雨模様の終礼、隠されたスピリット

些稚絃羽

5.被害者なる者

 初めと同じように四人は真ん中の机を囲み、次の進行を待っている。現場検証を終えたのだからすることはひとつだと皆分かっているだろう。僕が話し始めなければいけない、今だけは“探偵”なのだから。

「堀さんについて知りたい。まずは簡単なプロフィールが分かると助かるんだけど」

 そう言うと、渡瀬君がブレザーの内ポケットから何かを取り出してこちらに差し出す。小さな手帳のように見える。深い藍色の表紙には薄れた文字で生徒手帳、と書かれていた。
 今年度在任している教師一覧が載っている、と教えられてページを捲っていくと、学校の方針や校歌等に続いて<教職員の御紹介>という項目を見つける。まず集合写真が印刷されていて、そこからそれぞれの教員の担当する教科や卒業した大学、持っている資格といった内容が記されていた。何でも、生徒が資格取得や進学のために誰に相談すればいいかを決めやすくするためらしい。様々な方面への進学を勧める輝英ならではの配慮と言えるだろう。……感心はするが、今更株は上がらない。
 手帳は有難くお借りして、堀氏の紹介を探すと案外すぐに見つかった。

 堀靖二ほりせいじ、三十八歳。東京の有名な大学の出身で、聞いたことのないような資格を多く取得しているようだ。補足情報として輝英に在任して十年目になることが分かった。
 十年も在任しているとなると、学校の中でかなり古株ということになるのだろう。そういった人材は学校としても重宝するものだろうと思うのだが、しかし学校側は調べるのも億劫というような雰囲気さえある。失って狼狽するような相手ではないからこんなにも静かなのだろうか。
 真相が分からないならそれでもいい、というのは聞きようによっては調べたという事実だけは作っておきたい、とも聞こえる。あとで咎められないための予防線に僕は使われているようだ。
 余計に気の滅入るようなことはもう考えないことにして、メモに幾つかの点を書き留める。ここにはたったこれだけの情報しかない。載せられていないどんな事実が飛び出すのだろう、少し怖い気もする。けれど決めたことは曲げない、やるしかない。

「堀氏は、物理教師として優秀な人だった?」
「うちら物理取ってないから知らないよ」

 当たり障りのないところから始めようと思ったのに、一言で終わってしまった。授業を受けたことがないなら知らないのは当然だ。遠回りしようとしても無駄だということが分かり、単刀直入に質問していくことにする。

「彼はどんな人だった?」

 教師としても人としても最悪。
 示し合わせたように、そんな答えが返ってきた。返したのは渡瀬君と香田さん。あとのふたりは目を合わせて苦笑いを交わしている。やはり否定しないということは、多少そういう思いがあるのだろう。
 こざっぱりとした分かりやすい答えではあるが、彼等が堀氏を嫌っていることしか分からない。それでは困ると、具体的な回答を求めると。

「あいつは女の敵!」
「気に入った相手には何をしてもいいと思ってる」
「基本的にナルシストなんだよね」
「男相手には横暴で抑圧的な奴だ」
「女子の中でもめっちゃ人選んでるし」
「何かにつけて学校や内申を盾にして」
「外面だけはいいから教育委員も騙されちゃって!」
「ちょ、ちょっとストップ!! お前ら、ゆっくり順番に話してやれよ……」

 徐々に白熱するふたりのマシンガントークが望月君の一声で止む。息をつく隙を与えてくれない会話に耳を塞ぎかけていたから助かった。ここぞとばかりに深い息を吐く。

 冷静にそれらを繋げてみる。堀氏は生徒に対して差別的で、特別気に入った女子生徒がいたらしい。が、気に入られているからといって優遇されているという訳ではなさそうだ。何をしてもいいという考えが優しさと結び付くことはない。そして自分に都合の悪いことには半ば脅すことさえしていたが、それを学校外の人達は知らない。
 世渡り上手と言えばいいのか、ずる賢いと言えばいいのか。自己主張の強いとっつきにくそうな人、という見た目の印象は内面をありありと映していたということだ。

「望月君も同じように思ってるのかい?」

 そう聞くと、振られると思っていなかったのか呆けた顔で僕を見返す。それからうーんと唸って険しく顔を顰めた。

「確かに嫌な奴だったよ?  汚いもの見るみたいな目で見られたこともあるしさ。けど、あんまり会うこともなかったし、こいつらほどじゃないかなぁ」

 明るく人付き合いの上手そうな彼も、堀氏の不快な態度を経験したことがあるのだ。生徒に対するとは思えないものだが、大抵の人間にはそうなのかもしれない。相手が望月君だったから良かったものの、場合によってはその場で掴みかかれてもおかしくなかったはずだ。しかしそうだとしても、どんな対応をされるかは想像できる。

「……つまり、恨まれる理由は様々あったと」
「言ったでしょう?  あいつが死んだら皆喜ぶって。そういう奴なんですよ」

 渡瀬君の言葉に真実味が出てきてしまった。彼等の個人的主観という訳ではないだろう、自身にされたことだけを根に持つような子達ではないと思う。
 堀氏の素行の被害を特に受けていた生徒は居ないだろうか、そう考えて思い出す。新垣さんの体操服の件だ。盗みかねないと納得されていたということは、彼女は日頃から何かしら堀氏の干渉を受けていたのだろうか。話に加わらず顔を伏せている彼女にも話を聞かなくてはいけない。名前を呼ぶとぎこちない動作で怯えるような瞳を見せた。

「体操服は結局堀氏の元にあった訳だけど、そうしたことをされるということは今までにもあったのかな?」
「……ありません」

 吐息に消え入りそうな弱さで彼女は答える。ふるふると否定するが、その顔に貼り付けていたのは恐怖に見えた。そうであるなら問い詰められることへの恐怖だろうか、それとも知られたくない事実が暴かれることへのだろうか。もっと他の意味合いもあるのかもしれない。
 思うところはあるが、同時に不躾だったことにも気付く。男相手に答えたくないこともあるかもしれない。女性への配慮がまだまだ足りないらしい。
 ちょっかいは出されてたよね、と心底嫌そうに香田さんが言う。それに対しては新垣さんも幾らか表情を緩めて顎を引いた。

「ちょっかい?」
「よく声掛けてきてた。でさ、距離が近いんだよ!  下心見えすぎだっての」

 あのおっさん、と吐き捨ててから香田さんは顔を歪めた。相手が亡くなっていることを思い出したらしい。その力の篭った声に彼女が募らせていた怒りは相当なもので、その大部分はやはり新垣さんを思ってのことだったのが分かった。渡瀬君も知っていることがあるのか、渦中の新垣さんに心配そうな表情を向けている。望月君は……彼は元より鈍感そうだ。
 この十分足らずの聴取で堀靖二という男がろくでもない人間で、言ってしまえば誰からいつ殺されてもおかしくなかったと思えてしまう。あんなに反感を抱いた校長に対しても、会えば厄介な荷物を抱えていましたねと肩を叩いてしまいそうだ。
 ――だけど彼は死んでしまった、殺されたんだ。その行為を肯定してはいけない。殺人は罪だ。

 堀氏はろくでなしの烙印を押されたまま生涯を閉じた。しかしもっと過去はどうだったのだろう。どこかで彼が変化したなら違う顔も見えてくるのではないか。被害者として同情できる部分を求めるようにそんなことを思う。手にしたままの生徒手帳に目を移すが、彼の短所を記す項目もなければ長所を示す欄もない。
 溜息混じりに閉じようとした時、同じページに伊岡さんの名前を見つける。何気なく見たその文字に、僕は希望の光を見い出した。

 絶妙なタイミングでガラリとドアが開き、伊岡さんが入ってくる。彼女は僕を視界に捉えると小走りに近付き、よろしくお願いしますと重々しく校長の言葉を代弁した。実際そんな風に伝えたとは思えないが。
 彼女は顔を上げると僕の手に生徒手帳があることに気付いて、僅かに瞼に力が入った。そのまま目が合い、何も発しなくても彼女は僕が見たものを理解したし、僕は彼女が理解したことを認識した。
 しかしこの場で問うのは良策とは思えない。内容がどうあれ過去のことを持ち出すのは本人の、せめて彼女の許可が出てからにすべきだろう。

「少しお話しよろしいですか?」

 彼女は即座に頷いて踵を返す。生徒達にそのままで居るようお願いして僕もその後を追いかけた。


<……人が死ぬって、居心地悪いな>

 ドアを閉じると、望月君がぼそりと呟くのがイヤホンから聞こえた。ずっと溜めていた気持ちが思わず転がり出たように慌てた声が続く。

<いや、不謹慎だって分かってるけどさ! 何か実感湧かなくて……>

 夢見てるみたいだ、と言った声が少し掠れていた。状況が上手く呑み込めないでいる、それも仕方のないことだ。初めて見る遺体、それも全く知らない訳でも深く関わっている訳でもない、どっちつかずの距離の相手。彼の場合、苦手であっても憎むという類いではないから、渡瀬君や香田さんほどはっきりとした思いもなく大した反応ができずにいるのだろう。それが居心地の悪さに繋がっているようだ。
 気にすることではない。それを不謹慎だと理解しているなら十分だろう。君にはそのままで居てほしいとすら思うよ。僕は空気を和らげようと必死で明るい声を上げた彼の様子を思い浮かべながら、そっとドアから離れた。


 伊岡さんは少し離れた所で窓の外を見つめていた。桟に手を掛け、ガラスに鼻の先を付けるように近づいて向こうの校舎を眺めている。その背中はぶれがなく、最初に挨拶を交わした時より凛として見えた。

「輝英の卒業生だったのですね」

 反応は、ない。言いたいことは分かる筈で、先を言えということだろう。
 生徒手帳には彼女が二十五歳であることと、輝英の卒業生であることが記されていた。言わずもがな、それは七年前のことだ。
 話を続けようと思ったが、どんな言葉を使えばいいのか。耳にしたフレーズが脳裏を流れていくものの、僕が使えば死者を冒涜するようで迷う。

「その頃から堀さんは、その……」
「生徒から聞きましたか? どんな方だったか」

 ええ、まぁ……と濁したが伝わってしまったかもしれない、彼等が下した酷評が。彼女はふっと細い息を吐いて笑みを作る。外に向けていた視線を僕の方へ緩く落とすと、

「では、それで全部です。七年前から何一つ変わっていませんから。……あの人も、この学校も」

 そう言ってまた雨の校舎を見上げた。濡れた窓に微かに映った表情は、校長を無関心と称した時と同じく何も窺えなかった。
 彼女も少なからず堀氏の振る舞いの被害を受けていただろう。そんな人間を放置したままでいる学校は、彼女から見て確かに何も変わっていないのかもしれなかった。しかし彼女はここを職場としている。僕が同じ立場なら母校とはいえ、抱えるだろう精神的疲労を考えてまず除外してしまうと思う。……苦痛ではないのだろうか。

「私はこの学校が大好きです。あの子達が居るこの学校が」

 僕の思考の気配を感じたのか、はっきりとした答えを示してくれた。

「前の学校に赴任した時は何もかもが初めてで、無心で走り回っている間に時間が過ぎていきました。
 輝英に移ることが決まって、初めよりもずっと不安だった。生徒である前に後輩で、ちゃんと助けてあげられるのかと考えたら怖かった。……昨年の春、教壇に立つ足が震えたのを覚えています」

 その頃を振り返り、自身の腕を引き寄せる。何がそんなにも彼女を怖がらせたのだろう。教師として教えること、助けること。それは追い詰められるほど重いものなのだろうか。だがもしかしたら、見てきた教師のようにならないということがプレッシャーになったのかもしれない。彼女の思いを想像することは難しく、それでも想像するしかなかった。僕がそれ以上問うことはできない。

「だけどあの子達は私を頼ってくれて、時には導いてくれて。あの子達が先生と呼んで、私を先生にしてくれたんです。教師であることの喜びを教えてくれたんです。
 だから、大好きなんです」

 そう語って、お役に立てずすみませんと頭を下げた。そして彼女は愛しさを宿した表情で皆の待つ物理室へと戻って行く。堀氏について話せることは本当にないようだ。生徒と同僚の両方の立場で堀靖二という人間を見ている彼女も、生徒達と同じ見方をしている。時を経ても視点が変わっても、そこには何の変化もない。彼女が時折見せる無の感情は、そうしたものへの失望を示しているように思えた。
 あいつが死んだら皆喜ぶ。今やそれを事実として受け入れてしまっている自分に気付く。誰しも大なり小なり動機を抱えていて、目の前の鈍器を手にして振り下ろしてしまうだけの衝動は起こり得た。学校中の一人一人にもし「誰が犯人だと思う?」と質問したなら、絞り切れない数の名前が挙がりそうな気がした。犯人と発見した彼等以外は堀氏の死さえ知らないが、今こうして静かなのもそのお蔭だ。やはりまだしばらく黙っていた方がいいだろう。内密に、しかし素早く真実を探し出さなくては。


 物理室に入ると、少し疲れた顔がこちらを向く。協力を促したことに今更ながら罪悪感が芽生えた。それでも気にしてばかりではただ時間が過ぎてしまう。そうして長引かせるよりは少しの間耐えてもらって、真実に近付けるような情報や考えを分けてもらおう。
 まず可能な限り死亡推定時刻を絞っておきたい。あの時室内はストーブによって温められていたため、触れた遺体は温かかったがそれが死亡直後であったかどうかは判別しがたい。誰が犯行を行ないそうかではなく、誰が行なえたかという部分は非常に重要な点だ。新垣さんの傍らに寄り添うように立つ彼女に確かめてみる。 

「伊岡さんは堀氏に頼み事をされていたのですよね?」
「はい、プリントを持ってくるようにと」
「頼まれたのはいつ頃、どこでですか?」

 三限目が始まる前に職員室で、と答えた。つまり僕が香田さんに捕まった時だ。それからは僕達と一緒に行動していたのだから堀氏とは会っていない。香田さんと新垣さんも勿論そうだ。

「君達は授業から戻って来る時に堀氏を見かけたりした?」
「見てないです」
「歩いてたの俺等だけだったよ、なぁ?」

 授業の間に教室外に居た彼等も見ていない。もっと探せばその間にも堀氏の姿を見た人が居るかもしれないが確認する術はない。それ以前に、伊岡さんに声を掛けた後すぐに物理室の方へ戻って行ったらしい。ということは、三限目が始まる頃から遺体となって発見されるまでの一時間が死亡推定時刻になる。
 しかし思い返してみれば、発見時にはまだ血はもみあげの辺りを流れていた。あの出血量と落ちる速度、そして他に流れた様子もないことを考えると、一時間も前に亡くなったとは考えにくい。三十分は短くできそうだ。
 望月君は他には誰も出歩いていなかったと話している。彼等が戻ってきたのは十一時十五分頃。入っていく人も逃げる人見なかったというのは、まだ犯人が現場に居なかったからなのか、それとも既に中に居たからか。その辺りは犯人に聞くしかないようだ。

 死亡推定時刻は遺体発見の三、四十分前というところで当たりをつける。では、その頃怪しい者は居なかなったのだろうか。授業終了のチャイムを教室で聞いた僕達には知りえない部分もあるが、最後の十分がどうだったかは知ることができる。
 僕と望月君と香田さんは一緒に美術室に上がったが、誰ともすれ違わなかったし見ることもなかった。念のため確認したが、やはり頷きが返ってきた。重要なのはここからだ。

「順番としては新垣さんが最初に校舎に入ってきたのかな。その時誰かとすれ違ったりしなかった?」
「誰とも……」

 求められた答えではないと恐縮するように彼女は身を縮み込ませた。追い込んでいるようで申し訳なくて、相手を伊岡さんへと変える。彼女も誰も見ていないと答えた。
 現場に最後に着いたのは渡瀬君だった。伊岡さんが悲鳴を上げた時はまだ校舎の外に居ただろう。もし犯行が発見直前に行なわれたものなら、犯人に遭遇する可能性が高いのは彼ではないだろうか。

「渡瀬君、君はどうかな?」
「近くには誰も居ませんでしたよ」

 結局、重要参考人として挙げられそうな人物は居ないということか。どうしたら可能性のある人を割り出せるだろうか。

 チャイムの音が室内に響き渡る。十二時四十分、四限の終礼だった。遺体を発見してからまだ一時間も経っていない、随分と時間がゆっくり流れているようだ。
 気を張っているからか不思議と空腹は感じなかった。食べないことも多いからその辺りは気にならない。だが育ち盛りの彼等にはちゃんと食事を取ってもらった方がいいだろう。食欲があるかどうかは分からないが、ここに缶詰状態にしておくのも辛いはず。堀氏のこともある程度は知れたことだし、一度解散するのがいいかもしれない。

「昼になったし、皆は教室に戻っていいよ。また放課後にでも集まってもらえると……」

 そう話していると視界の隅で何かが動く。目をやると渡瀬君がすっと右手を挙げたところだった。どうしたのかと聞くと憮然とした態度でまさかの答えを返してきた。

「俺がやりました。もう我慢の限界だったんで」


  

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