お兄ちゃんがお母さんで、妹が甘えん坊なお話

ただのものかき

は~、風呂っていいな…

「ふう…」

食事を終え、その後片付けも終え…
ようやく、ゆったりとできる静かで穏やかな時間。

温かな湯気が湧き上がる浴室の中。
ほっと一息、という感じの溜息がその空間に漏れ出す。

正方形型の空間に、その空間の約半分の面積の浴槽。
白張りのタイルに覆われた空間。
今流行りの自動設定ありの設備はなく、普通にカランからお湯を溜めていく手動(マニュアル)操作の設備。
カランとシャワーの切り替えができるくらいで、後は特筆すべきものは何もないいたって普通の設備。

その肢体を浴槽に張った湯に沈め、その日の疲れを癒すかのようにつかるのは、この家の長男である、高宮 涼羽。

この日はクラスメイトである柊 美鈴がお客として来ていることもあってか、妙な気疲れが多かった。

その為、いつも以上にこの風呂の中でのひと時が愛おしくなっていた。

「は~…やっぱりこの時間はいいよな…」

本質的には一人が好きな涼羽にとって、この入浴の時間というのは好きなひと時のひとつであった。
普段からべったりと自分に甘えてくる妹、羽月を嫌な顔ひとつせずに相手をしてあげる日々。

もちろん、そんな羽月を疎ましく思うことなどはないが…
やはり一人になる時間が欲しいとは思ってしまう。

だからこそ、この入浴の時間は、涼羽にとっての癒しの時間であり…
自宅で一人になれる数少ないタイミングなのだ。

ちなみに、涼羽が入浴しているタイミングに、羽月が乱入してこようとする、というハプニングが以前にあった。

いかに兄妹とはいえ、かたや高校生、かたや中学生。
もう十分に男女を意識できる年齢になっている。
だから、普段は妹に甘すぎるくらい甘い涼羽も、この時は全力で抵抗。



――――こんなことするなら、もう甘えさせないから――――



という涼羽の一言に、羽月が思わず震え上がり…
泣きながら『ごめんなさい』を連呼するという事態にまでなってしまった。

まだまだ子供と言える年齢ではあるが、それでも女性として成長していっているのは確かな羽月。
だからこそ、いくら兄妹であるとはいえ…
兄が相手であるとはいえ、女性としてそんな気安く異性に肌を晒す、という行為をしてほしくなかったのだ。

そんな、その辺の女性以上に慎み深く貞淑な思考と感覚の涼羽により、羽月の『お兄ちゃんと一緒にお風呂』という希望はつぶされることとなってしまっている。

その涼羽自身は、いつも妹である羽月に服をはだけられ、その華奢な胸を晒され、吸い付かれることになってしまっているのだが。

その辺は、涼羽の『自分は男だから』という強い意識と…
母親の愛情を求める羽月への代償行為として容認している、という部分があるので、特に何も言わないのだが。

「…なんか、ちょっと大きくなった気がする…」

涼羽が自分の胸元に視線を落とし、ぽつりと漏らした言葉。

羽月に母としての愛情を求められ、ほぼ毎日のように吸い付かれるようになったそこ。
心なしか、桜に色づいた部分が、以前よりも大きくなっているような気がするのだ。

涼羽自身、あくまで気のせいレベルのものなので、そこまで深くは考えていないのだが。

しかし、そこが大きくなっているのは実際、確かのもの。
原因としては、間違いなく羽月に吸い付かれていることしかないのだろうが。

もともとが敏感で、ちょっとしたことでも過敏な反応をしてしまうその身体。
特にそこは、その感度が以前よりも増してしまっている。

今では、羽月の唇に包まれてしまうだけで身を捩じらせて甲高い声を上げてしまうほど。

それでも、羽月の幸せそうな顔を目にするだけで、羽月の好きなようにさせてあげたくなってしまう。
そのため、背筋を走り抜けるようなその感覚に妙な快感を覚えながらも、必死に過剰な反応をしないように耐えるようにしている。

その時は、その感覚に耐えることで精一杯で、ほかの事に意識がまわらなくなってしまう。
だから、終わった後もそのことに対する問題意識を保つことができないでいる。

そのため、こうして風呂の時など、その問題を直視するタイミングはあれど、結局は深く考えないで終わらせてしまう、ということになってしまうのだ。

現に今も、すでにそのことから意識が離れてしまっており、じっくりと湯につかって疲れを癒すことに意識がむいてしまっている状態の涼羽だった。

「は~…」

文字通り、一日の疲れを癒す感じで湯船につかる涼羽。
その顔には、幸せそうな表情が浮かんでいる。

本当は客人である美鈴に最初に入ってもらおうとしたのだが…



――――私は後の方がいいから、涼羽ちゃんが先に入って―――――



…という本人の希望と…



――――わたしも美鈴センパイとお話したいことがあるから、先に入ってて。お兄ちゃん――――



…という妹の声により、それならということで涼羽が一番に入ることになったのだ。

「…それにしても、お話したいことって、なんなのかな?」

自分ほどではないが、どちらかといえばそれほど社交的ではない羽月。
特に、異性に対してはそれがより顕著に出る傾向。

同性に対してはそれほどでもないが、それでも自分からお話したい、というのは珍しい。
普段から慣れ親しんでいる人物に対しては積極的に話しかけていくのだが。

そんな妹の珍しい行為に違和感を覚えながらも、自分の身体を芯から温めてくれるお湯につかり…
この一日の疲れを癒し…
この一人の気楽な時間を堪能し続ける涼羽なのであった。



――――



涼羽がそんな感じで風呂という時間を堪能している間。
食事を終えた後のリビングにいるのは二人。

一人は、涼羽の妹である羽月。
一人は、涼羽のクラスメイトである美鈴。

食卓としていたテーブルを間に挟み、お互いがお互いを面と向かい、しっかりと認識している。

ここまで、涼羽を間に挟んでの関わりしかなかったため、こうして二人だけで対峙するのは、実質初めてと言える。

人の目を惹く美少女二人が向かい合わせて見つめ合う、という光景はそれだけで眼福と言えるものはあるのだろう。



――――その二人が和気藹々としているのなら――――



だが、実際には笑顔で和気藹々、といった様子とはかけ離れており…
どちらかと言えば、真面目な表情でお互いがお互いを見合っている。

だからといって、一触即発、といった危険な雰囲気もないのだが。

そして、ここまで保たれていた静寂を破る声が、ここで上がる。

「…ねえ、羽月ちゃん」

先に声をあげたのは、涼羽のクラスメイトである美鈴。
年長者として、年下の人間に極力優しく、という気遣いも含めた柔らかな声。

「…なんですか?」

その声に、少し緊張気味ではあるが、あくまで普通に反応を返す羽月。

どちらかと言えば人見知りである羽月。
いざ、二人きりとなってしまうと、どうしてもこんな固い感じが抜け落ちない。

ましてや、目の前の人物は、自分から最愛の兄を奪ってしまいかねない人物。

それゆえに、固さが抜けないのはなおさらのことなのかもしれない。

「…羽月ちゃんって、いつも涼羽ちゃんにあんな感じで甘えてるの?」

興味津々、といった感じで美鈴が羽月に問う。

この家に入って、初めて見たからだ。



――――あんなにも、慈愛に満ちた優しい表情の涼羽を見たのは――――



そして、そんな表情をさせているのが、目の前にいる、そのクラスメイトの妹。

校内では、『孤高の一匹狼』とされ…
そのとっつきづらさ…
研ぎ澄まされた刃のような鋭い雰囲気…
それにより、ほぼ周囲との関わりを断絶してしまっている、あの涼羽に、あんな表情をさせる存在。

そんな存在に、興味が沸かないわけがない。

そして、あのほのぼのとして、それでいてべったりとした…
まるで、いちゃついているかのようなやりとり。

あんなやりとりを、普段からしているのか。

表情こそ無いに等しい状態だが、内心は溢れかえる好奇心を抑えられない。

そんな状態の、美鈴だった。

「はい!もうお家に帰ったら、真っ先にお兄ちゃんにべったりしちゃいます!」

そして、そのやりとりを思い出しているのか…
先程までの緊張感が見える固い表情が嘘のように、ほがらかな笑顔に変わる羽月。

常日頃、あの蕩けるような愛情を自分に向けてもらって…

それだけでも嬉しくて、幸せでどうしようもない。

そんな羽月の心境が、そのまま今の表情に表われている。

「!……」

そんな落差の激しい変わりようの羽月に、美鈴は思わず押されるような感じになってしまう。

可愛いもの好きの美鈴からすれば、思わず抱きしめたくなるくらいの、可愛らしい表情。

あのやりとりを見ただけでわかる。

目の前の小さな女の子が、どれほどにあの兄に懐いているのか。
目の前の小さな女の子が、どれほどにあの兄のことが好きで好きでたまらないのか。

そして、どれほどあの兄に甘やかしてもらっているのか。

その小さな全身からあふれ出る、兄への愛情。

それが、言葉として羽月の唇から漏れ出す。

「お兄ちゃんにぎゅうってするのも、お兄ちゃんの胸に顔を埋めて甘えるのも、お兄ちゃんになでなでされるのも全部好きです!」
「………」
「お兄ちゃんの優しい顔も、お兄ちゃんの恥ずかしがってる顔も、ぜ~んぶ可愛すぎて大好きです!」
「………」

羨ましい。

自分も一度体験したから分かる。



――――あの甘やかしが、どれほどに心地よくて幸せになれるものかを――――



それを、毎日してもらえるなんて。

「…ずるい」
「え?」

そんな想いが、言葉として漏れ出してしまう。

「…羽月ちゃんばっかり、ずるい」
「み、美鈴センパイ?」
「…私だって、涼羽ちゃんがあんなに優しくて可愛いって知ってたら…」

そう。
学校での、あのイメージが先行していなければ。

誰が、あの誰をも寄せ付けない一匹狼な雰囲気の彼が…



――――あんなにも慈愛に満ちた表情と、優しさを持った人物だと思えるだろうか――――



それも、ちょっとしたことで恥らうほどの恥ずかしがりやで…
笑顔も、恥らう顔も、全てが可愛いだなんて。

自分だって、彼が本当はあんな人物だなんて知ってたら…

「…お兄ちゃんって、学校ではどんな風に過ごしてるんですか?」

そうして悔やんでいる美鈴に、羽月からの問いかけ。

羽月は、涼羽が普段どんな学校での生活を送っているのか、全く知らない。

涼羽自身が、それについて話すことがないからだ。

だから、美鈴がこの家での涼羽を見て、心底驚いていた様子だったのが、羽月には気になっていたのだ。

あの兄のことだから、あからさまに人に優しくすることはないはず。
だからといって、困っている人を放っておくこともしないはず。

だからこそ、知りたい。

兄が、普段学校でどんな生活を送っているのか。
兄が、普段学校で他の人間にどう接しているのか。

それを、知りたい。

だからこそ飛び出た、羽月の言葉。

「…誰も、近寄ってすらこないの」

そんな羽月の問いに、答える声。
静かで、それでいて苦々しい。

「…え?」

そんな美鈴の言葉に、羽月は一瞬何を言われたのか、分からなかった。
だから、間の抜けた声をあげてしまう。

「…涼羽ちゃん、学校だと人を寄せ付けない、そんな雰囲気に満ち溢れてるから」
「………」
「…それに、あの可愛らしい顔も、あの長めの野暮ったい前髪に隠れてる感じで、誰もちゃんと見てもないし…誰も涼羽ちゃんの雰囲気に押されて、敬遠しちゃってる感じなの」
「………」

初めて、知った。

兄が、そんな孤独な学校生活を送っていたなんて。

そんな想いが、羽月の表情にはっきりと表われている。

「…私も、涼羽ちゃんのお弁当のことで話しかけたりしなかったら、今も関わることなんてなかったかも」

美鈴は、料理を趣味としながらも、どうしても上達できない悩みがあり…
それを解消してくれそうな存在が涼羽であった、というのがあったからこそ、この関わりを持てた。

そして、高宮 涼羽という人物が、本当はどういう人物なのか。

それを、知ることができたのだ。

そんな美鈴の言葉を聞いた羽月の表情が、変わる。

「!?」

心底、嬉しそうな表情に。

「え?え?は、羽月ちゃん?」

いきなりそんな表情を見せた羽月の真意が分からず、おたおたしてしまう美鈴。
そんな美鈴のことなど気にも止めず、羽月がその口を開く。

「…えへへ」
「?」
「お兄ちゃんのいいところを知ってるのは、わたしだけでいいんだから」
「!!」

嬉しそうな表情でぽつりと漏れ出る羽月の言葉。

その言葉が、羽月の真意を物語っていた。

つまり、羽月は兄のいいところも独り占めしたいのだと。

その真意に、美鈴は今、気づかされた。

「…ずるいとか、そういう問題じゃないじゃないですか」
「!え?」
「…だって、お兄ちゃんのことを知ろうともしてなかったんだから」
「!」
「…つい最近になって、偶然お兄ちゃんのいいところを知ることができただけ…」
「……」
「ずっとお兄ちゃんのいいところを見てきたのは、わたしだけなんだから」
「………」

悔しい。
悔しいけど、言い返せない。

自分も、他と同じように彼を敬遠し続けてきたのだから。

今でこそ、彼と関わりを持つことができているものの…
結局は、自分にとっての欲しいものを持っているからこそのこと。

もしそれがなかったら、自分は果たして彼に関わろうとしただろうか。

そう考えて、決して関わらなかっただろうと、思ってしまう。

そう思ってしまった自分が、ものすごく利己的で…
ものすごく自分勝手な人間に思えてしまって…

嬉しそうでありながら、まるで自分を見下すかのような表情の羽月と、視線を合わせることすらできなくなってしまっている。

「お兄ちゃんに甘えていいのは、わたしだけ」
「………」
「お兄ちゃんは、わたしだけのお兄ちゃんだから」
「………」
「だから、美鈴センパイなんかに、渡さないから」

呪いをかけるかのように、羽月の口から紡がれる言葉たち。
そんな羽月の言葉に、俯いていた美鈴の顔が、ゆっくりと上がってくる。

「…だめだよ」
「?何がですか?」
「…涼羽ちゃんは、私だけのものにするんだから」
「!!」

決意を固めた表情の美鈴の口から出た言葉。
その言葉に、今度は羽月がその表情を変える。

「…私だって、涼羽ちゃんのことが大好きなんだもん」
「…っ、い、今までお兄ちゃんのことを知ろうともしなかったくせに!」
「…うん、そうだよ」
「だったら、今更…」
「だから、今からい~っぱい知っていくの」
「!!」
「涼羽ちゃんのこと、もっといっぱい知りたい」
「そ、そんなこと…」
「だから、これからは涼羽ちゃんにべったりとしちゃうから」
「だ、だめ!それはわたしだけの…」
「それこそだめ。羽月ちゃんだけ独り占めなんて、させないから」

本人を差し置いての、壮絶な女の争い。
片方は実の妹。
片方はこれまで接点のなかったクラスメイト。

そんな自分の争奪戦が開始されていることなど、まるで知るよしもなく…
当の涼羽はゆったりと、一人だけの風呂を堪能していた。

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