ぼくは今日も胸を揉む
#5 ありがとう
「奴、隷……?」
ぼくは、思わず鸚鵡返しに声を発した。
つい先ほど、ミントと名乗った少女は言った。
――こことは違う別の国で、奴隷をしている、と。
奴隷などという存在は漫画やラノベでしか見たことないが、もしそれならボロボロの衣服を着ている理由に得心がいく。
そして、奴隷だと言うなら主人が飯を食べさせてくれなかったであろうことも。
だからこそ、あんなに空腹で外で倒れたりしたのだろう。
「……〈フェヌグリーク〉っていう国の、〈バトリオット〉っていう街で私は生まれた。小さい頃から、友達はいなくて、お金もなかった。でも、私には優しい家族がいたから……どれだけ貧乏な生活でも、我慢して生きてきた。だけど、数年前、家族は死んだ。突然、この世から、私の居場所がなくなった、気がした。そんなとき、ある人が私に言ったの。ついて来いって、居場所を与えてやる……って」
ポツリポツリと、ミントは自分の過去を明かしていく。
会話というもの自体、今まであまりして来なかったのかもしれない。そう思ってしまうほどに、ミントの言葉はどこか舌足らずだった。
だが、たとえそれでも、ミントの境遇が如何に酷いものだったのか容易に想像できてしまう。
ぼくとユズは相槌を打つことすら忘れ、ミントの話に耳を傾け続ける。
「……騙されてた。私は、奴隷商人に売りつけられて、奴隷になった。抵抗できない。理不尽な暴力に襲われる。逃げられない。どうすることも、できない。そんな怖い思いは、もうしたくなくて、逃げ出した。目を離している隙に、船に乗り込んだ。金はなかったから、こっそり忍び込んで……この街に、辿り着いた」
それが、ミントがここに来た理由か。
奴隷制度だとか、奴隷の事情はぼくには分からないけど。
何だか、許せなかった。こんなに幼くて可愛らしい少女が、こんなに辛くて悲しい顔をしている。
そんなの、あってはならないことだと思う。
珍しくシリアスな雰囲気だ。
こんな状況で、いつものように冗談を言えるわけもなかった。
「……きっと、私がいなくなってることには、すぐに気づくはず。いや、多分もう既に気づいてると思う。だから、絶対に追いかけてくる。絶対に、私を探しに来る……」
「大丈夫ですよ。国なんて、この世界には十個もあるんです。街になると更に数は多いですし、国や街がどれだけ広いと思ってるんですか? 木を隠すなら森の中、です。他の人間に紛れていれば、そう簡単に見つかりませんよ」
「……でも、侮れない。いつ来るか分からないし、もし来たら……私は、絶対にまたあそこに戻らされる……」
「だったら、わたしたちが匿います。もし見つかっても、わたしたちが守ります。それなら、問題ありませんよね?」
ユズが発した台詞に、ぼくもミントも愕然としてしまう。
匿う。守る。
口にするのは簡単でも、実行するのは難しい。それを、ユズはやろうと言うのだ。
何も間違ったことを言っていないとでも言いたげな、平然とした口調で。
ああ、そうか。ユズは、こういう神だ。
目の前に困った人がいれば、すぐに手を差し伸べる。
そんな神だから、少女を庇って死んだぼくに、チャンスを与えてくれたのだろう。
異世界に転生するという形で。
ほんと、ユズは可愛いだけじゃないんだね。
まさしく、ぼくの理想のメインヒロインみたいだよ。
「そうだね。最初は何のために大きい家にしたのか、馬鹿なんじゃないかって思ってたけど……でも、そのおかげで空き部屋もいっぱいあるわけだし。ミントも、ぼくたちと一緒に暮らそうよ」
「あの……さらっと馬鹿にするのやめてもらえませんか」
何やら半眼で呟いてきたが、とりあえず無視しておこう。
すると、ミントの瞳にうっすらと浮かんできた。
透明な、大粒の涙が。
「……あ、あり、がとう……。で、でも、それで、もし二人に、何か、あったら……」
「そんなの気にしなくていいよ。むしろ、逆にやっつけちゃうかもね」
「……うん……っ、ありがとう……」
努めて明るく言うと、ミントは更に泣き出した。
でも、さすがに分かる。
この涙が、悲しみの涙なんかじゃなくて、喜びの証だってことは。
だから、ぼくはミントの頭を撫で、泣き止むまで待ち続けた。
§
「……ごめん、なさい。ありがとう……」
やがて泣き止んだかと思うと、謝罪と感謝を同時に述べてきた。
こうしてお礼を言ってきたのは、本日何度目だろう。そこまで気にしなくていいのにね。
こうして、この家の同居人が増えた。
そうなると当然自分の部屋が必要になるため、三人で家中を見て回り、ミントはどの部屋がいいのかを決めてもらうことにした。
とはいえ二階と三階にある部屋は例外なく何も置かれていないため、部屋の場所くらいしか違いはないんだけど。
ミントは二階の奥にある部屋を選び、ついでに、今日から一緒に暮らすことになってまだ自分の部屋を決めていなかったぼくは二階の手前のほうにある部屋を選ぶ。
どちらも窓の数は一つ、家具の数は皆無。
部屋の面積自体は広くて大変よろしいんだけど、何もないから部屋としての機能をあまり果たせていない。
せめて、今日寝るためのベッドくらいはとりあえず欲しいところだ。
「ねえ、ユズ。ぼくとミント、二つのベッドが欲しいから買って」
「買ってって、今日だけでわたしのお金がどんどんなくなっていくんですけど……」
「……あ、私は、いい。床で寝るのにも、慣れたし。むしろ、部屋があるだけでも、ありがたいことだし……」
「買いますっ! 買いますから、そんな悲しいこと言わないでください!」
ミントが泣きそうな顔で言うと、ユズは慌てて折れた。
優しい神で、本当に助かる。つくづく、ぼくの同居人がユズみたいな神でよかったと思う。
そして、ぼくたちはすぐさま家具を売っている店へ直行する。
どうやら物を転移させる魔法があるらしく、購入したベッド二つは、その魔法によって家に転送された。
ちなみにベッドだけでなく、他にも机や棚など、ぼくとミントが部屋に置きたいと思う家具をユズの寛大な心で幾つか買っていただき、それも全て同様に家へ送られた。
やっぱり、異世界って凄い。
ぼくは、思わず鸚鵡返しに声を発した。
つい先ほど、ミントと名乗った少女は言った。
――こことは違う別の国で、奴隷をしている、と。
奴隷などという存在は漫画やラノベでしか見たことないが、もしそれならボロボロの衣服を着ている理由に得心がいく。
そして、奴隷だと言うなら主人が飯を食べさせてくれなかったであろうことも。
だからこそ、あんなに空腹で外で倒れたりしたのだろう。
「……〈フェヌグリーク〉っていう国の、〈バトリオット〉っていう街で私は生まれた。小さい頃から、友達はいなくて、お金もなかった。でも、私には優しい家族がいたから……どれだけ貧乏な生活でも、我慢して生きてきた。だけど、数年前、家族は死んだ。突然、この世から、私の居場所がなくなった、気がした。そんなとき、ある人が私に言ったの。ついて来いって、居場所を与えてやる……って」
ポツリポツリと、ミントは自分の過去を明かしていく。
会話というもの自体、今まであまりして来なかったのかもしれない。そう思ってしまうほどに、ミントの言葉はどこか舌足らずだった。
だが、たとえそれでも、ミントの境遇が如何に酷いものだったのか容易に想像できてしまう。
ぼくとユズは相槌を打つことすら忘れ、ミントの話に耳を傾け続ける。
「……騙されてた。私は、奴隷商人に売りつけられて、奴隷になった。抵抗できない。理不尽な暴力に襲われる。逃げられない。どうすることも、できない。そんな怖い思いは、もうしたくなくて、逃げ出した。目を離している隙に、船に乗り込んだ。金はなかったから、こっそり忍び込んで……この街に、辿り着いた」
それが、ミントがここに来た理由か。
奴隷制度だとか、奴隷の事情はぼくには分からないけど。
何だか、許せなかった。こんなに幼くて可愛らしい少女が、こんなに辛くて悲しい顔をしている。
そんなの、あってはならないことだと思う。
珍しくシリアスな雰囲気だ。
こんな状況で、いつものように冗談を言えるわけもなかった。
「……きっと、私がいなくなってることには、すぐに気づくはず。いや、多分もう既に気づいてると思う。だから、絶対に追いかけてくる。絶対に、私を探しに来る……」
「大丈夫ですよ。国なんて、この世界には十個もあるんです。街になると更に数は多いですし、国や街がどれだけ広いと思ってるんですか? 木を隠すなら森の中、です。他の人間に紛れていれば、そう簡単に見つかりませんよ」
「……でも、侮れない。いつ来るか分からないし、もし来たら……私は、絶対にまたあそこに戻らされる……」
「だったら、わたしたちが匿います。もし見つかっても、わたしたちが守ります。それなら、問題ありませんよね?」
ユズが発した台詞に、ぼくもミントも愕然としてしまう。
匿う。守る。
口にするのは簡単でも、実行するのは難しい。それを、ユズはやろうと言うのだ。
何も間違ったことを言っていないとでも言いたげな、平然とした口調で。
ああ、そうか。ユズは、こういう神だ。
目の前に困った人がいれば、すぐに手を差し伸べる。
そんな神だから、少女を庇って死んだぼくに、チャンスを与えてくれたのだろう。
異世界に転生するという形で。
ほんと、ユズは可愛いだけじゃないんだね。
まさしく、ぼくの理想のメインヒロインみたいだよ。
「そうだね。最初は何のために大きい家にしたのか、馬鹿なんじゃないかって思ってたけど……でも、そのおかげで空き部屋もいっぱいあるわけだし。ミントも、ぼくたちと一緒に暮らそうよ」
「あの……さらっと馬鹿にするのやめてもらえませんか」
何やら半眼で呟いてきたが、とりあえず無視しておこう。
すると、ミントの瞳にうっすらと浮かんできた。
透明な、大粒の涙が。
「……あ、あり、がとう……。で、でも、それで、もし二人に、何か、あったら……」
「そんなの気にしなくていいよ。むしろ、逆にやっつけちゃうかもね」
「……うん……っ、ありがとう……」
努めて明るく言うと、ミントは更に泣き出した。
でも、さすがに分かる。
この涙が、悲しみの涙なんかじゃなくて、喜びの証だってことは。
だから、ぼくはミントの頭を撫で、泣き止むまで待ち続けた。
§
「……ごめん、なさい。ありがとう……」
やがて泣き止んだかと思うと、謝罪と感謝を同時に述べてきた。
こうしてお礼を言ってきたのは、本日何度目だろう。そこまで気にしなくていいのにね。
こうして、この家の同居人が増えた。
そうなると当然自分の部屋が必要になるため、三人で家中を見て回り、ミントはどの部屋がいいのかを決めてもらうことにした。
とはいえ二階と三階にある部屋は例外なく何も置かれていないため、部屋の場所くらいしか違いはないんだけど。
ミントは二階の奥にある部屋を選び、ついでに、今日から一緒に暮らすことになってまだ自分の部屋を決めていなかったぼくは二階の手前のほうにある部屋を選ぶ。
どちらも窓の数は一つ、家具の数は皆無。
部屋の面積自体は広くて大変よろしいんだけど、何もないから部屋としての機能をあまり果たせていない。
せめて、今日寝るためのベッドくらいはとりあえず欲しいところだ。
「ねえ、ユズ。ぼくとミント、二つのベッドが欲しいから買って」
「買ってって、今日だけでわたしのお金がどんどんなくなっていくんですけど……」
「……あ、私は、いい。床で寝るのにも、慣れたし。むしろ、部屋があるだけでも、ありがたいことだし……」
「買いますっ! 買いますから、そんな悲しいこと言わないでください!」
ミントが泣きそうな顔で言うと、ユズは慌てて折れた。
優しい神で、本当に助かる。つくづく、ぼくの同居人がユズみたいな神でよかったと思う。
そして、ぼくたちはすぐさま家具を売っている店へ直行する。
どうやら物を転移させる魔法があるらしく、購入したベッド二つは、その魔法によって家に転送された。
ちなみにベッドだけでなく、他にも机や棚など、ぼくとミントが部屋に置きたいと思う家具をユズの寛大な心で幾つか買っていただき、それも全て同様に家へ送られた。
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