クラウンクレイド

さたけまさたけ/茶竹抹茶竹

『16-6・ Flash b(L)ack』

16-6

 明瀬は階段のバリケードを崩し、それにより作った隙間をかいくぐると暗い階段へ飛び出した。1階フロアまで駆け下りていく。幅の広い階段を一段下るごとに、死の臭いが充満していくのが感じられた。何度も嗅いだ、嫌と言うほど知っている感覚だった。
 進むほどに、ゾンビが彷徨っている足音が聞こえてくる。呻き声が断続的に響いてフロアの壁に反響する度、その合間に入る彼等の足音から、1階にどれくらいの数がいるのか把握できる気がした。それ故に、自分の感覚が鋭く研ぎ澄まされていると、それを意識せずともはっきりと感じられる。生命への危機感で、精神は高揚し、脳内が沸騰している。嗅覚と聴覚が、今まで経験した事が無い程に過敏になっている。

 1階フロアから脱出が可能であるのは、裏口である業務用通用口だけだった。最短ルートを香苗に聞こうと明瀬が振り返るも、後ろには誰もおらず。明瀬は思わず声を上げる。

「香苗さん!?」

 バリケードを突破した時から付いてきていなかったのか。
 生命の危機に瀕して心拍数は上がりっぱなしであった。それ故に、彼女の存在にまで気を配れていなかった。そして完璧に油断し切っていた。バリケードまで連れていった時点で、弘人の事は諦めたと、明瀬は勘違いしていた。

 今叫んだ自身の声で、ゾンビが反応した事が、その物音から明瀬には分かった。フロア中から足音と呻き声が聞こえてくる。
 その足音が引きずる様なたどたどしいものばかりであった事から、走れるタイプのゾンビがいないと推測する。
 それならば、今ならば。チャンスはまだあると思った。
 ゾンビが階段に集まってくる前に裏口まで駆け抜ける。

「香苗さん、ごめん!」

 明瀬は駆け出す。
 階段の側にあったフロアマップを頭に叩き込む。裏口までは1階フロアを真っ直ぐ突っ切る必要があった。レジの近くにあった商品のキーホルダーの山から幾つかを鷲掴み、走る方向とは明後日の方向へ思い切り投げた。床に落ちて滑っていったキーホルダーが鈴の音をやかましく鳴らす。ゾンビが反応して呻き声を上げる。

 商品売り場の通路を駆け抜ける。棚と棚の隙間から突如として伸びてきた腕を、身を捩って躱す。後ろからゾンビが追いかけてきているのに気が付き、別の通路へと駆け込んだ。掃除用具の棚からモップを一本拝借し、それを抱えて走る。通路の向こうから歩いてくる一体のゾンビへ向かって、モップを前に突き出したまま走り込む。
 肩のあたりにモップの先をぶつけて、勢いよくゾンビを押し倒す。上半身の一点目掛けて、思い切りぶつかればバランスを崩すだろうという予測だった。床に倒れたゾンビを明瀬は飛び越える。

「強引なのはタイプじゃないの!」

 裏口が見えた。話に聞いていたように、バリケードが崩壊していて、扉が開いている。そもそもの元凶でもあった。
 ゾンビの腕の下をスライディングして滑り抜ける。裏口まで辿り着いて、走り込んだ勢いのまま体勢を崩しながらもそのまま駆け抜ける。重たい金属の扉は蝶番の部分から壊れていて開ける必要すらなかった。
 扉の隙間を駆け抜けてホームセンターの外に出た瞬間に、降り注いた陽射しで視界が一瞬白く染まり目を瞑る。

「脱っ出!」

 外に出て明瀬は目を開ける。まるで刃物の様な陽射しに目が眩む。そうして見えた光景に理解が追い付かず、明瀬は遅れて息を呑んだ。ホームセンターの裏手は室外機が壁沿いに並んでおり、搬入車用の駐車場として地面はコンクリート舗装されている。そして、裏口から敷地出口までの道を塞ぐように「それ」は存在していた。

 明瀬が目にしたのは、あの大型ゾンビの姿だった。表にいた筈の存在が、何故か今は裏口にいた。そして、その大型ゾンビの後ろには、横幅十メートル程の道を覆いつくして虫の様に蠢いている大量のゾンビの姿があった。待ち伏せされた、そんな言葉が無意識に口をついて出る。

 そして、大型ゾンビのその顔を見て、明瀬は声を震わせた。梨絵があの時、勝手に外に出ていった理由を今此処で理解する。
 大型ゾンビの顔に見覚えがあった。
 確かにその顔は、葉山であった。あの時、脱出する時に別れた葉山が、そこに立っていた。

「なん、っで!」

 正面突破は無理だと判断して明瀬は背後を振り返る。だが、店の中から湧き出してきたゾンビの姿があった。裏口の扉に身体をぶつけ、しかしそれを気にも留めず、明瀬へと飢えた獣の如く向かってくる。
 向けられた無数の手に、明瀬は矢野の死の光景を連想した。蠢く無数のそれに、首筋をしっかりと掴まれているかのようで。その指先が、自分の皮膚を、自分の肉を、引き裂き沈み込みそして肉塊に変えていく。そんな想像が胸を締め付ける。
 頭を抱え、その場にうずくまる。

「なんでなんでなんで! こんなの!」

 動けなかった。恐怖と絶望感が、明瀬の足首を掴んでいた。噛まれた光景が蘇る。あの時の様に、自分の脚をゾンビが掴んでいるようで、その幻想が過る。足が動かなくなる。噛まれた記憶が何度もフラッシュバックして、その光景に矢野の最期の光景と重なる。
 ゾンビの歯が皮膚をぶち抜いて、穴の空いた箇所から赤一色の液体が溢れ出し。血の塊と何かの内臓が宙を舞って飛沫を散らす。呻き声を吐き出すゾンビの口が赤く染まって、変色した歯茎から伸びた犬歯に肉片が垂れ下がって。肉片と変わっていく矢野の姿が、絶望で悲鳴を下げる矢野の顔が、気が付けば明瀬自身の顔に変わっていて。

「死、にだ、ぐない!」

 うずくまった明瀬へと狙いを定め、大型ゾンビが動き出す。ゾンビよりも遥かに広い歩幅で、悠然と、しかし一気に距離を詰めていく。その太い腕が風を切りながら振り上げられた。
 動けなくなった明瀬が顔を上げると、その目の前には、その視界一杯には。大型ゾンビがいて。
 隆起した筋肉と血管が脈打っているのが見えて。振り下ろされた腕が、影を作りながら落ちてくるのが見えて。明瀬は反射で目を閉じた。

 目を閉じて見えたのは、いつかの星空の光景で。星が瞬く合間程の一瞬に、あの日のプラネタリウムの星空が見えて。それを並んで眺めていた祷の横顔を思い出す。暗い光景でもはっきりと分かったあの表情。星を見に行きたいと言った彼女の言葉に隠された、本当の気持ち。
 それを理解しても尚、明瀬の脳裏を過るのは下らない事で。死の間際、走馬燈が見えるのは、本当だったのかと。
 嗚呼これが、私の最期だったのだと。


「穿焔―うがちほむら―!」



【16章・それはまるで星の様に 完】

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