ぼっちの俺、居候の彼女

川島晴斗

act.21/裁きの日

 どうにも落ち着かなかった。
 月曜日の夜からこんなに憂鬱になるなんて、普通は思わないだろう。
 昨日来た依頼は形が出来てたからなんとか終わらせ、俺はリビングに行き、美頭姫が居ないとわかるや否や、彼女の部屋に入った。

 美頭姫は今日も勉強していた。
 姿勢良く、机の上にあるものをじっと見つめて何かを書きながら呟いている。
 ヘッドホンをしているからか、俺の存在に気付かない。
 だから彼女の肩を、トントンと2回叩いた。
 美頭姫は長い黒髪を震わせて俺を見つけ、ヘッドホンを首に掛けた。

「どうしたの? ……あれ、顔暗いね?」
「うるせーよ。母親が余命3日との報が入ったんだ。心がグチャグチャでどうしたらいいかわかんねぇ」
「え? ついに死ぬんだね、お母さん」
「まぁな」

 俺は彼女のベッドに腰掛け、そのまま横に倒れる。
 美頭姫は椅子を回して俺の方を向き、顎にペンを当てた。

「……ねぇ、利明? 揚羽ちゃんに真実を伝えないのは、なんでなの?」
「あん? そんなの、揚羽を悲しませないためと、俺の最後の良心で、母親を1人で逝かせないためだ」
「一人暮らししてる理由は?」
「親父と揚羽が仲良くするため」
「うん。揚羽ちゃんに嫌われるよう努めてるのはなんで?」
「家族の誰かが悪者だと、他の家族はみんな味方だと思えるから。揚羽には親父も母親も好きでいて貰う必要があって――」
「そこまで用意周到に頑張ってるのに、今更くよくよする必要ってあるの?」
「ねぇな」
「だよねー」

 色々と対策を取って、これまで頑張ってきた。
 今更自分を曲げるなんてできないし、母親が死ぬならそれで目標達成。
 それでいいじゃないか。

「……サンキュ、美頭姫。落ち着いたわ」
「慌てた時はじょーきょー整理、だよ? ふふっ、役に立てて良かった♪」
「図に乗るなよ? お前は今、俺の心を10分の7浄化したに過ぎない」
「7割浄化できれば、上等じゃないかな……?」

 小首を傾げて聞いてくるが、俺は半ば照れ隠しで言ってるので、それがバレないよう、胸の前でバッテンを作った。

「全然ダメ、200割浄化しないと俺は満足しないから」
「限界突破し過ぎでしょ……。元気出たんなら、部屋に戻った戻った」

 しっしっと手をふって追い出そうとする。
 彼女の言葉通り、俺は出て行こうとしたが――。

「……あれ? 俺、お前に何か聞くことがあったんだけど、なんだっけ?」
「そんなの、私に言われたって知らないよ」
「……そうなんだけどさぁ〜」

 結構重要だったことの気がする。
 でもなんだったかな……?
 もう結構前に、聞こうと思ってたことなんだが……。

「……ダメだ、思い出せん」
「もう歳なんだね。大丈夫だよ、利明が立てなくなってオムツが必要になっても、私が甲斐甲斐しく面倒見てあげるから」
「そこまでじゃねーんだけどさぁ……」

 胸に一物あるような、気持ち悪い感覚だった。
 絶対に聞かなきゃいけない筈だったんだが……聞こうと思ったのは、もう1週間前になるか?
 さっぱり忘れていた。

「たまにあるよな、忘れちまうことって」
「いいじゃん。忘れられるって、素敵な事だよ? 私だって忘れたい事はいっぱいあるし」
「忘れたい事なら俺にもあるけど、そういう事ほど何回も思い出して忘れらんねぇからな」
「うわぁ……利明の分際でしっかり説明してる」
「殴るぞお前」

 軽口を叩いていても思い出す事はなく、俺は部屋を出た。
 それからはいつもと変わりなく一日が過ぎ去り、夜には床に着くのだった。



 ×



 ――ゾォォォォォオオオオオオオオ!!!

 ガチャン!

 手慣れた動作で俺は布団から手を伸ばし、目覚ましを切った。
 そしていつものように起き上がろうとして、今日も起きれなかった。

「ん、んんっ……」

 また夜に布団の中へ忍び込んだであろう美頭姫が、甘い声で呻いて俺の片腕を抱きしめる。
 パジャマ越しとはいえ、その双丘に腕が突っ込まれてると、男として色々困るが、朝っぱらからやらかすわけにもいかないし、初めてがコイツなのは遺憾だ。
 なので、彼女の手をどかすべく、彼女の左手を掴むが、ちょっとやそっとの力じゃ剥がせそうになかった。
 こんなに強く掴むって事は……。

「お前、起きてんだろ」
「……寝てますよー」

 日本語で返事が返ってきた。
 間違いなく起きてるが、起き上がるつもりはないようだ。寧ろ強く腕を胸に押し付けてきて俺の理性を壊しにかかってくる。

「どうやら俺の野獣を暴走させたいらしいな。いいだろう、少しぐらいなら相手してやる」
「……。……!?」

 寝ている様子だった美頭姫がパッと目を開いた。
 俺は布団の中から彼女の太ももを撫で回しただけだが、布団の中に忍び込むくせに太もも触ったぐらいで驚くなよ。

「おはよう美頭姫。邪魔だからあっち行ってくれ」
「……も、もう少し、触ってもいいよ?」
「じゃあ遠慮なく」
「いたたたたたっ!?」

 太ももをつねると、彼女は顔をしかめて俺の体をバシバシ叩いた。
 やめてというサインだが、俺はやめない。

「体を武器にっていうのは、体しか武器がないお前の手段としては最上かもしれない。でもな、俺はエロい事しないからな。そんな浅はかな策略になんかハマらねーよ」
「とかいいつつも、触る箇所を徐々に制覇してるじゃん」
「…………」
「ひゃん!?」

 ウザかったので、布団の中に手を突っ込み、お腹の下……女の子の部分を触ってやった。
 パジャマ越しなので、私はパジャマを触っただけです、はい。

「と、利明?」
「手を離したなバカめ」
「あ……」

 彼女が俺に怒りの視線を向ける時、既に俺はベッドから抜け出していた。
 まったく、朝から鬱陶しい。

「母親が死にそうで複雑な気持ちなのに、お前なんか相手にしてらんねーよ。メシ作ってくる」
「もうっ……」

 後ろの方で美頭姫がブツブツ呟いてたが、俺はリビングに出るのだった。
 今日もメシを作って、美頭姫が洗濯をして、朝食を食って。

 いつもの朝だ、もう慣れてしまったこの朝に、違和感はない。
 しかし、矢張り俺の胸にあるこの一物は消えなくて、どうも俺らしくない。

 優し過ぎる――そう言われた事が、昔あった。
 母親に対する気持ちの整理がつかないのもそのためだし、恋愛の相手1人を選べなくて、優柔不断だとも言われる。
 今だってそうだ、俺は美頭姫と津月を選べずにいる。
 どっちも好きじゃないというのが正解だが、その結果、2人が喧嘩をしたら、俺はその時どうするのだろう。

 もう、何もできないという訳じゃない。
 昔と今は違うから――。

「って、また嫌な事思い出してるし」
「……?」
「なんでもねーよ」

 俺の独り言に、目の前でメシを食う美頭姫ははてなを浮かべるが、聞かれないよう強気に対応する。
 よくよく考えれば昔と今の状況は割と似ているが、美頭姫も津月も、輝流みたいな特殊な人間じゃない。
 大丈夫だ、問題ない。

 そうだ、あの事件に比べれば、母親のことなんて大したことじゃない。
 どっしりと構えていよう――それが1番なんだから。



 △



 その時は唐突に訪れた。
 いや、何かが起きるのはいつだって突然で、急で、こちらの不意を突いてくるんだ。

「お前らが居るのはわかる」

 俺は自分の机の前に立ち塞がる2人――揚羽と津月を見て指をさす。
 さらに揚羽の隣に立つ女の子にも指をさした。

「でもお前はなんでここに居るんだ」
「アゲハの、ツキソイ、です?」
「そうか。これから修羅場になるの確実だし、帰った方がいいぞ」

 俺は金髪のロシア少女、オリガに助言するも、彼女はふるふると首を横に振り、揚羽の後ろに隠れた。
 やれやれ、モテる男は辛い――なんて、そんな冗談を言う余裕はなさそうだ。

「……単刀直入に言うよ、兄さん」
「おばさんの面会に来て。これで最後なんだよ?」

 見事な連携で言葉を続ける妹と幼馴染。
 これで最後、そんな事は分かっていたし、俺とあの母親は相容れないだろう。
 配偶者である親父はどうするのかわからんが、揚羽はこの様子だと、よく見舞いに行ってそうだった。

「ねぇ……今日、3人で一緒に行こうよ。とっしぃーだって、お母さんの事好きでしょ?」
「嫌いだ。だから行かねぇ」
「――ッ!」

 次の瞬間、津月は俺の胸ぐらを掴んでいた。
 グイッと引き寄せられる俺の体、抵抗する事はなく、怒りに歪んだ津月の顔が視界いっぱいに広がる。

「自分の母親が死ぬんだよ!? 私だって何回もお世話になった! でも、1番お世話になったのは利明でしょ!!? 産んでもらって、一緒にご飯食べて、旅行行ったりして、一緒に暮らした家族じゃん! なんで見舞いにも行かない訳!? 理由、理由を教えてよ!!!」
「……なんでお前がそこまで怒るんだよ」
「怒るよ! 私にとっても、おばさんは家族同然な人だもん!!」

 彼女の怒りの原因を聞き、俺は奥歯を噛み締めた。
 あんな女を家族当然と言う事が、許せなかったから。
 津月はあの女の浮気すら知らないだろう。
 母親が死んだら、真実を話して――。

「兄さん」

 胸ぐらを掴まれたままの俺を、揚羽がゴミを見るような目で呼んでくる。

「なんだよ」
「もしもお母さんが死ぬまでにお見舞いに来なかったら――兄妹の縁を切らせてもらいます」
「…………」

 それは、いつか言われるだろうと思っていた言葉だった。
 揚羽からの信用が完全になくなり、家族から独立した俺は、もはや他人だと言いたいのだろう。
 兄妹の縁を切るとまで言われたんだ、俺って奴はつくづく最低らしい。

「ああ、それで構わねぇ」

 俺は迷う事なくそう口にした。
 本当は1番の家族だと思ってる妹を、俺はスッパリと切り捨てたのだ。
 だって、こうするしかないじゃないか。
 俺に最善なんてものはわかんねぇ。
 それでもみんなが少しでも納得できるよう終わらせるには、自分を殺して、嘘を言い続けるしかないんだ。

「今日から俺とお前は他人だな、揚羽。ははっ、これで結婚できるか?」
「…………」

 揚羽は無言で津月から俺の胸ぐらを奪い取り、俺の頭を机に押さえつけた。
 抵抗するつもりはない、彼女達を傷付けて悪いと思っているから。

「貴方は……本当に、酷い人だよ」

 絞り出すような揚羽の声。
 泣きそうな声だった。
 澱んだ瞳を覗く事は叶わないが、頭を押さえる力は少しずつ弱くなっていく。

「アゲハ……」
「…………」

 ロシア娘が揚羽を呼ぶと、俺の頭から手が離される。
 俺が顔を上げる頃には、揚羽はきびすを返して、1人で廊下の方へと向かっていた。
 俺の机に、いくつかの涙を残して――。

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