待ったをかけた。毒が周囲に漏れ出すのを防ぐのはいいが、仕掛けをしておきたかった。
「もしも敵がこっちに走って逃げてきたときのために、この扉の、足下スネくらいのとこに棒をわたしておこうよ」
犬居が半眼で、
「お前、やっぱり性格悪いよな」
「なんでだよ。ゲリラ戦で退路に罠を張るのは常套でしょ、ねえ鮫島くん」
黙ってうなずく鮫島。梨太はきょろきょろとあたりを見渡して、
「犬居さん、それにちょうどいいくらいの――肛門から無事にヒリ出せる限界の太さくらいの棒なんかがあったら張っといてくれない?」
「絶対なんかほかのたとえがあるだろ!?」
わめく犬居は無視。
鮫島は梨太の背中をぽんと押すと、自身も軽くその場で飛んで、気を入れる。
「いくぞ、リタ」
梨太は、神妙な顔でうなずいた。
木製の一枚戸を開く。
窓を封鎖されたフロアは暗闇に閉ざされていた。
 とたん、梨太は猛烈な息苦しさを覚えた――それは、錯覚である。ガスマスクは正常に作動しているし、そもそも窒息性の毒ではない。錯覚だ、と理解すれば、それは序々に収まっていった。
鮫島は腰のホルダーポーチから円盤を五枚ほど取り出した。ボタンを押して、水平に散らして放り投げる。回転しながら着地した円盤は、その場で放射状に強い明かりを放った。電灯並みとはいえないが、足下探索に不自由がない明るさを得る。
続いて、今度は梨太が小さな丸薬を取り出した。鮫島から距離をとり、それを思い切り地面へたたきつける。丸薬がはじけ、透明な蒸気が拡散した。それが一瞬にして白みがかり、薄い紫色に空気を染めた。
鹿とともに作成した、特定の成分に反応し色をつける薬霧である。
半径は四メートル。壁の凹凸や空気の流れで途切れたところへ同じものを落とすと、一階フロアはすっかり紫色の空気に包まれた。
「見事に充満しているな」
鮫島がいう。梨太はうんざりした。みているだけで肺が汚染されそうな毒々しい紫色である。できればピンクにでもしたかったがうまく化学反応させられなかったのだ。
まあ、ピンクでも紫でもどのみち毒々しいような気はするが。
「でも黄色は臭そうだからいやだったんだよね」
梨太のぼやきを、寡黙な鮫島は相手にしてくれない。色の濃淡を視覚して、静寂のフロアを探索する。
梨太はその間に、手元の間取り図とフロアを見比べていた。使われていない椅子や誰かの私物とおぼしき粗大ゴミが山積みになっているほかは、ほぼ正確に再現されていた。
もっとも大きな差違は、本来扉を開けてすぐに使えたはずの二階への階段が、神経質なまでに封鎖されていたことだ。鉄骨が山積みにされ、ご丁寧に有棘鉄線まで張ってある。やっきになって突破しようとすればできないとは言わないが、これだけで丸一日はかかってしまうだろう。さらに、奥行きもわからない。
「……やっぱり、奥の階段を使うしかないか」
紫に染まったフロアを進みながら、梨太はつぶやいた。
渡り廊下をすすむと、食堂とおぼしき広い空間へでた。奥には大きなカウンターと厨房があり、高校の食堂の簡易版といったところか。長机は壁際に押しやられ山積みになり、椅子は適当に転がされていた。
鮫島は、汚れるのもかまわず床にはいつくばったり、天井すれすれまで飛び上がったりした。着地して、つぶやく。
「天井際のほうが毒素が濃い。やはり、あのエアコンのようだ」
「前の管理人さんからもらった間取り図だと、窓枠取り付けの簡易クーラーしかないけど、途中で天井据え付けエアコンになってたんだね」
見上げると、たしかに天井に、比較的新しそうなエアコンがつけられている。
「さてどうやってふさいだものか。こっちは噴出口だもんね。こいつにつながってる、出所の方をたたかないと――」
「リタ!!」
顔を上げていた梨太は、鮫島の叫び声とともに突き飛ばされ、床を転がった。
その頭上、さっきまで梨太の胸があったまさにその位置を、銀色の光が凪いで抜けていく。遅れて土壁にドカッと重い音を立て、大振りのダガーが突き立った。
梨太が身を起こそうとするのを、鮫島は手のひらで制す。
自身は片膝をついて、ダガーの発射先へ鋭い視線をやった。
その先――障害物になっていた縦積みの段ボールの柱から、巨大な男がひとり姿を現す。こちらの険しい表情に相反する、何かひどく愉快そうな顔で、鮫島を見下ろしていた。
梨太は、こんなにも大きな男を人生で初めて見た。
背丈はゆうに二メートルを越え、さらに二〇センチほどもあるかもしれない。梨太の家なら間違いなく鴨居に頭をぶつけている。
  剃っているのか、きれいに禿げあがった頭のせいでやたらと老けて見えるが、せいぜい三十路――いや、ラトキア人は肉体を若く保つので、やはり四十歳は越えているだろうか。
若々しい艶のある肌で、全身の筋肉が小山のように盛り上がっていた。
ダブルバーガーを二つ並べて骨付きカルビで橋を架けたが如し肉質感に、梨太はなんだか胸焼けがした。これが薄手の黒シャツなど着てくれているからまだよかったもので、もしボディビルダーのように半裸で油でも塗られていたら、軽く拒食になるところである。
盛り上がった胸板から、急速に細くくびれて見える腰周りに、ぐるりと巻かれたベルト。さっき投げられたダガーと同じものがあと五本、左右にぶら下がっていた。
梨太はうつ伏せになったまま、上空二メートルへ建立された鉄塔を見上げる。不適な笑みを浮かべる巨大な男。彼の情報はすでにあった。烏の右腕で随一の戦闘力を誇る、元騎士団の――
梨太は、鮫島のほうへ視線をやった。
彼はすんでのところでバディの心臓を討つところであった元同僚に、鋭い視線を合わせて。
「……ええと。名前なんだっけ」
「白鷺だっ!!」
それが大男の第一声であった。
午前九時、明るい日差しの中、ラトキア騎士団は元学生寮を取り囲んだ。
敷地四百平米ほどの建物に騎士団は四人、くじらくんと梨太をいれても六人だ。包囲をするには足りないが、入り口は一つ、潜入できるのはたったの二人である。
かえって、迷いがなくていい。
「――では、鮫。そしてリタ君、くれぐれも気をつけて。しかしリラックスしていきなさい」
くじら型通信機のモニターで、ラトキア星の皇后であり将軍である美女が傲然と激励する。
慈愛の女神と言うよりは己こそ先頭になって戦旗をふるう、戦の女神パラスアテナのような彼女は、うねる豊かな黒髪をかきあげて、赤い唇でほほえんでいた。
ここまでのつきあいで一度も存在がでてこないラトキアの星帝という男より、梨太は彼女こそ惑星の最高権力者かと錯覚してしまう。
大きな間違いではないように考えているのだが。
彼女は広角レンズを最大にして、アジト頭上からその周辺すべてを見張る役となる。あまり近づきすぎると二階フロアから漏れる電磁波にやられ、緑のくじらくんの二の舞になりかねない。高度をぎりぎりに調節し、敵の逃亡にそなえている。
上昇する前に、くじらくんは梨太の周りを浮遊し、その頬にモニター画面をふれさせた。
激励のキスのつもりらしい。
すみやかに離れてしまった彼女にむけて、梨太はとりあえず手を振った。
鹿と蝶はすでに外周のほうへ待機。軍服姿の犬居が大きな鞄に道具を積んで、建物入り口までつきあう。毒に耐性を持たない彼はここで団長たちを送り出す。
防護スーツは、下着などをつけるとかえって密着度が下がり危険だというので自宅で着込んできた。一人で着込むには手間のかかるのを手伝ってくれたのも犬居である。
試着をしたその日、梨太は鏡に全身を写して、
「でも、体の突起物がいろいろ透けて見えるのがすごいイヤなかんじ。まんいち勃起したら大惨事だから上から着込んでもいい?」
「勝手にしろ!」
犬居に怒鳴られた。
ということで、スーツの上から安物の綿入りベストと、いつものパーカー、ハーフパンツを纏っている。
極薄手のスーツは手首までしかなかったが、そこにグローブをつけると、お互いが引き合うように粘りけを帯びぴたりと密着した。靴下部分も同様。髪の上からフードをかぶるとジャムでも垂らされたような気色の悪い感触で、頬骨に隙間なく張り付いている。
鼻の付け根まで覆うマスクは後頭部にチューブ状のベルトで固定されており、ここに圧縮された酸素がつまって、およそ六時間呼吸が可能。口の前には一通性の吐気孔があり、外部集音マイクとイヤホンのおかげで会話もできるが、そこから毒ガスがはいりこむことはないという。「もじもじくん」みたいで相当恰好は悪いので、せめてもの誤魔化しにパーカーのフードをかぶった。額まで覆うおおきなゴーグルをつけ、万端。
軍から支給されたシューズ――おもしろいほど軽くクッションの柔らかい――を履き、梨太はおおきく、深呼吸した。
「息苦しくはないか?」
優しい声でたずねてきたのは、鮫島である。
彼は結局マスクは付けずに一階フロアまで梨太に追従することになった。
通常の軍服に剣をさすホルダーを兼ねた白い帯布。靴だけが編み上げブーツではなくカンフーシューズのような底の薄いものになっている。近接格闘用らしい。
裾の下にはおそらくウエイトも巻いているのだろう。梨太はふと、鮫島くんはいつも何キログラムを抱えて歩いているのだろうと疑問に思った。
鮫島は犬居に手渡され、袖の中に、細身のナイフをベルトで巻き付けた。ぎょっとする梨太に、自嘲じみた笑みをみせる。
「一応、な」
梨太は息をのみ、自分も、腰に麻酔銃をさした。
学生寮だった建物は、現在は廃墟を装っているため、玄関入り口周りは極端に散らかっている。一番はじめに出会う門扉は、南京錠がぶら下がったまま片戸が腐食して破損し、何の役目も果たしていない。この放置された感が好奇心をそそらず、それでいて、その先にあるヒトの気配に気圧される。
門扉を抜けて五メートル、建物本体の正面入り口は、ひび割れた窓ガラスがなにか接着剤のようなもので補修されていた。工作趣味のない梨太にはよくわからないが、ホームセンターなどでも一般的にあるもののような気がする。以前の管理人が行ったのか、それともラトキア人が行ったのかはわからない。
重いガラスの観音開き扉である。
鮫島が一面を引くと、それは簡単に開いた。鍵はかかっていない。
ひろくはない玄関ポーチ、靴箱。細いフローリングの廊下の先に、一枚木製扉が閉ざされていた。
毒ガスは、あの扉の先に充満している。
ガラスの扉を閉じようとする鮫島に、梨太は待ったをかけた。毒が周囲に漏れ出すのを防ぐのはいいが、仕掛けをしておきたかった。
「もしも敵がこっちに走って逃げてきたときのために、この扉の、足下スネくらいのとこに棒をわたしておこうよ」
犬居が半眼で、
「お前、やっぱり性格悪いよな」
「なんでだよ。ゲリラ戦で退路に罠を張るのは常套でしょ、ねえ鮫島くん」
黙ってうなずく鮫島。梨太はきょろきょろとあたりを見渡して、
「犬居さん、それにちょうどいいくらいの――肛門から無事にヒリ出せる限界の太さくらいの棒なんかがあったら張っといてくれない?」
「絶対なんかほかのたとえがあるだろ!?」
わめく犬居は無視。
鮫島は梨太の背中をぽんと押すと、自身も軽くその場で飛んで、気を入れる。
「いくぞ、リタ」
梨太は、神妙な顔でうなずいた。
木製の一枚戸を開く。
窓を封鎖されたフロアは暗闇に閉ざされていた。
 とたん、梨太は猛烈な息苦しさを覚えた――それは、錯覚である。ガスマスクは正常に作動しているし、そもそも窒息性の毒ではない。錯覚だ、と理解すれば、それは序々に収まっていった。
鮫島は腰のホルダーポーチから円盤を五枚ほど取り出した。ボタンを押して、水平に散らして放り投げる。回転しながら着地した円盤は、その場で放射状に強い明かりを放った。電灯並みとはいえないが、足下探索に不自由がない明るさを得る。
続いて、今度は梨太が小さな丸薬を取り出した。鮫島から距離をとり、それを思い切り地面へたたきつける。丸薬がはじけ、透明な蒸気が拡散した。それが一瞬にして白みがかり、薄い紫色に空気を染めた。
鹿とともに作成した、特定の成分に反応し色をつける薬霧である。
半径は四メートル。壁の凹凸や空気の流れで途切れたところへ同じものを落とすと、一階フロアはすっかり紫色の空気に包まれた。
「見事に充満しているな」
鮫島がいう。梨太はうんざりした。みているだけで肺が汚染されそうな毒々しい紫色である。できればピンクにでもしたかったがうまく化学反応させられなかったのだ。
まあ、ピンクでも紫でもどのみち毒々しいような気はするが。
「でも黄色は臭そうだからいやだったんだよね」
梨太のぼやきを、寡黙な鮫島は相手にしてくれない。色の濃淡を視覚して、静寂のフロアを探索する。
梨太はその間に、手元の間取り図とフロアを見比べていた。使われていない椅子や誰かの私物とおぼしき粗大ゴミが山積みになっているほかは、ほぼ正確に再現されていた。
もっとも大きな差違は、本来扉を開けてすぐに使えたはずの二階への階段が、神経質なまでに封鎖されていたことだ。鉄骨が山積みにされ、ご丁寧に有棘鉄線まで張ってある。やっきになって突破しようとすればできないとは言わないが、これだけで丸一日はかかってしまうだろう。さらに、奥行きもわからない。
「……やっぱり、奥の階段を使うしかないか」
紫に染まったフロアを進みながら、梨太はつぶやいた。
渡り廊下をすすむと、食堂とおぼしき広い空間へでた。奥には大きなカウンターと厨房があり、高校の食堂の簡易版といったところか。長机は壁際に押しやられ山積みになり、椅子は適当に転がされていた。
鮫島は、汚れるのもかまわず床にはいつくばったり、天井すれすれまで飛び上がったりした。着地して、つぶやく。
「天井際のほうが毒素が濃い。やはり、あのエアコンのようだ」
「前の管理人さんからもらった間取り図だと、窓枠取り付けの簡易クーラーしかないけど、途中で天井据え付けエアコンになってたんだね」
見上げると、たしかに天井に、比較的新しそうなエアコンがつけられている。
「さてどうやってふさいだものか。こっちは噴出口だもんね。こいつにつながってる、出所の方をたたかないと――」
「リタ!!」
顔を上げていた梨太は、鮫島の叫び声とともに突き飛ばされ、床を転がった。
その頭上、さっきまで梨太の胸があったまさにその位置を、銀色の光が凪いで抜けていく。遅れて土壁にドカッと重い音を立て、大振りのダガーが突き立った。
梨太が身を起こそうとするのを、鮫島は手のひらで制す。
自身は片膝をついて、ダガーの発射先へ鋭い視線をやった。
その先――障害物になっていた縦積みの段ボールの柱から、巨大な男がひとり姿を現す。こちらの険しい表情に相反する、何かひどく愉快そうな顔で、鮫島を見下ろしていた。
梨太は、こんなにも大きな男を人生で初めて見た。
背丈はゆうに二メートルを越え、さらに二〇センチほどもあるかもしれない。梨太の家なら間違いなく鴨居に頭をぶつけている。
  剃っているのか、きれいに禿げあがった頭のせいでやたらと老けて見えるが、せいぜい三十路――いや、ラトキア人は肉体を若く保つので、やはり四十歳は越えているだろうか。
若々しい艶のある肌で、全身の筋肉が小山のように盛り上がっていた。
ダブルバーガーを二つ並べて骨付きカルビで橋を架けたが如し肉質感に、梨太はなんだか胸焼けがした。これが薄手の黒シャツなど着てくれているからまだよかったもので、もしボディビルダーのように半裸で油でも塗られていたら、軽く拒食になるところである。
盛り上がった胸板から、急速に細くくびれて見える腰周りに、ぐるりと巻かれたベルト。さっき投げられたダガーと同じものがあと五本、左右にぶら下がっていた。
梨太はうつ伏せになったまま、上空二メートルへ建立された鉄塔を見上げる。不適な笑みを浮かべる巨大な男。彼の情報はすでにあった。烏の右腕で随一の戦闘力を誇る、元騎士団の――
梨太は、鮫島のほうへ視線をやった。
彼はすんでのところでバディの心臓を討つところであった元同僚に、鋭い視線を合わせて。
「……ええと。名前なんだっけ」
「白鷺だっ!!」
それが大男の第一声であった。
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