お兄ちゃんがお母さんで、妹が甘えん坊なお話

ただのものかき

男の強さはね…

「あ……や……」

昼休みの校舎裏。
食事時であるにも関わらず…
その目立たない場所で対峙している二人。

しかし、片方は今にも襲いかかろうとしている理不尽な暴力への恐怖に怯え…
もう片方は、今にもそんな相手に容赦なく襲い掛かろうとしている。

「いつ見ても、ぞっとするよな」
「ホントだぜ、全く…」
「ああなった志郎君、マジでえげつないからな」
「いくら目の上のたんこぶみたいな存在だからって、女子相手にそこまでやろうとするのが、ヤバいわ」

そんな二人のやりとりを、いかにも観客という立場を守るかのように…
それでいて、怖いもの見たさな表情を浮かべながら見ている四人。

今まさに、その力の標的にされようとしている愛理。
その愛理を標的とし、じりじりと、まさに獲物を狙う肉食獣のごとく迫る志郎。

その志郎の取り巻きとして、普段から行動を共にしている四人の不良達。

だが、誰にとっても恐怖の対象となるであろう志郎に対して…
この四人が友達という意識など皆無であり…
あくまで、その練り上げられた志郎の強さを利用しようとしているだけの彼らである。

実際、現在も校外で喧嘩に明け暮れている志郎に…
まるで、自分達が彼の一派であるかのようなふるまいで…
その強さに、あやかろうとしているのだ。

志郎本人は、別に彼らがどういう目的で自分につきまとうか、などはどうでもいいのだが。

別に、特に自分の邪魔でさえなければ、それでいい、というスタンスである。

とはいえ、そんじょそこらの不良では十人束になっても一瞬で蹴散らしてしまうほどの強さを持つ志郎の琴線に触れないようにする必要はあり…
その辺はこの四人組も相当に気を使っているところではある。

実際、この四人も腕っ節にはかなりの自信があるのだが…
一度、志郎に四人がかりで喧嘩を吹っかけ…
あげく、四人まとめて一瞬で蹴散らされた、という過去がある。

それ以来、志郎に対してまるで舎弟として付きまとうようになり…
志郎の強さを逆に利用してやろう、などという…
非常に矮小な、小物的発想になってしまうという…
腕っ節で勝負の不良としてはあるまじき行為に及んだのだ。

「ホント、志郎君のおかげで、俺らもいい思いさせてもらってるもんな」
「俺らじゃ絶対に勝てねえってゆー相手でも、あっさり勝っちまうもんな」
「志郎君の舎弟って体なだけで、俺らまで畏怖の目で見られるもんな」
「ホントにいい気分だからな、あれ」

ちなみに、志郎は彼らのそんな目論見を見抜いている。
見抜いている上で、勝手にさせているのだ。

だからこそ、会話も声を掛けられたときに応える程度のものしかせず…
自分からは、決して絡むこともないのだが。

「こ…来ないで…」

スカートが汚れるのも気にせず、ひたすらに尻餅をついたままの状態で後ずさる愛理。
しかし、恐怖に負け、腰が抜けている状態では、逃げられるはずもなく…
もう、その恐怖の対象は、すぐ目の前まで来ていた。

「…さあ、証明してみせろよ」
「や…」

これまで、数多の敵をねじ伏せてきた、その拳。
もはや凶器とも言えるその拳が、一人の女子生徒である愛理に向けられている。

自分が最も忌み嫌う、ルールというもの。
それに、存在意義を見出しているやつなど、志郎にとっては敵も同然。

たとえそれが、女性であろうとも。



「てめえのいうルールってもんが、自分の身を護ってくれるってことをよ」



能面のような表情。
氷のような瞳。

まるで、愛理を内からも外からも射抜かんとするその視線。

そんな視線を向けたまま、志郎の拳がついに牙を剥こうとしている。



「(ど…どうして?私、間違ってたの?…)」



絶体絶命の状況。
しかし、己を護ってくれるものなど何もなく…
自分が遵守すべきルールも、今この状況においてはその効力を発揮しない。



「(お…お願い…誰か…誰か…助けて!!)」



もはや後ずさることもできなくなり…
祈るように誰かにすがることしかできなくなった愛理。

他人にひたすらルール遵守を訴えかけ続け…
自らのことは自らで取り組んできた彼女。

その彼女が、初めて人にすがろうとしている。



「…ルールを絶対とするってんなら…お前は俺の敵だ!」



観念したかのようにその場から動かなくなった愛理に、容赦なくその拳が牙を剥く。
傍から見れば、一瞬煌いたかのような速さで、ついに愛理に襲い掛かる。



――――瞬間、その場に響き渡る強烈な打撃音――――



「(っ!……って、あれ?痛く、ない?…)」

ついにふるわれたその凶器。
それが、ついに自分を攻撃してきた。

だが、自分には何の衝撃もなく、痛みもない。

恐る恐る目を開けると、自分を護るように立ち塞がっている影。
今まさに殴られた、と言わんばかりにのけぞってはいるものの…
それでも、しっかりと地に根っこを生やしたかのように愛理の前を覆うように立ち塞がっている。

「…なんのつもりだ、てめえ」

志郎の強烈な右拳を受けたのは、今話題の人となっている、高宮 涼羽だった。

その露わになっている左頬に、その拳をもろに受けることとなり…
その殴られた箇所は腫れ上がり、大きな痣ができてしまっていた。

「!た、高宮君!?」

自分を護る小柄で華奢な後姿。
その艶やかで美しい、背中を覆う黒髪。

今日の朝、まさに自分が毛嫌いし、誹謗中傷までしてしまった彼。

そんな彼が身を挺して自分を護ってくれたことに、もはや驚きの声しか出てこない愛理だった。

「…いたた…」

さすがに強烈なほどの拳であったがゆえに…
火の出るような痛みに顔をしかめながらも…
それでも、その両の足で地を踏みしめ…
依然として、愛理の前に立ち、決してそこから動こうとはしなかった。

「あいつ…誰かと思えば…」
「昨日から噂になってる、オカマヤローじゃねえのか?」
「なんのつもりなんだ、あいつ」
「あんな可愛げのかけらもねえ女なんかかばいやがって」

観客として一部始終の光景を見ていた四人の、それぞれの声。
涼羽のことは、かなり話題になっていたこともあり、一応は知っている様子。

だが、愛理と同じように嫌悪の対象として、認識しているようだ。

「バカじゃねえのか、あいつ」
「自分から、痛い目に遭いにいくなんてよ」
「オカマヤローは、頭もおかしいんじゃねえのか?」
「ちげえねえ」

下卑た笑い声が、その場に小さく響く。
小柄で華奢な体格の涼羽に、まるで強い印象など持たず…
身を挺して愛理を護った行為すら、バカの一言で切り捨ててしまう。

「…………」

そんな中、志郎だけが、違う印象を持っていた。

「(こいつ…俺の拳をまともに食らって、平然と立ってやがる…それどころか、その場に身体を残してやがる)」

見る目のない四人には気づかないことだったが、攻撃した本人である志郎は気づいた。

あの大柄な四人ですら、この拳の衝撃に耐え切れず…
一撃で大きく吹っ飛ばされ、意識まで奪われたのだ。

それが、今目の前にいる人物は…
ダメージこそは受けているものの…
吹き飛ばされるどころか、その場から動かずに、しかも普通に立っている。

「…なんで、こんなことするの?」

そんな涼羽からの、悲しげな声。
争いを好まず、非常におっとりとした涼羽なだけに、こういった暴力沙汰は非常に嫌いなのだろう。

「あ?」

そんな涼羽の声に、能面のような表情を保ったまま…
威嚇するような声で応える志郎。

「…小宮さんは、女の子だよ?女の子に、こんなひどいことするなんて…」
「…るせえな。そいつがルールが絶対、みたいなことぬかすからだよ」
「学校にいる以上は、守らなきゃならないルールはあるよ。それを破ったら…」
「…そうか。てめえもそいつと同じことをいうんだな」

愛理のような強制を促す声ではないが…
ルールは大事だと言う涼羽に対し…
ここまで無表情だった志郎の目が吊り上る。

「!!」

恐ろしいほどの手の速さで、涼羽に掴みかかろうとする志郎。
しかし、間一髪で、涼羽の手が志郎の手を掴む。

「フン…反応はいいじゃねえか。だがな、力で俺に…」
「…ん…っ!…」
「!…な!…」

日頃からの鍛錬で…
喧嘩と言う名の実戦で…
ひたすらにその筋力、身体能力を鍛え上げている志郎の肉体。

その肉体が持つ力に、なんと同じ力で抵抗する涼羽。

自分よりも頭一つ以上は低く…
どう見ても女子にしか見えないほどに華奢で儚げな身体つき…

一体、その身体のどこに、これほどの力があるのかと、志郎は驚きの表情を隠せなくなってしまう。

「お…おい。あのオカマヤロー…」
「志郎君、あの様子見ると、マジでねじ伏せにいってるよな?」
「てことは、何か?」
「あのオカマチビ、志郎君に力で張り合ってるってのか?」

この異常事態に、さすがに取り巻きの四人も、ざわめきが出始める。
志郎の力は、一度やりあっただけによく知っているこの四人。

自分達ですらなす術もなくねじ伏せられた志郎の力に…
まさか、あんな女の子みたいな華奢で小柄な涼羽が真っ向から対抗できていることに…
もはや驚きを隠すことなど、できなかった。

「ぐ…て、てめえ…」
「ぐぐ…ぼ、暴力はやめて…」
「!う…るせえ!!」

もはやその氷のような冷静さも失い…
ひたすらに熱くなって、より力を込める志郎。



――――目の前にいる、己の敵をねじ伏せるために――――



しかし、全身全霊の力を込めてねじ伏せにかかっている志郎に…
決して力負けせずに抵抗し続ける涼羽。

「く…そっ!!」

どこまでも力勝負で粘り続ける涼羽についに根負けしたのか…
自ら、その組みついていた手を、放り出すかのように離す志郎。

「はあ…はあ…」
「ふう…」

完全にがっぷり四つで、ひたすらお互いに力で押し合っていたため…
志郎からも、涼羽からも、酸素を欲しがる呼吸の声が聞こえる。

「…うそ…」

後ろで二人の力勝負を見ていた愛理は、想像もできないほどの涼羽の力強さに…
ただ、地べたに座り込んだまま、驚くことしかできないでいる。

「ク、ソッタレがあああ!!」

どんなに喧嘩していても、絶対零度とまで言えるほどに感情をゼロにしていた志郎。
どんな相手だろうと、ただ淡々と、目の前の相手を叩き潰していただけの志郎。

その志郎から、その激情を露わにする咆哮。

そのあまりの強さに、まともにやりあえる相手がいなかった。
そのため、志郎にとって喧嘩は常に一方的にねじ伏せるだけの…
ただの作業だったのだ。

ところが、今目の前にいる相手は…

全力の拳で殴りつけても、意識を失うどころか倒れもせず…
無理やり掴みかかって力ずくでねじ伏せようとすれば、その容姿からは想像もつかないほどの力で抵抗し…

どんなに力でねじ伏せようとしても、同じ力で抗おうとする。

ルールというものが、自分にとって何の意味もない。
ただそれだけを証明したくて、ひたすらに力で生きてきたその半生。

その力で対抗できる相手が、今まさに目の前に現れてしまった。

力で対抗されるなど、志郎にとっては生き恥を晒すも同然。
力で対抗されるなど、自分がルールをねじ伏せることなどできないと、突きつけられたも同然。

この事実だけは、絶対に許せない。
絶対に、あってはならない。

「てめえだけは、ぜってえにねじ伏せてやらああ!!!!」

その激情をむき出しにした志郎が、涼羽に襲い掛かる。
数多の相手を一撃でねじ伏せてきた、その右拳による一撃。

それが、涼羽に襲い掛かる。

まさに、その細い首根っこをへし折ろうとする勢いで。

「!や、めろおおお!!!!」

そんな志郎の攻撃に、涼羽の身体が本能で抗おうとする。

恐ろしい速さ…
凄まじい勢い…
何より、その強情なまでの信念が込められたその拳…
そんな、容赦なく自分を狙ってくるその拳から逃げるどころか、真っ向から向かっていく涼羽。

その涼羽の右腕が、志郎の拳をすり抜け…



まるで、稲妻が落ちてきたかのような轟音が、その場に響く。



「!!た、高宮君!!」
「うわ!!」
「な、なんだ!?」
「ど、どうなったんだ!?」
「し、志郎君!?」

あまりの轟音に、一瞬目を背けてしまっていた愛理と、取り巻きの四人組。
そして、すぐにその轟音がした方に、視線を戻す。

そこに見えたのは――――



その大きく伸びた身体を地面に横たわらせ…
完全に意識を失っている志郎。

そして、その右拳を突き出したままの状態で…
じっと固まっている涼羽。

その二人の姿だった。

「!ウ、ウソだろ!?」
「し、志郎君が、負けた!?」
「か、完全にのびてんじゃねえか、あれ!?」
「あ、あのチビ…マジか!?」

志郎の強さをその身で知っている彼らからすれば…
この光景は信じられないものだろう。

彼らにとっては、鬼神のごとき強さを誇る志郎が、一撃で倒されたのだ。
それも、見た目は完全に美少女にしか見えない、この高宮 涼羽に。

しかも、あの光が煌いているだけのようにしか見えないほどに速い志郎の拳。
しかも、全力で振りぬいたあの拳に…

まさか、完璧なほどの右の交差交法(ライトクロスカウンター)。

それも、体格の不利をものともしないそのクソ度胸で。

到底、信じられるものではない。

だからこそ、今度はその涼羽に恐ろしさを感じてしまう。

「や、やべ!!」
「早くズラからねえと!!」
「お、俺らは関係ねえからな!!」
「し、知らねえからな!!」

もはやこの場にいることすら耐えられなかったのか…
蜘蛛の子を散らしたかのように逃げ出してしまう、志郎の取り巻き達。

いくら志郎も知っていたとはいえ…
あまりといえばあまりな、彼らの行動。

そんな薄情な彼らの行動に、志郎を見る涼羽の顔に、悲しげな表情が浮かんでしまう。

「…っ…う…」

完全に意識を飛ばされ、ピクリとも動かなかった志郎の身体が、動き始める。
さすがに並大抵の鍛え方ではないその肉体。
回復力も、相当なものがあるようだ。

「大丈夫?」
「!」

そうして上半身を起こした志郎のそばに、涼羽が寄ってくる。
その表情からは、心底自分が傷つけてしまった相手を心配していることが、伺える。

「自分で殴っておいていうのもなんだけど…ごめんね?」
「…ちっ!…」

そして、本当に申し訳なさそうに頭を下げる涼羽に、志郎は舌打ちしか出なかった。

「…てめえ…なんであんなマネ、しやがった?」
「?あんなマネ?」
「なんでわざわざ、そこのみんなから疎まれてるような女、身体張ってまでかばったんだ、って聞いてんだよ」

そんな志郎の言葉を聞いた途端、愛理の身体がびくり、と震える。

確かに、自分は周囲から敬遠されている。
確かに、自分は周囲から疎まれている。

事実、今日だって、そこにいる高宮 涼羽に対して、これでもかというくらいに、ひどいことを言ってしまった。

そんな、妙な寂しさと心苦しさをいっぺんに引きずり出すような志郎の言葉。

だが、そんな志郎の言葉に、涼羽は――――



「…男の強さって、女の子を、周囲を傷つけるためのものじゃないよ」
「え?…」
「男の強さってね――――」



「――――女の子を…自分の大切な人を…護るために、あるんだよ」



まるで、小さな子供をたしなめるかのような口調。
それでいて、あまりにも慈愛に満ちた表情。

「…………そうか……」

だから、こいつはこんなにも強いのか。

そんな想いが、志郎の胸中を駆け巡る。

ルールとかなんだとか、そんなもの、こいつにはまるで関係ないんだ。

こいつは、自分の目に映る人をその慈愛で笑顔にし…
時には、その強さを持って、その目に映る人を護ってるんだ。

そう思うと、自分がどれほど矮小で癇癪を起こした子供のような存在だったのか…
自分がどれほど、その力で周りの人を傷つけてきたのか…

それが、あまりにも情けなくて、育ての父を失ったあの日以来、初めて――――



「………う………」



その目から、涙がこぼれおちた。

「…ふふ、よしよし」

そんな志郎の頭を包み込むように胸に抱きしめ…
優しく撫で始める涼羽。

「!お、おい?…」
「…ほら、ちゃんと自分のこと反省できてる」
「!!…」
「…さっきまでそこにいた友達は、本当の意味での友達じゃなかったみたいだけど…」
「………」
「…これから、俺達は友達だから」
「!!……」
「だから、今はいっぱい泣いて、スッキリさせちゃお?」

最初こそは、いきなりな涼羽の行為に慌てふためいたものの…
その抱擁がくれる心地よさ…
温かさ…
そして、今まで感じたことのない、母性…

涙が、溢れて止まらない。

悪いことをして…
怒られて…
でも、それでもこうして抱きしめてくれる母親の行為が嬉しくて…
でも、素直になれなくて、こうしてされるがままになってしまう…

そんな、ちょっとした悪ガキと母親の日常の風景。

志郎にはまるで縁のなかったはずのもの。

それが、今こうして現実になっている。

「…………」
「ふふ…」

そんな素直になれない志郎が、なぜだか可愛らしく見えてしまう涼羽。
だから、ついつい頭を撫でたりしてしまう。

涼羽の胸の中に抱きしめられるまま…
志郎は、これまで感じることのなかった母性…
そして、慈愛を…

心ゆくまで、感じ…
しばしの間、それにやすらぎを覚えていた。



――――



「小宮さん、大丈夫だった?」

ひとしきり落ち着いた志郎から一旦離れると、今度は愛理の方に向かう涼羽。
未だ地べたに座り込んだままの彼女に視線を合わせるようにしゃがみこみ…
彼女と正面から視線を合わせる。

「…………」

心底自分を心配してくれているのが分かる、涼羽のその表情。
その表情を見て、ばつが悪そうに、俯く愛理。

「?小宮さん?」

そんな愛理を怪訝に思ったのか、きょとんとした表情で、愛理に声をかける涼羽。

「…んで…」
「え?」
「なんで…私のこと助けたの?」
「え?」
「どうして!?私、あなたにあれほどひどいこと言ったのに!!」
「…小宮さん……」
「ねえ、どうして!!?」

先程の志郎の、胸をえぐるかのような言葉。
そして、今目の前にある涼羽の、左頬。

自分をかばって、こんなにもひどい怪我をして…

あのクラスの誰もが頬を緩め、可愛がっていた…
このあまりにも可愛らしい顔。

それに、下手をすれば傷が残るようなことになってしまった。

目の前の恩人に、あんなひどいことをしてしまった、という罪悪感。
そして、そんな自分を護るために、こんなひどい怪我をさせてしまった、という罪悪感。

そんな罪悪感が、愛理の心を苦しめる。

「…よかった…」
「?え?」
「小宮さんが、無事で」
「!!」

なのに、どうして目の前の人は、自分のことをこんなにも心配して…
無事だったことを、こんなにも喜んで、安心してくれるのか。

たまらない。
心が、壊れてしまいそうになる。

もう、その目から、涙が溢れて止まらなかった。

「ごめんなさい!!」
「!!わっ!!」

そして、もう我慢ができない、といった感じで、目の前の涼羽に抱きついてしまう。
その華奢な胸に顔を埋め…
もうどうしようもないほどに荒れ狂う心が、涼羽の身体を思いっきり抱きしめさせる。

「こ、小宮さん?」
「あんなにもひどいこと言って、ごめんなさい…」
「………」
「私のせいで、あなたの顔にこんなひどい怪我をさせて、ごめんなさい…」

言葉での謝罪なんて、どうとでも言える。
それに、そんなものでは到底足りないくらい。

それほどに、ひどいことをしてしまったと思っている。

それでも、せめてそれだけでも、言いたい。
言わなければ、ならない。

そんな愛理を、涼羽は優しく抱きしめ…
その頭を、優しく撫で始める。

「あ……」
「いいよ、俺は気にしてないから」
「で、でも……」
「俺は男だから、女の子を護ってできた顔の傷なんて、むしろ勲章だよ」
「!………」

ずるい。
ずるすぎる。

なんでこの人は、こんなにも優しいのだろう。
なんでこの人は、こんなにも温かいのだろう。
なんでこの人は、こんな美少女な容姿で、こんなところだけ誰よりも男らしいのだろう。

こんなの…
こんなの…

この人から、離れられなくなっちゃう。

「怖かった…」
「?」
「怖かった…」
「…ふふ、よしよし」
「あ…」
「もう、怖くないからね」

慈愛に満ちた、女神のような微笑を愛理に向けながら…
自分のことをぎゅうっと抱きしめる愛理をとろけるような優しさで包み込み…
とろけるような優しさで頭を撫で続ける涼羽。

「……えへ」

まるで、優しさと温かさの塊のような涼羽。
そんな涼羽に包まれていることが、とても幸せに感じられて…
思わず、普段の凛とした表情が崩れ…



――――まるで、大好きな母親に抱かれて無邪気に笑う子供のような笑顔――――



そんな笑顔が、愛理の涙に濡れた顔に浮かんでくる。

「…あ、あのね…」
「?なあに?」
「…も、もっと…」
「?もっと?」
「…もっと…いっぱい…ぎゅうってして…なでなで…して?…」

普段の愛理なら絶対に言葉にしないようなこと。
何故だか、今は自然とそれが口にできてしまう。

しかし、さすがに恥ずかしいことを言っているという自覚はあるのか…
その頬を朱に染めて…
俯きながらも、視線は涼羽の顔に向けるという…
俗に言う、上目使いを行使して…

おどおどとした、儚げな愛理の懇願。

そんな愛理の懇願に、涼羽が首を横に振るはずもなく…

「…ふふ、いいよ」

まるで華が咲き開かんばかりの満面の笑顔で、肯定の意を伝える。

「!ほんと?…」
「うん、ほんと」
「…ありがとう…えへ」

そんな笑顔で、自分のおねだりを聞いてくれたことが嬉しくて…
涼羽の胸に顔を埋めて…
涼羽の身体を目一杯抱きしめて…

涼羽がくれるその幸福感を、時間の許す限り…
目一杯、堪能する愛理なのであった。

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