お兄ちゃんがお母さんで、妹が甘えん坊なお話
……どうして、そんなにも優しくなれるんですか?
「えへへ…明洋さんがこんなにもプログラミングを楽しんでくれて…僕、嬉しいです」
日も暮れて、院内の夕食も終わった頃。
いつも通り、明洋の病室にお見舞いに訪れている涼羽。
最近になって、明洋が本当にプログラミングを楽しんで、精を出しているところを見るようになり、それを心の底から喜んでいる。
明洋がプログラミングで分からないことを積極的に聞いてくることも、涼羽は本当に嬉しくて、ついつい笑顔で質疑応答に答えてしまう。
そんな笑顔が無邪気で可愛らしく、明洋もついつい頬を緩めてしまう。
「涼羽君のおかげだよ…涼羽君が、いつも優しく、嬉しそうに教えてくれるから…僕もこんなにプログラミングを楽しむことができるんだよ…」
今年十八歳の男子だとは分かってはいるものの、それでもそうは見えないほどの可愛らしい美少女な容姿であるがゆえに、そんな容姿でこんなにも幸せそうで、嬉しそうな笑顔を惜しげもなく見せられては、明洋もついつい涼羽のことを抱きしめたくなってしまう。
以前までは他人との会話そのものに、非常に恐怖を覚えていた明洋なのだが、涼羽との会話を積み重ねていくことでその恐怖感がどんどん薄れていくのを感じている。
うまく話せなくて、ついついどもりがちな自分との会話を、まるで愛しい恋人との逢瀬のように楽しく、嬉しそうにしてくれる涼羽のおかげで、会話がどんどん楽しくなっていく。
そのおかげで、涼羽以外の人間とも、まだぎこちなさを隠せないところはあるものの、ずっと引き篭もっていた以前とは比べ物にならないほどにスムースに会話ができるようになっていっている。
そして、普段から前向きにリハビリに取り組んでいて、さらには機械関連で分からないことを快く教えたりすることで、周囲の患者達も明洋に対して好感を持っている。
そんな周囲の患者達が、非常に親しみを持って明洋に接してくれるようになっていて、それが明洋の対人恐怖症を少しずつだが、治していってくれている。
「そんな…明洋さんが頑張ってるからですよ。明洋さんがこんなにも頑張ってるから、こんなにも早く、プログラミングができるようになっていってるんですよ」
いつものように、涼羽に感謝の意を述べる明洋の言葉に、涼羽も思わず照れくさそうに顔を赤らめてしまう。
そして、明洋が普段どれだけ頑張っているのかを、自分の目でも見ているし、周囲の患者達からも聞かされているので、そのことをそのまま言葉として、明洋に伝える涼羽。
一時は自分と羽月をその身を挺して護ってくれて、そのおかげで明洋は命に関わるかも知れないほどの大怪我を負い、さらには元通りに歩けるようになるかも分からない状態だったのが…
今ではもう後遺症の心配はないと太鼓判を押されるほどの回復ぶりを見せ、さらには一日一日を本当に楽しそうに、嬉しそうに生きるようになっていき、自分だけでなく周囲の人間と非常に良好な関係を築くことまでできていることが、涼羽は本当に嬉しくてたまらない。
自分にとっての恩人が、こんなにもいい方向に変わっていっていること。
それが本当に嬉しくて、明洋の前では常に無邪気で可愛らしいにこにこ笑顔が絶えない。
涼羽のそんな笑顔を見る周囲の患者達も、それだけで本当に幸せな気持ちをおすそ分けしてもらえているかのような、そんな感覚を覚え、今の明洋と同じように、前向きに治療に取り組んでいくようになっている。
そして、まるで自分の子供のように涼羽のことを可愛がってしまうのだ。
どこに行っても自然体のままで、誰からも愛される涼羽。
もともとの愛され下手は以前変わらずなため、ついつい恥ずかしがってしまうのだが、それがまた可愛らしくて、ますます周囲から愛されてしまうという循環は、この病院内でも変わることはない。
「………涼羽君…ちょっと…聞いて欲しいことが…あるんだ…」
そんな幸せ一杯の会話の最中、ふと思いつめたかのような表情から、すぐに決意の表情になると、明洋は改まった形で、ここまでの会話とは違う内容で話を切り出していこうとする。
「?なんですか?明洋さん?」
そんな明洋を見て、涼羽は一体なんだろうと思いながら、きょとんとした表情で話の先を促してくる。
「………え~と…あの女社長さんのことなんだけど…」
きょとんとした表情の涼羽があまりにも可愛らしくて、ついつい見とれてしまうのだが、それもほんの少しの間で、すぐに話を切り出してくる明洋。
しかし、明洋が出したその内容。
それに対する涼羽の反応は、非常に分かりやすいものとなっていた。
「……それって、一体誰のことですか?」
それまでの傍から見ても分かりやすい、無邪気で嬉しさに満ち溢れていた笑顔から一転、まるで能面を思わせる氷のような冷笑。
そして、一体それは誰なんだと、まるで最初から鳴宮 千茅という人物のことなど知らないと言わんばかりの言葉。
本当に誰に対しても優しく、その笑顔と可愛らしさでいいようのない幸福感を与えてくれる天使のような存在の涼羽が、こんなにも怜悧冷徹で容赦なく他人を拒絶する姿など、涼羽のことを知っている人間ならば一体誰が想像できようか。
話を切り出した明洋ですらも、そんな涼羽の変わり様に思わず背筋に冷水をかけられたかのような、ぞくりとした感覚を覚えてしまうのだが…
しかし、そんな涼羽を見たくないし、そんな風に他人を拒絶して欲しくないと言う思いから、どうにか涼羽から目を逸らすことをせずに、真っ直ぐに涼羽の目を見つめながら、さらに話を進めていこうとする。
「だ…誰って、涼羽君にずっと声をかけてたあの女社長さんだよ…」
「そんな人…知りませんよ?」
「君のことをとにかく気に入ってた、あの女社長さんだよ…」
「もう…どうしたんですか?明洋さん…いきなりそんな、わけの分からない話なんて…」
目がまるで笑っていない涼羽の冷笑に、心底肝を冷やされながらも、話を続けようとする明洋。
その理由が、事あるごとに自分のことを侮蔑していたから、ということには、そこまでこんな自分のことを思ってくれる涼羽には感謝の念しかないと思っているし、本当に嬉しく思う。
だが、そのおかげで涼羽がこんなにも怜悧冷徹になるようなことは、決して望んでいないし、望みたくもないと、明洋は思っている。
高宮 涼羽という子は、こんな自分などよりもずっと誰かを幸せにすることができる子だと、明洋は思っている。
その涼羽に、いくら涼羽にとって嫌悪の対象となっているとはいえ、かつて自分がずっと味わい続けてきた思いを、人にさせて欲しくないと、明洋は思う。
「涼羽君…僕、君にそんな風に…人を拒絶してほしくないって…思ってる…」
「……明洋さん?」
「今の涼羽君は…あの女社長さんに…かつて僕が味わってきた思いを…おんなじように味わわせちゃってる…」
「!………」
「僕…うまくは言えないんだけど…涼羽君がそんな風に…かつて僕を蔑んできた人達と…かつて僕を拒絶してきた人達と…してる姿なんて…見たくない…」
「………」
「涼羽君…あの女社長さんが僕のこと、さんざんなじってきたからそこまで怒ってくれてるのは、ほんとに嬉しい…僕のこと、そこまで心配してくれて…ほんとにありがとう…」
「………」
「でも…僕は大丈夫だから…僕がそんな風に言われることよりも…涼羽君が僕が味わってきたような思いを…人にさせることの方が…僕は嫌だから…」
ぎこちなくも、本当に純粋にまっすぐに、自分を蔑んできた千茅のこと…
そして何よりも、涼羽のことを思って、その言葉を紡いでいく明洋。
明洋から見ると、今の涼羽は本当はそんなことしたくないのに、どうしても自分の感情が抑えられなくて、やってしまっているような…
その能面のような冷笑からは分からないが、そんな無理をしてしまっているように見えてしまう。
自分が彼女のことを袖にすればするほど、彼女の悪感情の矛先が、明洋に向いてしまう。
彼女の悪感情が明洋に向けば向くほど、自分の悪感情が抑えられなくなってしまう。
今の涼羽は、まさにそんな状態となってしまっている。
人との関わりが苦手であるはずなのに、なぜか明洋は、人のそんな苦しいところを察してしまう。
むしろ、自分がずっと人からの悪感情を向けられ続けてきたから。
自分が、ずっとそのことで苦しい思いをし続けてきたから。
だからこそ、明洋は涼羽にそんな思いをしてほしくない。
そして、千茅にも、そんな苦しい思いをしてほしくない。
千茅があのような、自分主義で傲慢な、歪んだ性格になってしまったのも、何か理由があるはずだから。
家庭環境、もしくはその他の自分がいた環境が本当に悪くて、そうなってしまったのかも知れないから。
誰よりも卑屈で、誰よりも苦しい思いをしてきた明洋だからこそ、そんな風に考えてしまう。
ただ表面上の振る舞いだけで、その人の全てを判断しようと思わず、どんなに悪い面ばかり見えてきたとしても、それは何か理由があるのではないか、と考えてしまう。
以前は明洋も、本当にその苦しさのあまり周囲の人間を責めてばかりいた。
でも、涼羽に巡り会えたことで、本当にいい意味で変わることができた。
そして、今もこうしてどんどんいい方向に変わっていくことが、できている。
涼羽はこんな自分のことを、生涯の恩人として慕ってくれるが、自分はそれ以上に、涼羽は神様がこの世に、自分が良き方向に変わるための使いとして巡り会わせてくれた、まさに生涯の恩人だと思っている。
だからこそ、今度は自分が、涼羽をいい方向へと導く番だと。
涼羽を自分が思ういい方向へと導くことで、千茅も絶対にいい方向に変われるはずだと、明洋は確信めいた思いを抱いている。
だからこそ、明洋は嘘偽りのない、純粋でまっすぐなその思いを、涼羽にぶつけていく。
この天使のような少年に、かつて自分が抱いていたような醜い思いを、抱かせたくないから。
「……どうして、ですか?」
「?え?…」
「……どうして、そんなにも優しくなれるんですか?」
「?涼羽君?…」
「……あんなにも、明洋さんのことをなじって…あんなにも、明洋さんのことをいわれのないことで侮辱してきた…あんなひどい人のことを…心配することができるんですか?」
「…涼羽君…」
「……僕、どうしても生理的にあの人のことが受け入れられなくて…出会ってお話してから…すぐに嫌いになっちゃって…」
「…うん…」
「……しかも、僕に嫌われてイライラするんなら…僕の方に言えばいいのに…わざわざ僕の目の届かないところで、そのイライラを明洋さんにぶつけるなんて…」
「…うん…」
「……本当に、最低の人だ、なんて思っちゃったんです…」
「…うん…」
「……でも…僕が無視をするようにし始めた時のあの人の顔を…ものすごく傷ついてたあの顔を見て…僕…本当にひどいことをしちゃったって…思って…」
「…うん…」
「……でも…あの人は明洋さんにひどいことをする、本当に悪い人だって思って…でも…やっぱりあの人にひどいことしちゃったって思って…でも…それであの人のことを許しちゃうと…あの人にあんなにもひどいことされた明洋さんがかわいそうって思って…」
「…うん…」
「……ずっと、僕の中でそんな思いと思いがぶつかりあって…ずっと苦しくて…でもどうすることもできなくて…」
明洋のそのまっすぐで純粋な思いの丈を伝えられた涼羽の口から、ぽろぽろとその胸に抱えていた思いが零れ落ちてくる。
人を悪く思うことが本当にできないはずの涼羽が、ここまで人を悪く思って、しかも人にここまでひどいことをしてしまっていた、ということに、他でもない涼羽自身、自覚はあった。
しかし、自覚があっただけに、それが余計に自分が悪いことをしているという、人にひどいことをしているという罪悪感が日に日に大きくなっていっていた。
でも、それで千茅を許してしまっては、自分にとってはかけがえのない恩人である明洋に申し訳が立たない、という思いが強く出てしまい、その相反する感情と感情がぶつかりあって、自分ではどうすることもできない状態にまで陥っていた。
悪いことをしてしまった幼子が、懸命に大好きな親に嘘をつきたくなくて、本当のことを話そうとしているような、そんな涼羽の姿に、明洋は心底、安堵感を覚える。
同時に、そんな姿がまた可愛らしくて、愛おしくて、傷ついた表情で自分の心の中を吐き出していく涼羽の頭を、包み込むように優しくなで始める。
「……涼羽君…ほんとに君は…優しい子なんだね……」
「……でも…僕…あの人に、あんなひどいことを……」
「……そこまで苦しい思いになってたのは…涼羽君が…本当に本当に優しい子だから……」
「…明洋さん…」
「…でも…涼羽君…僕は…涼羽君にあの人と仲良くなって欲しいって…思ってるから…」
「!………」
「…よくは分からないけど…そうなったら、あの女社長さんも…何より…涼羽君自身が…幸せになれる…そんな気がするから…」
「!明洋さん…」
「…僕のこと、そんなにも思ってくれて、本当にありがとう…でも僕は…気にしてないから…だから…もうあの人のことを、許してあげてほしい…僕はそう思ってるから」
「明洋さん…」
「ね?こんなにも優しい涼羽君なんだから…できるよね?…僕がそれを本当に望んでるから…してくれる…よね?」
いつもなら、頭をなでられることが照れくさくてついついツンツンとした態度になってしまう涼羽だが、今はただただ、明洋にされるがままになっている。
そして、明洋がくれる言葉一つ一つが、本当に水が乾いた砂に染み渡るかのように涼羽の心に染み渡っていく。
そして、本当に穏やかな表情で、涼羽に対して、千茅と仲良くして欲しいと願う明洋の言葉も、その心に染み渡っていく。
「……はい!明洋さんが望んでくれるなら、僕…あの人と仲良くしてみます!」
まるで罪人がその罪を許されたかのような、晴れ晴れとした表情で、涼羽は千茅ともう一度向き合ってみようと、そして、できれば仲良くしてみようと誓う。
それを一番望んでくれている明洋に、その思いを言葉にして、感情と感情のぶつかり合いで煮え切らない堂々巡りの状態になっていた心を、吹っ切るのであった。
日も暮れて、院内の夕食も終わった頃。
いつも通り、明洋の病室にお見舞いに訪れている涼羽。
最近になって、明洋が本当にプログラミングを楽しんで、精を出しているところを見るようになり、それを心の底から喜んでいる。
明洋がプログラミングで分からないことを積極的に聞いてくることも、涼羽は本当に嬉しくて、ついつい笑顔で質疑応答に答えてしまう。
そんな笑顔が無邪気で可愛らしく、明洋もついつい頬を緩めてしまう。
「涼羽君のおかげだよ…涼羽君が、いつも優しく、嬉しそうに教えてくれるから…僕もこんなにプログラミングを楽しむことができるんだよ…」
今年十八歳の男子だとは分かってはいるものの、それでもそうは見えないほどの可愛らしい美少女な容姿であるがゆえに、そんな容姿でこんなにも幸せそうで、嬉しそうな笑顔を惜しげもなく見せられては、明洋もついつい涼羽のことを抱きしめたくなってしまう。
以前までは他人との会話そのものに、非常に恐怖を覚えていた明洋なのだが、涼羽との会話を積み重ねていくことでその恐怖感がどんどん薄れていくのを感じている。
うまく話せなくて、ついついどもりがちな自分との会話を、まるで愛しい恋人との逢瀬のように楽しく、嬉しそうにしてくれる涼羽のおかげで、会話がどんどん楽しくなっていく。
そのおかげで、涼羽以外の人間とも、まだぎこちなさを隠せないところはあるものの、ずっと引き篭もっていた以前とは比べ物にならないほどにスムースに会話ができるようになっていっている。
そして、普段から前向きにリハビリに取り組んでいて、さらには機械関連で分からないことを快く教えたりすることで、周囲の患者達も明洋に対して好感を持っている。
そんな周囲の患者達が、非常に親しみを持って明洋に接してくれるようになっていて、それが明洋の対人恐怖症を少しずつだが、治していってくれている。
「そんな…明洋さんが頑張ってるからですよ。明洋さんがこんなにも頑張ってるから、こんなにも早く、プログラミングができるようになっていってるんですよ」
いつものように、涼羽に感謝の意を述べる明洋の言葉に、涼羽も思わず照れくさそうに顔を赤らめてしまう。
そして、明洋が普段どれだけ頑張っているのかを、自分の目でも見ているし、周囲の患者達からも聞かされているので、そのことをそのまま言葉として、明洋に伝える涼羽。
一時は自分と羽月をその身を挺して護ってくれて、そのおかげで明洋は命に関わるかも知れないほどの大怪我を負い、さらには元通りに歩けるようになるかも分からない状態だったのが…
今ではもう後遺症の心配はないと太鼓判を押されるほどの回復ぶりを見せ、さらには一日一日を本当に楽しそうに、嬉しそうに生きるようになっていき、自分だけでなく周囲の人間と非常に良好な関係を築くことまでできていることが、涼羽は本当に嬉しくてたまらない。
自分にとっての恩人が、こんなにもいい方向に変わっていっていること。
それが本当に嬉しくて、明洋の前では常に無邪気で可愛らしいにこにこ笑顔が絶えない。
涼羽のそんな笑顔を見る周囲の患者達も、それだけで本当に幸せな気持ちをおすそ分けしてもらえているかのような、そんな感覚を覚え、今の明洋と同じように、前向きに治療に取り組んでいくようになっている。
そして、まるで自分の子供のように涼羽のことを可愛がってしまうのだ。
どこに行っても自然体のままで、誰からも愛される涼羽。
もともとの愛され下手は以前変わらずなため、ついつい恥ずかしがってしまうのだが、それがまた可愛らしくて、ますます周囲から愛されてしまうという循環は、この病院内でも変わることはない。
「………涼羽君…ちょっと…聞いて欲しいことが…あるんだ…」
そんな幸せ一杯の会話の最中、ふと思いつめたかのような表情から、すぐに決意の表情になると、明洋は改まった形で、ここまでの会話とは違う内容で話を切り出していこうとする。
「?なんですか?明洋さん?」
そんな明洋を見て、涼羽は一体なんだろうと思いながら、きょとんとした表情で話の先を促してくる。
「………え~と…あの女社長さんのことなんだけど…」
きょとんとした表情の涼羽があまりにも可愛らしくて、ついつい見とれてしまうのだが、それもほんの少しの間で、すぐに話を切り出してくる明洋。
しかし、明洋が出したその内容。
それに対する涼羽の反応は、非常に分かりやすいものとなっていた。
「……それって、一体誰のことですか?」
それまでの傍から見ても分かりやすい、無邪気で嬉しさに満ち溢れていた笑顔から一転、まるで能面を思わせる氷のような冷笑。
そして、一体それは誰なんだと、まるで最初から鳴宮 千茅という人物のことなど知らないと言わんばかりの言葉。
本当に誰に対しても優しく、その笑顔と可愛らしさでいいようのない幸福感を与えてくれる天使のような存在の涼羽が、こんなにも怜悧冷徹で容赦なく他人を拒絶する姿など、涼羽のことを知っている人間ならば一体誰が想像できようか。
話を切り出した明洋ですらも、そんな涼羽の変わり様に思わず背筋に冷水をかけられたかのような、ぞくりとした感覚を覚えてしまうのだが…
しかし、そんな涼羽を見たくないし、そんな風に他人を拒絶して欲しくないと言う思いから、どうにか涼羽から目を逸らすことをせずに、真っ直ぐに涼羽の目を見つめながら、さらに話を進めていこうとする。
「だ…誰って、涼羽君にずっと声をかけてたあの女社長さんだよ…」
「そんな人…知りませんよ?」
「君のことをとにかく気に入ってた、あの女社長さんだよ…」
「もう…どうしたんですか?明洋さん…いきなりそんな、わけの分からない話なんて…」
目がまるで笑っていない涼羽の冷笑に、心底肝を冷やされながらも、話を続けようとする明洋。
その理由が、事あるごとに自分のことを侮蔑していたから、ということには、そこまでこんな自分のことを思ってくれる涼羽には感謝の念しかないと思っているし、本当に嬉しく思う。
だが、そのおかげで涼羽がこんなにも怜悧冷徹になるようなことは、決して望んでいないし、望みたくもないと、明洋は思っている。
高宮 涼羽という子は、こんな自分などよりもずっと誰かを幸せにすることができる子だと、明洋は思っている。
その涼羽に、いくら涼羽にとって嫌悪の対象となっているとはいえ、かつて自分がずっと味わい続けてきた思いを、人にさせて欲しくないと、明洋は思う。
「涼羽君…僕、君にそんな風に…人を拒絶してほしくないって…思ってる…」
「……明洋さん?」
「今の涼羽君は…あの女社長さんに…かつて僕が味わってきた思いを…おんなじように味わわせちゃってる…」
「!………」
「僕…うまくは言えないんだけど…涼羽君がそんな風に…かつて僕を蔑んできた人達と…かつて僕を拒絶してきた人達と…してる姿なんて…見たくない…」
「………」
「涼羽君…あの女社長さんが僕のこと、さんざんなじってきたからそこまで怒ってくれてるのは、ほんとに嬉しい…僕のこと、そこまで心配してくれて…ほんとにありがとう…」
「………」
「でも…僕は大丈夫だから…僕がそんな風に言われることよりも…涼羽君が僕が味わってきたような思いを…人にさせることの方が…僕は嫌だから…」
ぎこちなくも、本当に純粋にまっすぐに、自分を蔑んできた千茅のこと…
そして何よりも、涼羽のことを思って、その言葉を紡いでいく明洋。
明洋から見ると、今の涼羽は本当はそんなことしたくないのに、どうしても自分の感情が抑えられなくて、やってしまっているような…
その能面のような冷笑からは分からないが、そんな無理をしてしまっているように見えてしまう。
自分が彼女のことを袖にすればするほど、彼女の悪感情の矛先が、明洋に向いてしまう。
彼女の悪感情が明洋に向けば向くほど、自分の悪感情が抑えられなくなってしまう。
今の涼羽は、まさにそんな状態となってしまっている。
人との関わりが苦手であるはずなのに、なぜか明洋は、人のそんな苦しいところを察してしまう。
むしろ、自分がずっと人からの悪感情を向けられ続けてきたから。
自分が、ずっとそのことで苦しい思いをし続けてきたから。
だからこそ、明洋は涼羽にそんな思いをしてほしくない。
そして、千茅にも、そんな苦しい思いをしてほしくない。
千茅があのような、自分主義で傲慢な、歪んだ性格になってしまったのも、何か理由があるはずだから。
家庭環境、もしくはその他の自分がいた環境が本当に悪くて、そうなってしまったのかも知れないから。
誰よりも卑屈で、誰よりも苦しい思いをしてきた明洋だからこそ、そんな風に考えてしまう。
ただ表面上の振る舞いだけで、その人の全てを判断しようと思わず、どんなに悪い面ばかり見えてきたとしても、それは何か理由があるのではないか、と考えてしまう。
以前は明洋も、本当にその苦しさのあまり周囲の人間を責めてばかりいた。
でも、涼羽に巡り会えたことで、本当にいい意味で変わることができた。
そして、今もこうしてどんどんいい方向に変わっていくことが、できている。
涼羽はこんな自分のことを、生涯の恩人として慕ってくれるが、自分はそれ以上に、涼羽は神様がこの世に、自分が良き方向に変わるための使いとして巡り会わせてくれた、まさに生涯の恩人だと思っている。
だからこそ、今度は自分が、涼羽をいい方向へと導く番だと。
涼羽を自分が思ういい方向へと導くことで、千茅も絶対にいい方向に変われるはずだと、明洋は確信めいた思いを抱いている。
だからこそ、明洋は嘘偽りのない、純粋でまっすぐなその思いを、涼羽にぶつけていく。
この天使のような少年に、かつて自分が抱いていたような醜い思いを、抱かせたくないから。
「……どうして、ですか?」
「?え?…」
「……どうして、そんなにも優しくなれるんですか?」
「?涼羽君?…」
「……あんなにも、明洋さんのことをなじって…あんなにも、明洋さんのことをいわれのないことで侮辱してきた…あんなひどい人のことを…心配することができるんですか?」
「…涼羽君…」
「……僕、どうしても生理的にあの人のことが受け入れられなくて…出会ってお話してから…すぐに嫌いになっちゃって…」
「…うん…」
「……しかも、僕に嫌われてイライラするんなら…僕の方に言えばいいのに…わざわざ僕の目の届かないところで、そのイライラを明洋さんにぶつけるなんて…」
「…うん…」
「……本当に、最低の人だ、なんて思っちゃったんです…」
「…うん…」
「……でも…僕が無視をするようにし始めた時のあの人の顔を…ものすごく傷ついてたあの顔を見て…僕…本当にひどいことをしちゃったって…思って…」
「…うん…」
「……でも…あの人は明洋さんにひどいことをする、本当に悪い人だって思って…でも…やっぱりあの人にひどいことしちゃったって思って…でも…それであの人のことを許しちゃうと…あの人にあんなにもひどいことされた明洋さんがかわいそうって思って…」
「…うん…」
「……ずっと、僕の中でそんな思いと思いがぶつかりあって…ずっと苦しくて…でもどうすることもできなくて…」
明洋のそのまっすぐで純粋な思いの丈を伝えられた涼羽の口から、ぽろぽろとその胸に抱えていた思いが零れ落ちてくる。
人を悪く思うことが本当にできないはずの涼羽が、ここまで人を悪く思って、しかも人にここまでひどいことをしてしまっていた、ということに、他でもない涼羽自身、自覚はあった。
しかし、自覚があっただけに、それが余計に自分が悪いことをしているという、人にひどいことをしているという罪悪感が日に日に大きくなっていっていた。
でも、それで千茅を許してしまっては、自分にとってはかけがえのない恩人である明洋に申し訳が立たない、という思いが強く出てしまい、その相反する感情と感情がぶつかりあって、自分ではどうすることもできない状態にまで陥っていた。
悪いことをしてしまった幼子が、懸命に大好きな親に嘘をつきたくなくて、本当のことを話そうとしているような、そんな涼羽の姿に、明洋は心底、安堵感を覚える。
同時に、そんな姿がまた可愛らしくて、愛おしくて、傷ついた表情で自分の心の中を吐き出していく涼羽の頭を、包み込むように優しくなで始める。
「……涼羽君…ほんとに君は…優しい子なんだね……」
「……でも…僕…あの人に、あんなひどいことを……」
「……そこまで苦しい思いになってたのは…涼羽君が…本当に本当に優しい子だから……」
「…明洋さん…」
「…でも…涼羽君…僕は…涼羽君にあの人と仲良くなって欲しいって…思ってるから…」
「!………」
「…よくは分からないけど…そうなったら、あの女社長さんも…何より…涼羽君自身が…幸せになれる…そんな気がするから…」
「!明洋さん…」
「…僕のこと、そんなにも思ってくれて、本当にありがとう…でも僕は…気にしてないから…だから…もうあの人のことを、許してあげてほしい…僕はそう思ってるから」
「明洋さん…」
「ね?こんなにも優しい涼羽君なんだから…できるよね?…僕がそれを本当に望んでるから…してくれる…よね?」
いつもなら、頭をなでられることが照れくさくてついついツンツンとした態度になってしまう涼羽だが、今はただただ、明洋にされるがままになっている。
そして、明洋がくれる言葉一つ一つが、本当に水が乾いた砂に染み渡るかのように涼羽の心に染み渡っていく。
そして、本当に穏やかな表情で、涼羽に対して、千茅と仲良くして欲しいと願う明洋の言葉も、その心に染み渡っていく。
「……はい!明洋さんが望んでくれるなら、僕…あの人と仲良くしてみます!」
まるで罪人がその罪を許されたかのような、晴れ晴れとした表情で、涼羽は千茅ともう一度向き合ってみようと、そして、できれば仲良くしてみようと誓う。
それを一番望んでくれている明洋に、その思いを言葉にして、感情と感情のぶつかり合いで煮え切らない堂々巡りの状態になっていた心を、吹っ切るのであった。
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