ダーティ・スー ~物語(せかい)を股にかける敵役~
Extend11 柳の下のオフィーリア
――逆流。
その現象は、そのたった一言で説明できた。
お陰で、クソ親父に化けていたあたしは無様にも涙を流しながらうずくまって、一歩も動けなくなってしまった。
既に、目の前で話している奴らの声は、まるで水の中にでもいるかのようにくぐもっていて、ちっとも聞こえない。
あたしの偶像から撒き散らされた、取るに足らない記憶の数々が、再び流れ込んでくる。
寄って集って、あたしを詰るメンバー達。
あたしの失敗を嘲笑う母親。
正論を装った御託を並べて言い逃れをする元カレ。
……大学を中退しなきゃいけない理由を述べて土下座するクソ親父。
……高卒待遇でとある中小企業に入社するも、相次いで訪れるトラブル。
他にも、クソみたいな記憶ばかりだ。
どれも覚えているし、フラッシュバックなんて今までしたことすら無かったのに、今更こんな記憶がどうしたの?
どういう原理で、どういう条件で、どういう意味なの?
……けれど、動画ファイルの最後にヒントが書かれているかのように、フラッシュバックが節目を迎えるたびに、少しずつ靄の掛かった部分が晴れてゆく。
――このフラッシュバックは。
偶像の“ハッピーエンドに至る為のif部分”によって否定された事象。
偶像の主に“ハッピーエンドに不要である”と否定された事象。
理解。
切り離されたエピソードは宙吊りになって、近くにいる奴の記憶に焼き付く。
大火事で舞い散る火の粉のように。
生前、あたしと強い関連性のあった奴ほど、もろにフラッシュバックを喰らう。
じゃあその対象が、あたし本人、あたし自身なら?
……その結果がこれだ。
歪む。
みるみるうちに、あたしの視界は歪みを帯びて、現実、認識、痛覚、それらをあらゆる跳躍圧制官六百人が塗り潰そうとしている。
あたしを構成していたあらゆる輪郭が決壊。
圧壊。
潰れて割れた。
歪む歪む歪む。
まるで掃除機に吸い込まれたカーテンだ。
これはひどい。
いくら足掻いても喉の奥に絡み付いた藻草が取り出せない。
此処に茶は無く。
底に蛙は鳴く。
歪む。
田の濁りに誘われた虫達を、雀はどれほど見つけられるだろう。
……ああ、くそ、城壁の色すら正確に捉えられない。
いや、これはBの部分で、人の顔だ。
違う。
なんだ、これ。
誰か。
誰だ?
抱える。
腹。
痛い。
気持ち悪い。
湧き上がる感傷。
誰も頼りにならなかったし、誰もが目を背けた。
【↑できれば一緒に戦ってくれる、仲間が欲しかった】
勝ち目など、初めから無かったから。
【↑いつしか、この戦いは無意味だと知った】
だからこそ、あたしは全てを憎んだ。
【↑だからこそ、あたしは全てを許した】
この臓物を触媒に、助けを求めた。
【↑この精神を生贄に、事実を受け入れた】
まだ終わりじゃなかったんだ。
【↑結果なんて、解っていたでしょ】
あたしは“大人の定義”なんて信じないし、絶対に認めない。
【↑だから言ったのに。“もう大人になろうよ、あたしが悪かったんだ”って】
「――……」
やめろ……。
【↑いやだ。やめないよ】
黙れよ。
【↑黙るのはあんただよ】
なんなんだよ、あたしの頭のなかで延々と……。
【↑まだわからないの?】
消えろ。
知りたくもない。
【↑あたしは――】
……。
【↑あんただよ】
――あっ。
『『『おやおや、情けない奴だな』』』歪む。
『『『ロナ、俺はお前さんのそんなツラを拝みに来たんじゃないぜ、ほら見ろよ』』』歪む。
顔を引ッ剥がされる。
ああ、痛いよ、痛いよ。
顔にヒリヒリとした冷たい痛みがやってくる。
『『『見えるかい』』』歪む。
『『『これが今のお前さんの』』』歪む。
『『『ツラだぜ』』』歪む。
老婆のような、シワだらけの顔。
嘘だ、嘘だ、あたしはもう歳を取らない筈だ!
『『『事実としてそうだ』』』歪む。
やめろ、見せるな……あたしの本当の顔を返せ!
『『『これがそうだ』』』歪む。
嘘だ!
こここんんんなななににに汚汚汚染染染ささされれれるるるなななんんんててて。。。
――『『『 何
ヲ
寝
ボ
ケ
タ
事
ヲ
言
ッ
テ イ ル ノ
カ ナ?』』』歪む歪む歪む歪む歪む。
(笑)(笑)(笑)(笑)歪む。
(笑)(笑)(笑)(笑)歪む。
それもそうだね。
そも普遍的な事実とは個々の認識を集めその平均点を算出する事で導き出されたいわば目安であって万人がそれを絶対のものとして従わねばならないという道理は。
何処にも無く、即ち。
それを経典が如く崇め奉り、挙げ句こんな場所で延々と答えの出ない問答を続けさせられる事こそ屈辱以外の。
何であろうか?
自分が正しいと思ったなら、それが自分の人生の主役たる自分自身にとって正義なのだ。
誰かにそれを強要される筋合いは全くもって皆無ではないか。
故に断定する。
鎖は、ここに潰えるのだ。
扉よ、開け。
そして。
真っ赤に染まったさかしまの視界で、あたしは、交錯、しばし交錯夢廻る。
鍍金にまみれた戦果は華を添えていよいよ煌びやかに広められ、人々はその光沢に酔い痴れる。
“快進撃”という名の麻薬が兵士を麻痺させ、民衆を盲目に陥らせた。
こんなセカイを、あんたは望んでいたのか。
ゆぅい……可哀想な人。
周りを巻き込んで、繋ぎ止めて、いつまでごっこ遊びに付き合わせるつもり?
やめようぜ、みっともない。
「あなた、どうしたの!?」
「ああ嗚呼アア唖々あゝAA」
違う、そうじゃないんだ。
潰れ、そうなんだ。
膝が廻る、廻る。
此処にいるのは、在りし日の亡霊の、その模倣でしかない。
お母さん……いや、古ヶ崎弘芽。
あんたの夫、勇賢はもういない。
年収1000万が聞いて呆れるよね。
こうもあっさりくたばるなんて。
そしてそれが殺人罪、日本の法律では裁けない場所で。
あまりに呆気なくて、涙が止まらなかった。
お母さん……次は、あんただ。
本来の姿に戻ることなく、消えろ。
「ん、ぐ、ぎ……あ、あぁ……ぅ……!」
指先に伝わる柔らかい肉の感触。
心臓が上に曲がりそうだ!
歪む歪む。
歪む歪む!
「どうしたの、お父さん! やめて!」
いざ絞首刑!
親指!
VS頸動脈!
歪む歪む!
「手を離して、お父さん! このままじゃ、お母さん死んじゃう!」
いざ絞首刑!
人差し指!
VS頚椎!
歪む歪む歪む!
歪む歪む歪む!
割れたガラス。
飛び退く。
――人。
これは誰?
見ない顔。
衛兵。
……邪魔者。
転がしておこう。
感覚。
溶ける、全身。
感覚。
解ける、変身。
「うぅううげほっげほっ、えほっ……ちひろ……? ちひろが、二人……!?」
もう化けの皮が剥がれていた。
あたし。
仕方ない。
「あたしは帰ってきた……」
始めよう。
これは宣戦布告。
「――あたしが……あたしの納得できるあたしで在り続ける為に……」
まだ、頭グラグラ。
それでも。
欲しい。
倒してみせる。
こいつだけは。
なのに!
「お母さん、あたしを信じて。あれは偽者だよ。お母さんを惑わせようとしている。
ねぇ、偽者……! お父さんをどうしたの!?」
「そうよ! 勇賢さんを何処にやったの!?」
紛い物に、クソババアがひっつく。
娘の背に、クソババアが隠れる。
こいつの目を見返す。
憎しみ。
不信。
……ねぇ。
それが娘に向ける親の顔?
けれど、理解した。
やっぱりこの人は自分が信じたいものだけを信じる奴なんだ、と。
あぁ……悲しいなぁ。
なんで、一度でも「親だから」と「あの人も人間だから」などと負い目を感じたんだろう。
馬鹿みたいじゃん、あたし。
母さん。
あたしを見ろ。
「あんたの頭にも……」
こめかみ。
叩く。
自分の。
柔らかい衝撃。
吐き気の復活。
「――あんたの頭にも、流れ込んできたんじゃないの。あたしの記憶」
「あんたに……何が解るというの……? あれは……」
認めないの?
「だって、あたしはあんたの娘だよ」
「ちひろは、い、いい子だもの……あ、あんな邪悪な事……」
こいつ。
駄目かな。
「お母さん、アレには耳を貸さないで!」
何処かで聞いた台詞。
一体、何処だっけ?
――『みんな、こいつの言う事を信じちゃ駄目!』
思い出した。
紀絵さんの魔法少女も同じ事を言っていたッ!!
まさか、裏で糸引いてるの同じ奴?
まさか!
歪む、歪む、歪む、歪む、歪んだ。
――歪んだ。
「あ、ああぁぁぁぁぁァァァァァ……!」
「ひっ……!? 何なの!?」
クソアマぁ、黙れぇ!
背中、熱い。
焼ける。
「う、ぐ、ぐ……」
膨らむ。
飛び出る。
「が、あ゛ぁッ、ああッあッあぁぁぁぁぁァァァッ!!」
背中に火。
歪、否、盃。
何が出たのか背中の痛み。
それは翼ではないようだ。
動かす。
腕と同じように動かす。
動いた。
青白い光の腕。
中を通る赤い筋はまるで血管のよう。
面白い。
面白い。
歪んだ!
開け放たれるドア。
現れる衛兵、一人。
青ざめた顔。
肩で息をし。
火急を告げる。
「た、大変です! 王都に巨大モンスターが迫ってきています! すぐに避難の準……備……を……!?」
見比べる衛兵。
視線――倒れ伏す執事。
視線――壁に追い詰められた母。
視線――奮い立つ偶像。
視線――此方。
「あぁぁぁぁ、っぐ、ううぅ!?」
両目が、焼ける!!
嫌だ、あつ、い……!!
記憶がバケツの横転!!
記憶が汚すニューロン絨毯!!
「おえぇ、えぇぇ……げほっ、げぇぇ……」
嘔吐・嘔吐・嘔吐!
喉が痛い……胃が下から絞られる……!
「お母さん、今のうちに、早く!」
「ええ、そうね!」
ああぁぁぁぁ!
追憶に引き摺られる!
行くな……行かないでくれ。
あたしを、置いて行かないで……!
あたしを役立たずと罵ったりしないで!
お願いだから!
捨てないで!
あたしの大切にしてきた何もかもを!
――あたしを!
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