鮫島くんのおっぱい

とびらの

梨太君のお仕事

 地球、日本、霞ヶ丘市。その秋の暮れは早く、日が暮れたかと思えばあっというまに闇が訪れる。

 暗がりのなか、ふたりの男女が路地を進んでいた。
 手には半透明ビニールのレジ袋、袋口からは食材が覗いている。どちらも帽子を目深に被り、中肉中背、安物の普段着。清潔で、浮浪者などにはとても見えない。

 だが、その所作は逃亡者のものであった。なにかにおびえた足音で、廃墟ビルの隙間へと進入していく。

 そこに、なんとも場違いな愛想のよい声がかかった。

「こんばんはぁ」

 跳ね上がり、同時に振り返る二人。いつの間にか、その背後に一人の少年が立っていた。
 少女と見まがうほどに小柄で、愛くるしい顔立ち。なんら敵意のないほほえみを浮かべて、距離を詰めてくる。

「な、なに……こんばんは」
「今日は日曜日、もうすぐ夜の七時ですね」
「……はい?」

「さあて」

 少年は足を止めた。

「来週のサザ○さんは?」

 二人の男女は更に警戒を強めた。両者で目配せをし、男の方が前にでる。

 きわめて自然な声音で、

「あなたはなんだ。サ○エは誰だ? そんな者、俺たちは知らない――」
「鮫島くん、当たりだよ!」

 突如、少年が叫ぶ。と。風きり音は背後から聞こえた。さきほどまで向かって歩いていた方向に、いつの間に回り込んだのか、ラトキアの騎士が刀を振るう。わき腹に電撃をくらい、悲鳴をあげる間もなく崩れ落ちる男。

 一瞬のことに女は動転しながらも、己の腰元から警棒のようなものを取り出した。それを構えるよりも早く、鮫島に手首を打たれ、はじかれる。

「ううっ! ――おまえら、ラトキアの――」
「御用だ。竜、鴨。通名を竜波勝男、鴨川若芽! 抵抗をやめて手錠を受けるならば、こちらも攻撃をしない」

 鴨と呼ばれた女は奥歯をかんだ。

「おまえは、鮫? 英雄がなぜ――くそっ、オレは、弱いのだぞ」

 片言である。

 鮫島は意にも介さずに、

「お前たちが弱いから、騎士団は人数も武器も持ち出せなかった。人数が限られているのだから、精鋭でくるのは当然だろう」

 そう言って、刀を突きつける。

「俺のことを知っているなら、抵抗が無駄なこともわかるな?」

 女は両手を上げた。帽子の隙間から、緑がかった水色の髪が見える。失神している男の髪は桃色だ。

 梨太が前にでた。

「鮫島くん、データにあったこいつらの住所は嘘だ。労働者用の仮宿舎なんかじゃない、たぶんこのすぐ近くに、彼らの仲間と、かなりうまく地球人に化けてるリーダー格と一緒に暮らしてるよ。いまのうちに捕まえた方がいい。きっとこの先のアパート、黄色い屋根が見えるあそこ、建物名はハイツ・ラプンツェル、その302じゃないかな」

「っはあっ!?」

 鴨が明らかに狼狽する。鮫島はすぐに理解すると、鴨に手錠をかけるなりそのまま飛び出していった。

 待つこと五分。

 梨太のそばで浮いていたくじらくんが、耳障りなブーピー音をならした。
 モニターの鯨があさっての方向を見ながらうなずく。

「……うむ了解。リタ君お手柄だ。たしかに、君の言った部屋で、鮫がラトキア人とおぼしき男女四人組を発見。もうひとり、表札の賃貸名義人らしき人物は不在だ。帰宅を待ち伏せて捕縛する」

「なっ、なにその手際の良さはっ!?」

 鴨の叫びはラトキア語らしい、梨太の聞いたことのない言葉だった。鯨が通訳してくれる。
 やがて、鮫島も四人の人間を抱えて戻ってきた。先ほどは退路を張っていた犬居も合流している。

 全員が不思議そうなので、梨太はさくっと説明してみせた。

「いや、だって、このひとどう見ても女性だし。タコ部屋は相部屋で基本男性専用でしょ。小銭払って住民票だけ置かせてもらってるんじゃないかなと。
 こんな髪の色で社会に出るのは難しいし、それにこんな帽子でガッツリ隠してるってことは、まだ存在をこの周辺に隠してるってことだ。つまりは社会に出てない。でもこぎれいだから乞食ではない。絶対にパトロンがいる。
 で、買い物袋のなか、調理が必要な生鮮食品とアイスキャンデーが五本。すぐ近くに冷蔵庫や調理場があって、仲間が集まっている。ふつうに考えて賃貸アパートだ。ならば名義や住民票を出せて、お金を稼げるほど社会に溶け込んでいるやつが関与してるでしょ。
 それからあのアパート――昭和の二世帯家族を受け入れるっていうふれこみで建てられたもので、敷金礼金保証人不要、平米のわりに部屋割りが細かくて、三階だけは五部屋もある。なおかつボロいから家賃は格安。男女混合の、赤の他人が一緒に暮らすにはやっぱり部屋数がほしいよね。アイスが溶けるより前に帰れる範囲で、それっぽいのはそこくらいかと」

「……何でそんなこと知ってる?」

「通学路に賃貸紹介所があって、そこに張り紙出てたから。三階は真ん中の階段をはさんで独立しておりどちらも角部屋、にぎやかなご家族でも安心! ……つまり二戸しかなくて、301が募集されていた。現時点で埋まっているのは302だ」

 ラトキア人がぽかんと口を開ける。犬居が親切に鴨に通訳してやると、彼女は目を丸くしてなにやら罵倒してきた。うるさいので耳をふさいでいると、後ろから、ぽんと頭に重みが乗る。

 鮫島が、無言のまま手のひらを乗せていた。そのままグリグリと撫でてくる。

「……ほめてくれてるの?」
「いや、中身がどうなっているのだろうと思って」
「頭のてっぺん押さえるのやめてよ、まだ伸びる予定なんだから」

 手首をつかんで除けようとするが、びくともしなかった。

「聡いな、リタ少年」

 鯨のねぎらいに、鮫島の手と格闘しながら、梨太は首を振る。

「ちょっと、目と記憶力がいいだけ。あのアパート名、いろんな意味でギリギリで気になってたし」

 鮫島の手が、梨太の髪をグシャグシャにかき回した。抗議するもののなぜかいつまでたってもはずしてくれない。どうやらふざけているらしい。
 こういうコミュニケーションの取り方もする男なのだと、梨太はちょっと意外に思った。

 手錠をかけられた鴨が恨みがましい声をあげる。

「……なぜ、オレたちのことをあやしいとかぎつけた……」

 梨太は笑った。この場にいるのはラトキア人のみ、自分以外の誰一人理解できないであろうことを、茶目っ気たっぷりにウインクし、言ってやる。

「子にカツオやワカメなんて名前つける親もいないし、ましてやその子が、サザ○さんを知らないで成人できるわけがない」

「……○ザエ氏とは、何者なのだ……」

 鴨はがっくりと頭を垂れた。


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