真夜中の約束、君からのオブコニカ

些稚絃羽

7.家宅捜索です

 暫く続いた沈黙を破ったのは、またしても奴だった。宇加治順。

「それは荷物検査も込みか?」
「はい」
「断る。理由も無しに持ち物を引っくり返されるのはご免だ」

 一瞬でも、あれ、意外と好意的? と思った僕が馬鹿だった……。でもその言葉に僕は奴への勝機を感じた。

「理由があれば良いのですね」
「……正当な理由だと判断できれば」

 不満そうにしながらもそう言う。なら説明すれば問題無く全部屋を捜索出来そうだ。何せ厄介なのは奴だけなのだから。

「勿論皆さんに納得して頂く為に、現場検証をして分かった事をお伝えしましょう」

 そう告げて、僕は話し始めた。雪さんの部屋に変わった様子は見られなかった事、遺体にも大きな損傷は見られず唯一あったのが右肘の内側の小さな傷である事、その傷の大きさと微かなアルコール臭から注射の痕であるだろうという事、部屋から注射器やアルコール臭のする物が無かった事。そしてその点から他殺の線が濃厚ではないかと考え、それを見つける為に全部屋の捜索を行ないたい旨を伝えた。

「注射器で……」
「ええ、もう一度確認致しますが注射器を扱える資格をお持ちの方は居られませんね?」
「最終的に殺したいと思っているなら、資格なんか無くても適当に打つんじゃないのか?」

 宇加治の言い分は最もだ。それでも打った人間は、ちゃんと打ち方を調べて正確に打った筈なんだ。

「そうですね。だからこそ問題なのです」
「どういう事だ?」
「雪さんは本当に眠るように亡くなっていました。顔の強張りもなく、苦しんだ様子は見られなかった。もし誤った場所に打って何かの液体を流したとしたら、痛みがあって苦しんだり、死なないまま翌朝を迎える可能性もあります。腕が腫れる等の不審な点も出たかもしれません。しかしそんな事は一切無かった。
 資格を持つ人間が居ない以上、まだ全員に“可能性”がある、という事です」

 過去に点滴を失敗された事がある。その時、序盤で痛さに耐え切れなくなった。ゆっくり落ちる点滴でもそうなのだから、一気に入れる注射はどれ程痛いだろう。
 最近はネット社会だ。欲しい情報は大抵のものが手に入る。つまり全員に資格がない、という事は反対に考えれば、まだ全員が容疑の同じ位置に立っているという事だ。

「……神咲君は、この家の誰かが雪を、雪を殺したと思っているという事かい?」
「僕もそうではないと信じたいですが、自殺にしては不可解な点が多すぎる。外から入れる人間は居ませんから、そう考える方が自然なんです」

 壱さんは辛そうに目を瞑り、小さく頷く。

「私達の部屋から、見て下さい」
「旦那様!」
「早く終わらせたいのだよ。早く、真実を知りたい。その為には動かなければいけない。神咲君は私達の為に動いてくれている。やましい事が無いなら、皆もきちんと協力するんだ」

 彼はどれだけ弱っても、姫井家の主なのだという事を忘れてはいなかった。彼もかなりぎりぎりのところで自分を保っているのだろう。主として倒れる訳にはいかないと、無い力で踏ん張っているように見えた。

「どなたかお付き添い願えますか?」
「僕が行きます」
「では英君、早速行こうか」


 幾分風邪が良くなったらしい、手伝いを買って出てくれた英君を連れて、廊下奥の夫妻の部屋へ入る。真ん中に並んだベッド、壁一面の本棚、大きめのサイドテーブルにシンプルなスタンドライト。無駄な物は一切無く、簡素だが清潔感のある大人の部屋だった。

「クローゼットは私が探しますね」

 いつの間にか志賀さんが部屋に入って来てそう言った。女性のクローゼットを開けるのには気が引けていたからお願いする事にする。彼女も結構気の利く人だ。
 隣の執務室と応接室はドアで繋がっているから、廊下には出ずに纏めて捜索しておく事にした。執務室もかなりシンプルで、主の人となりを存分に感じさせる。応接室には一度入っているけど、昨日と特に変わりは無いように思う。至る所を確認したが、怪しい物は一切見つからなかった。

 実際のところ、僕はあの夫妻は全くのシロだろうと思っていた。だから予想通りの結果だ。

 食堂に戻り全員の視線を一気に集める。誰もが昨日より老けて見える。もう五時を迎えていた。きっと促しても眠れないだろうけど、少しでも早く捜索を終わらせてベッドに横にならせてあげたいと思う。

「次は二階の皆さんの部屋へと参りましょうか。ご自分の荷物が気になる方は付いていらして下さい。志賀さんは一緒に参りましょう」
「はい」

 志賀さんに声を掛けると、それに続いて宇加治も付いて来る。木村さんと英君は主人と残る事を決めたらしい。お辞儀を交わして、三人で二階へと上がる。

「私の部屋からだ」

 そう言って、宇加治は勝手に自分の部屋へと進んで行く。ドアを開ける前、向かいのドアにちらりと視線をやったのが背中越しでも分かった。文字通り今日、結婚する筈だった婚約者を亡くした痛みは大きいに違いない。そこは、そこだけは同情する。


 続いて部屋に入る。間取りは雪さんの部屋と同じのようだ。ドア正面に重厚な書斎机と仰々しい椅子が置かれている。机の上はファイルやビジネス書の類が並べられているが、その並び方が几帳面過ぎて少し気持ち悪い。そこだけ見れば社長室に見える。……何か感じ悪いな。
 宇加治はベッドに座って、黒い革のアタッシュケースを開いている。近付くと分かる。あれは本革だ。明らかに高そうな……こんな奴、嫌いだ!

「荷物はこれだけだ。あとは好きに見たら良い」

 素っ気無く言い放って、部屋の隅に腕を組んで立つ。睨み付けるような鋭さでこちらを見ているからさっさと済ませよう。

「今日泊まる部屋を変えたいんだが」
「あ、客間でも宜しければご用意致します、が」
「それで良い」
「お荷物は全て移動し、なさいますか?」
「いや、今日使うだけだからいい。それから、私物は明日帰る時に全て持ち帰るから鞄を一つ用意しておいてくれ」
「え?」
「……雪が死んだ今、私がここに居る理由の殆どが消え失せたからな」

 宇加治の一言で会話が止む。僕は目星い物の無かったアタッシュケースを閉じ、黙ったままで部屋を歩き回る。小さな引き出しもごみ箱も、棚と壁との隙間さえ見逃さず探したが、何も見つからなかった。
 私物を片付けておくという宇加治を置いて廊下に出る。宇加治は遺体の第一発見者で、部屋も向かいだし、性格に難がありそうだし、犯人に一番近いかと思ったがそうでもなさそうだ。気を取り直して次に行こう。

「部屋割はどうなっています?」
「お嬢様のお部屋の隣が私で、宇加治様のお部屋の隣が匠君です。廊下の向こうは、右側が手前から木村さん、ランドリー、バスルーム。左側が手前から稲葉さん、用具室、トイレです」
「え、風呂とトイレは部屋にありますよね?」
「従業員の部屋には付いていないので、共同で使っています」

 聞いた情報を間取り図にメモしておく。部屋の大きさがまちまちだったのはそういう事か。

「あの、すみません。先に匠君の部屋から見ておいてもらって良いですか?宇加治様に鞄をお渡ししておきたいので」
「あぁ、分かりました」
「では、失礼します」

 灰色のワンピースの裾を翻して小走りに階段を下りて行くのを背にして、僕は英君の部屋に入る。宇加治の部屋から出て来たからだろうか、すごく狭く感じる。風呂とトイレが無い分客間より若干広く思えるけど、勉強熱心なのか本が沢山積み上げられていて、床が見えるのは半分位なものだ。
 あるのは英字の本ばかりで、クローゼットの中に四着のスーツと幾らかのカジュアルな服や下着位しか置かれていない。ごみ箱にも大して何も入っていないし、捜索の上では正直あまり面白味の無い部屋だ。
 これ以上探しても何も出てきそうにない。部屋を出ようと振り返った時。

「うわ、ちょ、え!」

 ドサドサと音を立てて、積まれていた本が雪崩を起こした。幸い一棟が倒れただけで済んだが、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。積み直そうと本を拾っていると、英字の本の中に一冊だけ読みやすく鮮やかな花の写真の載った小さな本を見つけた。

「季節の花辞典?」

開いてみると、多種多様な花々が咲く季節毎に写真と共に紹介されているものだった。折角だし、あのプリムラ・オブコニカについて調べてみようか。

「何を見ているんです?」
「わ!」

 完全に調べる体勢になっているところで突然声を掛けられて、思わず声を出して驚いた。志賀さんが戻って来たらしい。振り返ると、驚いた僕に驚いた彼女の目が丸く見開かれている。こうしていればまるで昨日の延長だけど、その目が赤く充血しているのを見ると、この捜索の意味をまざまざと思い出す。

「すみません、驚かせて」
「いや、こちらこそ。花の本があったので興味があって」
「ん? それは確かお嬢様の本ですね」
「そうなんですか?」
「何度か部屋でお見掛けしましたから。確か一昨日も開いておられるのを見ました」

 友達だから貸し借りは当然としても、つい最近借りたなら一番上に載っていてもおかしくないのに。これを読んだ後、これだけの本を読んだのだろうか?まぁ、大した事ではないけど。花より先に捜索を終わらせた方が良さそうだ。これは借りる事にしよう。

「次は志賀さん、宜しいですか?」
「はい、どうぞ」

 向かいの志賀さんの部屋は、いかにも若い女性らしい、明るくポップな印象の部屋だ。窓際に並べられたキャラクターのぬいぐるみは少し幼すぎる気がしないでもないが。

「英君もそうでしたが、物は少ないんですね?」

 女性の割には、という感じでもなく本当に少ない。クローゼットの中の服も英君より少し多い程度だし、あとはベッドと可愛らしいドレッサーがあるだけ。

「基本的にこの屋敷内でこの格好で居る事ばかりですからね。神咲さんの所に伺った時みたいに使いで外出する時や、お休みを頂いた時にしか着ないのでこれだけで十分です。ドレッサーの引き出しの中も、外出の時だけするメイク道具とかヘアアクセサリー位しか入っていません。ほら」

 何と言うか、すっからかんだった。言っていた物は入っているけどそれだけで、下の方の引き出しは活用すらされていない。ヘアアクセサリーと言うも、ただ黒いだけのヘアゴムやピン、それから申し訳程度に飾りの付いたヘアゴムがあるだけ。先日の、正直地味なあの服装から何となくイメージ出来たが、部屋のポップ感はミスマッチだな、と本人の隣で考えた。
 分かっていたけど、何も無いので退散する。次は廊下の向こうの部屋。

 ……そんな事だろうと思ったよ。だってあの若い二人があんなに物が少なかったんだから。
 木村さんと稲葉さんの部屋は、一言で言えば何も無かった。木村さんの部屋はドアを開けてベッドしか無くて、使われている事を疑うような部屋だった。クローゼットにもスーツや下着はあるが、私服らしきものは一切無い。稲葉さんも同じようなもので、園芸の専門書は見つけたけど、クローゼットは下着しか無かった。替えのつなぎとか無いの?

「木村さんも稲葉さんも、出掛ける時は屋敷内の格好のままで出るので他に服は要らないらしいです。
 稲葉さんは一着のつなぎを駄目になるまで繰り返し使って、擦り切れたら次を買うようにしているんです。あ、夜中に私が責任もって洗濯してるので清潔ですよ?」

 志賀さんは僕の疑問にちゃんと答えてくれる。物が少ないという事は隠せる場所も少ない。見た瞬間無い事は分かったが一応確認して、やっぱり無いと納得した。無駄骨感が半端じゃない。
 ランドリーはただ大型洗濯機が二台並んでいるだけのスペースだった。全自動だから全員のを夜中の内にやっておくんだそう。洗濯機だけの部屋って、何か贅沢だ。洗濯機の中も確認したが空っぽだった。使用人用バスルームとトイレも別段変わった所はない。共有スペースに置いて混乱させるのでは、という読みはあっさりと崩された。

 何やら隠しやすそうな用具室に入る。中には箒や掃除機等の清掃道具、スコップや鉢等の園芸用品、救急箱らしきものもある。そして棚にはガラス製の何かが置いてある。手を伸ばしてみても届かない。

「あれは何ですか?」
「花瓶です。最近は大きい花瓶を使う事が多いので、小さいものをここに保管しているんです。見ますか?」
「ええ、出来れば」

 志賀さんはちょっと手を伸ばして、花瓶を下のラックに並べてくれる。……悔しい。
 透明のガラスの花瓶。一輪挿しが多いようだ。細身のつるりとしたシンプルなものや、丸っこいフォルムをした模様の入ったもの、こじんまりとしたサイズのもの等、計八点。似た形のものも幾つかある。

「雪さんの部屋の花が生けてあったのって、グラスじゃなかったです?」
「え? あぁ、確かにそうでしたね。ウイスキーグラスでした」

 こんなに花瓶があるのに、どうしてコップを使ったのだろう。食堂へ行くより用具室ここの方が近いし、花は花瓶に挿すのがセオリーだろう。何故敢えてウイスキーグラスを使ったんだ?
 また疑問が増えてしまったし、どの部屋にも怪しい物は無かった。また振り出しに戻ってしまった。

 いや、待てよ。まだ探していない所があるじゃないか。

 

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