ダーティ・スー ~物語(せかい)を股にかける敵役~
Task4 秘密の抜け道を通過しろ
この馬車の運転席には、ボンセムとロナ。
荷台には妊婦、で屋根の上には俺が座っている。
(紀絵は路地裏で変装して、別行動だ)
「それじゃあ、準備もできたし出発しようぜ。ボンセム」
「ああ」
他の馬車は残して、俺達の馬車だけが、大通りをゆっくりと進んでいく。
もと来た道へと、引き返す。
門へと向かう道中、ロナが念話で語り掛けてくる。
『相変わらず大胆ですよね。身重の女の人を運びながら、自分で標的を引き受けるなんて』
『奴が坊主の仕事を増やすというのなら、俺を一番に狙ってくれるよう仕向けるのがいいだろう』
『サポートは頑張ります』
『程々でいい。お前さん達の優秀さを知るのは俺だけで充分だ』
この街も、もう少し面白みってもんがありゃあ良かったんだがね。
曖昧な欲望に、持って回った平穏で塗り固めただけだ。
それ以外の何かを俺が見つけていないだけ、という可能性に賭けよう。
冒険者ギルドでくれてやった撒き餌には、果たしてどんな魚が食いついてくれるのかね。
今は、それが楽しみで仕方がない。
さて、門だ。
「先程は世話になったな、門番共」
「ひ!? ……も、もう帰るのか?」
相手の頭より高いところから見下ろすのは気分がいい。
例えばこっちからツバを吐きかけてやるにあたって、何一つ不自由せず相手のツラに当ててやれる。
「ニワトリのタマゴは産みたてが一番うまいにきまっている。今からそれを食いに行くのさ」
「な、何の話だかは知らんが、本当に大丈夫なんだろうなっ!? この領地を滅茶苦茶にされたら、私は始末書どころでは済まされんのだぞ!」
「知ったことかね。始末書をこさえないよう最善を尽くすのがお前さん達の仕事だろう。
さっきここを通った時にも言ったが、俺の標的はここじゃない。ナボ・エスタリクだって、俺にとっちゃオマケでしかない」
「……」
「せいぜい、お前さん達の笑い話が権力争いに利用されないよう、祈っておくがいいさ」
それじゃあ出発だ。
日の沈まないうちに、できるだけ遠くへ逃げる。
目的地は共和国領だ。
ボンセムによれば、他所に逃げちまえばルーセンタール側もナボ・エスタリクに提供できる情報が限られてくる。
とはいえあくまでナボ・エスタリクがルーセンタールに尋問しても意味がなくなるってだけで、追手がいなくなる訳じゃあないところが辛くて泣けてくるね!
―― ―― ――
俺達が召喚された場所を通り過ぎて、二叉の分かれ道に着いた。
右は、下り坂かい。
そこを過ぎると林道、更に遠くには海が見える。
左は崖沿いを暫く進んで、その奥にあるなだらかな山脈を越えていくルートらしい。
「なあ、ボンセム。右に行くとどうなる」
「ルーセンタール帝国領の漁村に辿り着いて、そこで終わりだ。流石に船で密航となると、俺もツテが無いから無理だな。
あそこは入江になってて、周りは急斜面。今はどうだか知らんが、トンネルも無いから馬車で抜け出すのは不可能と考えたほうがいい」
「必然的に、左を通っていくわけですね。ところで、往路もそちらから?」
ボンセムの隣に座るロナが、相槌ついでに質問した。
「途中の抜け道を使う。広大な古い沼があってな? この時期は水が引いてカピカピに乾いてるから、馬車でも通れるようになってるんだ」
てめえより二回りは年下に見える女に話しかけられたのが嬉しいのか、ボンセムの野郎は妙に気合の入った声で答える。
見ていて飽きない奴だね、まったく。
「泥に足を取られなきゃいいが」
俺がつぶやくと、ボンセムはビクリと身じろぎした。
……見ていて飽きない奴だね、まったく!
「えっ、縁起でもないことを言うなよ……」
「秘策はある。安心してくれ」
「大丈夫だろうな……」
「少なくとも、馬車を燃やすなんて真似はしなくて済むぜ」
「頼むぞ」
木々に囲まれた街道は、落ち葉が石畳の隙間を埋めていた。
青々とした苦味のある香りは、その手の趣味の連中にはたまらないだろう。
(もっとも、クマよりおっかない怪物と戦えるなら……の話だが)
途中、道の横で大木が倒れている場所があった。
その近くで馬車は止まった。
「わぁ……すごい大きさですね。神社のご神木みたい」
確かにデカいが、枯れ木だ。
根元からブチ割られて、皮も剥がれて生っ白くて乾燥した中身を満遍なく晒している。
それでいてところどころが苔むしているから、火を付けても燃やせはしないだろう。
巨人が身の丈ほどの斧を振り下ろせば、真っ二つにもできるだろう。
「ジンジャとやらが何かは知らんが……前はな、そいつを男が十人がかりで、縄で持ち上げて通ったんだ」
ボンセムは大木を指差しながら俺を見る。
ははあ、なるほど。
お前さんの考えていることはよく解るぜ。
なにせ男は俺とお前さんしかいない。
「俺にこいつを持ち上げろと言いたいのかい」
「できるだろ? ビヨンドなんだから」
「人使いが荒いのは、相変わらずらしい」
俺は馬車から降りて、大木を叩く。
大体の大きさと重さは知っておかないと。
「人でなしならいくら使おうと自由だろ!」
オーケー、ボンセム。
「ロナ。終わったら馬車を燃やそうぜ」
「いいアイデアですね」
「やめろよ!」
「“人でなしジョーク”って奴さ。ふはは!」
煙の壁を大木の下に敷いて、そこから押し上げて、そして馬車を通らせる。
持ち上げた時に何やら色々と落っこちた。
「何か落っこちたみたいだぜ」
「ん? どうせただの泥だ。捨て置いとけ」
「本当かい」
拾ってみた。
「おえッ、何触ってんですか!」
「骨だ。腐肉が付いている」
「クソッタレ……この抜け道も誰かが……いや、もういいぞ。とにかく、後戻りはできない。この道を使うしかない」
ボンセムの野郎、干し肉を袋から取り出して頬張ってやがる。
大した肝の据わりようだぜ。
よくこんな場所で食えるね。
「木を戻してくれ」
「ああ」
俺も大木をくぐって、馬車に戻る。
それから煙の壁を消して、木を元に戻す。
ズシンと重たい音を立てて、土埃がそこらじゅうを黄土色とも灰色ともつかない色合いにしていく。
「ん゛ぇほッ、えほッ……スーさん!? なんて真似してくれるんですか!」
「手が滑った」
「そんな肩をすくめてアメリカンなジェスチャーしたって無駄ですよ!」
追手にもヒントくらいは必要だろう。
が、形跡は残してもすんなり進める手伝いまでしてやる義理は無い。
程よく手こずって苛立ちながら、俺達がどのようにして難所を乗り越えたのかに想いを馳せるがいいさ。
枯れ葉が積もった道を、ずっと進んでいく。
もう随分と昔に使われなくなった交易路のようで、時折見える石畳はボロボロに朽ちている。
再舗装なんてされるはずもないから、デコボコだ。
それでも剥がさずに塗り固めたままにしておいたのは、地面から余計な連中が湧いて出てこないようにする為だろう。
それくらいの事は、俺にも解る。
気まぐれに、空を眺める。
夕闇の紫色と、西のほうのオレンジ色……雲は逆光で黒死病患者のアザみたいに黒い。
カラスも喧しく騒ぎながら飛び回ってやがる。
俺が吸血鬼なんかのたぐいだったら、これから訪れる不吉なる夜の兆しに、鼓動を止めて久しい胸を躍らせるのだろう。
が、あいにくと俺は似て非なるものだ。
「ロナ。そろそろ荷台の女が腹をすかせていないか見てもらえるかい。サーマルセンサーじゃあそこまでは見えん」
「そんな事もあろうかと、買ってありますよ。ごはん」
「優秀だ」
「なでろ」
「ああ」
移動しながらでも飯を食えるのが、馬車のいいところだろう。
ロナは懐中時計から取り出した通販メニューで、完成品の粥を買っていた。
多少割高になるが、手間を考えれば妥当な価格だ。
ボンセムの奴が興味津々だったが、俺が「ピザの配達みたいなもんだよ」と解説すると途端にどうでも良くなっちまったらしい。
「――あ、あのう……ボンセムさん? 本当にここを通ります?」
デコボコ道の奥のほうで、崩れかけの墓が等間隔に並んでいる。
ちょうど馬車が通れそうな幅ではあるが、信心深い奴でなくともヤバいと感じて引き返すような場所だ。
夕暮れ時の曇り空に黒々とした裸の木々が、いかにもおどろおどろしい絵を作ってやがる。
「なんか、今にもお化けが出てきそうなんですが」
「ここらのアンデッドはとうの昔に、山賊共が片付けちまったよ。聖堂騎士団崩れの奴が何人かいたんだ。今はもう、他所に狩場を移したがな。
誰もいないよ。栄養のあるものも無いから、ここいらの野生動物は小さくて弱いやつばかりだ。
さっきの腕を見ただろ。おおかた一人でここに来て、木をどかせなくて力尽きたんだろう」
「んへぇ……」
さぞかし道中は退屈なんだろう。
そして逆に言えば補給できる食い物も無いから、充分に準備をしておかないと途中で餓死するのがオチってもんだ。
なるほど、クソ野郎が抜け道や隠れ家に使うにはお誂え向きだね。
「焚き火をしなくても、誰も寄ってこない筈だぞ。それこそ、狼もだ」
なんて得意げに抜かしてやがる。
サングラスのサーマルセンサーを付けてみりゃあ……たまげたね。
遠くのほうで、四方八方から音もなく寄ってくる影が見えた。
温度が低いな……形からして、トカゲかね。
にしては、妙にデカいが。
「ボンセム。遠くから何か来やがった。全長が人の頭二つ分ほどもあるトカゲ共だ」
「はァ!? 何だとォ!? よりにもよって“野伏せりトカゲ”かよ……!
こんな所にまで湧いてくるなんて、マジかよ……さっきの死体は、そういう事か……クソ、クソ!」
この取り乱しようと来たら!
こいつは、眠れない夜になりそうだぜ。
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