ダーティ・スー ~物語(せかい)を股にかける敵役~
Extend17 脆い偶像
白い壁に赤い絨毯、綺麗な調度品が立ち並ぶ通路。
けれど、夜なのに燭台には火が灯っていない。
燭台係のメイドがストライキでもしたのかな?
まぁそれはいい。
好都合だ。
追い付いたけれど、まだ姿を表すわけにはいかないからね。
どれ、ちょっと盗み聞きでもしてみるか。
「聖女様、ごめんなさいね……怖かったから、ここまで逃げてきてしまったの」
……どうしてあたしの母親まで、ゆぅいと一緒に?
怖かったから逃げてきた……にしても、もうちょっとマシな場所に逃げられなかったのか。
いや、ゆぅいに贔屓されていた上に、娘役であるあっちのあたしはレジスタンスを裏切っていた。
もしかして、居場所なんて無かったのかも。
まぁ、同情はしないよ。
「だ……大丈夫ですぅ。メヒローさんには、大事な仕事があるですぅ」
大事な仕事、ねぇ。
どうせ人質とかそういうろくでもない内容だろう。
それよりも、今は気配を消して先回りだ。
脱出経路を破壊して回らないと。
忍び足。
あたしの得意分野だ。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
音が響かないように、翼手で丁寧に壁や階段を壊す。
もぎ取って、もぎ取って……。
わぁ。
ブロック遊びみたい。
翼手の特性がそうなのか、それともあたしがあたしに化けているからか。
この程度じゃ姿は元に戻らないようだ。
嬉しいね。
……出しっぱだと事故が怖いから、しまっておこう。
さて、もういいだろう。
偶然を装って合流だ。
「――!? ちひろ!」
クソババァに生前の名前で呼び止められた。
さぁて、うまく繕えるかな?
油断を誘ってからじゃないと、この策は上手くいかないからね。
「ごめんなさいね、ちょっと通して」
などと言って、クソババァは衛兵を押し退ける。
かわいいアバターだから余計に、癇に障るんだよ。
「危険です! 無闇に離れないで下さい!」
「あの子は私の娘なのよ!? 夫が死んだ今、娘だけが家族なの!」
おー、こっわ。
目ぇ血走ってるし。
「……くれぐれも、ご注意を」
衛兵さん、あんたの勘は鋭いね。
そして駆け寄ってくるクソババァ。
あたしは、歪みそうになる口元をフラットにしようと努力した。
そうですとも。
今のあたしは、無邪気にも家族の絆や人類の善性というものを信じている、あの古ヶ崎ちひろの虚像だ。
「お母さん、無事だったんだね! 探したんだよぅ~!」
努めてそれらしく在ろうとせねばならない。
抱きついて、頬ずりをする。
そうして、されるがままに撫でられる。
目を細めて、笑うふりをして。
「ごめんね、ちひろ。でも聖女様もいらっしゃるし、もう大丈夫よ」
「うん!」
おぇッ。
我ながら吐き気のする演技だ。
「追手はどうしましたかぁ?」
訊かれたから、横目で声の主――ゆぅいを盗み見た。
のんびりとした声音とは裏腹に、ゆぅいは俯いていた。
積み重なった心配事に堪えられなくなった時、そういう顔になるのを知っている。
鏡で何度も見た表情だもん。
よく見れば、以前は一緒にいた筈の幹部連中が軒並み姿を消している。
もしかして死んだ?
……まさかね。
「とりあえず倒しましたよ。暫くは時間が稼げると思います」
「そうですかぁ。ありがとうございますぅ」
騙されてくれよ?
流石に崖っぷちだし、疑心暗鬼だろうけど。
「ここからは、あたしも合流します。絶対に、みんなで脱出しないと。お父さん、あいつに殺されちゃったから……」
「そう、ね……」
「偽のロナは、どうなりましたかぁ?」
どいつもこいつも、あたしを偽者呼ばわりしやがって。
当の偽者ちゃんは、ちゃんと偽者だって自覚してたぞ。
……とは言わない。
「瓦礫の下敷きになりましたよ。あれじゃ頭はまるごと潰れたかも」
まぁいいや。
そろそろ、頃合いだろう。
さっき先行して構造を見て回った限りでは、ここがちょうど城の中心だ。
つまり、壁に穴を開けて逃げるにせよ、まずあたしに追い付かれるだろう。
――じゃ、やるか。
メイドや執事姿の親衛隊を何人か引っ掴んで、遠心力に任せて振り回す。
さながら人間砲丸投げだ。
更に翼手で掻っ攫って、壁に叩きつける。
あっという間に、親衛隊は壊滅。
何割かが壁のシミになった。
ははっ、可哀想に!
残るは、ゆぅいとクソババァだけ。
……ちょろかったねぇ。
「ちひろ!? ちひろ、どうして……」
「いつまで縋り付いてやがるのかなぁ、この人は」
「え……?」
「アレは偶像だった。罪悪感に付け入って、都合のいい虚像を投影するだけの人形だった。どうして気付かない? やけに素直すぎると思わなかった?」
変装、解除。
苦い思い出の中にあった、緑色の服は……今はすっかり馴染みのある黒い服に戻った。
きっと両目も、荒んだ眼差しに戻った。
一切の隠し事を捨て去った、ありのままのロナへと戻った。
「嘘……こんな……悪い夢よ!」
クソババァが頭を抱える。
「夢だったら良かったよねぇ? 残念だけど、現実だよ。逃げも隠れもできない、現実なんだよ……母さん!!」
あたしは頭を強く、強く掴んだ。
本当は見たくないけど、目を合わせないと。
「あんたが否定したこのあたしこそが本物なんだ。紛れもない、現実のあたしなんだよ。
謝りたいとか抜かしながら、実の娘から目ぇ逸してんじゃねぇよ!」
あんたの望んだ答えは、きっと違っていただろう。
でも、あたしはあんたの望む答えなんて言わない。
あたしは、あたしだ。
都合のいい虚像なんかじゃない。
許すために生まれた偶像でもない。
「もう、何を信じたらいいのよ……」
しまいには泣き出した。
あたしの伝えたい事は、無視されたままだ。
結局こいつは、自分以外はどうでもいいんだ。
どうしてあたしは、こんな親から生まれてしまったのだろう。
頭の奥底が、急激に醒めていく。
「……あんたをそそのかしたあの女も許せない。あたしを苦しめてきたあらゆるクソ共を殺して、最後にあんたを殺すよ。待っててね」
振り向かず、進む。
だって振り向いたところで、代わり映えしないし。
まったく。
ここまで拗れさせといて、何が聖女だ。
……死ね、死ね、死ね。
売女にションベン引っ掛けられて死ね。
誰もが軽蔑する最期を、おまえにくれてやろう。
そう。
だから。
逃げるな。(コツコツ)
「はぁ……っ、はぁ……――っ!」
逃げるな。(コツコツ)
「ひゅ、は、はふっ……はぐっ……! どうして、ゆぅいがこんな目にぃ……!」
逃げるな。(コツコツ)
逃すな。(ヤァーッ!)
くるりくるりひらひらり。
銀色円盤乱れ打ち。
(あのねあのねー! それはバズソー、丸鋸ってゆーんだよー?)
「ああうっ!」
アキレス腱に500のダメージ!
ゆぅい は 片足を引きずった!
ピィ~!!
素敵!
可哀想なゆぅい!
壁に手をつきヨッコイセ!
足引きずりまして血の轍!
見るに哀れ、或いは滑稽!
ハハハ。
アハハ。
「ほら、必死に逃げ回ってみて下さいよ。どうです? 自殺した筈の雑魚に、何もかも封じられて追い掛け回される気分は」
「はぁ……っ、はぁ……――っ!」
答える余裕すら無いとはね。
嘲笑にして重畳。
ころりころり。
見よ彼奴の転落に。
死を明日の憐憫に。
にやりにやり。
「ひっ……――はぁ、あっ……えっ!?」
得物立ち往生。
しばし長考。
告げるは絶望。
「行き止まりですよ。壁を崩しちゃいましたから」
「……!」
「味方は全滅したんだからさ、サシでやりあうしか無いんだよ……なぁ? ゆぅいさん」
「うぅ~! ゆぅい、戦うの苦手ぇ~!」
振り向いたゆぅいは内股になって、両手で杖を構える。
杖の先端の宝石から、桃色の薄い光の刃が出ていた。
あたしは、思わず舌なめずりをした。
「あははは……ゾクゾクする……ねぇ、ゆぅい。今どんな気持ち?」
あたしの背中にある翼手なら、あの程度の貧弱な光なら、手で折ってしまえる。
覚悟しろ。
けれど、ゆぅいはひどく意地悪な笑みを浮かべた。
「女の子相手にそういう感情を抱くなんてぇ、気色悪いですぅ。ましてや妹相手にぃ」
「あ? 女同士で悪いかよ。正直、あんたはタイプじゃないし、今から殺そうと思ってるくらいには憎いけどさ」
あたしは翼手の拳を振り上げた。
けど、ゆぅいの言葉に違和感があった。
「――あ、いや、ちょっと待って。最後、なんつった?」
ましてや……誰を相手に?
「いつもぉ、ロナさんの個人情報ばかりバラしてぇ~、不公平でしたもんねぇ? だから、ゆぅいもおそろいにしてあげますぅ」
「は……?」
「実は、ゆぅい……ロナちゃんの腹違いの妹なんですぅ」
「……は? 言うに事欠いて、命乞いどころか出鱈目かよ。頭湧いてる?」
今なら頭蓋骨を叩き割っても大丈夫だろう。
だって、あたしには翼手があるのだから。
「って思うでしょ~? ほら」
ゆぅいは、こんな時に備えてすぐ取り出せるようにしたのだろうか。
手渡された二枚の封筒のうち一枚には“Far East Genome Laboratory”つまり極東遺伝子研究所と書かれている。
もう一枚は“匙賀探偵事務所”と。
どっちも、しっかりとした質感のコピー用紙。
……急造品ではない事は、すぐに理解できた。
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