わがまま娘はやんごとない!~年下の天才少女と謎を解いてたら、いつの間にか囲われてたんですけど~
二十一話「あやかしの闇を晴らしましょう」上
しばらく後。
太陽は既にその姿を地平線の下に隠れて、空は群青と鼈甲の色で二分されていた。
屋敷で平間たちを出迎えた鈴は、いなくなったと聞いていたはずの壱子が突然訪ねてきたことに驚いていたが、どうも只事では無いということを察したらしい。
何も聞かずに、皿江に取り次ぐと言ってくれた。
鈴が屋敷の中に消えると、壱子は声を潜めて言う。
「まだ年若いのに、鈴は勘が良くて助かるな。それと平間、今日は私の話に違和感を覚えても、なるべく合わせるようにしてくれぬか」
「分かった。君に振り回されるのは慣れたしね」
平間には、壱子が具体的に何をしようとしているのか見当もつかなかったが、それも何時ものことだ。
「ありがとう。それと隕鉄、お主は周囲の様子を見晴って、何かあれば教えてくれ」
「御意に。平間殿、お嬢を頼んだ」
「分かりました」
少し声を震わせて、壱子はチラリと平間に視線を向ける。
この「もしもの時」とは、荒事のことを指しているのだろうか。
どう返事をしたものか平間が迷っていると、鈴が屋敷から出てきて手招きをする。
入れ、ということだろう。
平間は横に目をやると、壱子はどこか顔色が悪く、薄い肩は小刻みに震えていた。
その肩に恐る恐る手を置いて、声が裏返らないように細心の注意を払いつつ平間は口を開く。
「壱子、好きにやってくれ。何が起きても、僕が何とかするからさ」
それは最大限に励まそうと思って掛けた言葉だったが、言葉選びには自信が無かった。
肝心の壱子だって、きょとんと平間を見上げている。
平間は、途端に顔が熱くなるのを感じた。
「あー、ごめん。やっぱり僕なんかが言っても説得力が――」
「いやはや、驚いた。お主がそんなことを言うとは……」
「だよね……忘れてくれ」
「そうではない! ついにお主も気概のあることを言えるようになったではないか! 良いぞ良いぞ、まっこと良い!」
壱子は本当に嬉しそうに顔をほころばせると、自らの肩に置かれた平間の手を取り、強く握った。
突然の行動に平間はまず驚き、次に壱子の手のひやりとした冷たさ、そして同じ人間のものとは思えない柔らかさに戸惑う。
「うふふ、元気百倍じゃ。行くぞ平間!」
ぐんぐん歩を進める壱子に引っ張られる自分にどこか情けなさを感じて、平間は負けじと脚に力を込める。
「やっぱり、許婚って仲がいいんだね」
そうすれ違う鈴が無邪気にからかうが、平間は曖昧に笑うことしか出来なかった。
――
屋敷の奥にある座敷に通された平間と壱子は、先に待っていた皿江に促されるままに薄い座布団へ腰を下ろす。
皿江は相変わらずの仏頂面で、長くたくわえた髭を撫でながら二人を観察するようにじっと見る。
「こんな夕暮れに何の用かな。そもそも、そこの娘御は行方をくらましていたはずでは?」
「それは――」
平間が答えようとすると、壱子が即座に目で制した。
戸惑いつつも押し黙った平間に代わり、壱子は白々しさ満点の社交的な笑みを作る。
「実は、私の戯れで隠れん坊をしていたのですが、上手く隠れすぎてしまいました。それで主様は、私がいなくなったと勘違いしてしまわれたのです」
嘘吐け、いけしゃあしゃあと口から出任せを。
と、平間は思わなくも無かったが、あらかじめ話を合わせるように言われていたのを思い出し、しぶしぶ頷く。
訝しげに視線を送る皿江には、愛想笑いで返した。
誤魔化しが通じたと判断したらしい壱子は、さらに続ける。
「それで、主様は私を探す折、何度も何度も大きな声で私の名前を呼んだものですから、すっかり声が枯れてしまいまったのです。ね、主様」
「え、ええ……ぞうなんでず……」
無理やり低い声を作って、平間は話を合わせる。
皿江の眉間に掘られた皺がさらに深いものになったように思えるのは、気のせいだろうか。
いずれにせよ、壱子の口上は平間への「黙っていろ」という意思表示だろう。
「というわけで、今回は私が主様の口の代わりを勤めさせていただきます。ああ、申し上げることは全て申し付かっていますから、あくまで代役です。それと、以前ぞんざいな口振りでお話しましたが、その後で主様に酷く叱られまして、もとの口調でお話させていただこうかと」
「何でもいいが、早く本題に入ってくれるかな」
ぴしゃりと言い放った皿江に、壱子は表情を少し硬くする。
「これは失礼しました。では、早速――」
壱子は小さく咳払いして佇まいを直すと、その顔からスッと笑顔が消えた。
「皿江様は、私たちと行動を共にしていた沙和という娘を覚えていますか? あの、明るくて騒がしい娘です」
「ああ、覚えているよ。そういえば今日は姿が見えないが、その娘がどうかしたのかな」
「はい。先日、死にました」
壱子のあまりに淡々とした口振りに、平間は胸をざわつかせた。
それは皿江も同じだったようで、先ほどまでの険しい表情をいっそう強くした。
しかし、壱子は何事も無かったかのように続ける。
「沙和の身体を事細かに調べましたが、一切の外傷も、また毒を嗅がされたような痕跡もありませんでした。勿論、ツツガムシに指された痕跡も、です。おそらく数日前に森で一晩過ごしたときに、悪いものに憑かれてしまったのでしょう」
「悪いものに憑かれた」?
壱子は何を言っているんだ。
しかし、悲しげに眼を伏せる壱子は、本心からそう言っているように見える。
平間の戸惑いをよそに、壱子はなおも続ける。
「事実、死に至る直前には獣憑きのように暴れ、もとの人格も消え失せておりました……皿江様は、この話をどう思われますか?」
「ふむ、私は憑き物について詳しくは知らぬが、勝未の森は水の多いところだ。もしかしたら、そういう事もあるのかも知れぬ」
「なるほど……では、沙和が死んだのはヌエビトの呪いであるという可能性は?」
「さあな。もともと私はヌエビトがいるとは考えていない。が、しかし……そうでないとも言えぬ」
「そうですね、分かりました」
壱子は大きく息を吐いて、皿江を真っ直ぐに見つめる。
「それではやはり、あの森には呪いがあるのかも知れません。私たちはツツガムシの撒いた病こそが呪いの正体だと思っていましたが、万全の対策を施していたにもかかわらず、私たちの中から犠牲者が出てしまいました。これを踏まえ、これ以上の調査は危険であると判断し、事の顛末を皇都に報告するために明日にもこの村を去ろうと考えています」
「なんと、帰られるのか。では、今日はその報告に?」
「ええ、お世話になった皿江様にご挨拶を、と」
皇都に帰る?
完全に初耳だったが、平間は皿江の視線を受けると機械的に首を縦に動かした。
しかし同時に、皿江の表情が微かに和らいだことに気付く。
「そういうことだったか。もう少し長く滞在されても良かったのに、満足にお相手できず残念だ」
「とんでも御座いません。主様を含め、私たちは皿江様や村の皆様に大変良くしてもらったと感謝しています。沙和のことは残念でしたが、今は一刻も早く弔ってやりたいと思い、明日にでも発とうかと。そこで皿江様、最後に一つだけお願いがあります」
「ほう、聞こう」
「馬を一頭、お貸し願えませんか。沙和だけでなく身の周りの物を運ぶとなると、人の力だけでは難しいのです」
「引き受けた。痩せ馬ばかりだが、いないよりはずっと良いだろう。あとで村の者に言って、宿舎のほうに連れて行かせる」
「お心遣い、感謝いたします」
快諾した皿江に、壱子は上品に深々と頭を下げる。
合わせて礼をする平間は、傍らで顔を下に向けた壱子がきつく唇を噛んでいるのを見た。
その瞬間、平間は確信した。
壱子は、皿江が沙和の死に関係していると考えているのだ。
何か目的があるとはいえ、友人の敵に頭を下げる憤り。
しかしそれを押し殺してでも、壱子には明らかにしたい何かがあるのだろう。
壱子は顔を上げると、唐突に笑いをこらえ始める。
「ふふ、ふふふ、あはははは!」
「……何がおかしい」
「ああ、これは失礼いたしました。皿江様がずいぶんと嬉しそうなので、おかしくて……ふふ。そんなに私たちがこの村を去るのが嬉しいのですか?」
「どういう意味だ」
「試したのですよ、あなたを。それと――」
その時、壱子の眼にギラリとした光が宿る。
「皿江様、もうすぐ祭りの時期なのですね」
「……どういう意味だ?」
「いえ、立派な山車だと思いまして」
薄い笑みを貼り付けて、壱子が切り込んだ。
この山車とは、作り物のヌエビトのことだろう。
そしてこの問いかけを試金石として、壱子は皿江の反応を引き出そうとしている。
張り詰めた空気の中、沈黙が部屋に立ちこめる。
皿江は沈黙したままで、何も答えない。
その不穏な静寂を切り裂いて、壱子がさらに追撃する。
「知らなかった、なんてことはありませんよね? 事実、皿江様は山車と聞いて何を指しているのか分かっていらっしゃるようですし」
しかし、皿江は尚も答えない。
それを見た壱子は小さく息を吐いて立ち上がり、再び口を開く。
「やはり、猫をかぶるのは性に合いません。本題に入ろう。皿江源次殿、お主は村ぐるみでヌエビトの噂を流し、その一環で行商人の夫婦と沙和、そのほかに複数の人間を殺害した。違うか?」
壱子の言葉に、先ほどから沈黙を貫いていた皿江が、大きく目を見開いた。
しかし皿江はすぐに、薄ら笑いを浮かべる。
「私が殺した? なんのために? 言いがかりも甚だしい」
「全ては村のため、そして国のためじゃろう? いや、根本は己のためか」
「己のためだと……? 解ったようなことを!」
淡々と告げる壱子に対して、皿江の語気が荒くなるのがはっきりと判った。
そんな皿江を一瞥して、壱子は言う。
「隕鉄に頼んで、少し皿江殿の過去を調べさせてもらった。きっかけは七年前、皇紀四十八年の冬じゃ。この年は――」
「私が薬学術院を辞め、この村の長となった年、だろう?」
「そうじゃ。もともとこの村の生まれであったあなたは、幼いころから勉学に精通し神童と呼ばれ、皇都の薬学術院で教鞭を執るまでになった。それなのに、積み上げた地位を捨てて村に戻った。なぜじゃ?」
「言っただろう。大それた理由など無い。村の者らに乞われたからだ」
「では、それを信じるとしよう。理由はどうあれ、あなたは皇都を出て生まれ故郷であるこの村に帰ってきた。まあ、実際にその時の村は、街道の宿場町として栄えたかつての姿はなく、廃村寸前となっていた」
「……」
壱子の声に、皿江は無言で返した。
底冷えするような静けさ。
外で風に揺れる庭木さえ、質量を伴って耳道を駆けるように思える。
その静寂をやぶり、壱子はさらに続ける。
「しかし、こんなことはどうでも良い。問題は皿江殿、あなたが『薬学術院で何をしていたか』じゃ」
「……無論、研究だが」
「そう、研究じゃ。では内容は?」
「……」
「やはり正しかった。あなたが研究していたのは――」
壱子の目が、スッと細くなる。
その瞳の奥には、悲しげな光が宿っていた。
「狂犬病、であろう? そしてこの病によって、あなたは沙和を殺したのじゃ」
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