お兄ちゃんがお母さんで、妹が甘えん坊なお話

ただのものかき

ルールなんか、何も護ってくれねえんだよ…

「え~!?そんなことがあったの~!?」
「そうそう!」
「もーほんとやな感じでさ~」
「あんなにも優しくしてくれる涼羽ちゃんになんてことを、とか思っちゃった」

愛理が涼羽に対する敵愾心をより膨れ上がらせている同時刻帯。
ここ、涼羽と美鈴のクラスである3-1の教室。

HR前の、愛理の涼羽に対する誹謗中傷とも言えるほどの言い様…
そして、それに3-1の女子達が真正面から衝突したこと…
それらを、美鈴が当人である彼女らに聞いているところなのだ。

その時、美鈴はトイレに行っていて、戻るのがHR前ギリギリになってしまったため…
その出来事を知らなかったのである。

「もう!!こんなにも可愛い涼羽ちゃんになんでそこまで言えるの!?」
「ほんとよ!ほんと!」
「あたし、久しぶりに本気で怒っちゃったもん!」
「あたしも!」

こと、涼羽に関しては非常に結束力の高い女子達。
たった一日で、あれほどに腫れ物扱いだった涼羽が、こうまで扱いが変わってしまうのか…
まさに、『可愛いは、正義』なのだろう。

「涼羽ちゃんかわいそう…こんなに可愛いのに、そんなにいじめられて…」
「あ、あの…美鈴ちゃん…」
「なあに?」
「い、いつも言ってることなんだけど…」
「うん?」
「あまり…女の子が男に気安く抱きつくのって…だめだと思うんだ…」

もはや日常茶飯事と言えるほどに馴染んだ光景。
常日頃から、こうされているにも関わらず…
未だにその儚い抵抗をやめない涼羽。

これでもかというほどにべったりと涼羽の背後から、涼羽の身体に抱きつき…
露わになっているそのすべすべで、柔らかな涼羽の左の頬に頬ずりまでしている美鈴。

すでに公認とまでなっているであろうこのやりとり。

にも関わらず、未だにあきらめる様子のない涼羽。
そんな涼羽に、美鈴は…

「えへへ♪涼羽ちゃんほんとに可愛い~♪」

離れるどころか、もう絶対に離したくない、と言わんばかりに…
逆により強く、よりべったりと抱きついてくる始末。

「!だ、だからそういうのは…」

すでに同年代の女の子に気安く抱きつかれていることに恥じらい…
その顔を羞恥に染めながら、それでも抵抗をやめない涼羽。

しかし、涼羽のそんな行動は、美鈴を含む周囲の女子達の心をより奪ってしまうものとなる。

「も~、涼羽ちゃん可愛すぎだよ~」
「美鈴ったら、暇があったら涼羽ちゃんにべったりだもん。うらやまし~」
「えへへ~♪いいでしょ?」
「美鈴ばっかりずるいよ~。私達も涼羽ちゃんにべったりしたい~」
「だめ~。涼羽ちゃんは、私だけの涼羽ちゃんなんだもん♪」
「ずる~い!」
「ず~る~い~!」
「あ、あの…だからこういうのは…」
「涼羽ちゃん、だあ~い好き♪」

さすがに昨日から話しかけるようになった女子達は、美鈴のようなスキンシップはまだ抵抗があるらしく…
そこまでのことはできないでいる。
だが、日頃から美鈴がこうしてべったりとしているのを見て、非常に羨ましく思ってはいるようだ。

すでに、同年代の異性という意識そのものが希薄になっており…
まるで、可愛いマスコットやぬいぐるみに抱きつきたい感覚になってきている女子達。

「…なんか、高宮のやつ…」
「…ああ、すげえよな…」
「…でも、なんだろうな…」
「…普通に女子達の戯れにしか見えねえ…」

そんな涼羽や女子達のやりとりを見ている男子達。
容姿はどうあれ、同じ男である涼羽に、あそこまで女子がこぞって構いにいく…
しかも、この学校内でトップクラスの美少女といえる柊 美鈴に至っては…
これでもかというくらいに涼羽にべったりとしている始末。

だが、なぜだろう。



――――まるで、羨ましいという感じがしないのは――――



あきらかに涼羽一人に女子の好意が集中しているはずなのに…
同じ男としては、羨ましく思っても仕方ない状況のはずなのに…

そんな思いがまるで出てこないのは、やはり無意識ではあるが…
男子達も、涼羽のことを女子のように捉えてしまっているのかも知れない。

だからこそ、むしろ微笑ましさすら感じてしまっているのかもしれない。

「…高宮…なんか、可愛いよな…」
「!!お、お前…」
「!!待て!!確かにあんな可愛い美少女な見た目だが、あいつは男だぞ!!」
「気をしっかり持て!!確かに可愛すぎるくらいに可愛いが、あいつは男だ!!」
「…なんか…そんなの、どうでもよくなってくるんだよな…」
「!気持ちは分かる!分かるけど…」
「!それは明らかに道を踏み外してしまうフラグだぞ!!」

実際、こんな感じで涼羽に対して危険な視線を向けている男子も、このクラスで出始めている。
そんな危ない道にはまりそうな男子を、周囲がどうにか軌道修正することで、事なきを得ている状態だ。

たった一日で、これまでのイメージは粉々に粉砕され…
その翌日には、道を踏み外してしまいそうな男子まで現れ始める始末…

これまでずっと孤独で、腫れ物扱いだった涼羽が…
今となっては、誰の目をも惹いてしまう…
まるで、アイドルのような存在になりつつある…

そんな、状態だった。



――――



「ん?…」

この日も午前中の授業は全て終わり、時間は昼休みに突入。
昼食を兼ねた、一区切りの憩いを堪能できる時間。

そんな時間帯…
まさに、食事をしようと弁当を取り出した愛理。

ちなみに母子家庭である彼女は、母親に余計な負担をかけたくないという想いから…
自分と母親の昼食の弁当を、自ら志願して担当している。

ゆえに、いま取り出した弁当も、彼女自身の手で作られたものである。

本当は朝昼晩の三食全て引き受けたかったのだが…
母親は母親で、娘に余計な負担をかけたくない、という主張から…
結果、今の形に落ち着いている。

その立場、役割から、どうしても周囲から敬遠されることの多い愛理。
さらには、詳細はここでは知られてないとはいえ、曰くつきの母子家庭。
そういった家庭環境も手伝って、以前の涼羽同様、腫れ物扱いになっているのだ。

ゆえに、一緒に食事をしてくれる存在もおらず…
かといって、自分からそれを望むようなこともできず…
いつも、一人ぽつんと食事をすることとなっている。

そして、そんな彼女がふと窓の外――――ちょうど、校舎の裏に位置するところ――――に目を向けたその時…
彼女にとって、許しがたい光景が目に映ったのだ。

「!あれは…」

その視線の先には、数人の男子生徒達。

風紀委員としては見逃せないほど制服を着崩し…
特に何もない地べたにしゃがみこんでたむろし…
しかも、それぞれがその手に持っていたのは…

「煙草!…」

よその近隣の学校と比べ、クリーンで生徒同士も仲良しなイメージが強いこの学校。
しかし、それでも、こういった…
俗に言う、『不良』と言われる類の生徒は、存在する。

これまでは、風紀委員である愛理の目に止まることがなかったため…
愛理自身、まさかこんな生徒がいるとは、夢にも思わなかった。

「もう!せっかくのお昼休みなのに…」

規律に関して非常に愚直と言えるほど忠実で潔癖な彼女がこれを見過ごすことをできるはずもなく…
せっかく開きかけた弁当箱の蓋を戻し…
そのまま鞄の中にしまうと、即座に立ち上がって…
自身が見てしまった、規律を破る行為が行なわれている場所へと、向かっていった。



――――



「見つけたわよ…!」
「!?」

まさに鬼の風紀委員と言われる所以である、その美人な顔を台無しにする怒りの表情。
そんな表情を浮かべながら、つかつかと迫ってくる愛理に、一瞬肝を掴まれたかのような驚きを見せる男子生徒達。

「あなた達!!ここは学校で…しかもあなた達は未成年でしょ!!」
「うわ…鬼の風紀委員だよ…」
「やべ…めんどっちいのに見つかっちまった…」
「ちょうどいい場所だったはずなのに…なんで見つかっちまったんだ?…」

やはり彼らも鬼の風紀委員のことは知っていたらしく…
愛理が喧々囂々とする中、うんざりとした表情を隠そうともしなかった。

「こんなもの吸って…校則違反よ!!それに、人間としてルール違反だわ!!」

相手が不良であろうとも、決してその主張を曲げず…
決して引く様子すら見せない愛理の口撃。

「ああ?」

そんな愛理の口撃に、ぴくりと眉と目を吊り上げてしまう不良達。
愛理の一方的な物言いに、彼らの琴線に触れるものがあったようだ。

「ったく!だからこんな風にコソコソしたことしかできないんでしょ!!男のくせにこんな…恥ずかしいと思わないの!!??」
「んだとコラァ!!!!」

もはや喧嘩を売っているとしか思えない愛理の暴言。
さすがにここまで言われて、面子にこだわる不良達も黙ってはいられず…
一人を残して下ろしていた腰を上げ、総立ちになって愛理を睨み付ける。

だが、これまでも一人でこういった憎まれ役を実行してきた愛理は、この状況でも怯む様子を見せない。
自分は一人、相手は五人。
そんな状況でも、あくまで自分の主張を曲げない愛理の物言い。

その物言いは、とどまることを知らずに、さらに続いていく。

「ふんだ!!言われて怒るってことは、私の言ってることが正しいってことでしょ!!自分達でその自覚があるのに、直そうとすらしないなんて!!だから、人間としてもルール違反なのよ!!」
「このアマァ!!」
「黙って聞いてりゃ、言いたい放題言いやがって!!」

もはや一触即発の状況。
全員が180cmを超え、筋骨隆々な、典型的な脳筋タイプ。
しかも、直情的で喧嘩っぱやい。

そんな連中相手に、火に油を注ぐような発言を繰り返す愛理。

そんなヒートアップしたところに…
まるでその熱気を一瞬で凍てつかせてしまうかのような…
底冷えした声が、響く。

「…おい、鬼の風紀委員さんよ」
「!?」

その一声に、全員の熱気が奪われる。

我関せず、と言った感じで腰を下ろしていた…
この集まりの中心となるであろう人物。

他の連中と比べても、明らかに雰囲気が違う。



――――まるで、この世の全てをなんとも思っていないかのような、冷え切った眼――――



周囲のものを凍てつかせ、切り裂くかのようなその鋭い瞳。

そんな眼差しを向けられ、さすがの愛理も思わず一歩、後ずさってしまう。

「…な、なによ?」

それでも、強気な喧嘩腰の態度を改めないのが、愛理らしいのだが。

「し、志郎君…」
「志郎君が出なくても、ここは俺らが…」

他の四人は、彼が動いただけでおどおどとした様子に。
他の四人も180cmを超えている立派な体格なのに…
志郎、と呼ばれた彼は、それをさらに上回る身長がある。

おそらく、190cmはゆうにあるであろう、縦に伸びた肉体。

反面、他の四人のように筋骨隆々という感じではなく…
スマートで、細身な印象の身体つき。

だが、実際にはしなやかで、それでいて頑強な筋肉に覆われた、鋼の肉体。

顔立ちはそれなりに整っており…
シャープで端正な造りの輪郭に、すらりと筋の通った鼻。
決して、造詣は悪くないと言える。

だが、その研ぎ澄まされた刃のような、切れ長の瞳。
見られた者を射抜いてしまうかのような、その視線。

それが、相手に畏怖の感情しか出させず…
決して、人を惹きつけないものとなっている。

短めに切り揃えられた、不良というには珍しい、烏の濡れ羽のような漆黒の髪。

それが、彼を一見では不良とは分からなくしているのかも知れない。

そんな彼の名は、鷺宮 志郎(さぎみや しろう)。

実はこの界隈では、最強の不良として名高い…
一度火がつけば、もう誰にも止められない…
最強の暴虎とも呼ばれる男だ。

「…俺は、その女に話してるんだ。邪魔するつもりか?」
「!!ま、まさかそんな…」
「そ、そうだよ!!俺らがそんな、志郎君の邪魔だなんて…」

身長こそ志郎と比べると低いとはいえ…
志郎よりもずっと逞しい体格の連中が、志郎一人に怯えている。

実際、志郎についていれば、自分達も喧嘩で有名になれる。
そんな思いから、志郎についているだけのただの取り巻き。

だから、所詮は見せかけだけの上辺しかない関係。

「フン…」

それを志郎も気づいているからこそ…
そんな取り巻き連中に何の価値も見出していない。

一つ、吐き捨てるような溜息。

もはや興味もなくなった連中から、鬼の風紀委員へと、その視線の向け先を変える。

「…ルールとか何とか言ってっけど、そんなもん、そんなに大事なもんか?」
「!な、何言ってるのよ!大事に決まってるじゃない!」
「…じゃあ聞くが、なんで大事なんだ?」
「!ル、ルールを守ることで、世の中の秩序が守られるし、自分の身を守ることもできるからよ」

研ぎ澄まされた刃のような視線をひたすらに向け続ける志郎に畏怖を感じながらも…
それでも、決して引くことなく、志郎の問いに答え続ける愛理。

そんな愛理の答えに、志郎は不気味に笑う。

「!な、何がおかしいの!?」
「…そうか、ルールを守ることで、自分が守られんのか」
「そ、そうよ」
「…フン…笑わせんなよ」
「!な、何が…」
「…そんなものに守られた覚えなんて、これっぽっちもないぜ。俺は」
「!!」

志郎に、両親はいない。
生まれてすぐに、育児を放棄した両親に、捨てられたのだ。

それがたまたま孤児院の前だったから、運よく助かっただけの話。
そうでなければ、見つけられる頃にはすでにあの世だっただろう。

そして、その時拾ってくれた孤児院の責任者…
その院長を、本当の父親だと思って、暮らしてきたのだ。
志郎の名前は、彼から与えられたものである。

院長自身も、生まれてすぐに捨てられた不憫な志郎を実の子のように可愛がった。

血縁こそなかったものの、まるで本当の親子のような、控えめながらも幸せな生活を送っていた。

だが、それも長くは続かなかった。

志郎がようやく十歳になろうとする頃…
当時、その周辺で非常に多かった『オヤジ狩り』。

志郎の育ての父となる院長が、その被害にあってしまったのだ。

それも、一緒に連れられて歩いていた、志郎も巻き添えにして。

自らの身体を盾に、必死に我が子である志郎を護り抜いた院長。
ひたすら、『お父さん!』と叫び続けることしかできなかった志郎。

院長がその身を挺して、必死に護り続け…
その甲斐あって、志郎には何の怪我もなかった。

だが、その代償として理不尽な暴力をその身に受け続けた院長は…
異変に気づいた周囲の人間の通報で駆けつけた警官が犯人である少年グループを捕まえ…
大急ぎで連絡した救急車が到着する頃には…

非常に多くの殴打を受け、しかもその打ち所が悪かったこともあり…

息を、引き取っていた。

当然、少年グループは殺人の現行犯逮捕に切り替えられ…
少年院へと送られることとなったが…
彼らは、全員が未成年。

上辺だけの謝罪と、上辺だけの誠意。
そして、少年法により、実名含む個人情報も完全に伏せられ…

五年後には、大手を振って出所していた。

志郎は、育ての父である院長の遺産、そして死亡保険金により、質素ながら一人でも暮らしていけるだけの蓄えができた為…
どうにかやりくりし、中学校に入ってからは近所の配達所にどうにか頼み込んで、新聞配達のアルバイトもこなしながら、日々生活していた。

そんな中、出会ってしまったのだ。



――――かつて、父を殺した少年グループに――――



あの日以来、忘れることなどできるはずもなかった顔ぶれ。
それが、今自分の目の前にいる。

でも、あの時の謝罪と、反省の弁を志郎自身が目の前で聞いていたこともあり…
今は、更生して生きている。

そう、思っていた。

だが、現実は非常だった。

彼らの反省、謝罪は全てポーズだったということを、志郎は知ってしまったのだ。

『あんなオッサン一人殺したくれーで、ネンショー送りなんてふざけやがって』
『俺ら未成年だったんだぜ?そのくらい、見逃せっつーの』
『あんなのゲームなんだからよ』

反省も後悔も何もない。
むしろ自分達の方が被害者だと言わんばかりの言動。

しかも、今目の前にその被害者の遺族がいるにも関わらず、まるで気づいた様子もない。

つまり、彼らにとって、遺族などどうでもいい存在だったのだと。

下卑た笑いが、志郎の耳に木霊した時、彼の心は、激しい怒りに焼き尽くされた。

父が死んでから、もうあんなことにならないようにと、ひたすらに己の肉体を鍛え続け…
自己流であり、荒々しくはあるが、格闘術も身に着けていた。

しかし、それを決して自分のために使うことはなかった。

この時までは。

殺意に満ちた拳が、彼らのうちの一人に向いた。
瞬間、その拳を向けられた者は、大きく吹っ飛んだ。

何事か、とその方向に視線を向けた瞬間…
彼らに襲い掛かった、逆らうことを許さない、理不尽な暴力。

それも、五人もいた状態で、たった一人の学生に、一方的にねじ伏せられた。

なぜ自分達がこんな目に遭わなければならないのか。
それを考える余裕すらも与えられない、暴力の嵐。

風神のごとき激しい暴力とは裏腹に、まるで絶対零度を思わせる、能面のような表情。
そして、凍てつくような氷の瞳。

その顔を見た時、彼らはようやく気づく。



――――今自分の目の前にいるのは、かつて自分達が殺した男の遺族だと――――



殺す、ということに何のためらいもないその刃のような瞳。

かつて、自分達が集団で、見知らぬ人を私刑(リンチ)にしていたこと。
それが、まさに己が身に帰ってきている。

それも、たった一人の人物に、五人もいる自分達が一方的に蹂躙されている。

まるで、家族を嬲り殺された遺族の激しい怒りをそのまま表すような烈火のごとき暴力。
それは、一向に収まる様子を見せない。

五人は、感じた。



――――こいつは、本気でこのまま俺達を嬲り殺す気だ――――



と。

現実に、そして間近に迫り来る死への恐怖。
人目のつかない路地裏であったことも、彼らには不運に働いていた。

後は、どうなったのか分からない。
ただ、ひたすら恥も外聞も捨て、ろくに動かない身体を懸命に動かし…
その頭を地にこすり付けて、全員で懇願した。



――――本当に、申し訳ありませんでした。許して、ください――――



己の命がかかった極限状態での、必死の謝罪と懇願。
地にこすり付けた頭を踏み潰されながらも、それでも謝罪と懇願を続け…
意識を失う頃には、その嵐のような激しい暴力はまるで何もなかったかのように、消えていた。

惨めに土下座して許しを請う男達にしらけてその場を去った志郎。
彼がその時思ったこと。



――――ルールなんて、結局誰も助けてなんかくれねえじゃねえか――――



ルールを守ることで、他も自分もうまくいく。
救われる。

そう、育ての父から教えられていた。
だが、現実にはあんなクソみたいな連中を放置し…
さらには、これだけの暴力沙汰に誰も助けにこない…

頼れるのは、己の力のみ。

ねじ伏せられそうになったら、逆にねじ伏せる。

彼は、その時から、ルールというものを切り捨てた。
そして、ひたすらに孤独を選び…
その思春期の多感な時期の日々を、ただひたすら暴力に費やした。

自分に襲い掛かってくるものは、容赦なくねじ伏せる。

気がつけば、彼の名は、下手なヤクザの構成員ですら手を出さないほどの悪名として、有名になっていた。

そんな生き方をしてきた…
そんな生き方しかできなかった…

だからこそ、愛理の言っていることなど、戯言にしか聞こえない。
だからこそ、愛理の言葉に、冷めた笑いが漏れてしまう。

「そ、そんなことは…」
「あるぜ」
「!!」
「ルールなんて、所詮は何も救っちゃくれねえんだよ。そこまでして守る価値なんか、これっぽっちもねえんだよ」
「ふ、ふざけないで!!」
「ふざけてんのはてめえだろ。鬼の風紀委員さんよ」

方や、ルールを遵守することこそが絶対だとしてきた人生。
方や、ルールを切り捨て、己の力のみで生きることこそ絶対としてきた人生。

どこまでも平行線で、交わることのない二人。

そんな二人の言い合いが、丸く収まるはずもなく…

「あなたこそ、ふざけないで!!人は、ルールを守って生きることで…」
「俺にそれを言っても無駄だ。それに…」

その氷の刃とも言える視線をそのままに…
志郎が、その高く伸びた身体をゆっくりと動かし…
そのまま、愛理の方へと近づいていく。

「な、なによ!?」
「俺に何かを語りたかったら、言葉じゃなくて…」

言葉を切って、一息つき…
さらに溜めたものを吐き出すように出される、次の言葉。



「力で、語るんだな」



あのありあまる力の向け先が、今まさに愛理になろうとしている。

言葉は、いらない。
語るなら、力で語れ。

その拳を胸の前で片方ずつ鳴らす志郎。
能面のような表情に、氷のような冷たい瞳。

「!!バ、バカじゃないの…」

恐怖に抗い、無理やり喉から搾り出した言葉が、止まる。

否、止められる。



――――いつ出されたのかも分からないほどに速い、眼前に突きつけられた拳に――――



自分の髪がぶわっと持ち上がる。
感じる、生暖かい風。

それが、この拳の威力、そして恐ろしさを感じさせる。

「俺は本気だぜ?」

表情一つ変えることなく、女子である自分に容赦なく拳を向けてくる志郎に…
愛理は、もはや恐怖を抑えることができなかった。

「あ…」

それまでの強気な姿勢が嘘のように崩れ…
ぺたん、と、地べたに座り込んでしまう。

「教えてやるよ、てめえに…」

どこまでも冷めた、能面のような表情。
その表情のまま、告げられる次の一言。



「ルールなんかで、自分の身を守るなんてことは、できないってことをな」



愛理のこれまでの人生観の全てを否定するその一言。
もはや、その言葉に抗うことすらできない愛理。

どこまでも相容れることの出来ない二人のやりとり。

迫り来る理不尽な暴力への恐怖に、愛理は、どうすることもできなくなっていた。

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