鮫島くんのおっぱい

とびらの

梨太君の覚悟

 スーツ一式を乱暴にテーブルへ投げつけ、その上から手でたたく。くじらくんが左右に揺れた。

「そこをなんとか」

「なんともなりませんって! これまでは机上会議のアドバイザーみたいなんだけだったから協力してきたけど、現場になんかいけませんよ!」

「何度か現場にも立ち会ったじゃないか」

「そりゃ後ろに鮫島くんがいたからで、今回僕ひとりで行けって話ですよね?」

「二階にあがる階段手前までは鮫が護衛するよ」

「ラスボスと一騎打ちでしょうが! というか軍人五人返り討ちにあった毒ラスダンに近づくって時点で無理! 僕、ほんっとふつうの高校生ですよ!? どっちかというとスポーツも苦手なほうですから!」

「見ればわかる」

 犬居がつぶやく。梨太は挑発にも乗らない。

 くじらくんに背を向けると、キッチンの方へと移動した。キャビネットから鍋を出し、水を張る。


「勘弁してくださいよ。もう、ご飯の時間だから帰って」

「リタくーん」

「うっさい。あのねえ、仕事が大変なのもわかるし、そこに法律とか体裁とかあるのも理解しますよ。日本でも難しい問題ですから。
 でも相手は亡命者、昨日今日明日と大急ぎで捕まえなきゃ行けないもんじゃないでしょう。小柄な傭兵を募るなりスーツの開発を待つなり、なんかほかの手段考えるなり努力してください。国を代表するようなひとたちが、ちょっと仲良くなった子供にオネガイリタクン、って、恥ずかしいと思うべきですよ」

 米櫃からはかり、ボウルに入れてザクザク回す。手慣れた様子で米を研ぎ終えると、炊飯器に入れて、早炊きボタンを押す。
 鯨がその背後に縋った。

「わたしたちは君に、命のやりとりをしろというわけではないぞ。重ねて言うが、そのスーツは毒フロアを無効化する、その保証がある。それから麻酔銃も与える。諜報役の護身用に一丁だけ持ちこめたものだが、人を殺さない強力な睡眠毒だぞ」

 梨太は冷蔵庫から野菜を取り出した。ザルで葉の土をおとし、まな板に置く。

「烏は化学班の軍人であり、非力だ。強力な罠に守られてはいるが、だからこそ武器は持っていない。銃があれば、子供でも勝てる。安全な作戦だ」

「……鯨さん、あんた、まだ僕のことバカにしてんの?」

 梨太は振り返ると、手に持った包丁をゆらゆらと振って見せた。

「コレ、包丁、商店街の金物屋で二千円。投げナイフにも使えそうな小刀が束で売ってた。その隣のおもちゃ屋では花火の売れ残りが半額セール。花屋には農薬、アジサイに水仙。ネコイラズ、ガススプレー、着火剤、タバコだって、駅前路地でいくらでも拾えるしね。その気になれば僕ですら毒や爆弾を量産できるんだよ」

 フライパンを火にかける。ぼうっ、と青い炎が鉄を焼く。熱した油に野菜を放り込む。

「日本でも、時々テロだとか暴力事件は起きてる。その凶器の材料はたいていがホームセンターやドラッグストアで揃うんだ。フロアの毒だってそれで作ったんだろうし。相手は丸腰のはず? 馬鹿か。ガソリンがジュースより安く深夜に無人のスタンドで買える国でなにいってんだ。人を殺すのに、星をまたいで武器を持ち込む必要なんかないよ」

 炎と鉄が肉を焼いていく。
 梨太は振り返った。

「それとも、ぜんぶ分かってて言ってるのかな。現地の民間人に犠牲者がでれば、けなげな亡命者は再び悪質なテロに認定され、騎士団は兵器を持ち出せる」

「それはちがう!」

 叫んだのは、犬居だ。すこし意外に感じ、梨太は彼の方を見やった。犬居は激怒していた。

「将軍も、団長も、そんなことは考えていない。取り消せ」

「……あっそう。じゃあみんなただの能天気、てことだね」

 梨太の言葉を、騎士たちはなんら反論の余地もなく黙って呑む。梨太はふたたび背を向け、作業を再開した。
 背中を向けたまま続ける。


「……僕を臆病だと思う? どうぞ結構。
 鮫島くんは、同じ年で騎士団長だっけ。弟を、小学校卒業と同時に戦場に出すような将軍様からしたら、僕の態度は情けないとしか見えないでしょう。
 でも、この日本では十六、七の高校生ってのは一般に子供といわれるんです。こうやって一人で暮らしているけど、家も米も教科書も大人が用意してくれたもの。それで勉強したり、遊んだり、恋をしたり、のびのび暮らしています。十六歳って、まだそういう年齢なんです。
 鮫島くんのことは立派だって思うけど、見習うつもりは全くないね。僕は今の暮らしをありがたく思うし、守っていきたいんだ」


「……それはわかるよ」

 鯨がつぶやいた。

「君は、まだ幼い。命を懸けたり、人を殺したりしてはいけない若さだ――ラトキアでも、ふつうはそうだよ」

 ザルをすすぐ手が一瞬とまった。鯨は言葉を続ける。

「だから、鮫は英雄になったんだ。同じ年の若い兵たちは誰もできなかったから。彼らにそうさせないように、鮫だけが毒を飲み頭蓋を開き、刃と銃をもって、戦場に立った」

 戸口にたち無言でいた鮫島が顔を上げる。姉に発言をとがめる視線をおくるが、鯨は続けた。

「出直すことは、わたしたちももちろん考えた。だがそれは難しい。二百名あまりにおよぶテロリスト達は、冷凍睡眠で宇宙船に捕縛してあるが、その維持に燃料がかかる。地球に滞在できるのはあと数週間が限度だ。
 騎士団は、ほかにも仕事がある。まして団長となれば。引き上げ、建て直し、また戻ってくるまで鮫を束縛できない。しかし毒のフロアを抜けられるのは鮫しかいない」

「仮にスーツを着れる傭兵が見つかったとしても、烏はともかく、白鷺がいるからな。団長がおびき寄せて対決しないと……白鷺は、人格的にはどうかと思うけど、たしかに戦闘力じゃ団長に次いでたんだ。並みの傭兵じゃ返り討ちになるだけだ」

 犬居が次ぐ。ふたたび鯨が口を開く。

「もしも一度帰還すれば、鮫が地球へ戻れるのは少なくとも数ヶ月、あるいは数年後だろう。さすがに、烏がそれまであのアジトで同じように過ごしているとは思えん。一時退却は、ほぼ完全撤退とイコールとなるだろう」

 彼らは二人で交互のように話したが、鮫島だけは、押し黙ったままである。鯨が代弁するように言った。

「……正直に言うと、撤退してしまうというのも一案ではある。君の言うとおり、テロリスト達は地球に亡命し、そこでおとなしく生活している。我らが刺激しなければ無害かもしれん。本国の軍部でも、無駄な経費だ、それより早く鮫を帰還させどこそこへ派遣してくれと要請がひっきりなしに来ているんだ。だが――」

 鯨は言葉を言いよどんだ。

 突然おとずれた沈黙に、梨太は気になって振り向いた。弱火に落としたフライパンを背にし、騎士達を見回す。

 鯨と犬居が、なにか難しい顔をして、鮫島の方を見ていた。彼はなにも言わない。鯨が再度、梨太を向き直る。

「これは、わたしの個人的な希望として――烏だけは捕獲したい。わたしはもとより、そのためにこうして精鋭を派遣し、自ら指揮をとりに来ている。
 奴は危険だ。リタ君。これは脅す訳では全くなく、わたしの見解なので聞き流してほしい。
 奴はこの地球にきてからの一年弱で、毒ガス、脳に作用する電波まで実用化していた。それは追っ手がついたと知ってから騎士対策で開発したものではない、それよりも前から奴は、純然たる『趣味』で、兵器を作っていた。……子供の集う学び舎のそばにアジトを構えたと聞いて、血が凍るようだった」

 梨太は眉を寄せた。

「君があの高校を卒業するまであと一年半。リタ君、わたしは、君のことを気に入っている。この地球も美しいと思う。若者達を尊いと思っている。烏を放っておけない」

「……鮫島くんは?」

 梨太の問いは、いろんなものを含めた問いだった。鮫島はひとつのことだけ回答した。

「俺も、烏はいずれ少年達をさらうと思う。俺をそうしているときのあいつは、とても楽しそうだったから」

 これ以上なく、むなくその悪い回答だった。

 梨太は小鍋に味噌を溶きながら、ぷくーっと頬を膨らませる。嘆息と同時に中の空気を吐き出すと、火を止めて、栗色の髪をくしゃりと握った。

 今日の夕食は、中華丼と味噌汁にするつもりだ。
 毎日自炊している彼だが、レパートリーがそれほど豊富なわけではない。複雑な包丁さばきができるわけではなく、凝ったものは作れないし、女子受けするお洒落なカフェご飯など食べたことすらない。

 こだわりがあるわけでもない。好きでやってるわけでもない。
 ただ、必要だから。
 食事をしなければ生きていけないし、作らなければ無いし、誰も作ってくれないからだ。買い食いや外食で過ごしていた時期もあったが、長い目で見れば費用的にも時間的にも自炊した方が得策だった。

 この世界には、億劫なことばかりあふれている。それでもやらなくてはいけない。どうせやるなら、効率的に、もっとも有意義なことに労力と時間を使いたい。

 できあがった料理を眺めながら、梨太は、この時間の貴さを思う。
 毎日おなかいっぱいごはんをたべて、おいしいと思えるとうとさを、無くしたくない。できることなら誰にも無くしてほしくないと思う。

 仏頂面で、頭をかきながら騎士達を眺める。そのとき、ワゴンのほうで電子音のメロディが流れた。炊飯器がご飯の炊きあがりを知らせている。梨太はふっと笑った。

「……まあ、とりあえず、ごはんにしよっか」

 そういって、三人分の器を取り出した。

 犬居は状況を判断しかね、座り込んだまま訝しげな表情を浮かべている。梨太はフライパンに水溶き片栗粉を流し入れながら、くじらくんを見上げる。

「……あのさ。悪いけど、やっぱ即答はしかねるよ。鉄砲なんか撃ったこと無いし、相手にもし武器があればひ弱さではドングリの背比べなんだからフツーに負けるよ僕。そもそも烏が一人でいるって保障もないし。麻酔銃ひとつで乗り込めってのは無理。
 だから、もうちょっとちゃんと考えようよ。武装可能の限界をつきつめて、少しでも成功の可能性をあげていこう。僕自身が『これなら絶対勝てる』って思えるまで、出来るだけのことをするからさ」

 ごはんを盛った丼に、とろみのついた中華炒めを乗せていく。
 仕上げに香りつけのごま油をひと匙。
 梨太の料理は、奇をてらわない。
 絶対においしいと思うものしか作らない主義なのだ。

 くじらくんが上空高くにあがり、降下した。どうやら頭を下げる所作を再現したらしい。

「すまぬ。恩に着る」

 鯨が言った。

 梨太はからになったフライパンを洗い場に置いて、

「まだ引き受ける確約はしてませんよ。犬居さんそっちの棚から汁椀持ってきてー」

「お? おう」

 立ち上がる犬居。

「鮫島くん、お箸をならべてくれる?」

 梨太は声を上げた。

 鮫島は、動かなかった。
 戸口の前にたたずみ、腕を組んだままである。伏せた顎に、唇が真一文字に結ばれていた。

 梨太は丼をテーブルへ置いた。


「……鮫島くん。ねえ」


 一歩、近づこうとする。その足が硬直した。
  

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